森見て木を見ず
「過去に使ったことがある武装だけれど、使い方と注意事項を忘れているところもあるだろうから念のためにもう一度、頭から説明するよ。これは蒸気圧式杭打機。見た目は完全に鉄の筒で二の腕の肘から二の腕のあたりにリボルバーでいうところの回転動輪がついていて装弾数は三発。撃ち切り式で工房に持って帰らない限り再装填はできない。二の腕の後ろあたりに専用トリガーレバーがあって、常時は暴発を防ぐために安全装置がかかってる。ロックを外して右腕でバズーカ砲を撃つように腕を持ち上げて対象を狙って引き金を絞ればばね機構と蒸気圧で加速した鉄の杭が装甲を貫く。オーケー?」
ティムはそう言うと最後の留め具を締め上げて肩とそれとを完全に固定した。
「ああ」
「問題点は多い。というか問題しかない、というべきか。まず重すぎる。この点は、まぁ、威力と継続戦闘能力をぎりぎりまで天秤にかけた代償だ。慣れるうちは左腕に振り回されるような感覚を覚えるだろうから早急に適応すること。また鉄でできているから敵の攻撃を咄嗟に防いだり銃身で殴りつけたりはできるかもね。どちらも右手で補助しないとまともに振れないだろうけど。次に最低限の腕としての機能はない。最後に装弾数は三発だけどまともに撃てて二発まで。そのどちらもとても接近した状態に限る。三発目は……撃てはするが同時に銃身が壊れる。暴発率五十超とでも言っておこうかな。どうしようもならない敵と相対した場合、二発で仕留めるかその場から潔く逃げること。いいね?」
「善処しよう」
「ふぅん」
ティムは、むすっとした顔で彼を見定めながら、猫の鼻から抜けるような相槌を打った。
気まずい空気が肌にまとわりついてか冬なのに汗がにじむ。
「あのさァ──」
不意に、ティムの隣で頬杖をついて眠そうにしていたレイン・メーカーが口を開いた。
「あの子、ずいぶんと遅くない? どこで油売ってんのよ。ったく」
「そうだね。彼女がすぐに乗り込んできてサッサと出発する羽目になると思っていたからあたしも道具箱諸々載せて作業する気でいたのに、先に作業が終わっちゃうのは想定外だった」
まぁ、十数分程度で済む作業とは言え、と付け足しながらティムは道具を片付けていく。
「朝早くに起きたからタイトなスケジュールだと思っていたけど海軍大尉
のもとに都合が変わるような情報が入ったのか、それとも彼女が逃げ出したのか──なんてね。これは冗談。ま、なんにせよ職人は裏方が似合いだからあたしは馬車を降りるよ──あら?」
戸の向こう側にはレイチェルが立っていた。
なにかを探してあたりを走り回ったあとのように息を切らして。
「はぁ、はぁ…………ぼくの虫眼鏡を知りませんか?」
「虫眼鏡?」
ジョーはティム、それからレイン・メーカーを見た。その口角は、なんの話か分かりませんとばかりにやや下向きにのびている。
「それよりもお前──」
「観ること、や!」
突然の気張った声に投げかけようとしていた疑問が喉の奥に引っ込んだ。
「っ、スゥ──……識ることは──」
背筋が。
ピンとのびる。
「ぼくの自己形成規範でした。それは、今も変わりません。ただぼくは、森を見て木を見ていなかった。客観的な事実してホームズもぼくの親も、そしてあなたも人殺しです。でもその三人から受ける印象は、まったく同じものではありませんでした。ホームズの森が鋭くとがった針葉樹で形成されていたとしたら、ぼくの親を構成するものとは何なのでしょう。この嫌悪感、不快感の正体はいったいなにに起因するのでしょうか。なぜ、あなたはぼくに世話を焼くのでしょうか。そしてぼくはなぜ、人を殺した経験のあるあなたの言葉に本気でむかっ腹が立っているのでしょうか。図星を突かれたから? ……その通りです。でも、それだけじゃあない気がする。なぜ? ぼくは、それが知りたい」
そのためにも、と言いながら人差し指で両目尻をちょんと引っ張って、
「もっと細かな部分まで視通したい」
