ファラリスの雄牛
槍のような蒸気機関車に追突され、ロイヤルフライング・スコッツマンが大きく揺れる。
食堂車の後方出入口が拡張がり、釣り針の返しに似た突起が車体に深々と食い込んでいく。そうしてぴったりと密着した謎の蒸気機関車はそのままロイヤルフライング・スコッツマンと足並みを揃えるように速度を緩めて並走を始めた。
「っ、なんだこいつ!?」
「蒸気機関車の拿捕に成功した敵兵を追跡し、速やかに奪還と排除、線路の保護を目的として設計された戦争用蒸気機関車のレールランサーだ! 国内でまだ数両しか製造されていない戦闘に特化した蒸気機関車だよ。ハハッ、すげェだろォ? だが驚くのはまだ早え。ここからだ。ここからなんだよ。英国陸軍の力はァ!」
痛みで顔を歪ませたままクローリー・カーストーンが叫ぶ。
その声に応えるように食堂車に食い込んだレールランサーの異音を発し始めた。
巨大な歯車の音、鎖が巻き取られていく音、発条、そして大量の蒸気を掃き散らしながら西洋騎士のフェイスガードを上げるように開帳されたレールランサーの槍先は、食堂車の形を内側から歪ませながらなお広がり続け、そして停止。
照明が一切ない不気味な暗闇の奥からふしゅー、ふしゅー、と荒々しい呼吸音がした。
一歩ずつ、板金鎧を連想させる甲高い音を鳴らしながら暗闇から現れたのは────優に二メートルはあるだろう巨大な鎧であった。背中に箱型の蒸気機関を搭載しており、やや前傾姿勢を取りながら歩み寄ってくるその両腕には大口径の機関銃が一丁ずつ握られていた。機関銃からのびる弾薬の帯は鎧の腰あたりへと通じていて、両足の外側を守るように取りつけられた箱の上部に接続されていた。外側からの攻撃を防ぐクッションを兼ねた弾薬庫だろう。それだけでも個に向けるには火力過多であるにも関わらず、背中の箱型蒸気機関車の側面には火炎放射器とその小型タンクがぶら下がっていた。
「蒸気鎧……よォ……久しぶりだな。っつってもお前に言ってもしょうがないか……やっぱり……量産されてたんだな……ああ、ようやくだ。ようやく」
目まぐるしく移り変わる状況に困惑するレイチェル・アンバーは、圧倒的な死の臭いを漂わせる兵器を前にしたジョー・スミスの姿を見て、いよいよ思考が止まった。
彼は、笑っていた。
この状況下で凄惨に笑っていた。
獲物を見つけてよだれを垂らす飢餓状態の狼のようだった。
人が本来持つ生への執着。
痛い、辛い、苦しいを避けようとする本能的安全弁が壊れている。
「……………………」
レイチェルはむせ返るような死の空気に吐き気を催していた。
今の彼女にとってはどちらも等しく恐ろしかった。
ただただ巻き込まれないよう隅っこで震えていることしかできなかった。
「────ねぇ、ねぇってば!」
耳元で小さく叫ばれてレイチェルはハッ、と我に帰った。
「……テムズ川、もう抜けたと思う?」
「えっ?」
レイン・メーカーの唐突な質問に顔をしかめる。
「パンフ読んでたでしょ? 地図」
思い出して。
そう言うと彼女は周囲に目線を配った。
クローリー・カーストーン陸軍大佐は前方車両へと逃げていった。
ジョー・スミスと蒸気鎧は睨み合っている。
レイチェル・アンバーは彼女の質問に答えるべく記憶の海を探った。
結果は────否。
それを聞いたレイン・メーカーは脂汗をにじませながら不敵に微笑んだ。
「あんたに悪人たちの万能の戦法を教えてあげるわ」
それは、と悠長に訊ねる暇はなかった。
蒸気鎧の両手に装着された機関銃が空転を始めた。
十分な回転数を得たが最後、逃げ場のない列車内で弾丸の豪雨を避けるのは不可能だ。
ジョー・スミスは俊敏だった。
拳銃をガンベルトに収めつつ恐れのない前進でもって蒸気鎧に肉薄すると、鈍重な反応が迎撃姿勢を取るよりも先に蒸気腕で機関銃をぶっ叩いた。象のような太い腕が砕けた機関銃に引っ張られて派手と跳ね上がる。
その隙に左腕を深く構え直し、十分な破壊力を得るために肩口あたりにある排蒸口から蒸気を噴き出していく。生成された圧力が溜まっていき、腕の節々がギギギギ、と軋み始める。しかし拳に十分な圧力が充填されるよりも早くに敵は動いた。
壊れた機関銃を手放し、もう一丁を両手で掴み込むと思い切り横に振りかぶったのだ。
「ぐ、ぅッ!?」
単純明快な鉄の棒きれによる打撃。
横っ腹を叩かれたジョーは一瞬よろめいたものの、右の脇の下で機関銃をぎゅっと挟んで押さえ込むと歯を食いしばって左腕を振りかぶった。
銃身がぐにゃりとへし曲がる。
