最強の兵士の作り方
かちかち、ぐっぐっぐっぐっ……っ、カランコロン────────。
「お目覚め?」
材木で編まれた天井に簡素な照明が吊るされている。
すぐ隣には金属の皿があり、ダメになった螺子やボルトが弾丸の摘出手術のように載せられていた。術者の顔は照明の影になってよく見えなかったが、その冷めた声色には覚えがあった。
「……ティム? おまえいったい、痛ってぇ!」
「はーい、黙って治療されてろー。ったく、あんたといると一端の蒸気職人より先に一人前の医者になっちゃうよ。左腕はいくらでも替えがきくけど生身の身体はそう簡単にすげ替えられないんだ。一つひとつが一点ものの高級品なんだから」
「……この身体を注文したつもりはないけどな。痛っ……もっと優しくしてくれよ」
役目を終えて赤黒くなった脱脂綿を足元のバケツにピンセットでぽいっと投げ捨てながら、彼女は湿度を感じさせるじめっとした眼差しを細めて珍しく笑った。
「あらあら。ずいぶんと身体を張ったようじゃない。気を失う前のことは覚えてる?」
「……いや」
「河へ跳び込むも流されそうになって岩辺にぶつかったんだって。そこをちょうどあたしたちの乗る船が通りかかった。……通りかかった、というよりは間に合ったと言うべきかな」
「どういうことだ。そもそもこの船はいったい?」
「この船の所属は英国海軍。まぁ、大人しく寝てなよ。彼女もまだ眠ってる」
そう言ってティムが顎で指し示した先には、レイチェル・アンバーが床に座っていた。あたたかそうな毛布をかけられ、四肢を投げ出すようなみっともない格好で深い眠りに落ちている。
「懐かしいね。野良犬を戦場で拾ったあの日、あたしはああしていてあんたはそうしていて。そしてここには本物の蒸気機関職人がいた。あれからもう何年かな。……五年?」
「多分な。第二次ボーア戦争の終戦日は千九百二年の五月。ちょうど二十歳の誕生日だった」
「あんたのような野良でも誕生日があったんだ?」
「教会の、世話してくれたシスターが決めた。俺は五月。妹は十二月。捨て子を拾った時は、神の庇護からこぼれ落ちた子を庇護のもとに戻す。蘇生日なんだと」
「キリスト教ってそんなんだっけ」
ジョーは「さぁな」と言って深く息を吐いた。蒸気腕と生身を連結させる部品にティムが手をかける。
「よいしょっと」
正しい手順で部品を解体撤去して、久方ぶりに蒸気腕が身体を離れた。左肩の断面部は連結するための機械が埋め込まれていて、それ自体は熱に大変強く作られていたが故に破損などはなかった。ただ金属でできているため至近距離で蒸気腕の蒸気を浴びると一気に高温になる。
「具合はどうなってる」
「レアとミディアムレアの中間。中身までは大丈夫っぽい。まぁ、何度も焼かれ慣れたおかげで左肩の接合部の肉は盛り上がって岩のように硬くなっているからね。さすがのしぶとさだよ。ただ表面が火傷を負ってるからいつもの軟膏で対処する。染みるけど────」
「我慢、だろ……っ、ぐぁぁぁ…………ぁぁ…………」
右手でシーツを握り締めて両足の指を折り曲げる。
「動くな」
奥歯を噛みしめて治療を受け続ける。
永遠のように延長された時間。
スコープを覗いて倍率をしぼるように周囲が意識から消えた。
揺れる照明。
そして。
ティムは一息ついて席を立った。
曲がった背筋を伸ばすために大きく背中を反らすとこちらを振り返って、
「あんた、酷い顔してるよ」
「…………はは…………お前も、な」
手術用の手袋をバケツに捨ててから目の下の皮を指先でちょっと押し延ばして、
「これ? フン。まぁ、ひと眠りさせてもらうとするよ。あんたと違ってあたしはただの修理屋で部外者だから。たぶん、あんたにもすぐ話を聞きに来ると思うよ」
「レイン・メーカーは?」
「海軍のお偉いさんに経緯を説明中」
「なるほど。そいつはご苦労なこった」
「そうだね。飄々としているけれど彼女も苦労している。その子も、当然あんたも」
「……どうかしたのか?」
「蒸気機関職人ってさ……や、職人に限らずなんだろうけど、ずっと引きこもって仕事をしていると世の中がいつの間にか驚くほど進んでいて、見知った人はみなどこかに行っちゃっているんだ。でも、あたしたちは物を作る職人であって、それらでなにかをするわけじゃない。だからあたしはいつも部外者で、あんたにとっての始まりと終わりに登場するだけの存在だった。これまでも今回もそして……これからも」
「でも、今回は助けてくれたろ。それに、お前の作るモンがなければ俺は戦えない」
「まぁ、そだね。……腕だけどさ。あとでつけたげるから、しばし軽くなった身体を楽しみな。型番は一個前の、あのじゃじゃ馬なヤツ。でも蒸気鎧が出張ってくるようなヤマなら半端な威力よりはちょうどいいでしょ? また新しいのは作ってあげるからさ。ちゃんと稼いであたしにたくさん貢いでね。あんたも立派なあたしの……まぁ、収入源だからさ」
「ハハッ、俺は財布かよ」
「もちろん。今はあたしの一点ものの高級品さ」
じゃあまた後で、と言ってティムは部屋を出て行った。
