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裏切り、策謀、そして真実

 あっけらかんとした態度からにじみ出る倦怠感を取り繕うような素振りもせず、ダーバード・アンバーは言った。


「……いったいなにがどうなって────っぐゥっ!?」


 前屈みになるようにして臨戦態勢を整えていたジョーの身体は、急に支えを失って大きく前へ崩れる。反射的に重たい左腕が下にならないようにするも、腕を換えたばかりで重心が定まっていなかったのが災いし、そのまま冷えた地面へと倒れていった。

 言葉にならない呻き声をあげ、衝撃で回転が鈍った頭をなんとか使って状況を把握しようとした時にはすでに遅く、右腕は後ろに回され、その上から誰かが加重をかけて身動きが取れないようにしていた。


 咄嗟にこのような真似ができる人間は、一人しかいない。


「レイン…………レイン・メーカーッ! っ、お前いったいなにを考え──」


 鼻先に拳銃の握把グリップが振り下ろされ、視界が明滅する。


「ジョーさん!」

「おい、顔面は後回しにしておけ。脳の活動が鈍ると痛覚への反応も鈍ってしまう」

「申し訳ありません。小うるさいかと思いまして」

「……ふむ。そうか。お前なりに考えた上での行動なら認めよう」

「っ、ぺっ……。テメェら、グルだったのか」

「お前は、ずいぶんと牙を抜かれたな。おおかた娘の馬鹿げた理想論に共鳴したか? 敵対者を目の当たりにして、まァ待て、などと言われて素直に待つ程度には従順になるとはな。……やはり意識的に殺人への抵抗力を削いでいない天然ものだと兵士としての完成度にムラがあるようだ。……こういう者を腑抜けになる、と言うのだろうな」


 そう言ってダーバード・アンバーは懐から銃身の短い拳銃を取り出して空へ向かって引き金をしぼった。朝の日差しに負けぬ光量を放ちながら飛翔した信号弾はある程度の高度に達すると緩やかにその場を漂い、しばらくして遠くから汽笛のいななきが風に運ばれてきた。


「ここは複線でな。とうに廃棄された無人駅なのだよ。こういうのを空城の計、と東方では言うのだったかな。……迎えが来るまで多少、時間を要する。それまで久しぶりに座って話をしよう。レイチェル」


 なんでもない、ただ親が子の名を呼んだだけなのに、レイチェルはひどく怯えた面持ちだった。少し前に決意を固めて向かい合うことを決めたのが嘘のような顔で、両肩をきゅっと小さくいからせて震えている様は、これまでのどのレイチェル・アンバーとも重ならない、まるで人が変わったかと見紛うほどであった。


「レイチェル?」


 ちくりと心臓を刺すような言い方にぴょんと肩を跳ね上げたレイチェルは、心配そうに一瞬こちらを見やった後、大人しくダーバード・アンバーの隣に座った。


「二分と十八秒か。……なにを戸惑う。まさか本気で僕から逃げられると思っていたのか?」


 腕時計に落としていた目線を持ち上げ、ダーバードは不出来な実験体モルモットを見るような濁りきった目でレイチェルの横顔を見下ろした。

 沈黙を守る彼女から目線を外してコートのポケットに手を突っ込んだダーバードは、メモ帳を取り出して気怠そうに頁をめくった。彼は、ミミズがのたくったような乱れた筆致で日付ばかりを書き連ねた頁をレイチェルへ見せつけながら、


「一月四日。珍しく舞踏会の招待状を受け取ったお前が興味を示す。一月二十八日。倫敦の舞踏会に参加。僕が用意していたいくつかの仲介人カットアウトを通じて依頼を投書。二月八日に倫敦の秘密結社レイン・メーカーに受理されるものの、一切の痕跡を消すためか以後、三月、四月、五月、六月、七月、八月、九月は音沙汰なく。十月十五日にようやく書籍を購入する名目で外出。しかし、この日は骨相学の本を買うに留まる。十一月一日に封書。例の骨相学を購入した本へ取り寄せ願い。表題は自由論。十一月二十七日に届けられた書籍は丁寧なリボンの装飾がなされており贈り物(プレゼント)であることが窺える。十二月二十五日。お前は計画を実行に移し、僕はひどく迷惑をこうむった。おかげで余計な出費をしなければならなくなり、所内での立場も危うくなった。……自由は楽しめたろう?」

