魔族とお友達になりたい
その日、冬物コートを手に持って朝食へと現れた私を見て魔王様が首を傾げた。
「今日はそんなに寒かったか?」
季節的にまだ早いだろうと言いたげな顔をされる。
魔王様の仰る通り、まだ薄手の長袖で十分でコートを羽織る時期ではない。体調でも悪いのかと気遣われているのを感じて、慌てて首を横に振った。
「こちらは後で雪女さまとお会いする用なのです。防寒具は持ってきた方がいいと言われましたから」
「そういうことか」
嬉しくて声を躍らせながら答えれば、魔王様が納得して頷く。
軽やかな足取りでまずは日課となっている魔王様の髪を飾る飾り紐を選び、ゆったりと編まれた魔王様の髪に飾り紐を結ぶ。
いくら私が不器用でも、リボン結びぐらいは出来るのです。
さりげなく私が今日着る予定の水色のコートに合わせて、魔王様は水色にした。私のコートは明るい色で、魔王様はアッシュブルーだけどお揃いっぽくなって嬉しい。
その間も、お揃いに出来たというだけではない笑みが零れてしまうのを止められない。
「上機嫌だな」
「だって女の子とのお茶会は初めてですもの。今からとても楽しみなのです」
「会うのは雪男の妻だろう? 女の子という年齢ではないと思うが」
「魔王様、女性はいつまでも女の子でありたいものです」
唇を尖らせて言えば、「そんなものか」と少しバツが悪そうな顔をされた。そういうものなのです。
けれど咎める気持ちはすぐに霧散していく。
(だって今日は念願の、女の子とのお茶会なのです!)
考えるだけで心が浮き立つ。
魔王様にああ言ったものの、相手は私よりもずっと大人な女性。女の子扱いしては失礼かもしれません。
ですが魔界に来て初めてのドール以外の女の子同士でのお喋り。とても楽しみで堪らない。
前も異母姉妹達はよく個人的なお茶会を開いていたようだけど、私は呼ばれたことがなかったので社交以外では初めてのお茶会。しかも、魔界に来てから女性同士の交流は初めて。
魔王様に「女の子とお友達になりたいです」と我儘を言って、雪男に紹介していただけることになった女性。
(女性目線での恋の進め方とか、教えていただけるかもしれません)
以前いた城では遠巻きにされて表面上ばかりのお付き合いしか出来なかったから、お友達がいなかった私です。
たぶんそのせいもあって、恋愛話に疎いまま来てしまった。
ここではぜひ仲良くなって、出来れば相談に乗っていただきたい。相手の恋のお話も聞いてみたい。
そんな期待に胸を膨らませても仕方がないと思うのです。
「まぁ、楽しんでくるといい。ただし、長時間会うはやめておけ」
「なぜでしょう?」
そんな期待に水を差すようなことを言われて、思わず眉尻を下げてしまう。
(色々とお聞きしたいことがあるのに……)
訴えるように魔王様を窺えば、「意地悪で言っているわけではない」と溜息を吐いた。
「たぶん、エステルは風邪を引く」
*
「貴女が魔王様のお妃様なのですね。夫からお話はかねがね伺っておりました。お呼びいただけて光栄です」
「こちらこそ、我儘を聞いてくださってありがとうございます。お会いできて嬉しいです、雪女さま」
私の前に現れたその方は、とても美しい方だった。
雪のように白い肌。雪のような真っ白い髪。切れ長の瞳は冬空のような灰色で、唇が蒼褪めていることだけは少し心配になってくる。
そして私は、魔王様の仰ったことがやっと理解できた。
(さ、さむい……っ。とても寒いです!)
コートを着ていても冷気が体の熱を奪っていくのがわかる。
彼女が部屋に入ってきた瞬間から、部屋の温度がどんどん下がっていくのがわかる。吐く息があっという間に白くなる。
さっそく椅子を進めてテーブルに着き、少しでも体を温めようと手ずからティーポットのお茶をカップに注ごうとした。
しかし手に持ったポットは冷え切っていて、傾けてもカップに紅茶が注がれない。
(これは、中で凍っている!?)
なんということでしょうっ。せっかく来ていただいたのに、おもてなしが出来ません!
「申し訳ありません。ちょっと……紅茶の出が悪いみたいです」
自分で言っていてもよくわからない理由を述べれば、雪女様は綺麗に微笑んでくれる。
「どうぞお気になさらないで。そうだわ、今日は私の得意なお菓子をぜひいただいてくださいな」
それどころか私の失態を補うように、目の前で氷の器を作ってくれた。なんて優しい方。
「素敵! 魔法のよう!」
光の反射でキラキラと輝く氷の器は繊細なガラス細工のように美しく、思わず感嘆の声が漏れた。
けれどそのすぐ後に器に盛られていくのは、山盛りのかき氷。
それを見た瞬間、笑顔が引き攣りそうになってしまった。寒さで顔が強張りかけていたおかげで、たぶんピクリとしか動かなかったと思うけど。
(か、かき氷、なの。そう、そうよね。雪女なのですから、得意なお菓子は氷菓!)
