魔族のセンスは難解です
魔王様に指輪の魔除けを弱めていただいたので、本日さっそく試してみようと城内の散策に出た。
使い魔の魔獣カヌレを連れて歩くことになったので、「待て」と言って相手を止める魔法は取り消してもらった。
だって、それじゃ犬みたいだから……
私は魔族の皆さんと対等に向き合いたいので、そういうのはいけません。
魔王様は渋ったけれど、カヌレが一緒だから、とお願いして魔除けは必要最低限まで弱めてもらえた。
それでも私の意志を無視して触れようとすると、雷が落ちるそうなので……弱めてこれなら、いったい今まではどんな呪がかかっていたのか聞くのも怖い。
とりあえず皆さんには、不用意に私に触れないようお願いしたいところです。
そして散策して早々に、魔族発見です!
(発見……したのはいいのだけど、これはなんて声を掛けるべきなのっ)
廊下の向こうから歩いてくる相手は、頭の天辺から足の爪先まで包帯でぐるぐる巻きにされている。
(満身創痍ですッ!)
見た瞬間、喉の奥で息が引き攣った。
いったい何をどうしたら、そんな可哀想な姿に!?
しかも顔まで包帯が巻かれていて、僅かに目が覗くだけで鼻も口も塞がれている。それは大丈夫なの? ちゃんと息は出来ているの?
(お家が火事になって、逃げ遅れてしまったのかしら)
指輪の魔除けが弱まったからか、相手は私の姿を見ても逃げることなく歩いてくる。
こういう時、どうしたらいいのかわからなくなってその場に立ち竦んだ。
人生経験が少ないから、こういう方になんて声を掛けたらいいかわからない。ここは下手に触れずに、そっとしておいてあげた方がいいのでしょうか。
けれどこんな満身創痍な方を、見て見ぬふりをするのも憚られる。
魔王様の妃として、気遣う声ぐらいはかけるべきでしょう。
(でも、なんて言えばいいの?)
迷っている内に、相手はどんどん距離を詰めてくる。
あっという間に私のすぐそばまできてしまって、もう黙っているわけにはいかない。
私の足元にいるカヌレは大人しいままなので、害はない、ということなのだろう。こんな姿の方に害があるわけもないのだけど。
「これは、お妃様。本日もご機嫌麗しく」
尻込みしている私の前で、包帯男は予想外に朗らかに言うと優雅に一礼をした。
包帯のせいで声はくぐもって聞えるけれど、発音に問題もない。
でも腰を曲げても大丈夫なのですか!? 無理はなさらなくていいのですけれど!
「あの、大じょ……」
心配になって「大丈夫ですか」と言いかけたものの、途中でハッと気づいて止めた。
全身ぐるぐる包帯姿の方に向かって、大丈夫か訊いてどうするの。
どう見ても、まったく大丈夫じゃないわ!
(これは今すぐ家に帰って、休まれることをお勧めした方が……)
でも家はちゃんと残っているの? もし火事になったのだとしたら、軽率に帰宅をお勧めするのも配慮に欠ける。
帰る家はもう無いのです……なんてことを悲しそうに言われてしまったら、どうしたらいいかわからない。
いえ、まだ火事と決まったわけではないけれど!
そもそも、どうしてそんなお姿に!?
「その包帯は、どう……」
どうなさったのですか、と問いかけようとして、これも途中で止まった。
こんな大層な怪我の原因、安易に人に話せるようなことでしょうか? たいして親しくもない相手に触れられたら嫌なのではない?
(どうしようっ。なんて言ったらいいかわからない!)
何を言っても、傷つけてしまいそう。ただでさえ満身創痍なのに!
「もしやお妃様、この包帯が気になりますか?」
「ええ……ごめんなさい。そんなに動いて大丈夫なのかと思ってしまって」
無作法を指摘されて、両肩を縮み込ませて謝った。
けれど恐縮する私に反して、包帯男は僅かに覗く目をキラリと光らせた。目を三日月形に細めて破顔する。
「さすがはお妃様、この包帯の良さを一目で見抜くとはお目が高い!」
「えっ!?」
なぜか包帯男は、目をキラキラと輝かせてそんな賛辞を投げかけてくれた。
待ってっ! 何がお目が高いの!?
「これは先日仕入れたばかりの上質な綿で作られた弾力性のある包帯でして、なんと伸縮率がこれまでの倍!」
「そ、そうなの……?」
「大変動きやすく、巻きやすく、どんな動きにも対応する新製品。一目でこの良さを見抜かれるとは思いませんでしたが、さすがは魔王様に選ばれたお妃様! 目利きでいらっしゃる!」
「え、ええ……ありがとう?」
いきなり活き活きと包帯の機能を捲し立てられてしまった。
たじたじとなりつつも、幼い頃から鍛え上げられた条件反射で笑顔を保つ。ちょっと引き攣ってしまうのは見逃してほしい。
でも魔王様も、私が包帯の良さを見抜けるから選んでくださったわけではないと思うのだけど……。
それに、ごめんなさい。
包帯の機能に関しては、全然見抜けていませんでした!