「十二時の鐘が鳴ったとでも?」

「自由はガラスの靴ほど美しくはない」


「……あなたなら直接手を下すような真似をせずとも連れ帰れたでしょう?」

「蜘蛛が蝶を巣にかけるのに労力を払うことはないが、蜘蛛が蝶を食べるには出向かなければならない。愚かな蝶は食べられるその時になってようやく生存競争で蜘蛛に敗北したのだと悟るのだ」

「それは矛盾してはいませんか? ぼくをこう育てたのはあなたです」

「お前をそう育てたのは妻だ。僕の意思じゃない」

「えっ……?」

「レイチェルのお母さんはとっくに死んじまってるんじゃないのか? あんたは、いったいなにを言っているんだ」

「そこの悪人を黙らせろ」

「はい」


 拘束にかかる力が強まって痛みに悶え苦しんだジョーは、奥歯をぐっと噛みしめて痛みを堪えるのに必死になった。


「僕は悪人が嫌いだ。見ているだけで手の甲の皮膚が粟立って首筋がかゆくなる」

「てめぇだって……悪人だろうが……レイチェルを洗脳の実験体モルモットにして!」


 ダーバードは目を細めてベンチを立ち、ひどくつまらなそうな顔でジョーを見下した。


「お前たちの勝利条件は把握している。僕が非合法的な人体実験に明け暮れている証拠を掴み、糾弾し、社会的地位を失墜させ罰を受けさせる。そうすれば僕という檻は機能しなくなる。その報酬としてあの子に自由への切符を与えるつもりなのだろう。まったく…………馬鹿馬鹿しい。卑しい大人の政争に利用されていることに気づけないほどに愚かだとは思わなかったが、まぁいい。ところで最強の兵士の作り方について思案したことがあるかね」

「……作り方って、そんな粘土をこねるみたいに兵士が作れるわけがないだろ」

「『気高く誇り高く一本筋通った武人こそ強者である』……か?」


 彼はネルソン海軍大尉の言葉を一言一句そらんじてみせ、嘲笑うように口角を引き上げた後、スッと真顔になった。


「南北戦争に従軍した記者がしたためた【殺人の抵抗力】にはこのような記述が存在する。『南北戦争における実例として、平均的な射程距離で五割の命中率を誇る兵器を携えた部隊の実際の殺傷率は一厘《一%》にも満たなかった。無駄撃ちや非発砲者が八割ほど存在し、多くの兵士が発砲したふりをしていた。その証拠にゲティスバーグの戦場には、弾が込められたまま発射されていない銃が約一万二千丁も残されていた』。僕がもともと英国陸軍に徴用されたのは、肉体的精神的あらゆる方法でもってこの人殺しをしたくないとのたまう兵士に人殺しをさせることにあった。同書はこうも述べている。『殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが、本能的、理性的、環境的、遺伝的、文化的、社会的要因の強力な組み合わせの結果として存在することもまちがいない。紛れもなく存在するその力の確かさが、人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる』。……まァ、侵略戦争を効率的に展開したい英国議会にとってその力は目障りだったわけだ」

「……人体実験をしていたことは認めるってことだな?」

「卑しい連中はそうやって結果だけで優劣を決めるのだな」


 ジョーは、思わず押し黙った。論旨が正しいから反論できなかったのではない。こちらの無理解に苛立ったダーバードから飛び出た言葉が奇しくもレイチェルのそれと同じだったから、目の前のふてぶてしい顔と面影が重なって返答が喉に突っかかってしまった。