「夫の大好物なの」
ふふ、と笑う顔は冷たい印象が消えてとても可愛らしい。
「それはとても楽しみです」
なんとか微笑み返せたものの、内心ちょっと泣きそうです。
(ですが雪女さま手ずからのお菓子……鮮度と美味しさは間違いありませんっ)
頑張って食べてみせます。お腹を壊しそうなので完食はできないかもしれませんが!
覚悟を決めて息を呑む私の前で、嬉々として小さなバッグの中から赤いシロップの入った瓶を取り出された。
事前に準備してきてくださったことが嬉しい反面、出来れば忘れてきていただきたかったと思ってしまう気持ちもある。
「苺味、お好きかしら?」
「はい。好きです」
好きです。その言葉にけして嘘はないので、すぐに答えられた。
暑い時期に食べる苺味のかき氷は、とても贅沢品だと思います。美味しいですよね……暑い時期なら……。
「……あら? 出てこないわ」
けれど彼女はかき氷に瓶を傾けたものの、シロップが出てこないことに不思議そうに首を傾げた。
「いつもは夫が掛けてくれるの。何かコツでもあるのかしら?」
「どうなのでしょう? 私も初めて見る容器です。振ってみられたらいかがでしょう」
きっと中で凍っているのだと思います。とは、言いにくい。
適当に誤魔化せば、結局出てこなかったシロップは早々に諦めて「ごめんなさいね」と謝られてしまった。
「せっかくだから食べさせて差し上げたのかったけど、ただの氷だけでは美味しくないわ。今度、夫に掛け方を聞いておくわね」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私は雪女さまとこうしてお話できるだけで十分です!」
かき氷を食べなくて済んだこともあり、拳を握って心の底から笑顔で訴えてしまった。
すると冷たく見える眼差しを細めて、優しく微笑んでくれる。
とても良い方です。気遣いも出来て、たおやかで、ただ……一緒にいると、とても寒いのだけが難点ですけれども。
私、あとどれだけこの寒さに耐えられるのでしょうか。
奥歯がカチカチと鳴りそうなのを必死に抑えて、微笑み返す。
「あの、雪女さまは、旦那様ととても仲がよろしいのですね。その、旦那様ととてもお年が違っていらっしゃるように見えるのですが……」
魔王様の忠告通り長居は出来ないと悟って、早々に一番気になってしまったことを恐る恐る尋ねた。
以前お会いした雪男は、声と毛並みが随分と年老いているように感じた。けれど目の前の女性は20代後半ぐらいに見える。
とても年の差婚であらせられるのではないでしょうか。
「私も魔王様と年が離れている方なので、色々お話窺ってもよろしいですか?」
すると少し雪女さまは「ええ」と恥ずかしそうに頬を染められた。少し室温が上がったように感じる。
「ちょっと恥ずかしいのだけど、夫とは40歳違うのです」
「40歳……!」
想像以上に離れていて、失礼だとわかっていたのに驚きに目を瞬かせてしまった。
けれど雪女さまは気を悪くした風もなく、ふふ、とはにかんだ笑みを見せる。
「夫が70歳で、私が110歳なの」
「ひゃく……っ!?」
一瞬、言われた言葉が理解出来なかった。110歳!? そして雪女さまが年上でいらっしゃるのですか!?
