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魔王様と私のすれ違い事件簿


 鳥に狙われる可能性があるのは輝く装飾品などではなく、もしかしなくても私――!?


 そう思い至ると同時に背筋が冷えた。顔からも血の気が引いていく。

 心臓がバックンバックンと壊れそうなほど激しく脈打ち出して、焦りを余計に煽られる。


(逃げなきゃっ)


 頭ではそう思うのに、自分より大きな鳥の姿を前にして恐怖のあまり体が言うことを聞いてくれない。

 反射的に後ずさった足は震えてもつれた。

 

「っきゃ!」


 もつれた拍子に後ろに尻餅をついてしまい、衝撃に小さく悲鳴を上げる。

 すぐに立たなければ、と焦る気持ちはあるのに腰が抜けてしまって立つことができない。


(足、うごいてっ。動いて!)


 必死に叱咤しているのに、私と対峙する形で私を凝視している大きな鳥が怖くて思うように動かない。

 どうして自分の体なのに、こんな時に動いてくれないの!

 ガタガタと歯の根が噛み合わないほどに全身に震えが走る。

 食い入るように見上げた鳥は、ひどくゆっくりとした動きでこちらを窺うように小首を傾げた。もしかしたら動きが鈍い鳥なのかも。

 だとしたら、これでちゃんと足が動くなら逃げ切れる可能性はありそうだった。だから魔王様も、私に気をつけろとだけ仰って中庭散策の許可を出してくれたのだと思う。

 それともこの鳥も狼男みたいに魔族の一種で、実は話ができたりする!?


「あ、あのっ」


 もしかしたら、という期待を込めて、声を振り絞ってみる。

 けれど淡い期待は、ギィエエエエエという鼓膜が破れそうなほどけたたましい鳴き声によって見事に裏切られた。


(無理っ! 通じない!)


 どうしようどうしようどうしようっ。恐怖と混乱で頭の中は真っ白で、どうしたらいいかわからない。


(魔王さまっ)


 選べる手段なんて、もう一つしかない。


「……っ」


 けれど一瞬、開きかけた口が躊躇った。


(さっきもお忙しい中を駆けつけてくださったのに、また助けてもらうの?)


 特に今回は事前に忠告を頂いていたにも関わらず、注意を怠った私が悪いのに。

 それにちゃんと足が動くなら、逃げ切れそうなのに。

 魔王様だって、きっとそれぐらいは私でも出来ると思ったから許可を出してくださったはず。

 なのに魔王様に頼ってばかりで、いくらなんでも1日に2度も手間を掛けさせるような妃なんて、愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 もし、弱すぎる私は魔王様に相応しくないと思われてしまったら……。


(ただでさえ私は、妃らしいことなんて何もできてないのに)


 唇を噛み締めて、震える手が何かに縋りたくて地面の砂を握りしめていることに気づいた。思いつくと同時に、それを今の自分の全力をもって鳥に向かって勢いよく投げつける。

 精一杯の反撃だった。

 そしてそれは運よく鳥の目に入ったのか、すぐに耳が痛くなるほどの鳴き声が響き渡る。


「やったわ……!」


 凄まじい声に胸を突き破りそうなほど心臓が脈打ったけれど、その隙に立ち上がるべく、ぐっと足に力を入れた。


(これで逃げられるっ)


 けれど、私のやったことは逆効果だったのかもしれない。

 いくら動きが鈍い鳥でも体が大きい分、一歩が大きい。私が立ち上がるより早く、怒った鳥が距離を詰めて私の頭ぐらい簡単に咥えてしまえそうな大きな嘴を開いた。

 大きく見開いた私の目に、鋭い嘴の中の赤い舌が迫る。

 ……だめっ。間に合わない!

 

「っま、」



(魔王様――ッ!)



 恐怖のあまり声が喉の奥で引き攣って、ちゃんと声にならなかった。

 襲い来るであろう痛みに反射的にぎゅっと強く目を閉じて、体を硬く縮みこませる。

 それと同時に、地面が突き上げるように揺れた。


「!?」


 ドンッ!という低い地響きと共に、自分の肌に触れる気温が一瞬で鳥肌が立つほどに冷たく変わる。

 だけど地面が揺れる衝撃は受けたけど、覚悟していた痛みは、ない。


(なにが起こったの!?)