「すこし昔話をしよう。英国の血の法典について。今から何百年も前、千四百年ごろからあったこの法典は、数多くの犯罪者が死罪として処理された。たとえば金や財産に対するいかなる行動も死罪であるし、馬や羊の窃盗、放火、殺人の脅迫までもが死罪となった。今では考えられないことだがそうすることで犯罪を抑止する狙いがあったのだ。スリなどの軽犯罪が死罪から外されたのは今から百年ほど前、千八百八年の話だ。その後、段階的に刑が重いとみなされるものは意図的に有罪判決が減らされ、死罪を免れる者が増えてきた。けれど罪を軽くすれば抑止力は期待できない。そう考えた英国議会は死罪の代案として流罪るざいに目をつけた」

「……聞いたことがある。復讐殺人などで適用され、多くは島流しに。一部は英国陸軍に入隊することで罪を免れた、と」

「その通りだ。獣のわりによく知っているな」


 けっ、とジョーはあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。


「しかし流罪にも限界があった。ほとんどがオーストラリアへと流された罪人たちは原住民を虐殺し、土地を奪い、逆に自らの土地にして自治権を主張するようになったからだ。悪人は根絶やしにしない限り雑草のようにいくらでも生えてくる。そのことを失念していた議会は、いよいよ流罪で問題の先送りをするのも難しくなっていることに気づいた。早期に手を打たなければ国内に悪人がはびこる。そう危惧した彼らが思いついたのが悪人という《《資源》》の消費。つまり、悪人の実験体モルモット化だった」

「なっ……まさか国ぐるみだとでもいうのですか!?」

「結託してなければ、|目的のために手段を選ばない《マキャベリズム》なんぞ実行できるわけがなかろう。所詮、司法など国の機関の一部でしかないのだから」


 嫌な正論だった。

 レイチェルは閉口し、ジョーは無力感に打ちひしがれた。


「ネルソン海軍大尉を筆頭とする英国海軍についてはいかがしましょうか」

「放っておけ。所詮、無力な小娘にすがるような連中だ」


 辛辣に切り捨てたダーバードは、白い吐息をこぼしながらうなだれるレイチェルの前に立つと、形のよい顎をくいっと持ち上げて、医者が診察するかのようにまじまじと見つめた。


「やめてっ!」


 嫌がった彼女に手を払われた彼はその行為を鼻で笑うと、


「『人が現実に生きているのと、人間がいかに生きるべきかというのとははなはだかけ離れている。だから、人間がいかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか破滅を思い知らされるのが落ちである』」

「…………ニコロ・マキャベリ。君主論」

「ようやく目が覚めただろう。お前の知識は人より豊富だ。僕がかけた金で得た書籍を乱暴に読み漁ったおかげで言葉は人よりよく知っているだろう。けれどもお前のそれは知識であって知恵ではない。真の知恵者とは、蓄えた知識を基に探求し、後世に残せる新たな知を生み出すことにあると僕は考えている。であるならば他者の言葉や思想を引用して賢人ぶるお前の立ち居振る舞いは、人格なき学識に過ぎないのだ」


 レイチェルは、雷に打たれたような表情で口を開けたまま固まっていた。

 彼女は、その批判に対して言い返す術をもっていなかった。


 だが。


 無様に地にふしていた男は違った。


「そいつは違うな。ダーバード」


「……なんだと?」

「矛盾しているんだよ、その言葉は。まるでレイチェルが悪いように飾りつけられているが、そいつは自分が箱入り娘の世間知らずだって嫌ほど自覚しているんだ。自覚しているからこそ家を出た。あんたの支配から逃れようとした。その行動や気持ちを一切勝手に無視しくさったくせに、あたかも正論のように一席ぶるんじゃねぇよ。そういう機会を奪ってきたのは誰だ! てめぇだろうが! 意地汚い手段でひとの気持ちを踏みにじってんじゃねぇぞカスが!」

