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末永くよろしくどうぞ魔王様!(後)



 震える声で、けれどなんとかそれだけ喉の奥から絞り出した。

 真ん丸く見開いた自分のスカイブルーの瞳に映るのは、魔族の特徴である漆黒の長い髪。

 人の姿を模しながらも、けして人には持ちえない金色の瞳。

 ぞっとするほど、冷たく見えるほど整った顔立ちの男だった。見ているだけで魂を抜かれそうな、まさに魔王の名が似合う、そんな存在。

 

「人間からはそう呼ばれているようだな」

「私はこれから、あなたに殺されて、食べられたり、するのですか……?」


 気丈さを保って訊いてみたけれど、口に出しただけで恐怖で吐きそう。顔から血の気が引いて、今すぐにでも倒れてしまいたい。

 これは悪い夢なのだと、そう思いたい。


「いいや。私は人は食べない。おまえを殺すこともない。殺すつもりなら、わざわざ連れてくるわけがないだろう?」


 半分くらいは、自分の言った通りになるのだろうと思っていた。

 だから私の前に立つ相手が、呆れた声で切り返してきた内容に息を呑んだ。


(食べないし、殺さないの?)


 確かに、殺すつもりならあの場で殺していればよかった話だ。

 でもならばなぜ、私は攫われてきたのだろう。


(それは、世界を恐怖と混乱に陥れるため)


 いつだって、魔王の与える恐怖は姫を攫うところから始まる。

 それは国々が落ち着きだした頃。人々が魔族の脅威を忘れかけたのを見計らったかのように、魔王は姫を攫い、国々を恐怖に陥れる。

 そして各国は人の世界の平定と、姫を取り返すという大義名分の元に勇者を募り、魔族との交戦が始まる。

 けれど姫が取り戻された事例など、お伽話でしか聞いたことがしかない。

 なぜなら姫を攫った後、十数年も経てば魔族たちは引いていくのだ。

 そうなると攫われた姫の存在はいつしかただの悲劇として扱われ、救い出されることなく消えていく。

 攫われた姫がどうなってしまったのかは、誰も知らない。


 ――そんな状態に、自分が陥っているだなんて。


(明日になったら、私は嫁いでいたはずなのに)


 たとえ望まぬ婚姻だとしても、それなりに生きていったはずなのだ。

 それがなぜ魔界なんかで、魔王相手に、こんなことになってしまっているの。

 堪えきれずに、じわりと涙が浮いてくる。握りしめた拳に爪が食い込んで痛い。

 なぜ私ばかりが、こんな目に遭わなければならないの。

 いったい私が何をしたというの。


「ならば私を、どうするおつもりですか」


 悔しくて、悔しくて、八つ当たりも込めて睨みあげた。

 どうせ何を言っても、何をしても、私は幸せになんてなれない運命なのだ。

 そう、疑っていなかった。

 だからこそ、人ならざる金色に輝く瞳で私を見据えて告げられた次の言葉に、目を丸くした。


「おまえには、私の妃になってもらう」


 至極真面目な顔だった。

 魔王はへたり込んでいた私に手を差し伸べながら、全く予想もしなかった言葉を口にしたのだ。


(きさき……妃? 魔王の?)


 一瞬、言われた言葉が理解できなかった。


(魔王の妃!?)


 理解なんてできなくて当然だと思う。予想外過ぎて、まったく頭が付いていかなかった。 

 だって、魔王の妃になる? 人間の私が? なぜ!?


(確かに魔王は人と同じ姿をしているけれど)


 魔族は醜悪だと思われていた。特に魔王など、人が視界にいれたら発狂するとすら思われていた。

 それなのに、実物は人間よりもずっと綺麗。違う意味で、人生を狂わされそうな美しさ。

 隣に並んだら、確実に見劣りしてしまう。

 けれどそんな相手が、なぜよりによって人間の私なんかを?

 魔族の女性に飽きてしまった? だから、たまには毛色の変わった人間に手を出そうとでも?


