魔王様の趣味を疑う
「魔王様の御衣裳を、ですか?」
「ええ。一度着てみたいと思っていたの!」
怪訝そうに首を傾げるドールに向かって大きく頷いて見せた。
けれど実のところ、着てみたいと思ったことは一度もありません。咄嗟に思いついたから言ってみただけ。
それでも苦し紛れに押し通せば、ドールはまだ人間の思考が把握できていないのか「そういうことでしたら、ぜひお借りしましょう」と頷いた。
素直に信じてくれるドールを騙している気分だけど、今はこれしか思いつかないので仕方ない。
「私は今から魔王様にお借りしてくるから、ドールはもう今日は下がって。はやく治してくださる方の元に行かれてください」
「わかりました。それでは失礼いたします」
疑うことを知らないドールは、綺麗に一礼すると部屋から下がっていった。
それを見送って、残された私は小さく溜息を吐く。
(魔王様の服、私に着れるのかしら)
ゆったりした服だから男女差はあまり考えなくてもいいと思うけれど、よく考えたら大きさが合わない。
私は小さい方だし、魔王様は身長が高いので、頭一つ分以上も違う。
私が着たら引き摺って歩くことになる気がする。魔王様にお返しする時には、裾がボロボロになってしまいそう。
(でも子供の頃の服がまだあるかもしれないわ)
考えていても埒が明かない。とりあえず魔王様に尋ねてこようと、ガウンを羽織ってから部屋の扉に手を掛けた。
「カヌレはここで待っていてね」
私の足元に当たり前のようにすり寄ってきた黒い魔獣に声を掛けると、嬉々として振られていた尻尾がしゅんと下がってしまう。
お散歩がてら連れていってあげたい気持ちはある。けれど近頃カヌレは急成長している。
城の中を歩くと慄くことが多いので、私がちょっと驚いたり悩んだりするだけで、ふと気づくと育ってしまっているのだ。
最初は子犬サイズだったのに、既に膝ぐらいの大きさになっていた。魔界だから愛情をかけても成長すると聞いてはいても、この調子で大きくなったらあっという間に部屋に入らなくなってしまいそう。
「大丈夫。魔王様のお部屋はすぐだもの」
心配そうに私を見上げるカヌレを撫でてから、廊下に足を踏み出した。
(夜のお城って、ちょっと怖い)
暗い廊下を、恐る恐る歩き出す。魔王様の部屋まで歩いて1分もかからない。
しかしその短い距離でも、しんと静まり返って夜の闇に包まれている廊下は落ち着かない気分にさせられる。等間隔に蝋燭の灯りが揺れているけれど、昼間に比べれば格段に暗くて不安になる。
こんな状態でカヌレを連れていたら、きっとあっという間に成長してしまう。
ましてや城の廊下には、恐ろしい魔族を模った石像が設置されている。鋭い牙に、尖った羽。体は獣のようで、頭には角が生えていたりもする。
なにより、顔が怖い。
石像だとわかっていても、昼間でも怖いのに、暗い通路で見ると更に体が竦む。しかも位置が変わることは珍しくなく、増えたり減ったりしていて心臓に悪いことこの上ない。
結構マメに入れ替えられているようなので、かなりの数があるように思う。
(魔王様のコレクションなのかしら)
あの石像があるだけで、いかにも魔王様のお城という雰囲気は出るけれど……
門から城へと続く道にずらりと並んでいる様は壮観ですらある。
もし私が勇者だったら、あれを見ただけで回れ右して逃げ帰りたくなると思うもの。
(魔王様のご趣味なら仕方ないけど……)
なるべく魔王様の嗜好は理解して差し上げたいけれど、こればかりは私には良さがわからないです。魔族の感性って難しい。
怯えながら廊下を進み、魔王様の部屋の前まで辿り着く。
しかし魔王様の部屋の扉の両脇には、またもや怖い石像が並んでいた。
魔王様コレクションの中でも特に厳めしい顔をしている気がする。しかもこっちを見ているように思えて、それだけで心臓がバクバクと早鐘を打つ。
(これは置物! ただの飾りだから大丈夫!)
