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魔王様の愛が重い


 途方に暮れて固まっていると、背後から急にひやりと冷たい空気を感じた。

 驚いて振り返れば、いつのまにやら私の背後に私の1.5倍はありそうな真っ白な毛に覆われた大男が立っていた。貴族のような服装はしているけれど、近くにいるだけで鳥肌が立つほどの冷気を纏ったその姿は見るからに魔族。


(今度は雪男!?)


 勘弁してくださいっ。

 次から次へと現れる幼い頃に絵本でしか見たことがない魔族の姿に、腰を抜かしそうになる。

 ただその雪男の冷たい視線は私ではなく、いまだ笑い続けている狼男に注がれていたのでなんとか踏み止まれた。廊下に響くほどの笑い声だったから、騒がしくて見に来たのだと思われる。


(狼男は犬っぽく話せばまだいいけど、雪男の鳴き声なんて知らないのだけど!)


 言語が通じる気がしない!

 やっぱり人間の私が魔界でやっていくのは難しいのかもしれない。まだ魔界に来て3週間も経っていないけど、既に心が挫けそう。

 

「お妃様相手に何を馬鹿なことをしているんだ」


 そんなときに、渋い声で雪男が話すので驚いて目を瞠った。

 雪男の言葉が私にも聞き取れるということは、私が普段使っているのと同じ言葉だということである。そして雪男は、狼男に向かって私の使う言葉で話しかけた。


(待って。ということは……)


 ようやく笑いを止めた狼男の方に視線を向ければ、面白そうに目を細められた。


「お妃様が一生懸命こっちに合わせてくれようとするから、つい面白くて」


 そして狼男は大きな口を開いて、ちゃんと私にもわかる言葉で喋った。

 そう、私が話すのと同じ言葉を。


「っちゃんと話せるのではないですか!」


 狼の顔なのにちゃんと人の声で人の言葉の発音をすることに驚いて、思わず声を荒げてしまった。


(でもこれは私は怒ってもいいと思うのっ)


 こっちはこれでも必死に寄り添おうと考えていたのに!

 結果としては全然通じていなかったのだろうけれど、それを笑いものにするなんてっ。


「ひどい! こんなの、あんまりです!」


 じわり、と目頭が熱くなる。とうとう目に堪えていた涙が浮かんで視界が歪んだ。

 必死に怖いのも我慢してきたのに。見当違いだっただろうけど頑張ろうとしていたのに。それをそんな風に面白がってからかうなんて、ひどすぎる。

 魔族から見たら人間なんてどうしようもなく愚かな生き物かもしれない。けれどだからってこんな風に馬鹿にするのは残酷すぎる。

 確かに私は愚かだけれど、それでも妃になったからにはちゃんと魔族と仲良くしなきゃって、そう思っていたのに。

 喉の奥で嗚咽が引き攣る。目からは勝手に涙が零れ落ちていくけど泣き声なんて上げたくなくて、必死に奥歯を噛み締めた。

 それを見た狼男は、予想外だったのかぎょっと大きく目を瞠った。


「お妃様!? すいませんっ、お妃様が可愛くて悪ふざけが過ぎました!」


 息を呑んで、慌てふためいて私を宥めようと腰を屈めた。

 あたふたと大きな肉球のついた手で私を宥めようとして、けれど触れてはまずいと思ったのか所在なさげに宙を泳ぐ。

 顔を覗き込まれそうになったところで、驚いて私が顎を引くより速く、狼の頭に白くて大きな手ががっしりと食い込んだ。


「ギャッ!」

「――私の妃に何をしている」

 

 同時にその場に聞き慣れた声が響き、その場にいる私も雪男も驚きに息を呑んだ。

 それは聞き慣れた声のはずなのに、けれどいつもより数段低く、明らかに怒気を孕んでいる。


「……まおうさま?」


 嗚咽を堪えていたせいか、呼びかける声が擦れて震えた。でも、どうしてここに。


(私はまだ、呼んでいないのに)


「私はエステルの泣く声が好きではない」


 まるで私の疑問に答えるように、魔王様が狼男の頭を鷲掴んだまま低い声が不快を示した。

 そういえば以前、私の声を覚えてしまっているから、どこにいても泣く声は聞こえてくるのだと言っていたことを思い出す。でもこんなにちょっと涙しただけで聞こえてしまうのかと、慄きを隠せない。

 けれど今はそれよりも、私の目の前で狼男の頭がミシミシと恐ろしい音を立てていることの方が気になった。

 大して力を込めているようにも見えないのに、ちょっと頭が歪んできていませんか!?

 引き攣って涙目になっている狼男と、淡々とした無表情なのにこちらが総毛立ちそうなほどの怒気を発している魔王様が怖くて顔から血の気が引いていく。


「ちょっとした悪戯心だったんですって! お妃様の反応が可愛いので魔が差したんですって!」

「なぜ私の妃をおまえなどに可愛がられなければいけない? 身の程を知れ。おまえの肉などまずくて食えたものではないが、毛皮ぐらいは役に立つだろう」


 必死の弁明にも耳を貸さず、魔王様はそんな恐ろしいことを凍るような冷たい瞳で口にする。それはとても冗談を言っているようには見えない。


(ころしてしまうのっ!?)