「私は、貴方の子を産むのですか……?」


 震えた声でこんなことを口にするだなんて、私は相当動揺していたのだと思う。


「生んでくれるというのならば喜ばしいが、世継ぎという意味でなら必要はない。魔王は世襲制じゃない」


 青ざめた顔で問うた私を見下ろしたまま、しかし魔王は僅かに首を傾げてあっさりと言い放った。


「世継ぎが、いらない?」


 思いもよらない返事を寄越されて、丸く目を瞠る。


「ならばなぜ、妃を必要とされるのですか。どうして、私を選ばれたのですか」


 魔王に攫われたら周辺諸国を動かせそうな大国の姫は、私以外にもいる。

 それに魔王の外見年齢は、私と10歳は違って見える。それこそ嫁ぐ予定だった王と同じぐらい。

 妃を求めるのならば、もっと早くても、逆に遅くてもよかったはずだ。別に今、私でなければならない必要性を感じない。


「おまえが攫ってほしいと言ったのだろう。それに、都合も良かった」


 魔王は面倒そうな顔をしながらも、溜息混じりにちゃんと答えてくれた。

 確かに、攫ってほしいと思わず言ってしまったのは私。

 祝福された婚姻を控えた大国の王女である私を攫うことで、周辺の国々を恐怖に陥れるためには一番都合がいい女だったのかもしれない。

 でも。


「たった、それだけなのですか……?」


 期待していたわけではないけれど、言われた言葉がショックで目頭が熱くなる。

 だって、そんなのあんまりじゃないの。

 うっかり言ってしまった言葉が原因で、それもたまたま都合がよかっただけなんて。

 運が悪いと言えばそれまでだけど、そんな理由だなんて泣きたくなっても仕方がない。


「……。あとは、おまえの泣く声が耳障りだったからだ」


 ぐっと奥歯を噛み締めて涙を堪えていると、頭上から躊躇いがちな声が降ってきた。

 期待していたわけではなかったけれど、まったく予想もしていなかった文句を続けられて余計に涙が浮かぶ。

 だって、耳障りだなんて。


(そんなに大きな声で泣き叫んだ覚えはないのに!)


 嫌がらせで魔界に連れてくるほど、私の泣き声は耳に触ったというの!?


「ひどい……あんまりです」


 恨めしげに見つめ上げれば、堪えきれずに涙が頬を零れ落ちた。

 それを見て、魔王があからさまに絶句した。数秒間見つめ合い、苦々しく舌打ちされる。

 その音にビクリと体を震わせれば、溜息を吐き出しながら魔王が私の前に屈みこんだ。

 驚いて身を引きかけた私の顔を覗き込まれ、伸びたきた手が怖くてぎゅっと目を閉じて体を竦ませる。

 けれど身構えた自分の身に、恐れていた衝撃はいくら待ってもなかった。

 恐る恐る瞼を持ち上げれば、こちらに伸ばしかけた手のやり場に困って固まっている相手と目が合う。


(……なにをしているの)


 まるで私が触れて怖がるのを、恐れているみたい。魔王なのに。

 まじまじと魔王を見つめれば、口をへの字に曲げて魔王がゆっくりと語り出す。


「おまえのいた城とこの城は対になっていて、ここはちょうど真下の位置にある」


 驚きの事実を告げられて、コクリと喉を嚥下させた。

 まさか自分が生まれ育った城の真下が魔界だなんて、誰が考えるだろう。


「おかげでここにはいろんな声が落ちてくる。おまえの声もよく聞こえてきた」

「私の声が……?」

「おまえの母が亡くなった日も、おまえが内緒で飼っていた魔獣を殺された日も、もう一人の妃や姉妹に苛められた日も。子供らしく大声で泣き喚けばいいものを、いつもおまえがめそめそと啜り泣く声が聞こえてきて耳障りだった」


 淡々と語られる言葉に、身に覚えがありすぎて息を呑む。

 いつも声を殺して泣いていた。弱い自分を見せたくなくて、誰にも気づかれないように息を潜めて泣いていた。

 それでも本当は、いつだって誰かに気づいてほしいと、そう願っていた。

 だから告げられた言葉に、ドクリと心臓が大きく脈を打つ。


「だがこれでようやく結婚が決まって泣き声が聞こえなくなるかと思ったら、またぐずぐずと泣いている。さすがにこれだけ聞かされると嫌になってきた」


 うんざりだと言いたげな顔で言われたものの、さすがにそれには反論したくなった。


「私は明日には嫁いでいくのですから、もう聞こえなくなるではありませんか」

「生憎と私の耳はいい。おまえの声を覚えてしまっているから、向こうに行ってもおまえの声は聞こえ続ける。このままいけば毎日のように泣き暮らされて、こちらの方の気が滅入る」