必死に自分に言い聞かせて扉に近づき、恐る恐る扉をノックした。
「魔王様」
まだお休みにはなられていないと思うけれど、控えめに声を掛ける。
「どうした?」
「お休み前に申し訳ありません。お願いしたいことがあって参りました」
すぐに扉は中から開かれ、驚いたように目を瞠った魔王様が現れた。何かあったのかと心配する顔を見ただけで、不安が解れて安堵に頬が緩む。
そうやって私を気にかけて大事にしてくださるところは、優しくて大好きです。
「明日、私に魔王様のお洋服を貸していただきたいのです」
怪訝そうに私を見下ろす魔王様を見上げ、訪れた目的を告げた。
すると魔王様は、なんと捉えたらいいのかわからないと言いたげな表情になる。
「なぜだ。部屋にある服は気に入らなかったか?」
当然ながら、魔王様は眉を顰めつつ疑問を投げかけてくる。
そんなご心配いただかずとも、部屋の服はどれも可愛くて気に入っています。ただコルセットが一人で締められないので、明日は着られないのです。
とは、さすがに言えない。
そんなことを言おうものなら、魔王様は「ならば私がやろう」と言いかねない。甘いのです。とにかく甘いのです。私を甘やかすのにも程があると思うのです!
「そうではありません。魔王様のお洋服が着てみたいのです」
苦しい言い訳だと思いつつも、ドールに言ったのと同じ言葉を告げる。すると魔王様は数秒ほど、呼吸も忘れて固まった。
「……駄目ですか?」
上目遣いで伺えば、やっと魔王様の石化が解けた。私を上から下まで眺めて、難しい顔をする。
「サイズが合わないだろう」
「魔王様が子供の時のお洋服はもう残っていないのですか?」
「そんなに着たいのか? 似合わないと思うが」
私も似合わないことは百も承知です。魔王様と違って、私が着ても貫禄というものは出ないこともわかっています。
ですが、そんなことはいいのです。そういう問題ではないのです。
魔王様の服を手に入れられなければ、私は明日一日寝間着で過ごすか、魔王様の前に肌を晒すかの二択しかありません!
「駄目ですかっ?」
もう一度、諦めきれずに魔王様を見つめる。魔王様の瞳に映る私の顔は、自分でも驚くほど必死だ。
「……そこまで着たいというなら、ないこともないが。本当に着る気か?」
「はい!」
先に折れたのは、魔王様だった。間髪入れずに頷いた私を見て、渋々だけど「わかった」と承諾してくれる。
(よかった! これで今夜は何の心配もなく、ぐっすり眠れるというものです)
喜色満面でお礼を言えば、魔王様が諦めたように小さく息を吐き出した。
「探して持ってくるから、ちょっとここで待っていろ」
「えっ?」
けれど魔王様がそう言って部屋に引っ込んでいこうとするので、慌てて魔王様の服を掴んでしまった。
「ひとりでここで待つのは、ちょっと恐ろしいです!」
魔王様の姿が見えなくなるかと思うと、急に不安に襲われる。
だって魔王様の部屋の両脇には、私の苦手な石像が並んでいる。ゆらめく蝋燭の灯りに照らされて影を落とす石像は、昼間の怖さの倍である。
魔王様がいるから耐えられるけど、この石造の前で待つのはかなり厳しいものがあります!
「ガーゴイルがエステルを傷つけることはない。普段は大人しくて動くことを好まない種族だから、石だとでも思っていればいい」
チラリと石像に怯えた視線を向けたことに気づいたのか、魔王様があっさりとそう言った。
そして扉脇の石像を見上げ、「頼んだ」と告げる。
頼まれた石像は、ゆっくりと頷く…………頷くのっ?
「今、動いたのですけれど!?」
驚愕に声を上げて、咄嗟に魔王様の腕にしがみつく。なぜ動くの!? 石像じゃなかったの!?
魔王様は少し驚いた顔をして、私を見下ろした。
「当然、動く時は動く。生きているのだから」
「生きて……? 石像じゃ、なくて?」
「知らなかったのか。これはこういう魔族だ。ガーゴイルといって、ここでは衛兵代わりだな。いざという時は役に立つが、普段は石像と変わらない」
なん、ですって……。驚きすぎて、言葉も出ない。
絶句している私を見て、魔王様が「言っておけばよかったか」と宥めるように私の背を撫でた。
言っておいていただきたかったです! 魔族にとっては常識でも、私にとっては非常識ですから!
(いえ、花も動くぐらいですから、石像も動いたっておかしくない!)
そう考えて、最初から疑ってかかるべきでした。
どうりで、よく移動してるわけです! 増えたり減ったりしていたわけです! だって生きているのだもの!
――動揺と納得する反面、魔王様の趣味でなくてよかった、とこっそり思ったことは秘密です。