 それは待って。ちょっと私をからかっただけで死罪だなんて、魔界の法はあまりにも過酷すぎるのではない!?

 初めて見る魔王らしい魔王様の姿に、けれどあまりの恐怖で庇う声が出てきてくれない。


「お待ちください、魔王様。お妃様が大変怯えておられます」


 情けない私の代わりに仲裁に入ってくれたのは、雪男だった。その身を覆う空気は物理的に冷たいのに、どうやら彼は同僚を庇うだけのあたたかく優しい心の持ち主らしい。

 その言葉を聞いて、魔王様がようやく怒気を抑えてくれた。


「怯えさせたのならすまない」


 ばつが悪そうに謝罪され、その場の重い空気が一気に軽くなったように感じた。無意識に張り詰めていた息を細く吐き出す。

 思いとどまってくれたようで本当に良かった。まだ狼男の頭が離されたわけではないけれど、ひとまず胸を撫で下ろす。


「処分されるようならば、お妃様の見えないところでされるべきです」


 しかし、雪男がそんな提案を魔王様にするので再び私の息が止まった。


(違うっ! そうではありません!)


 求めているのはそういう配慮ではなくてっ。私はちょっと悲しくなっただけで、だからって何もそこまで罰を与えてほしいわけではないのです!


「待ってください! そんなこと私は望んでいません!」


 今度こそ声を振り絞って訴えることが出来た。それは本当に駄目です。嫌です。やめてください!


「なぜだ? 苛められて泣いていただろう。これは毛皮にしておまえのコートにでもした方が役に立つ」


 しかしながら不思議そうに問われて、そうだった、この方は魔王なのだったと思い知らされた。

 人間の常識など、通用しない。思い至った事実に背筋を冷たいものが伝い落ちていく。

 これで後で魔王様から毛皮を贈られたりしたら私は発狂してしまう。後味が悪いどころの話ではない。


(魔族との婚姻の難しさをこんなところで思い知らされるなんて……っ)


 でも他国に嫁いでいれば法も違えば常識も違うわけで、相手が魔王様だから悪い、の一言で片づける気はない。

 確かに人間とは常識が違うわけだけれど。でもまだ私の話に耳を傾けてくれるだけ改善の余地があるはず!


「そこまでしていただきたいほど私は怒っているわけではありません」

「……そうか?」


 少し残念そうな顔をされる。

 もしかして魔王様は、私が傷つけられたことを私以上に怒ってくれているのかもしれない。でも毛皮はちょっと。そこまでされなくてもいいと思うのです。


(これって、ちゃんと愛されているってことなのかしら)


 ちょっと……過激すぎるけれど……。

 けれど魔族の中ではこれが普通なのだと思えば、魔王様を責められることではない。これから私が強くならなければいけないということ。

 そしてまだ納得していないようにも見える魔王様を踏み止まらせるべく、必死に言葉を紡いだ。


「それに、その、毛皮はあまり好きではないのです。できれば、生きていてあたたかい状態の毛並みを撫でさせてもらえた方が、うれしいです!」


 人の常識が通じないのなら、魔族でも理解していただけるような内容にすり替えるしかない。

 とりあえず、まだ今は。


(いつかは改善していただきたいと思いますけど!)


「そういえばおまえはこういう生き物を好んでいたな……そういうことならわかった」


 拳を握って訴えれば、ようやく納得してくれたのか狼男の頭から手を離してくれた。

 よかった! 本当に良かった!

 安堵したのは私だけではないらしく、狼男も泣きながら感謝してくれた。

 かくして私は狼男から、いつでも大きな肉球と毛並みを触らせてもらえる権利を得てしまった……狼の毛並み、結構ゴワゴワしていたのであまり嬉しくはなかったのだけれど。

 私が泣き止んで場も収まったので、魔王様は仕事に戻るべく颯爽と姿を消した。

 ただ戻る前に、「泣く前に呼んでくれ」と目元に口づけて言われたのは心臓に悪かった。

 そういうことを人前でされるのは恥ずかしいのですっ!

 それを見ていた雪男が、後から赤くなって内心身悶えている私に微笑ましい目を向けてきた。


「愛されてますな、お妃様」

「…………ええ」


 今の一連の流れ、愛されているで片づけてしまっていいものなの? やっぱり魔族ってそういうものなの!?

 魔族の常識、私にはまだまだ難しいですッ。

 それにこれほど甘いことをされる魔王様ですが、実はキスもまだなんですけど……という言葉は飲み込んでおいた。

 魔王様の愛情をはかりかねて、戸惑うばかりの今日この頃です。



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