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幻想蒸奇譚シャーロック─未熟な名探偵と鉄腕の帰還兵─  作者: ジルクライハート
第二章・空飛ぶスコットランド人の怪
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容疑を晴らすために

 食堂車の出入口でちゃんと待っていたレイチェル・アンバーは、ジョー・スミスが浮かない顔で機関車から戻ってきたのを見るなり状況を察したようで、口元を隠すように手を当てて考え込んでしまった。隣にはレイン・メーカーが、グラスを傾けて喉を潤しながらこの厄介な状況をどう切り抜けるかを思案しているようだった。


「おや。どうやらくない報せのようだ」

「あン?」


 空腹と疲労で俯きがちになっていたジョーは、苛立ちを隠そうとしなかった。

 持ち上げた目線の先に立っていたのは三人。誰が場を仕切っているのかは一目で分かった。

 しわのない白い額に敗北を知らず育った高い鼻、口元には笑みが貼りついていた。ジョー・スミスが苦手する人種きぞくの臭いを漂わせる優男は二人の車掌ガードと話をしていたようだ。二人の車掌は優男かれに軽く会釈すると、駆け足で一般客車へと向かった。


「あなたが彼女の付き人かな?」

「あんたは?」

「ジョー」


 たしなめるような声と同時に袖口を引っ張られた。レイン・メーカーだ。

 人差し指と親指でグラスを傾けながら挟み込みつつ、向こうに見えないように人差し指と中指、親指を立てたハンドサインを作ってみせ、グラスを持つ手のひらを、とんとん、と叩いた。


 ──三本足。


 上質なステッキを手に闊歩するような貴族れんちゅうを揶揄する隠語の一つである。

 どうやらジョー・スミスの嗅覚は正しかったようだ。


「おい、貴様────」

「待て」

「しかし……この無礼な輩は……」

()()()()()()()


 羽虫をぎゅっと握り潰すような残虐な語調に優男のお供たちはすっかり震えあがっていた。


「失礼しました。私はクローリー。クローリー・カーストーン。どうぞお見知りおきを」

「……ジョー。ジョー・スミスだ」

「さて……あなたからも話を聞いておきたいわけですが、死体を横に茶飲み話をするわけにもいきませんね。あえて訊くまでもないでしょうが、機関士の方々は?」

「死んでたよ。そっちで死んでる奴と同じ手口だろう。犯人の姿はなかった」

「ふむ……なるほど」と考え込むクローリーにお供の片割れが耳打ちをする。

「できますか?」


 その問いに頷いた二人は、堂々とした面持ちでこちらへと歩み寄ってきた。


「そこを退け」

「内緒話は困るな」

「いちいち貧民に話す理由などない」

「おやおやぁ? わたしたちが貧民? あなたたちと同じ予約客車の客人ですけどぉ? ……くだらないプライドか知らないけど訊かれたらサッサと答えなよ。殺しが起きているんだ。これからは自分の行動の正統性を積極的に示せないなら敵、最悪この事件の殺人犯ってことになるけど、その辺はお分かり?」


「我らと我らの陸軍大佐コロネルが本気でこのような真似をすると思っているのか下種が! 第一、お前のほうが怪しいではないか! 死体を見つけたのはお前なのだろう!?」


 横柄な物言いについ手が出そうになったその時、


「それは────いささか短絡的ではないでしょうか」


 ()()レイチェル・アンバーが沈黙を破った。

 各々、必要な確認プレッジが終わりを迎え、第一発見者が怪しいというほうへ展開ターンが移り変わりつつあるのをあえて遮った────期待するような眼差しを向けていたのはジョー・スミス。レイン・メーカーとクローリー・カーストーンはあくまでも冷静に舞台を俯瞰していた。


 論敵が口火を切る。


「短絡的? 貴様、短絡的だと!? おい、子ども──」


 胸倉へとのばされた腕を掴んで一気に指圧あつりょくをかける。傷だらけの太い五指が手首に食い込み、周囲の肌が白く変色していく。


「オイ。ガキに手ェあげるのが英国陸軍様の心意気か?」

「ぐっ……なんなんだこいつッ。離せ、ええい! 離せ下郎が!」


 嘆息して拘束を緩める。

 圧迫された手首をいたわるようにしながら忌々しそうに睨んでくる男のことなど毛ほども気にせずにジョーは一歩、横へ引いてレイチェルに主導権を譲った。暴力で物事を解決する気はない、という意思表示も兼ねた振る舞いは横柄な彼らに話を聞く態勢を整えさせるには十分だったようで、今はすっかり大人しくなって彼女の言葉を待っていた。


 レイチェル・アンバーは期待に応えるように前へ出た。


「結論から申し上げますと彼が犯人である可能性は()()()()()()です。その理由の詳細を説明する前にもう一つ述べておきたいことがあります。本来なら時期尚早なのでしょうけれども陸軍大佐コロネルであらせられるクローリー・カーストーンさんにあらぬ疑いをもたれたくはないので開示いたします」

「ふむ。第一発見者かれの疑いを晴らすに足る情報があると?」


 狐のように目を細め、とがった顎に手を当ててこちらを覗き込むように首を軽くのばしながらクローリー・カーストーンは問いかける。他人の不安に漬け込んで崩すのが上手そうな嫌らしい表情を目の当たりにしてもレイチェル・アンバーは揺るがない。