──若いな。
下劣な悪意をまざまざと見せつけられてもなお折れず、自分の思うままに突き進もうとするレイチェルの輝きに思わず目がくらみそうになった。彼女ならいわしの狂宴を見てもなおその中に手を突っ込もうとするかもしれない。いわしたちを魅了しているその餌はどこから、どのようにして運ばれてきたのか。
──だが、危うい。
彼女のほとばしる知識欲を諫められる人間が必要だ。
シャーロック・ホームズにジョン・ワトソンという相棒がいたように。
「なになに? 虫眼鏡? 探してるの?」
横で話を聞いていたティムが興味深そうに言った。
レイチェルがこくこく、と神妙な表情で頷く。
「お前の心意気は理解したが、虫眼鏡なんて──「あるよ」だよな、ないよな……ってあれ?」
「虫眼鏡じゃないけど、はいこれ」
ぽかんとしていたジョーを他所にティムは、大したことないような素振りで黒くて細長い、ずいぶんと年季の入った箱を手渡した。
「あげる」
ぱこっ、と音を立てて開いた蓋の下には、ゴーグルというには華奢で眼鏡というには厳めしい、歯車が目を引くフレームが特徴的な品が収められていた。
レイチェルはぱちぱちと目をしばたかせるとあらゆる角度からそれを眺め、
「…………」
真剣な表情で首を左右に振った。
「これは、なに?」
ティムが問いかける。
「受け取れません」
「なぜ?」
「これは、あなたにとって大切なものだからです」
「どうしてそう思ったの?」
挑発的な物言いだった。口元には笑みがたたえられていた。
「あたしは、それをほとんど使ったことがないし今までただの道具箱の肥やしだと思っていた。けれどもあなたはちょっと見ただけで血相を変えて突き返してきた。まるでこの眼鏡がたどってきた軌跡とその価値が分かっているみたい。それもお得意の推理ってやつ?」
「いえ。推理と観察は似て非なるものです。ぼくは、その眼鏡を観察して示唆に富んだいくつかの興味深い痕跡を見つけました。【四つの署名】にてワトソンはホームズに向かってこう言いました。『君はたしか、人間が日常的に使っているものにはすべて持ち主の個性が刻まれ、熟達した観察者ならそれを読み取れると言っていた。もし良ければ、最後の所有者の個性や習慣について、見解を述べてもらえないか?』と。ぼくの観察力はホームズの足元にも及びません。ですが、この眼鏡にはぼくでも見過ごせない点がありました」
「ふぅん?」
「まず、この眼鏡には持ち主の手癖を示唆するような情報はありませんでした。まったく使われていない証拠です。にも関わらずレンズには曇りがなく、箱も外傷を除けば埃一つありません。つまりこの眼鏡はごく最近まで手入れされていたということが分かるのです」
「たしかに昨日、船室で暇つぶし掃除をしたね」
「また、フレームには日付とD.Bというイニシャルが彫られていました。このイニシャルが示す人物はサー・ディビット・ブリュースター。偏光角の発見者であり万華鏡の生みの親と謳われた男の最期の作品です。彼が亡くなったのは千八百六十八年の二月。刻まれた日付は千八百六十七年となっています。他にはイニシャルのDとBの両方において曲線が胸を張るように突き出されていて、縦線は背筋をぴんと反らすように、軸がやや左に傾くように彫られています。これは彼のサインの特徴でもあったので間違いないでしょう」
「すごい。本当によく観察しているんだね。でも、受け取れない理由にはなっていない」
「これが一点ものの高級品だから……では納得されませんよね。あなたは金銭にあまり執着がないようですし」
ティムは首肯する。
