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幻想蒸奇譚シャーロック─未熟な名探偵と鉄腕の帰還兵─  作者: ジルクライハート
第二章・空飛ぶスコットランド人の怪
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蒸気機関車ロイヤルフライング・スコッツマン

 ぷしゅ──、ぽーぉっ、がたん──ごとん──がたんごとん──がたんごとん──……。


 排蒸口はいじょうこうから勢いよく蒸気が噴出し、汽笛が鳴り響く。動き出した車輪はときおりレールとレールが接続するつなぎ目の隙間にぶつかって馴染みの音を立てていた。


「はえぇ……」


 多数の人が行き来する駅舎にて、白いシャツにサスペンダーのズボン、小さなよれた帽子を被って革製の旅行鞄をたすきがけのように引っ提げていたレイチェル・アンバーは、田舎者丸出しの反応もあってか都会慣れしていない少年に完璧に擬態していた。それでも初めてみるものへの好奇心は抑えきれないようで、道中も通りの真ん中で箒を持って佇んでいる人や出店を見るなり、あれはなんだこれはなんだと問い質されてしまったが。


「あれが蒸気機関車なのですねっ……本で見るよりも大きいです!」

「ロンドン・M&A・スコティッシュ鉄道が保有する、今日出るエディンバラ行きの中じゃ最後の客室列車、通称ロイヤルフライング・スコッツマンだ。……しかしレイン・メーカーのヤツ、あとで合流するっつってたが…………いったいどこだ?」


 きょろきょろと目線を配ってみるが、あの小憎らしい面やチョコレート色の頭髪は見つけられなかった。駅舎は駅員や清掃員、遠方からやって来た旅行者だったり労働者だったり。逆に年末だから、と年越しに備えて故郷へ帰ろうとする者たちでごった返していて、人を探すにはなかなかに劣悪な環境だ。


 ロイヤルフライング・スコッツマンの客車には予約客車と一般客車がある。駅舎内で合流できなくても予約客車へと乗り込んでおけば自然と鉢合わせるはずなので最悪、見つからなくてもなんとかなるようになっている。けれど旅行者や見送りの集団の中にもそれらしい姿は見つからなかったので、ジョーは駅舎内での合流を諦め、ひとまず前もって決めておいた流れに従った。


 人波をかき分けて予約客車の入口へ。彼らの列車の発車時刻はあと五分に迫った。


「待ってください」

「どうした」

「あの子……」


 尻すぼんだ声の先には、薄汚れた頭巾を被ったみずぼらしい女の子がいた。

 駅舎のすみっこで物乞いをしている。煤に汚れた顔と爪の間まで黒ずんだ手が痛々しい。


「見るな。俺たちにはなにもできん…………あっ、おい!」


 小走りで駆け寄っていくレイチェルに向かって声を荒げる。


 ジョーはレイチェルから目を離さないよう右目だけをぎゅっとつむった。

 逡巡。

 決断は早かった。


 女の子はかさついた唇を歪め、小刻みに震えながらレイチェルへ両手を差し出している。ジョーはポケットマネーからシリング銀貨を一枚、与えた。


「ぁ……ぁりが……とう──」


 枯れた泉から雫が一滴だけこぼれ落ちたような儚げな声をかき消すように汽笛が鳴り響く。


「っ、乗り過ごしたら洒落にならん。レイチェル!」


 華奢な手を壊さぬよう握り込んで入り口へ駆け込む。


「ふーっ……レイチェル、ひとまず席に──うおわっ!」


 レイチェルの手を、先程の頭巾の女の子が握っている。

 列車は動き出した。


「………説明をしてくれないか。レイチェル」

「それは──」


「まァ、待ちなよレイチェルくん。わたし()()は彼の驚く顔が見たい」


 ジョーは「はぁ?」と要領を得ない返答をした後、本当に驚いた。

 頭巾の女の子が頭巾を脱いだ途端、身にまとっていた空気が一変した。


 まず虚ろだった目に生気が宿った。次に背筋がしゃきっと伸びて、身長がほんの少し高くなった。ぼさぼさだった髪は、手櫛で梳くだけでふんわりとした印象に回復し、それを髪紐でさっとお団子状に結わえると、あの他人を小馬鹿にした笑みがはっきりと見えるようになった。


「やぁ。こんばんは。半日ぶりだね」

 両耳にかかるように垂れ下がった髪を軽く指で払いながら、レイン・メーカーは茫然と立ち尽くすジョー・スミスを嘲笑うように言った。


「とりあえず二時間も地べたに座りっぱなしだったので疲れよ。お腹が空いたよ。喉が渇いたよ。まぁ、幸い心優しい誰かさんがお金を恵んでくれたので、それで一杯やろうじゃあないか。景気よくね」

煙突掃除夫チムニースウィープ

 暖炉が各家庭でしっかりとその力を発揮していた頃に存在した仕事。

 全身を雑巾がわりにして上から下へずり落ちることで中の煤を払うという業務内容。当然狭いところを落ちるので子供や体格の小さい人しかできず、また落下して死ぬ・酸欠で死ぬ・詰まって死ぬ・生き延びても粉塵で肺をやられて死ぬとロクでもない仕事だった。煙突の種類によっては四、五歳の子どもが酷使されていたこともあったという。


 当時の英国小説の中には、煙突小僧チムニーボーイたちが掃除をするときは、下で暖炉の火を焚いてやれば連中もがむしゃらに頑張るので()()なのだと救貧院の委員たちに説明するシーンが存在する。子どもたちの悲惨な境遇を嘆いた時の偉い人が「子供、かわいそ過ぎ」と言ってそうした子供たちに職場を与えたという。まぁ行き先は戦艦だったのだが。


 余談ではあるが、掃除夫(スウィーパー)詐欺師(スウィンドラー)などswからはじまる仕事はどれも印象が良くなかったので、当時は仕事を尋ねられた際に「スウィ……」まで言いかけたら「それは上(煙突)?下(地上)?」と声をかけるジョークが流行ったと言われている。

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