ある使用人の独白
革命蒸紀ブリティッシュスチームパンク篇のはじまり。
わたしは、いつも朝五時半に目を覚まします。
各部屋を回って他の使用人を叩き起こし、朝食の準備や暖炉の火入れを始めるのです。我が主が目を覚ます前にそれらを済ませて最高の起床を提供することが“義務”でしたので。
そうすることでわたしたちは、我が主から衣食住を──生きる“権利”を保障されていたのです。
ええ。あなたのおっしゃる通り、あの屋敷には時折、キッチナー伯爵がいらっしゃいました。我が主とは第二次ボーア戦争以前から既知の仲だったそうですが詳しいことは分かりません。わたしはあくまでも一使用人だったので。申し訳ありません。
我が主には、たった一人のご息女がおられました。金細工を組み合わせて作り上げた精巧な工作のように、きわめて理知的で、合理的で、底の知れないお方でした。いつも大きな古書を抱えていて、書斎に入り浸っておりました。……我が主は読ませるものを選別せずに与えていたようでした。これは珍しいことで、わたしが大人になってからようやく読むことを許されたような品のない本からわたしたちには到底理解できないような分厚い学術書まで。そうそう、わたしたちの足の大きさを調べたり、歩幅を調べたりもなさっていましたね。
……今回の賊が、なぜご息女を誘拐したのか。その理由は皆目見当もつきません。正直、あまり知りたいとも思いません。……冷たく聞こえましたか? いえ……その、決して情がないわけではないのです。ただ、わたしたちは施し与える者ではありません。どれほど着飾っていてもただの労働階級。わたしのような者が生きる“権利”を得るためにはそれ相応の“義務”を果たさなければなりません。屋敷を叩き出されてそれを果たせない今、少ない身銭を崩して生きる権利を買っているのが現状です。薄情な言い方になってしまいますが、この取材をお受けしたのも故郷のエディンバラへ帰るための路銀の足しにするためでした。だから今のわたしはただの無力な女なのです。……あっけないものですよね。十数年と積み上げてきたものがたった一日で。サンタさんも粋なプレゼントを届けてくれたものです。この一年、良い子であったつもりなのですけどね。
コホン……お話をしているうちに一つ思い出したことがあります。あまりにも長い年月を共に過ごしていたので、それが自然なことだと勝手に思い込んでおりましたが、よくよく考えれば不思議なことが一つ。
実は……ご息女には奇妙な通名があったのです。冗談に聞こえるかもしれません。しかし、キッチナー伯爵を筆頭にいらっしゃった方々はご息女をこう呼んでおりました。
世界でたった一人、本物の専門的な助言をする探偵、と。
【倫敦】
かの有名なシャーロックホームズシリーズの生みの親のコナンドイル、その処女作にあたる緋色の研究にて巨大な汚水槽と評された英国一の霧の都。街中にある様々な蒸気機関が絶え間なく大気を汚染するせいで濃い霧に包まれ、窓は油滴混じりの粘ついた水滴のせいで黒ずんで薄汚れている。
この霧が一因となった病気や人身事故で、一週間で約七百人が死んだ。