魔王様は逞しい女性がお好き?
このところ、ずっと悩んでいることがある。
魔族と仲良くなろう大作戦をずっと推し進めてきた。
けれど、どうしても距離を詰めることが出来ない、という現象に悩まされている。
(みんな足が速すぎると思うの!)
物理的に、近づけない。
私が怯えて近づかないわけではなくて、近づこうとすると逃げられてしまう。
それに加えて、どうやら私の足はすごく遅い。
必死に走っても追いつけずに、あっという間に撒かれてしまう。
この3日間だけでも、逃した魔族は片手で足りない。
(そろそろ心が折れそうです)
それというのも、指輪をしていると私から魔族には近寄れるけど、魔族からは私に近寄れないということが関係している思われる。
ただ私から魔族に近寄れると言っても、制限がある。
相手が花のようにその場から動かないとか、寝ている隙に近づくとか、そういう機会でもないと近づけない。
みんな私に気づくと全力で逃げるなんて、一体この指輪にはどんな呪が掛けられているの!?
それともあれだけ逃げられるのは、指輪じゃなくて私が嫌われているの……?
「魔王様。この指輪の魔除けをもう少し弱くしていただけませんか?」
そうではないのだと信じたくて、お休み前に私の部屋に寄られた魔王様にお願いしてみた。
ちなみに、まだ寝室は別々だったりする。
一度勇気を出して「一緒でもいいです」と訴えたところで、魔王様が渋い顔をして「私の理性がもたない」と仰ったので慄いてしまい、保留になっている。
(いっそ魔王様が強引に……なんて考えるのは、私が悪い子なのでしょうか)
頭ではそう考えてはみても、でもいざとなったら硬直しそうな自分も想像できてしまう。
やはり、無理はいけません。
ゆっくりでいいと仰っていただいているのだから、とりあえずまだもうちょっとだけ、魔王様にドキドキすることに慣れたいところです!
私がそんなことを考えている間に、魔王様は少々面白くなさそうに眉を顰めた。
「弱めたら色々な輩が近寄ってくるだろう」
「仲良くしていただけるというのなら、頑張れますけれど」
そんなに過保護にしていただくなくても、大丈夫だと思うのです。
挨拶代わりに吠えられたり、頭から齧られそうになったり、生き血をくださいと言われるのは困りますけど。
「他の奴らと仲良くする前に、私との仲を深めてほしいものだが?」
唇を尖らせれば、不意に魔王様に至近距離から顔を覗き込まれた。
驚く間もなく唇に柔らかい感触が触れて、それだけで心拍数が一気に跳ね上がる。
「……っ」
咄嗟にぎゅっと目を閉じたものの、すぐに離されない唇に慄いてうっすらと目を開けた。
至近距離で向けられる眼差しの甘さを見てしまい、一気に顔が熱くなる。
「んっ……んん!?」
すると唇に塗れた熱い感触が触れたのを感じて、全身に緊張が走った。一瞬で全身を巡る血が温度を上げる。
(い、いまっ。唇、舐め……っ!?)
動揺のあまり大きく目を瞠れば、やっと唇が離された。
真ん丸く見開いた目で魔王様を見ると、魔王様は満足気に笑った。
「これはこれで初々しくて可愛いが」
そういうことを言われると恥ずかしさが倍増する。
ドクンドクンと、いつもよりもずっと駆け足している心音がうるさい。
魔王様にも聞えてしまうのではないかと、気が気じゃなくて指先まで羞恥に震える。
不意打ちでこういうことをされることが増えたせいで、近頃、私の心臓は過剰労働気味です!
「私としては魔除けを弱めたくないが、相手にする者がいないのでは退屈なのも確かか。自動人形相手では面白くないだろうしな」
そう言いながら、まだ緊張の引かない私の左手を魔王様が掬い上げた。
僅かに身を屈ませ、薬指に嵌っている指輪に軽く口づける。
「!」
一瞬、銀の指輪が熱くなったように感じた。
けれどすぐに熱は引いていく。でも唇が離された後の指輪は、いつもと見た目は変わらない。
「今ので何か変わったのですか?」
「これでエステルが『待て』と言えば、相手はその場に止まるようにしておいた」
「犬の躾ではないのですよ!?」
私が望んだのは、そういう感じではないのですけれど!