(私はただ、全身包帯姿なのに動いて大丈夫なのかお聞きしようとしただけで……っ)
困惑しつつも必死に笑顔を保つ私の前で、私が理解を示したと思ってくれたのか包帯男は喜色満面だ。包帯越しでも、ものすごく上機嫌なことが伝わってくる。
「ご覧のとおり、どれだけ動いても問題ありません!」
動揺を隠すのが苦しくなってきた私の前で、今度は屈伸運動まで始め出した。
(動いてる! ものすごく動いてる!)
大丈夫なの!? 怪我をしているわけじゃないの!?
とても元気そうでいらっしゃるけど、その包帯姿は一体なんなの!
「それはとてもすごい、と思います」
「そうでしょう!? 蒸れる時期はやはり麻が一番ですが、あれは動きずらくてかないません。もう少し改良してもらえると、私としても御洒落の幅が広がるのですが」
「それはおしゃれなの!?」
あの、まさか。まさかとは思うけど。
その姿は怪我をしているから、というわけではなく。
(ただのおしゃれだったり……する!?)
「ええ、私は御洒落には人一番気をつかっておりまして。どうでしょう? 御洒落ではありませんか……?」
愕然と目を瞠って見てしまったからか、不意に包帯男が心配そうに私を窺った。
「もちろんっ、とても素敵だと思います。動きやすいのが一番ですもの!」
あまりにも不安そうにされたので、咄嗟に勢いよく頷いてしまった。
実のところ私にはちょっと、あまり……その全身包帯の良さは全然わかってあげられそうにないのですけれど。
ですがこれは嘘も方便というものです。
本人が満足しているのなら良いのではないかしら!? たぶん! きっと!
それに、そのうち魔族の間で流行る日が来るかもしれません。もしかしたら流行の最先端なのかもしれません。
ちょっと私には魔族のセンスを理解するのが難しいけれどっ。
(包帯姿がただの御洒落なら、怪我した方はいなかったということだもの。それだけで十分なのです!)
胸を撫で下ろして微笑めば、包帯男も嬉しそうに微笑んでくれる。
「お妃様にご理解いただけて嬉しく思います。折角ですから、ご挨拶の品としてはささやかですが、よろしければこちらをお納めください」
そう言いながら、どこからともなく取り出した包帯を一巻き、私に向かって差し出してくれた。
(わぁ……包帯もらったのなんて、はじめて)
素直に喜ぶにはとても複雑だけど、折角の好意を無碍には出来ない。
なんとか笑顔を取り繕って、差し出された包帯を受け取った。
「ありがとうございます。私では上手に使いこなせる自信はないのですが、有り難くいただきますね」
「きっとよくお似合いになりますよ」
朗らかな笑顔で言われたけど、包帯が似合うのはあまり喜ばしいことではないです……。
*
包帯を持ち帰った私を見て、魔王様が「怪我をしたのか?」と顔を強張らせたけれど、違います。
「いただきものです。包帯を巻くのがおしゃれだという方がお裾分けしてくださいました」
「御洒落……ミイラ男か。奴らはそういう種族だからな」
魔王様は思ったよりもあっさりと納得された。
ひとりじゃないの!? あんな方がいっぱいいるの!?
考えるとちょっと怖いので、考えるのはやめましょう。私の美的感覚が崩壊しそうです。
「魔界にはいろんなおしゃれがあるのですね……」
ちょっと遠い目になってしまう。私、一部の魔族の方のセンスにはついていけないかもしれません。ごめんなさい。
諦め混じりに小さく息を吐いて、ふと魔王様を見つめる。
(魔王様も、いつも黒い衣裳ばかりだけど)
いかにも魔王という感じの、ゆったりとした黒いローブに身を包まれていることが多い。
あまり装飾は好まれないのか、手と手首にいくつか魔道具である指輪や腕輪が嵌められているぐらいで、服装そのものは華美ではない。
けれど魔王様そのものが素敵だから、服装が地味でも問題はない。むしろシンプルな方が、魔王様のかっこよさが引き立って私は好きです。
「どうした?」
私の視線に気づいて、魔王様が眼差しをこちらに向けてくれる。
「魔王様がおしゃれでなくてよかったです」
もし魔族特有のおしゃれセンスの持ち主だったら、毎日困惑させられていたかもしれない。いっそおしゃれに興味がないなら安心というものです。
笑顔で素直に告げれば、なぜか魔王様が絶句した。
「私は御洒落ではない、か」
「はい」
「…………そうか」
魔王様はなぜか少し複雑そうな顰め顔をして、そう呟かれたのだった。
――この日以降、魔王様が長い髪をゆるく三つ編みにされるようになったのだけど、髪を結ぶ飾り紐を私に選ばせるようになった。
結構な数があって、どれも魔王様の黒髪に似合う綺麗な色だったので毎朝選ぶのが楽しみになりだした頃。
魔王様の側近が、こっそりと私に耳打ちしてくれた。
「お妃さまに御洒落ではないと言われたことを、かなり気にされていたようです」
えっ。待ってっ。違うのです!
私は魔王様が無精者だと言いたかったわけではないのですっ!
その日、私は慌てて「魔王様はそのままで十分素敵です」と耳元で囁いたのだった。
その時の魔王様の反応は、とてもじゃないですけど思い返すと恥ずかしすぎるので、思い返せません。