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聖なる夜の企み事

 軽食を済ませて酒場パブを離れたジョーは、ティムが借りた宿の一室にいた。

 日はすでに傾き始めていて、窓から夕陽の柔らかい茜色が差し込んでいる。


「じゃあいつものようにして」


 ティムは首に巻いていたマフラーをしゅるりとほどいて分厚いコートを脱いだ。


 ジョーは使い古してくたくたになった外套を脱いで、全身をぎゅうぎゅうに縛り上げているベルトを一つずつ緩めていくと、まるで献血でも受けるかのように机の上に蒸気式義手ひだりうでを置いた。細かな擦り傷にまみれたざらついた鉄の皮膚。指作や手首、肘、肩の関節は発条とピストンの合わせ技で再現されている。つなぎ目の隙間からは毛細血管のような細い管が見えた。管は、長い間掃除されていなかったようで要所要所が黒ずんでいたり破れかかっていたりと劣化が進んでいた。


「腕の調子はどう?」


 向かいに座ったティムは、足元に置いていた革の鞄から取り出した工具で厚い鉄の皮膚を一枚一枚取り外しながら医者が患者の容態を訊ねるように淡々と質問を行った。


「問題ない。だけど、そろそろまとまった修理に出さなきゃな、とは思っていた」

「その通りね。ずいぶんと部品が摩耗してる」

「何とかなりそうか?」

「かしこい修理屋は、すべての部品を保存している。アルベルト・スチムライズドの言葉よ。今回の仕事が終わったらしばらく休みなさい。部分交換による応急処置じゃなくてもっと全体を刷新しないと。固定具ベルトも新調しなくちゃ」

「さすが」

「これでも一端の蒸気機関職人スチムライズマスターだもの。これくらいは当然よ。雑談はこれくらいにして……そろそろ仕事の話をしましょう」


 ティムは、手袋を外して指の関節部分を検め終えると、今度は肘から前の部分に広がる鉄の皮膚を開いて部品の交換作業を進めながら言った。


「そうだな。まず、単刀直入に訊く。俺はどこの()を運べばいいんだ?」

「レイチェル・アンバー」

「その子が酒場パブで言っていたシャーロック・ホームズ?」

「ええ。レイチェルは、この町の外れにあるアンバー家の一人娘なの。母親は死別。父親は現役の内科医フィジシアンのダーバード・アンバー」

内科医ドクターか。貴族じゃないのか?」

「ええ。ただの優遇爵位コーテシー・タイトル持ちね。肩書きはもっぱら内科医ドクターアンバーみたいだけれど外科医サージョンも兼ねていたり精神医学も学んでいたりとかなり優秀な人物よ。現在は傷痍軍人の心的外傷トラウマを克服するためにイギリス陸軍の専属軍医をやっている、とか。あのホレイショ・キッチナー伯爵と仲が良いらしくて、色々と援助してもらってるって噂よ」

「ホレイショって……どっかで……」

「イギリス陸軍の現役元帥らしいわよ。会ったことあるんじゃない?」

「一兵卒が元帥サマなんかと顔を合わせたことがあるわけねぇだろ。……いや、思い出した。ボーア戦争ん時、トップを務めてたお偉いオッサンが確かそんな名前だったな。で……そんな軍と太いパイプを持つ名家の娘を誘拐しろ、と? ちょいと冗談きついんじゃない、それ」

「断ってもいいけれど、レイン・メーカーがわざわざ直々に斡旋してきた仕事だからなにか裏があるかと思って。あの死線を越えた伝説の生き残りに()()()()()だ、って」


 ジョーは、不快そうに顔を歪めて黙り込んだ。


 レイン・メーカー。


 性別不明、年齢不詳の謎に満ちた人物()()である。この前出会った者は、キャンディを咥えていた。その前に出会った者は頬に深い傷を負っていた。彼らは倫敦ロンドンを拠点に置く秘密結社で、法外な金額か相応の物品を要求してくる代わりに暗殺などの非人道的な行為ですら仕事として請け負ってくれる。実行するのはもちろん、しくじっても後腐れのないジョー・スミスのような根無し草たちだが。


「なにかの企みに体よく利用されそうだ、と俺は思っている」

「そうね」

「ティムはどう思う?」

「あなたが決めるしかないわ。あたしの発明を振るうかどうかを決めるのはあなただもの」

「だよな」

「そういえば」


 ティムは足元の鞄からなにかを取り出した。

 手触りのいい便せんだった。五、六ペンスはくだらないだろう。酒場パブで頼んだ麦酒よりも高いだろう紙切れには、達筆な字体でただ一言、記されていた。


『自由になりたい』


 世界でたった一人の専(シャーロック)門的な助言をする探偵(ホームズ)の名を有する少女からの切実な願いがこもった手紙を突きつけられたジョーは、ため息を吐いて窓の外に目線を移した。


 小さな建物の屋根の向こう側に堂々と立つ大きなもみの木が見える。

 吊り下げられたたくさんの装飾が、ぽつりぽつりと輝き始めている。


「そういえば聖夜クリスマスか」


 呟いて口元に手を当て、はぁ、と息を吐く。

 真っ白くなってしまった息を見て、彼はフッと笑った。


「どーりで最近、寒いわけだ」

【宵越しのシリングは持つな】

 ──ソブリン(金貨)を一気に使うのはもったいない。ペンス(銅貨)は細かくて酔った頭じゃ数えられない。


 だからパーッと使うのはシリングに限る、という中産階級なりの豪快さを示す言葉だが……実際のところは賭場における野次で「(負け分を)投げろ=sling」と言われたのをshillingと聴き間違えて多めに払ってしまった愚か者への嘲笑、というのが元らしい。

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