しばらくして折り目正しい服を着て帽子を被った男がレイン・メーカーと一緒に表れた。
「海軍大尉がお呼びだ。立てるな?」
・・・
「しっかりと湯浴みは済ませたかね。一様に男物の服で悪いね。傷口が痛む者もいるだろうが文句は受けつけん。豚でさえ身だしなみには気を配るからな。吾輩は、傷を負った者にこそ清潔さは肝要だと考える。ばい菌を取り除くためならその傷口に塩を塗り込んでも構わないほどに。海上では病にかからないことがもっとも大切なのだ。とくに吾輩とテーブルを共にするのであれば。後ろの標語が見えるかね。これは異国の言葉で無病息災という。先に述べた吾輩の思想を端的に表している。この船に乗っているうちは不潔な真似は許さん。以上を理解した上で座りたまえ。食事にしよう」
開口一番にその主義主張の濃さを見せつけた彼は、できたてのスターゲージパイ(いわしが卒塔婆のように突き刺さったパイ)が並べられたテーブルへとジョーたちを誘った。
「あんたは?」
「彼はネルソン・フィン・ダンデ海軍大尉。」
海軍大尉と称された男は英国の象徴によく似ていた。
恰幅の良い身体に夜行会の正装で用いられる半ズボンにユニオンジャックのベストを着て、椅子の肘掛けには杖が引っ提げられていた。部屋の角の帽子かけには黒いシルクハットがかけられている。
ネルソン海軍大尉は整えられた口元のひげを指先で撫でながら、
「レイン・メーカー」
「レインさん」とレイチェル・アンバーが心配そうに名を呼ぶ。
「とっとと座れってことだろ」
ジョーは、堂々と近場の椅子に腰かけた。
「食っていいのか? これ」
「無論だ」
「悪いがパイは豪快にいく派なんでな。失礼するぜ」
そう言って右手でパイを掴みあげると、大きく口を開けてかぶりついた。
なにかを確かめるような神妙な顔でもぐもぐと咀嚼を行う。
嚥下。
「……妙な味はしないな。まぁ、味方に一服盛るなんてないだろうから多分大丈夫だ。二人も座って食えよ。夕飯がまだだったろ。腹になにか入れてないと栄養失調でぶっ倒れるぞ」
レイチェルはジョーの隣に座ってナイフとフォークを手に取った。
その手捌きはよく訓練された解剖医のようだった。
彼女は生地の薄いところを的確に切って分け、スターゲージパイを一口大にするとフォークで口に運んだ。そして口元をそっと手で隠しながら上品に咀嚼して飲み込んだ。
「よく躾けられている。そこの隻腕の野良犬と比べるまでもないが、並んで食事をするとその品性の差がよく見て取れるな。なるほど。これが陸軍の隠し子というわけか」
「あなたは物の食べ方で人の価値が分かるのですか?」
「適切な教育を受けたかどうかは分かる」
「そうですか。ありがとうございます」
突然、レイチェルはナイフとフォークを置いて、指が汚れないように清潔な布を間にかませてパンを食べるように両手でパイを掴んだ。
「なにをしているのだ。レイチェル・アンバー」
「ぼくは、とうに知っているテーブルマナーに興味はありません。彼の所作はたしかにあなたからすると品がなく下劣なのでしょうけれど、ぼくは彼の知恵や経験によって助けられ、今ここに居ます。命の恩人を侮辱するような真似はご遠慮ください」
毅然とした態度で言い返して小さく口を開け、かじる。
「人は他のことに意識を割く分、そのほかの感覚が鈍るそうです。こっちのほうがいろいろと気を遣わなくていいので料理の味を楽しみやすいのですね」
「戦場じゃあ行儀よく食べる暇がなかっただけさ。それよりもよかったのかよ」
「いいのです。どうせぼくは家出の身。そもそもあなたが言ったではありませんか。目立つような真似はするな、無防備な姿は見せるな、と。ぼくはまだ手が小さいのであなたのように片手で食べることはできませんが、咄嗟に拳銃を抜く際、片腕で食事ができる、というのは重要なスキルになると思いました。今後、あなたの食べ方が正しい場所もきっとある。ならば郷に入っては郷に従え。そう考えるのが道理ではありませんか?」
ジョー・スミスは肩をすくめて「好きにしな」と笑った。
「ね? 面白いでしょ? 彼女」
「フン……とにかくお前も食え。あのお方にとっての大切な手駒ゆえに丁重にもてなすよう指示を受けているのでな。話はそれからだ」
そう言ってネルソン海軍大尉は欠伸を噛み殺すと背もたれに体重を預けた。
「今日は長い夜になるぞ」
【国の擬人化】
作中で登場させたネルソン海軍大尉は英国の擬人化であるジョン・ブルが元ネタであるが、同様のものは各国にも存在する。有名なのがアメリカのアンクル・サムとコロンビアである。これらは度々風刺画で用いられる。インターネットによりそれが善であれ悪であれ個の多様性を尊重する方向に傾きがちな現代社会からすると分かりやすいレッテル貼りの一つであり、過激な思想を持つものからすると差別だと考えられてしまう恐れがあるが、その国の国民性というものをざっくりと知る分には非常に興味深い入り口となっている。とくに色々な国のキャラを登場させたいと考えている作者は一度調べてみるとよいだろう。