 恐る恐る開いた自分の目には、予想もしていなかった光景が飛び込んできた。


「…………まおうさま」


 私の真ん前、私と鳥の間に立ち塞がるようにして、魔王様の背があった。

 そして魔王様の前には、地面に幾本も突き立つ大きな氷柱の一つに氷漬けにされた状態になっている怪鳥の姿。


(助けてくださった、の?)


 ちゃんと声に出して呼べなかったけれど。でもいま魔王様が目の前にいるということは、そういうことで……


「呼ぶのが遅い!」

「!」


 すぐに理解できずに呆然としていた私を振り返った魔王様が、声を荒げて私を一喝した。

 その声の鋭さに驚いて、肩が跳ねてぎゅっと全身が縮こまる。


「間に合ったからいいようなものの、何かあったら呼べと言ってあっただろう!」


 そう言って私を見下ろす魔王様の見たこともないほど怒っている姿に、心臓がバクバクと脈打ち出す。

 確かにそう言われていた以上、呼ぶのを躊躇った自分が悪い。その結果、大きな魔法まで使わせてしまった。魔王様が怒るのも尤もである。それは理解できる。

 理解はできるけど。


「だ、だって、さきほども来ていただいて。いまも、気をつけるよう言われてたのに、油断して……がんばれば逃げれそうだったのに、こんなことで魔王様に、また甘えるなんて」


 引き攣りそうになる舌を叱咤して辿々しく言い訳を口にしているうちに、じわり、と目頭が熱くなってきた。


「き、きらわれるかも、って……」


 堪えようとして息を止めたものの、一度緩んだ涙腺は呆気なく決壊する。

 散々怖い思いをして、助かったと思ったら魔王様に叱られて、泣かずにいる方が無理だった。


(魔王様を怒らせてしまった……っ)


 ギリギリまで呼ばない方が余計な手間を掛けさせることになってしまった。

 自分で何とかできると思うなんて、なんて馬鹿なんだと呆れられてしまったに違いない。

 だって私に対してこんなに怒っている魔王様は、初めて見る。


「そんなことで嫌うわけがないだろうっ?」


 すると私の前に魔王様が慌てたように腰を落とした。珍しく狼狽した顔で私を覗き込み、ボロボロと情けなく泣く私に手を伸ばしかける。

 だけどその手は、私に届く前に躊躇いを見せて止まった。


「! やっぱり私のことなんて、触りたくないくらい、嫌に……っ?」


 触れるのを躊躇った手を見て、涙が一層溢れてくる。


 ――ただでさえ私は、魔王様に本当の妃として触れられたことなんてなかった。


 攫ってきたから責任を取って娶られたものの、表面的に夫婦の真似ごとをしているだけのようだった。

 大事にはしてくださるけど、それはきっとたまたま私を子供の頃から知っていて、可哀想だからというだけに違いない。

 むしろそれだけでも感謝すべきことだったのに、魔王様が私を妃にして、愛してくださるだなんて言ったりするから。

 中途半端に、本当に愛してくださっているような素振りを見せるから。

 もしかしたら私がもっと大人になるのを待っているのかも、と考えたり。魔族は婚姻してもあまり人のような愛し方をしないものなのかも、という理由を勝手に作ってみたりして。

 そうやって、自分を誤魔化してきた。

 でも触れてくる手も唇も優しくて、私を見る眼差しは甘くて、本当に愛されてるんじゃないかという思わせぶりな態度に期待してしまった。

 一線を越えないまでも、愛する努力はしてくださってるんじゃないかと思えた。

 そんな風に自分の都合の悪いことからは必死に目を逸らして、深く向き合わないようにしていた。


(だって、期待したかったのだもの)


 ここで頑張っていれば、いつかちゃんと私を魔王様の妃として愛してくれるって。


(でもやっぱり人間の娘を妃にするなんて、無理をさせてしまっていたのだわ)