 わざとらしく溜息を吐いて、魔王がゆっくりと立ち上がった。

 そしてへたり込んだままだった私に、再び手を差し伸べてくる。


「ならば私の妃にして、泣かないように監視しておいた方が安心できるというものだ」


 理由になっているのかいないのかわからないような理屈を並べられて、まじまじと魔王を見上げる。


「……魔王の妃になる方が、泣き暮らすとは思われなかったのですか?」

「思わないな。泣かれないように、私が幸せにするのだから」


 とんでもない告白を受けた気がして、一瞬息を呑んで絶句した。

 思わず心が揺らいでしまいそうになる口説き文句が耳に飛び込んできた気がする。

 でも待って、相手は魔王。


「ですがあなたは、これから人の世界を乱すおつもりなのでしょう?」


 やはりどうしたって、人間とは相いれない存在でしかない。

 私を妃として迎えたとしても、人の世界を乱すことに躊躇いは覚えなさそう。

 強張った顔で問いかければ、魔王は「それが神に命じられている仕事だからな」と鷹揚に頷いた。


「神に命じられている、ですか?」


 魔王から神という言葉を聞くとは思わなくて、目を丸く見開いた。


「そうだ。私たち魔族が人の世に恐怖を振りまくのは、必要悪というやつだ」

「必要悪……?」

「人間は定期的に争いを求める習性がある。魔族の脅威が薄れてくると、今度は国同士を取り合って戦争を起こそうとする。今もそうだ。おまえが婚姻を結ぶことで国の力を強固にしようとしているのも、それに備えてのことだ」


 魔王が「まったく面倒なことを考える」と、嫌そうにぼやく。


「太古の昔に、それが行き過ぎて人は世界を更地に変えたこともある。それを見かねた神が、私たち魔族を作った。魔族という一つの種族にだけ敵意を向けさせるようにして、人間同士を結託させることで人同士の争いが起こるのを防いでいる」


 淡々と説明されるものの、正直なところよくわからなかった。

 私が理解していないのがわかったのか、「簡単に言うとな」と呆れることなく魔王が説明を続けてくれる。


「ここで魔族が人間にちょかいをかけなければ、人間は人同士で国を取り合って大きな戦争になる。でも魔族が現れれば、人間はそんなことをしている場合ではないから、仲良く手を取り合って魔族と戦おうとする。ここまではわかるか?」

「……はい」


 なんとなく。


「魔族側も人が向かってくる以上はある程度迎え討つが、人同士が戦争を起こすよりは格段に人死にの被害は少なくて済む。だから、その辺は目を瞑ってほしい」

「よくわからないのですが、魔族は人を滅ぼすのが目的ではないのですね……?」

「魔族が本気で人を滅ぼすつもりなら、とうの昔に滅んでいる。神にはもう少しうまく考えてほしいと思うが、命じられている以上はやるしかない。魔王などと呼ばれていても、実際はただの中間管理職だ」


 語られる内容は、正直なところよくわからなかった。

 それでも、好き好んで人間と争いたいわけじゃないというのはなんとなく伝わってくる。むしろ面倒そうな雰囲気すら感じられる。


「こちらとしても手早く必要最小限で終わらせたい。私も騒がしいのは好みじゃない。で、手始めにおまえを攫ってきたわけだが、連れてきた以上は責任は取る」

「それで、私を妃に?」

「そういうことだ」


 責任感があるようだけど、その責任感が斜め上を言っている気がしてさっきから絶句しかできない。


(……でも、ちゃんと言葉も通じるみたい)


 言語が通じるという意味ではなく、最低限の常識は一応は通じそう。

 連れてきた手段はかなり手荒だった。とはいえ、黙らせるために暴力を振るわれる気配はなかった。

 冷静になって思い返してみれば、さっき、手荒な真似をしたことも謝罪された。


(殺さないし、食べないとも言われた)


 しかも『妃』ということは、それなりの立場を用意している、ということでは?

 何とかそれなりに話は通じそうな、美しい王。


(もしかして……悪くない嫁ぎ先なのでは?)