殴った反動で蒸気腕の二の腕あたりから高圧の蒸気が噴き出す。
ジョーは高温の蒸気を間近で浴びて大量の汗を流しながら、なんとか後ろへと倒れ込みそうになるのをギリギリで踏みとどまるかのような頼りない足取りで、ととととっ、と間合いを図った。重すぎる巨体と鈍重な反応のせいで機敏な追撃のできない蒸気鎧相手ならそれでも距離を開けるには十分であったが、ここは走行中の列車の中だ。多少、間合いを離せたとて根本的に逃げ場がない。
「ハァ、ハァ……さすがにお前もこん中じゃあ火炎放射器は使えねェだろ……レイチェルを巻き込んだら元も子もない、っ……からな……ふーっ……こいよ。素手喧嘩で勝負をしようじゃあねェか。なァ?」
「────そんな産まれたての小鹿みたいな足でなにイキがってんのよ」
「レイン・メーカー? 退け! お前にゃこいつは────」
「そんなこと百も承知よ。だけど時間稼ぎの囮は一人でも多いほうがいい」
「囮……?」
呆けるジョー・スミスのガンベルトからスリのような手捌きで拳銃と弾丸を盗み取って、スナップで弾倉を開放。乱暴に空薬莢を床に捨てながら、
「レイチェル、テムズ川が見えたらタイミングを合わせて方向を叫んで! 飛び込むの!」
「っ、は、はい!」
「お前らいったいなにを、ぐぅっ……」
「生き残るために決まってんでしょ。さぁ! 気張りなさい! あんな鎧一匹にあんたの命は釣り合わないわ、ジョー・スミス! あんたには生き残って仕事をしてもらうんだから! 分かったなら返事は!?」
「っ、クソ! 分かったよ!」
・・・
レイン・メーカーの参戦はジョー・スミスにとって正直、嬉しい誤算だった。
なにせ先程の横っ腹の一撃は想像より重く、肋骨を負傷したのか痺れるような痛みが絶えず腹筋に力を込めるのが難しくなっていたからだ。腹筋が緩んでしまえば自然と刺された傷口が開いて出血が始まる。くわえて蒸気腕で攻撃するたびに放出される高圧の蒸気によって熱射病のような症状が出始めていた。
蒸気鎧が近づいてくる。
「ぐっ、ぁ……」
がくん、と膝から力が抜けた。
うだるような熱気が脳の血管を膨張させたせいで、意識が落ちかかったのだ。
それに気づいてかレイン・メーカーの行動は素早かった。
隣のカウンターへ飛び込んで近場の酒瓶を掴むと大きく振りかぶって投げる。
鋭く回転するそれは放物線を描きながら蒸気鎧の頭上へ向かい────銃声!
卓越した技術で撃ち抜かれた酒瓶からあふれ出たアルコールが弾丸の摩擦で発火し、簡易的な火炎瓶となって降り注いだ。
「────────────────────────────────────ッッッ!」
くぐもった雄牛の鳴き声に似た低い音が響く。
「ウッ、なによ、この気味の悪い声は!」
「悲鳴?」
「……あれは中に人を詰め込んでんだ。色んなモンで冷やして保たせようとしているが、それらが限界を迎えるとファラリスの雄牛みてぇに────」
「中の人間が蒸気熱で焼け始める……?」
レイン・メーカーの鋭い洞察力から連想してしまったのか、レイチェルはすぐに口元を押さえて俯いた。
「えげつない真似するわね……連中も」
「レイチェル! お前らは今のうちにこっちへ逃げろ! レイン・メーカー! タイミングを見て背中のタンクを撃て! 燃料に引火させればヤツは致命的なダメージを負う!」
「それって爆発しない!?」
「まともに殴り合うよりはマシだ! 動きを封じないとどっかで無差別に暴れ始めるぞ!」
「チッ、どーしてそんなモンを奪還任務にあてがうのよ連中はぁ!」
「っ、最悪殺せば証拠隠滅になると思っているのでしょう! リオノーラ、手を貸して」
「はい、お嬢様っ!」
レイチェルはリオノーラの手を借りて気を失ったままのアリスターを引きずって先頭車両のほうへ駆け寄った。彼女たちと立ち位置を入れ替えるようにジョー・スミスが突っ込んでいく。
「────────────ァァァァ!」
剛腕が空を断ち切って鈍い音を立てる。
単純な思考から繰り出される攻撃の軌道を読むのは容易い。
が。
「ぐっ、っぁ! っと!」
殴り合いに置いてもっとも重要なのは体格である。腕が長ければ相手よりも遠くを殴れるし、足が長ければ相手よりも深く踏み込める。身長が高ければ打ち下ろしになる。拳に重量を載せやすくなる。だから防ぎ方が重要なのだが、両手剣よりも重たい一撃はどの位置で防いでもだいたい致命傷になってしまう。
だからこそ要する。
忍耐を。
そして。
一瞬の勝機を逃さない。
その勇気を!