 そう思い知らされて、胸が痛くて、息苦しい。


「違う! これはそういう意味でなく……」


 ボロボロと涙を流す私を見て、魔王様が動揺を隠しもしないで私の顔を覗き込んできた。

 心底困っているように眉尻を下げ、先程まで怒って鋭かった金色の瞳は今は私を心配そうに窺ってくる。


「エステルは、私が怖いだろう?」

「……怖い、です」


 弱いくせに無駄に意地を張って迷惑をかけて、魔王様の言いつけ一つ守れない私のことを妃になんてするんじゃなかったと、そう言い出されるんじゃないかと思うと怖い。

 ここで魔王様と生きていこうと思っていたのに、やっぱり邪魔だと言われたら、前向きでいようとした心が折れてしまう。


「そうだろう……。魔王である私は、おまえから見れば恐怖の対象だ。特におまえから見たら途方もない力を見た直後だから、恐ろしいのは当然のことだ。だから触れて怖がらせたくなかった」


 けれど私の予想に反して、魔王様が強張った顔で躊躇いがちにそんなことを言い出すので、驚いて涙が止まった。

 瞠った目でまじまじと見つめると、魔王様はきまり悪げに更に顔を顰める。

 魔王様の力が怖いかと訊かれたら、当然人には持ちえない大きな力は怖い。でも。


「……あの、私はそういう意味で魔王様が怖いのではありません」


 なんだか噛み合っていないような気がして、恐る恐るそう告げてみた。

 すると魔王様は怪訝そうに僅かに首を傾げて眉を顰められる。 


「魔王様はその力で、私を傷つけるようなことはなさらないではありませんか」


 むしろ守ってくれる。そういう意味で怖いなんて、思うわけがない。

 それに今だって、膝が汚れるのも構わずに私に視線を合わせて、私を気遣ってくれようとしている。

 そんな魔王様だから、私にとって魔王様の力の有無は気にするようなことではなかった。どころか魔王様は魔王なのだから、超常的な力が使えるのは当然のことだとすら思っていた。

 だから魔王様がそんなことを気にしていることに驚いて目を瞠った。


「私が怖いのは、弱くて役に立たない人間である私が、魔王様に妃としてふさわしくないと思われてしまうことですよ……?」


 眉尻を下げて、躊躇って小声になってしまったけれど自分の不安を訴えた。

 すると今度は魔王様が息を呑んで絶句する。


「私は一度として、エステルを妃として相応しくないなどと思わせるようなことをしたつもりはなかったのだが」


 何を言っているんだと言いたげな姿にこちらの方が慄いた。


(それなら、どうして!)


「だ、だって、魔王様は…………、っ私に何も、なさらないから!」


 まったく私の悩みに気づいていなさそうな魔王様に痺れを切らして、とうとうずっと気になっていたことを叩きつけるように口にしてしまった。

 けれど口走ってすぐ、一気に羞恥心に襲われて顔が耳まで熱くなる。


(なぜこんな恥ずかしいことを言っているの!?)


 心臓は痛いぐらい暴れまくっていて、口を開いたら勢いよく飛び出してきそう。

 勢いとはいえ、なんでこんなことを言ってしまったのっ。

 恥ずかしい。恥ずかしいっ。とんでもなく恥ずかしい……!

 後悔しても、一度口から飛び出してしまった言葉は口の中に戻ってはくれない。

 恥ずかしすぎて、穴があったら埋まってしまいたい。魔王様がどんな顔で私を見ているのかなんて、怖くてとても見られない。唇を噛み締めて咄嗟に顔を俯かせる。


「……魔界に無理矢理連れてこられたばかりで戸惑う娘に、いきなり無体を強いるような非道な真似をしない方がいいと思っていたのだが」


 そんな私の前で、困惑を露わに魔王様がそんな理由を口にした。


「えっ」


 驚いて弾かれたように顔を上げれば、魔王様がばつが悪そうな顔をして空を仰ぐ。


「ちょっと触れただけでも真っ赤になって震えて身構えるから、手を出していいとは思わなかった」

「!」


(なっ、待って……そんな、っそんな理由だったの!?)