 いえ、でも、待って。落ち着いて。

 相手は魔王であって、人ではない。


「それで私は、何番目の妃になるのでしょうか」


 さっきの物言いからすると、実はものすごく長い年月を生きているようにも聞こえてくる。もしかして数十番、数百番目の妃かもしれない。

 拒否権がないことはわかっているけれど、なんとなく気になって訊いてしまった。


「妃など一人もいれば十分だろう?」


 そんな私の疑問に、魔王は眉を顰めて答えた。


「以前のお妃様達はどうなさったのでしょう?」


 ここ数十年、姫が攫われた記録はない。だとすると、既に天寿を全うされているという可能性もあるけれど。


「以前も何も、私の妃は今も昔もおまえ一人しかいない。何人も愛せるほど私の懐は深くない」

「あなたは、実は数百歳だったりしないのですか……?」

「そんな爺に見えているとは思いたくなかったが、一応人と同じ見た目通りの年だと言っておく」


 苦虫のような顔をしながらも、ちゃんと答えてくれる。

 そう言っている間もずっと、魔王は私に手を差し出してくれていた。

 強引に掴むわけでもなく、動かない私に怒るわけでもなく、私が手を伸ばすまで待っていてくれていると感じる。

 面倒そうな顔はしているけれど、悪い人では、ないのかもしれない。

 いえ、私を攫ってきた相手なのだから、間違いなく悪い人なのだけど。

 でもあれは、私を救い出してくれたようにも、思えてくる。


(不思議と、こわくない)


 もちろん、怖いと言えば怖い。未知なる存在だ。当然、怖くないわけじゃない。

 でも、いつのまにか背筋が凍るような恐怖は感じなくなっていた。

 私を見下ろす金色の瞳が、ひどく静かに見えるからかもしれない。差し出された手を握っても、きっと大丈夫な気がする。

 そんな不思議な安心感を覚えている自分がいた。

 なんとなく幼い頃に出会った、魔獣に似ているせいかもしれない。

 柔らかい黒い毛並みの、綺麗な金色の瞳の魔獣の仔。

 まだ小さかったその生き物が魔獣とは知らず、くるくると輝く金の瞳とそっと擦り寄ってくる姿が可愛くて、庭に迷い込んだのを見つけて内緒で飼っていた。

 魔王と魔獣を一緒くたにするのは、自分でもどうかとは思うけれど。


(これって、悪くないお話なのではない?)


 それに、私だけを愛してくれるというのなら。

 願ったり叶ったりというものではないでしょうか。


(……魔王だけど)


 でもどちらにしても、私に拒否権があるとは思えない。

 帰ってきた姫は、いないのだから。

 それなら、私が選ぶべき道は一つしかない。


「わかりました。これからよろしくお願いいたします」


 魔王からのプロポーズに、覚悟を決めると頷いた。

 差し伸べられた手に恐る恐るだけど自分の手を乗せて、日々鍛えていた笑顔を浮かべてみせる。

 ちゃんと妃として迎えていただけるというのなら、文句もありません。

 はっきりきっぱりと言い切った私を見つめ、しかしなぜか私にプロポーズをしたはずの魔王が眉根を寄せた。

 数秒の沈黙の後、訝し気な表情のままゆっくりと口を開く。


「…………魔王の妃になるのだぞ?」

「はい」

「理解しているのか。ここは泣き喚いて拒否するものではないのか?」


 まるで泣き喚いて許しを乞うた方が良いような言い方をされた。

 でもそれを望んでいるようには見えない。ただ魔王の顔には困惑が見える。

 ……もしかしたらこの方はやはり、そんなに悪い人ではないのでは?


「泣き喚いたら、私は元いた場所に返していただけるのでしょうか?」


 首を傾げて一応問いかけてはみたものの、魔王は私の手を引き上げながら首を横に振った。


「それは出来ない。返したら、また泣くだろう」


 少しだけ心配そうな顔をして、そんなことを言う。


(本当に、おかしな方)


 魔王のくせに。

 魔王なのだから、もっと強引に堂々と攫えばいいはずなのに。

 不器用な優しさに触れて、自然と笑みが零れてしまう。

 勿論、まだ混乱が抜けきったわけではないけれど。


「でしたら、よろしくお願いしますとしかお返事しようがございません」


 それに一度魔王に攫われた姫が戻ったところで、傷者扱いされるのは必至。

 そうなれば縁談も破談になる上に、それはまだいいとしても、魔王に一日で突き返された姫という汚名を負ってしまう。

 どちらにしろこうなると、私には行く場所がない。むしろ縋りつくしか道がない。

 そしてこの道は、案外とても素敵な場所へと続いているように見えるのだ。


「一度妃にすると決めていただいたのなら、責任をとっていただかないと困ります」


 だからこそ今度はちゃんと、心から微笑んで。


「どうぞ末永くよろしくお願いします、魔王様」




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