そうでした……魔族の方を、人間の物差しで測ってはいけませんでした。
「ごめんなさい。女性に年を聞いてしまうなんて」
「いいのよ。おばあちゃんではずかしいわ」
「とんでもありません! とてもお若く見えます! 本当にとてもお美しいです! お肌も陶磁器のようにお綺麗で、見習わせていただきたいほどです」
「まあ、お上手ね。お妃様もとてもお可愛らしいわ。とても素直で、愛らしくて、魔王様が大事になさるのもわかるわ」
「……とんでもありません」
賞賛の言葉に恥ずかしくなって顔が熱くなる。
私は素直というより、こういうのは馬鹿正直というのです。動揺のあまり、思ったことをそのまま口走ってしまいました。
今までの社交界では、ただ微笑んで挨拶だけ丁寧にしていればいいと言われていたので、なんとかなっていただけ。
私、友達が出来なくて当然かもしれません。
「裏表がないから、一緒にいて安心するのね」
そう言われて、チクリと胸が痛む。そんな風に言っていただける人間ではないのです。
(だって私、かき氷を食べなくてほっとしてしまったのに)
せっかく用意してくださったのに。嬉しいと言っておきながら、胸の内ではひどいことを考えていたのに。
「……ごめんなさい」
唐突に謝った私を見て、切れ長の瞳が少し見開かれる。
「私、そんなにいい子ではありません。実は寒いのがあまり得意ではなくて……ご用意いただいたかき氷、食べなくて済んだことに、安心してしまいました」
「ええ。知っていたわ」
罪悪感に耐え切れずに謝罪すれば、すぐにそんな返事を寄越されて弾かれたように顔を上げた。
「お顔がね、素直なの。貴女がついた優しい嘘は私を傷つけないためのものでしょう? 私こそごめんなさい。気が利かなかったわ」
ふ、と吐く溜息は白い。だけど不思議とあたたかく感じた。
「種族が違うと、お付き合いするのは少し難しいわね。でも私は貴女を好きになったわ。出来ればまたこうしてお話したい……あまり一緒にはいられないようだけど」
さっきから寒さで指先が震えてしまうのを抑えられない私に気づいていたのか、ひどく残念そうな顔をしながら雪女さまが立ち上がる。
「もっと話したかったのだけど、今日のところはお暇するわね。お妃様に風邪を引かせてしまったら、魔王様に怒られてしまうもの」
「……せっかく来ていただいたのに申し訳ありません」
「いいえ。少しずつ、仲良くなっていけたら嬉しいわ」
結局、全然お話が出来なかったことが無念で仕方がない。けれど、そう言っていただけたことに心から安堵する。
既に体が限界を訴えていて、歯の根が噛み合わない。人間である自分の貧弱さがちょっと憎くなる。
そんな私を見て、申し訳なさそうに「ごめんなさいね」と再度謝られてしまった。
慌てて首を横に振る。種族が違うとこういう弊害はあるのだけど、上手にお付き合いできるように頑張りたいです。
「そうそう、年の差でうまくいくコツだけ教えておくわね。年齢差があると、色々と迷われることもあるのでしょう?」
入り口まで見送ろうとして立ち上がれば、先を歩きかけていた彼女が悪戯っぽい顔で振り返った。
目を瞠ってコクコクと大きく頷けば、じっと私を見つめてから頷く。
「お妃様は、きっとそのままのお妃様でいいの。魔王様はそんな貴女が可愛くて仕方ないのだと思うの。……私もね、今でも夫が可愛くて愛しくて仕方ないもの。魔王様もきっと同じだわ」
「旦那様は可愛いのですか!?」
「ええ。とても。氷漬けにしてあげたいぐらい可愛くて、愛しいわ」
愛しげに目を細めて微笑む雪女さまは、見惚れるほどにお綺麗だった。
けれどその……氷漬けは、やめてあげてください。動けないのはお辛いと思いますから。
そうして私達はまた次に会う約束を交わして、初のお茶会は驚くほどはやく幕を閉じたのでした。
*
「今日はどうだったのだ?」
晩餐後、ソファーに並んで座って食後のお茶を飲んでいたら魔王様がそう尋ねてきた。
ティーカップを置いて、嬉々として魔王様に顔を向ける。
「とても優しくて頼もしくて、ちょっと茶目っ気があって可愛らしい方でした。私、あの方が大好きです」
いつもより魔王様の方に身を寄せながら、今日思ったことを素直に伝える。
ちなみに魔王様に甘えているわけではなく、まだ体に寒さが残っているように感じてさりげなく魔王様で暖を取っているのは内緒です。
「そうか。よかったな」
「はい。また次に会うお約束もしたのです。ただ……とても寒いので次回はもっとしっかり防寒します」
どれぐらい着こめばいいのでしょうか。少し遠い目になってしまう。
あまりにも短時間で終わってしまったことに嘆息が漏れた。もっとお話ししたかったのに、ままならないことが切ない。
「種族が違うと、お付き合いって大変なのですね」
そう呟くと、手持無沙汰なのか私の髪を弄っていた魔王様の手が止まった。
「どうかされましたか?」
隣に視線を向けて小首を傾げれば、魔王様は金色の瞳で私の心を探るように見つめていた。
少しドキリと心臓が跳ねる。
「魔王様?」
そっと名前を呼べば、ふと魔王様の目が細まって「なんでもない」と言われた。
とてもなんでもないというお顔には、見えなかったのだけど。
困惑している私に魔王様が手を伸ばしてきて、ぎゅっと腕の中に抱き竦められる。少し苦しいぐらいで、けれど今日は寒かったからあたたかくて気持ちがいい。
誤魔化されたような気がしたけれど、魔王様の背中に手を伸ばして抱き返した。
なぜだかそうしないと、いけないような気がしたから。