魔界のガーデニングに挑む
ちょっと目を離した隙に引っこ抜かれていてはいけないっ!
焦りに背を押され、小走りにさっき来た道を戻った。そこまで長い距離ではないけれど、気持ち的にやっとの思いで先程まで赤い花があった場所へと辿り着く。
けれど、そこに赤い花は咲いていなかった。
(青い花になってる!?)
ただし、同じ場所に真っ青な花が咲いていた。
(なぜ!?)
驚いて思わず足を止めてしまう。どうしてそういうことになるのっ?
動くことは覚悟してきた。してきたけれど!
(色まで変わるなんて聞いてないわ!)
道を間違えたかと思ったけれど、ここまで1本道なので間違えるわけがない。それに目の前の花の形自体は、さっきの赤い花と同じ。
(……落ち着いて。魔界の花だもの。きっと色だって変わって当たり前だわ)
この際、それぐらいは受け入れてみせる!
動くのに比べたら、色が変わるぐらいなんてことない。それに人間の世界に咲く紫陽花だって色が変わる。それと同じだと思えばいいのよ。
……ちょっと急に変わりすぎな気もするけど。でも細かいことを気にしてはいけない。
ただ気になるのは、さっきまでは空に向かって伸び伸びと咲いていたはずなのに、今は見る影もない。
茎は真ん中あたりでぐにゃりと折れ曲がり、花弁は今にも地面に付きそうなほど垂れ下がっていた。
それはまるで、絶望して項垂れているかのよう。
毒々しい程の赤さだった花が真っ青になっているのは、もしかして顔から血の気が引いているのと同じ状態なのでは!?
ということは、あの花には血が通っているのでしょうか……。これは今は考えるのはやめましょう。怖いことになりそうだもの。
それよりも、いま大事なのは。
(あれはきっと私を驚かせたせいで、今夜にでもサラダにされてしまうと思ってるッ!)
大丈夫だから! サラダになんてさせないからっ!
「あの……」
そろりそろりと近寄っていき、そっと声を掛けてみる。
周りも見えないぐらい絶望に打ちひしがれて見えた花は、私の声に反応するや否や勢いよく背筋?を伸ばした。
項垂れていたのが嘘のように、ピンと茎を張って空に向かって咲いてみせる。それは私が最初に見た時と同じ状態。
あの、でも、今更取り繕ってもらわなくても、もう動くことはわかっているから……。
というか、今もしっかり動いたでしょうっ。いくら私でも誤魔化されないから!
「ごめんなさい。動くって知らなかったから、ちょっと驚いてしまっただけなのです。嫌な思いをさせてしまったのならごめんなさい」
勇気を振り絞って、謝罪の言葉を口にしてみる。
けれど花は「動いてません!」と言い張るようにこちらを向きもしない。
でも花弁は真っ青なままだし、ピンと張りつめた茎は小刻みに震えている。
これは怯えている!? 怯えているのよね!? もしかして私にも魔族の感情がわかるようになったのかしら!?
……いえ、はしゃいでいる場合ではありませんでした。
「ええと、魔王様には貴方をサラダにしないようにお願いしておくから、そんなに怯えないで?」
なんとか安心させようとそう言ってみれば、ぎぎぎぎ、と油の差していないブリキ玩具のような動きで花がこちらを向いた。
まるで「本当に?」と言いたげな姿に、「約束するわ」とコクコクと力強く頷いてみせる。
私もあなたを食べるのは激しく抵抗があるもの……。変わり果てた姿で皿に盛られて出てきたら、きっと泣いてしまう。
でも万が一、私が魔王様にお願いしている間に抜かれてしまったらと思うと困った。
かといって、こんなお願いをするためだけに魔王様を呼ぶわけにもいかない。ただでさえ、先程ご足労いただいたばかりなのだから。
「そうだわ。ちょっと屈んでくださる?」
どうすべきかとちょっと考え込んで、ふと思いついたことを実践すべく頼んでみた。
自分のハーフアップにしていた髪のリボンを解いている間に、花は躊躇いがちに私の顔の近くまで花を下ろしてくれる。
(こんなに大人しく言うことを聞いてくれるなんて、ちょっと可愛い?)
そうよ。植物型のペットだと思えば、きっと可愛いわ……!
花のすぐ下、茎を傷めないように緩く白いリボンを蝶々結びにする。可愛い、と脳内で自分に言い聞かせながらも、手が震えてしまうのは許してほしい。
「はい、出来た。目印を付けておけば大丈夫だと思うわ。これからも綺麗な花を咲かせて見せてくださいね」
私が今まで城の中を見てきた限りでは、リボンを使っていそうなのは私ぐらい。ならばこうしておけば、きっと触らないでおいてくれるはず。
一安心して笑いかければ、真っ青だった花が急激に紫になった。
「!?」
(また色が変わるの!? 紫色ってどういう意味なの!?)
人間の顔色が紫になったら、死んでしまいそうにまずい状態だけど!
動揺と驚愕のあまり目を見開いて固まる私の前で、紫だった花弁はすぐに桃色に変わる。
それにほっと安堵の息を吐いている内に徐々に色の濃さを上げて、鮮やかなローズピンクになった。
最初の毒々しい赤に戻るのかと思ったけれど、ローズピンクのまま、そわそわと花弁を揺らしている。
(これって、喜んでくれてる……?)
私の方を向いて、何度か角度を変えて花もよく見せてくれた。
(なんてサービス精神に溢れているの……!)
でも、ごめんなさい。やっぱりまだちょっと動く姿に慄いてしまいます。けどその気持ちだけはとても嬉しいです。
伸び伸びと咲く姿に戻ったところで別れを告げると、ゆらゆらと揺れて見送ってくれた。
慣れ、というものなのでしょうか。あれだけ動くところを見せつけられると、最後には本当に可愛いと思えてきました。
(案外、私は順応力が高いのではないかしら)
これなら魔界でも楽しく暮らしていけるのでは?
思い返せば、なぜか今日1日でこれまで全然関わってきてくれなかった魔族の皆さんとお話が出来ていた。
狼男にはからかわれたけど、雪男は親切だし、花は……動くけど害はない。どころか懐いてくれたように感じた。
おかげで不安だった魔界生活が、仄かに色づいていくのを感じる。
(魔界はそんなに怖いところではないのかも)
今なら軽やかにスキップできそう。
しかし鼻歌すら歌い出しそうになっていた自分の上に、不意に大きな影が掛かった。
(っまた動く植物でもいるの!?)
でもいいかげん、私も学びました。問題ありません。魔界の植物は動く! 大丈夫、もう驚いたりしないのだから!
自分に言い聞かせてから、勢いをつけて振り返る。
「ッ!」
けれど欠片も予想していなかった姿が視界に飛び込んできて、恐怖のあまり悲鳴は喉の奥で凍り付いた。
(な、なっ……なに、これ)
さっきの花のことがあったから、完全に油断していた。私は魔界を甘く考えすぎていた。
振り向いた視線の先、そこには私の頭ぐらいは咥えてしまえそうなほど大きな嘴を持った巨大な怪鳥が佇んでいた。
(と、ととと鳥なの!? こんなに大きい鳥がいるなんて、聞いてませんっ)
いいえ。待って。
『――庭には小さくて光る物を見ると口に入れたがる鳥がいるから、気をつけるといい』
ふと今朝、魔王様が私に告げた忠告が脳裏を過っていく。
(まさか、とは思うけれど)
小さくて、光るものって……(鳥から見て)小さくて、光る(銀髪の)私のことだったの!?