 彼女は堂々と頷いて──こう言った。


「この惨劇を生み出す手法たねは分かりました。それに則って考えると彼に犯行は不可能です。今から皆さんに一つひとつその理由を説明いたします」

「……手口が分かった。と? そういうのですか? あなたは」


 皆が目を見開いて困惑する中、クローリー・カーストーンが訊ねるとレイチェルは頷いてまず、首を切られて事切れたコックの死体に歩み寄った。


「まず、この血痕を見た時から屁理屈を弄さない限りは彼を犯人に仕立て上げるのは不可能だと思いました。ご覧ください。これを」


 床を指差す。切られた首────頸動脈から滴る血液が床に広がっている。ほとんどは外気に触れて乾き始めており、まるで質の悪い絵の具のようだった。

 特筆すべき点は見当たらない。何の変哲もない普通の血痕────


「形がおかしいってことじゃない? 彼女が言いたいのは。でしょ?」

「その通りです」


 彼女は血痕の一部を指差した。


「通常、平らなものに水をかけた場合、水はどの方向にも等しく広がっていきます。傾きがあるならその方向へ流れていくでしょう。今回はコック帽が彼のいた場所の反対に転がっていたので、おそらくわずかに右側へと床が傾いている。そう判断した上で血痕を見てみると分かる点があります。それは血痕の一部が()()()()途切れている箇所がある、ということです」


 どのように不自然なのだろう。

 レイチェルの真意を探ろうと皆が血痕を凝視した。

 確かに彼女の言う通り血痕は倒れ伏すコックの首から右側の客用テーブルへと流れていた。木材のかすかな凹凸に遮られ、誘導された血痕は樹形図のように軌道が複雑に分岐していたが概ね傾斜に沿って動いていると判断できる。その血痕の本流を囲うようにあるのが飛沫だった。


 その飛沫を見たジョーは、かすかに違和感を覚えた。


「──たとえば首を切る際、相手の正面から狙いますか? 背後から狙いますか?」


 問いかけと共に目線を投げかけられたのは彼女に手を上げようとしていた陸軍大佐の付き人だった。よもや積極的に論の輪に加えられると思っていなかった彼は面食らった様子だったがすぐに、


「そ、そりゃあ後ろからだ。前からだと警戒されるからな」

「その通りです。そして、それはコックさんの手のひらが物語っています。抵抗痕ていこうこん……とでも言いましょうか。切られそうになったら必死になって取っ組み合いになるでしょう。しかし、彼の手のひらは綺麗なまま血に汚れています。これはつまり後ろから首を切られて手で押さえながら振り向いたか、振り向いてから手で押さえてそのまま倒れた────そういう事件の流れの一部を示唆しているのです。そこで肝心になるのが血痕────つまり動脈という太い血管が切られたことにより勢いよくあふれ出た血がどのような軌跡をたどったのか。この飛沫を便宜上、輪を呼びましょうか。被害者は首の右側面を横に一閃、その傷口は予約客車側から見えるように、つまり彼はうつ伏せになって倒れています」

「それがどうしたというのだ。そんなものわざわざ口にせずとも見れば分かるではないか」

「では首筋から勢いよく飛び散った血痕はどのように広がっていますか?」

「んっ?」


 ジョーは、気づいた。

 ピッピッ、ピッ、と散った血痕の間隔が不自然に大きくなっている箇所があったのだ。


「この血痕から読み取れることは二つ。一つはコックさんが右回りで後ろを振り返ったこと。飛沫が本流の周囲にまるで輪を描くように広がっている点と傷口の位置とを考えるとお分かりかと思います。そして二つ目は────」

「不自然に飛沫の間隔が大きくなっている。もしも手で傷口を押さえたわけじゃないとしたら、その位置に犯人が立っていて返り血を浴びた可能性がある…………」


 レイチェルはジョーの推測を首肯した。


「外套を脱いでください」

「えっ? あ、ああ……」


 言われた通りにする。


「見てください。この大きな義手さえもすっぽり覆い隠す外套にはどこにも返り血らしいシミは見当たりません。長年使い古されてきてすっかりくたびれており、正体不明のシミは散見されますが────「汚っ」「うるせぇよ」……コホン。それらをコックさんの真新しい血痕と結びつけて結論づけるのは難しいと考えられます。以上です」


 パチパチパチ、と乾いた拍手が響く。


「いやぁ、すごいすごい。すごいね、きみ」


 感心した面持ちでそう言った直後、クローリーは意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「──けれども返り血を浴びた服を処分したのかもしれない。それに傷口を考えるなら犯人は右利き。被害者の後ろから首の右側面を切ったわけだから、こう、後ろから刃物でスパっといったと考えられる。そしてそこの彼、義手はしているけれど右手は生身だ。犯行は不可能じゃない」

「そうですね。彼が犯人でない、というのはあくまでも()()状況証拠から導き出した可能性の一つです。なので次の段階へ。すなわち実際に犯人が使用したルートとその手口についてぼくの考えを述べさせていただきます」

【乗合馬車】

 現代では交通機関の大型車両の名称こと「バス」だがじつはこの語源は「すべての~」を意味する「omni」を頭に付けた語……omnibusである。


 つまりオムニバス。


 いまだと小説の選集などを指す言葉ではあるが、当時は「すべての人のためのもの」つまり公共交通機関=乗合馬車、という意味でこの頃は使われていた。

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