 確かにそういうことに全然慣れていないから、ものすごく身構えてしまっていた自覚はある。ちゃんと出来る自信もなかったし、緊張と不安で震えてもいた。

 でも相手は魔族の王である魔王様なのだし、私に対してお優しいけど、さすがにそういう時はお気になさらないかと思っていました……!

 まさかそんな気遣いをしていただいていたなんて、全く想像すらしていなかった。

 おかげで受けた衝撃が強すぎて、眩暈までしてくる。


(魔王様は私を気遣ってくださっていたのに、変に勘ぐって勘違いして、空回っていた私って……!)


 恥ずかしい! ものすごく恥ずかしくて羞恥で死んでしまいそう!

 自分の浅はかさに気づくと同時に、恥ずかしすぎて顔を両手で隠してその場で打ち震えてしまう。

 どうして何もしてくれないの、だなんて、これではものすごく私がふしだらな娘になっただけでした!


「あの、そ……そういうことをものすごく待ち望んでいたわけでも、ないのですけれどもっ」


 両手の下から必死に弁解する自分がひどく滑稽に思える。

 こんな自分をどんな目で見られているのか知りたくなくて顔が上げられない。


「いえ、嫌というわけでもなくて! 慣れていないので、どうしたらいいか、わからなくて」


 顔が熱い。全身の血が沸騰してしまったみたいに熱い。嫌な汗が滲んで、動揺しすぎて目まで潤んでくる。


「でも晴れて結婚したのですから、その、そういうことも含めて、夫婦になるということなのだと、思っていて……!」


 言い訳する声が震えて、どうしてもしどろもどろになってしまう。

 そういうものなのだと教わっていたから、婚姻したらすぐ夫婦になるのが当たり前のことなのだと思い込んでいました。これ、人間界の常識です。

 平民の方はまた違うかもしれないのだけれど、私が教わったのはそうでした。それを疑ってもいませんでした!

 でも冷静になって考えれば魔王様の考え方の方がきっと普通で、良心的。それなのに私は自分の常識だけを気にして……!


「エステル。顔を見せてくれ」

「いやです…っ。恥ずかしくて魔王様のお顔が見られません!」


 それまで黙って聞いていてくれた魔王様が、少し甘えるような声で強請ってくる。

 ですが、それは聞けません! どんな顔をすればいいかわからないのだもの!

 羞恥が過ぎて目には涙まで浮かんでしまっている。それに散々泣いた顔は、きっととても見せられないぐらい不細工。


「顔が見えないと、キスも出来ない」


 けれど魔王様がそんなことを言い出したので、驚いて両手が目から外れた。

 でもまだ下ろした手の指先は口元に掛かったままになっていて、その指先に魔王様の唇が触れる。


「!」 


(顔! 近い……!)


 今までで一番近い距離に、心臓が一際大きく飛び跳ねた。

 指先越しのキスだったけれど、頭の芯が熱くなって何も考えられない。呼吸することすら忘れてしまう。

 まるで全身が心臓になったみたい。ドクンドクンと鳴り響く心音が、魔王様にも聞こえてしまいそうで息が詰まる。


「ほら、まだ緊張するだろう」


 触れたのはほんの数秒で、すぐに離れていった魔王様が息が触れ合いそうな距離でからかうように笑った。


「これはまだ慣れてないからですっ。これから頑張って慣れていきますから!」


 まだ直に唇に触れたわけでもない。

 それなのに、たったこれだけで魔王様との距離が大きく一歩近づいたように思えた。不安が溶け落ちていって、胸の奥に熱いものが滲み出す。


「ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします……!」

「これはそういうものではないと思うのだが……まぁ、時間はまだこの先いくらでもあるのだから、焦らなくていい」

「前から思っていたのですが、魔王様は私を子ども扱いされているでしょう?」


 なんだか軽くいなされてしまったように感じて恨みがましく上目遣いで見つめれば、魔王様はちょっと困ったように笑った。


「いいや。私は単に無理を強いて、エステルに嫌われたくないだけだ」


 そう言いながら私の手を取って引き上げる魔王様は、まるで私と同じ、恋に慣れていない少年みたいな顔をしていた。



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