「フン、悪人がいけしゃあしゃあと……」

「自分の子どもの手足に枷を嵌めて高圧的な態度で接するあんたもじゅうぶん悪人だよ。それとも子どもの手綱は握ってなけりゃ死んじまうって確信でもあったか? てめぇの過去によ」

「何が言いたい」

「真面目に向き合おうとしている娘をねじ伏せるのに死んだ母親やつを使うなよ」


 ついにダーバード・アンバーが閉口した。


 レイチェルはまるで魔法でも目撃したみたいな表情を浮かべていた。

 レイン・メーカーの拘束がぎりぎりと強まってか細い呻き声が漏れる。

 遠くから列車が走ってくる音が聞こえた。


「……時間だ。報告書によるとお前には昔、妹がいたそうだな」

「…………それがどうした」

「冥土の土産に一つ、いいことを教えてやろう」

「あン?」


「お前の妹を病死させたのは僕だ」


 唐突な告白を聞かされたジョー・スミスの表情は、閾値いちきを振り切れて無になっていた。


「正確にはエディンバラで流行った病の出所が僕だというだけだがな」

「っ、そんな! どうしてそんなことが平気で言えるのですか!」

「もともと犯罪率の飛び抜けた地位を選別し、そこに毒ガスを散布して頑強な肉体を持つ男だけを効率よく徴兵するための施策だったのだ。その思惑通り奴も解毒薬につられて入隊したのだろう? 聞いているぞ。貴様がボーア戦争の戦場で成し遂げた些細な復讐も。おかげで歯車と歯車の間に鉄くずが挟まったみたいに蒸気鎧の研究開発の進捗は阻害されたのも」

「お前が……妹を……隊長や仲間を────ッ」

「レイン・メーカーッ! 」

「っ────ぐぁぁぁっ! 離せ! 離しやがれこのクソガキがァ!」


 極められた関節の痛みなんぞ忘れたかのような荒々しい雄叫びをあげ、ジョー・スミスは強引に立ち上がった。華奢なレイン・メーカーを跳ね除け、懐から取り出した拳銃でもってダーバード・アンバーを撃ち殺さんと銃口を持ち上げた瞬間、


 汽笛が鳴り響いた。


 音圧で筋肉が萎縮した。


 右手にあった拳銃が吹き飛んだ。


 駆けつけた陸軍に弾かれた────


 そう気づいた時には、右膝ががくんと落ちた。


「────て、めぇ…………」


 レイン・メーカーは、落ち着いた面持ちで拳銃を構えている。


 踏ん張ることはもうできなかった。


 腹筋に力を込めようとして傷口が開いていた。


 重すぎる左腕を支える脚力も奪われた。


 虫の息になったジョー・スミスは、この世のすべてを呪い殺してしまいそうな眼差しで中空をぼおっと見つめながら、どさり……と崩れ落ちたのだった。

【英国当時の流罪】

 作中で話されている通りですが、英国にも日本と同じように島流しの刑というのがありました。これは、作中の通りオーストラリアに人を流し過ぎたせいで逆に街が起こり、自治権を認めるかどうかまでの大事に発展してしまい、その土地の先住民の暮らしをひどく傷つけるものになったせいで廃止されることとなりました。この流罪移民と先住民と間の確執は現在でも続いていて失われた世代、奪われた世代と呼ばれています。


 本作はそういった世代格差や人種差別問題を取り扱う気はありませんので深掘りはしませんでしたが、悪人が自分たちの生活を豊かにするために先住民の子どもを拉致して自分たちの言葉を教え込む、いわゆる洗脳行為をしていたという話も耳にします。悪人をと殺するような行いは到底許されるものではありませんが、流罪で遠くの無実の人間に厄介事を押しつけるようなスタンスよりも自国内で処理してしまう方がいい、とダーバードは考えたのかもしれません。

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