普通にお話しさせていただきたいのですけれど!
「犬か……そうだな。またこの間のようにおかしな者を捕まえても困るから、犬もやろう」
言いながら魔王様が自分の髪を1本引き抜いた。
長い爪の先で人差し指の腹を引っ掻き、そこから流れた赤い血を長い黒髪に伝わせる。
「魔王様、血が……!」
慌ててその手を握れば、あっという間に傷は消えていく。
(傷が失くなってしまった!?)
魔族は人よりも怪我の治りがはやいとは聞いていた。けれど、こんなに一瞬で傷が塞がってしまうなんて。
驚きに目を瞠り、まじまじと指を見つめていれば、魔王様が苦笑しながらやんわりと私の手を離した。
「人と違って、私の怪我はすぐ治る。おまえから見れば気持ち悪いだろう」
そんなことを言いながら、魔王様は私との間に見えない線を引こうとする。
「私はそんなつもりで見ていたわけではありません!」
咄嗟に魔王様の手をもう一度強く握って引き留めた。
驚いた顔で私を見る魔王様を睨むような強さで見上げて、きっぱりと言い切る。
確かに傷が消えたことには驚いたけれど、でも。
(それ以上に、安心したの)
「怪我が早く治るなんて、良いことではありませんかっ。それに魔王様は、もしかしたら人間と争われて、怪我をされることもあるかもしれないから……はやく治るのなら、私は安心です!」
私は貴方の、妃だから。
妃らしいことは、まだちゃんと出来ていないけど。でも大事なのは、他でもない貴方なの。
魔王様が私を大事にしてくださるように、私も魔王様を大事にしたい。
魔族が人間と違うのは当たり前で、人と違うからって、比べて傷ついてほしくない。
それに人間だって、たとえば足が速いとか遅いとか、頭が良いとか悪いとか、そういう差がある。
「私から見れば魔王様は、ちょっと……どころではないですけど、怪我の治りがとってもはやい! ただそれだけです!」
それに私だって、人間の中でもきっと足はすごく遅いし、頭だって多分あまりよくない。
魔王様の妃なのに、未だに恥ずかしさと不安と緊張で、全然妃らしいことも出来ていない。
傷の治りがはやくて力も強いという魔王様と比べたら、悪い方にばかり偏っている。
それでも魔王様は、そんな私を駄目だとは言わない。
それが私だと認めてくださる。
(私も魔王様に、そうありたいの)
それが魔王様なのだと、認めて、受け入れていきたい。
だってせっかく結婚したのだから、仲良く暮らしていきたいもの。歩み寄りって、大事だと思うのです。
ただ時々、ほんの時々、ちょっとそれはいけません!と思うところもあるけれどっ。
そういう時は、さすがに止めさせていただきますけど!
「でも出来ればあまり怪我はしないでくださいね。魔王様が痛い思いをするのは嫌です」
しかしながら、まじまじと私を見下ろす魔王様の視線に居た堪れなくなってきた。どんどん語尾が小さくなっていく。
(生意気だったかしら)
恐る恐る上目遣いに伺えば、魔王様は愛おしそうに目を細めて笑った。
「案外エステルは逞しいな」
「たくましいっ?」
けれど予想もしなかった言葉に慄いて、思わず復唱してしまった。
だって、逞しいって!
(なんということでしょうっ。全然女性らしくない賞賛をいただいてしまった! いえっこれは賞賛なの!?)
でも魔王様は、逞しいと評した私を見て嬉しそう。
もしかして魔王様は、逞しい女性がお好きなの?
ならば私はもっと筋肉ムキムキになる方がいいのでしょうか……努力を、しなければ……。
「ずっとそのままでいてくれ」
「……このままで、いいのですか?」
「ああ。そのままがいい」
優しく微笑まれて抱き締められたことで、私もほっと胸を撫で下ろして安堵の笑みを浮かべた。
よかった。オーガに弟子入りさせていただかなければならないかと思いました。
そしてそのまま魔王様の背に回した手で、力いっぱい縋りつく。
「ところで魔王様っ。私の足にまとわりついている、これはなんなのでしょうか!?」
気づけば、私の足元に黒いもこもこした毛玉がいるのですけれど!