「────ッッッ!」
足を止めて腰を深く落とす。
振るわれた腕、その鋼鉄の人差しが眼前すれすれを横切っていく。
その隙に蒸気腕を大きく引いて、なおかつ右腕で押さえ込んで限界まで発条の力を凝縮させ────
「ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
無防備になった蒸気鎧の脇腹めがけ一気に解放する!
反動で鋼鉄の五指が折れた。
二の腕あたりまでぎゅうぎゅうに詰まっていた部品が悲鳴を上げ、板金の皮膚に白っぽい亀裂が走る。
蒸気腕が自壊し始めるほどの威力。
その効果は絶大だった。
巨大な鉄の肉体がぐらりと傾いで、くぐもった絶叫が迸る。
「そこよッ!」
すかさず撃ち込まれた正確無比な射撃がタンクを射抜いて爆発。
「────────っ!」
ジョーは衝撃で床を滑っていた。
咄嗟に左腕を突き刺して、木の板をべりべりと引き剥がしながら強引に止まる。
蒸気鎧は片膝をついていた。
ごうごうと燃え盛る炎を背負って沈黙している。
「っ、ナイル川です! 橋が見えました!」
「ジョー! 戸を!」
レイン・メーカーの命令に従い、非常用の戸口を壊れた蒸気腕で殴り飛ばす。
「先に飛べ!」
真っ先に動いたのはレイン・メーカーだった。
彼女は全速力で扉へ向かって走って飛んだ。
リオノーラも女性らしからぬ逞しさでアリスターを山賊のように担いだまま宙へ躍った。
「レイチェル!」
「はい!」
右腕でしっかりと抱き寄せる。
二人は躊躇なく河へと跳び込んだ。
蒸気機関車の速度に引っ張られてかフォークボールのように鋭く落下していった二人は。
真冬の冷たい河に一輪、派手な水しぶきを咲かせた。
【英国の突拍子もない発想たち パート1】
その昔、ステルス蒸気機関車の異名を持つ蒸気機関車があった。
製造理由はごくごく単純で戦時中、戦闘機に空爆されるのを防ぎたい。大事な輸送源である蒸気機関車を守りたい、という思いから考案されたそれはステルスという字面からは想像できないほどに珍妙な蒸気機関車となった。
さて、ここで考えていただきたいのだが蒸気機関車は水と石炭をかっくらってもくもくと煙を垂れ流しながら走るものである。これを戦闘機から隠すとなるとあなたならどうするだろうか。車体を鏡面仕様にして視認性を下げる? 煙を出ないようにする? 英国の出した答えはそのどれでもなかった。
正解は。
・改造した煙突からとにかく煙を出しまくってそれで戦闘機をかく乱しよう。
さすがパンジャンドラムの生みの親。発想がイカレている。
結果は案の定、失敗だった。
というのも煙を大量に出すというギミックのせいで戦時中なのに石炭と水をバカ食いするクソ燃費であったりそもそも煙のせいで戦闘機からだいたいの位置が丸分かりであったり。ちょっと考えれば分かりそうなものなのだが、さすが英国クオリティ。もっともらしいことを述べて完成まで漕ぎつけて実際に走らせた上で身体を張ったギャグをかましてくれるのだから面白い。
・・・
命からがら河へ逃げ込んだジョーたち。
傷ついた彼らのもとへ駆けつけたのは、なんと英国海軍だった。
第三章・最強の兵士の条件。
蜘蛛の巣の中心にいるのは誰だ?