「ぼくが注目したのは日付と傷がまったくないという事実です。この真新しい印象を受ける眼鏡の製造年月日が日付の通りであるならば、今から約四十年前の品ということになります。どうみてもあなたは二十代ですから、前に持ち主がいたのでしょう。ディビット・ブリュースターと親しい、いわゆるものづくりに精通した人間が。それだけの長い間、劣化に見舞われなかった。この眼鏡は哲学する眼鏡ではありません。明らかに誰かに使用されることを目的として設計されている。現にあなたは虫眼鏡を求めるぼくに対して、その代わりになると思って差し出そうとしている。にも関わらず劣化していないということは、あなたを含む前の持ち主はこの眼鏡を一切使用しなかった」
レイチェルは、人差し指と親指をこすり合わせながら、
「人間の肌は、弱酸性です。手や首、眼鏡なら鼻筋や耳殻でしょうか。人間の身体からにじみ出る汗は、金属製のものを少しずつ酸化させていきます。眼鏡のような身につけるものを、蒸気技師、つまり鍛冶職人のような高温の環境下で仕事する人間がし続ければ大量に分泌された汗ですぐに眼鏡の弦は駄目になってしまう。そもそも耐熱性があったかも疑わしい。ただ前の持ち主にとってディビット・ブリュースターは、あなたにとって前の持ち主は、大切にするだけに値する思い入れがあった。だからこそ仕事場で使えない眼鏡を売りもせず、捨てもせず、道具箱にしまって今日まで持ち続けていた。それが分かったからこそぼくはお断りしたのです」
「べつにね……いつ手放してもいいとは言われてたんだよ。もしもの時の金策になるから、ってね。ただあの人が大切にしているのを見てきたから、そんな方法で手放したくなかった……ってことなのかなぁ……。正直、よく考えたことなかったんだ。それをそう言われちゃあ、ついついこっちもそうだったのかなって思えてくるよね。うん、説得力のある説明だった」
ティムは、憧憬に思いを馳せるように目を細めて口元を綻ばせていた。
「東方の書物に【天工開物】っていうものづくりの書籍があってね。千六百年くらいに出版されたらしいその書籍をあたしの師は、自力であのよく分からない漢文を翻訳して死ぬまで愛読していた。『世間には聡明で物知りの人々がおり、多くの人から推称される。しかしこれらの人々はありふれた棗や梨の花を知らないくせに、古い話に出てくるそひょう(孔子物語に登場する空想の果実)をあれこれと想像したり、ふだんに使う鍋釜の製法もよく知らないくせに、昔あったというきょてい(春秋左氏傳という史料の内容を指していると思われる)をとやかく議論したりする。また画工は好んで怪物の姿を描くが、ありふれた犬や馬は描きたがらない。だから名だたる博学者であっても偉大視するほどのことはないのである』」
朗々と歌うように言い切ったティムは、フゥ、と息を吐いた。
「外側を見て内側を見ていなかったことに気づけたあなたなら、もしかしたら本当の知恵者になれるかもしれない。だから期待してみたくなった。託してみたくなった。あたしのもとでは役立てないこの眼鏡もあなたのもとでなら仕事ができるはず。だって虫眼鏡とは比較にならないほど便利だもの。それに、道具にとっては使われていないということがいちばんの恥。……ならば、そろそろ受け取ってくれるよね? レイチェル・アンバー?」
【天工開物】
千六百年代前半に中国で出版された当時の中国の最新鋭の技術や考え方が記された書物。しかし当時の中国ではあまり評価されず、千九百年代ごろに日本に上陸するなどして再評価の流れが起こって現在に至る。当時は科学技術が未発達だったため農耕の説明などによく不思議(天工開物の根底にある思想としてものつくりは神の力を借りて行うというものがある)という言葉が多用されており、ある意味で今日の麻酔療法への向き合い方と似ている。原理はよく分からないけれど便利であるので活用している、とかなぜかこの作物は冬越えができるけどその理屈はよく分かっていない、というその時期の農民、鍛冶師、その他技術職の本音のようなものが事細かに記されているのである。
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今回の話はくっそ難産だったので完成後にでも書き直すかもしれない




