魔界で献血活動に勤しむ
晴れて魔王様との誤解も解けて、改めて魔王様との妃としてやっていくべく、心意気を新たにしまして。
今日も今日とて、魔界に慣れるべく城内探索へと出かけます!
(毎日こんな風に遊んでいていいのかしら)
いえ、けっして遊んでいるわけではないのだけれど。
これは私なりに、魔族の皆さんと寄り添い合えるよう努力しているつもりなのだけど。
それでも今のところ、この行動が功を成している気配はない。
(魔王様は、私の仕事は魔王様に愛されることだから気にすることはないと仰られるけれど)
そう言われた時のことを思い出して、顔が熱を帯びて赤くなる。
(でも、まだ全然、キ……スまでしか、すすめていないのだけどっ)
どうしても恥ずかしくて、いざとなると緊張して石みたいになってしまう。
魔王様はといえば、そんな私に向かって呆れることもなく「ゆっくり恋をするのもいい」と笑って仰られた。
大人の余裕というものなのでしょうか。それともやっぱり私を子ども扱いしているのでしょうか。
でも大事にしていただいているのは、わかります。
(私は魔王様のそういうところが、とても……好き、だと思うの)
そこまで考えて、一気に顔が耳まで熱くなるのを感じた。
いま熱を測ったら、百度ぐらいになっているんじゃないかとすら思えてくる。
これはいけない。
城の廊下の真ん中で一人真っ赤になって照れている私は、傍から見たらとても不審に思われてしまう!
(ただでさえ、誰も近づいてきてくれないのに)
気を取り直して再び城内を歩き出しながら、チラリと自分の左手の薬指に嵌っている指輪に視線を落とした。
魔王様にいただいたこの銀の指輪、実は魔除けが施してあるとのこと。
私から魔族に近寄っていく分には問題ないものの、魔族からは私には近寄れないような呪が掛けられているらしい。
(どうりで皆、私を見るなり目を逸らしたり、あからさまに避けたりするはずだわ)
てっきり私が人間だから嫌われているのかと思っていたけれど、どうやら原因はこの指輪。
(こういうことは、事前に言っておいていただきたいものです!)
先日、私が中庭で怪鳥に襲われたのも、指輪を外していたのが悪かったよう。
指輪を付けてさえいれば、怪鳥も問題なく避けられたと教えてもらった時は渋い顔になってしまった。
どうりであっさり魔王様が中庭散策の許可を出されたわけです。
思えばあの日は狼男に吠えられることから始まり、雪男とも会話を交わし、花にもアピールされた。
指輪の有無で、あそこまで対応に差が出てしまうものらしい。
だからあの日、私が指輪をしていないことに気づいた魔王様には少し叱られてしまった。
そこで私が小さな光物は取られてしまうと聞いたから外していったと言えば、「そんなに小さい物を想像していたのか」と魔王様に驚かれた。
確かに私は、人間の女性の中でも小柄な方だと思うけれど。
でも普通、小さくて光るもの、と言われて自分を連想する人はいません!
あと鳥に気をつけろと言われても、あそこまで大きな鳥を想像する人間もいません!
こういうところが、魔族と人間の常識の違いなのだと感じさせる。
(でも、これからわかり合っていけばいいことです)
しかしわかり合おうにも、私を見ると皆逃げて行ってしまう……。
指輪を外せばいいのだろうけれど、怪鳥に襲われたことがちょっとトラウマになってしまっている。
城の中ならば大丈夫だろうと思うものの、そのせいで指輪を外す勇気が出ない。
(魔王様も指輪を外しているのを見て、良い顔はなさらなかったし)
過保護にも程があると思うけど、大事にしてくださっているのだと思えば、くすぐったくて嬉しい。
それに魔王様から初めて頂いた物だから、出来れば肌身離さず付けていたい。
そんなことを考えながら歩いていると、いつも閉まっている重厚な扉の一つが開いていることに気づいた。
その扉の向こう、てっきり部屋があると思っていたけれど、地下へと続く階段が見えた。
(こんなところに地下があるの?)
気になる。とても気になる。
城の中は好きに散策していいと言われているから、多分入ってもいい。
開いた扉から一歩入れば、ひんやりとした冷気が漂ってきた。
階段には等間隔に灯りがあるけれど、外から光が差し込まないので格段に暗い。一歩下りる度に緊張で心臓が脈打つ速度を上げる。
でも今日はちゃんと指輪もしている。
これがあれば早々危険なことも起こらないと思えば、好奇心の方が勝った。
思ったよりも長い石造りの螺旋階段を下りきると、そこにはまた重厚な鉄の扉があった。重くて開かないかも、と思いながらも手を掛ければ、思ったよりも軽く開く。
ギィイイイイ、という軋んだ音を立てながら開いた扉の向こうも、ほんのりとした蝋燭の灯りが零れてくる。
恐る恐る扉から顔を覗かせてみると、広い部屋の真ん中に大きな黒い箱と思わしきものが一つだけ置いてあった。
(何が入っているのかしら?)
蓋と思わしきものは、開いている。
(ちょっとだけ)
だって、気になるのだもの。
もし危ないものならば魔王様が厳重に管理して、私が入れるようにはしていないはず。
そんな安易な考えの元、足を忍ばせながらゆっくりと箱に近づいていく。
近づくとわかるけど、思った以上に大きい。それこそ、人ひとりが余裕で横たわって入れそうなぐらい……
なんてことを考えながらそっと中を覗き込めば、そこには本当に人が仰向けに横たわっていた。
「っきゃあ!」
驚きすぎて、思わずその場で飛び跳ねてしまった。
人ひとりぐらい入れそう、とは思ったけど、本当に人が入っている!
(こ、ここここれ、棺!?)
ということは、ここは墓地なの!?
(ではこの棺の中で眠っているように見える方は、実は先代の魔王様!?)
そう思い至ると同時に顔から血の気が引いていく。
どうしようっ。
そんな高貴な方のお墓とは知らずに、土足で踏み込んでしまった。これって呪われてしまったりするの!?
「……私の眠りを妨げるのは誰だい?」
「!」
即座に震える足を叱咤して回れ右しようとした。
しかしそれよりはやく、棺から声が聞こえてきて心臓が止まるかと思った。
(遺体が喋った!?)
ということは、まだ生きていたの!?
目を見開く私の前で、棺の中で眠っていた相手がゆっくりと気怠げに体を起こした。
起き上がった相手の姿形は、人間に近い。
髪は真っ白で、顔色は驚くほど青白く、蒼褪めた唇からは僅かに白い牙が覗くことが人とは唯一違う。そして私を見つめる瞳は、赤く輝いていた。
見据えられて、恐怖のあまり腰が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「あ、あの、私……けして、あやしい者ではなくて……っ」
何とか弁解しようと、震えて縮こまりそうな舌を必死に動かす。
あの、本当にっ、貴方を起こすつもりはなかったのです!
「おや? 誰かと思えば、お妃様ではありませんか」
すると彼は私が誰かすぐ理解したらしく目を瞠り、すぐに艶っぽく笑って小首を傾げた。
その態度はさっきまでの不機嫌さなど欠片もない。どころか歓迎ムードすらある。
「私が誰か、知っていらっしゃるのですか……?」
「それは勿論。このようなところまで迷い込まれて、悪いお方だ」
「申し訳ありません。貴方のお部屋だと知らなかったのです」
なぜ紛らわしく棺なんかで眠っていたのかわからないけれど、とりあえず今は素直に謝罪を口にする。
「いいえ。来ていただけて光栄です、お妃様。ここには誰も寄り付かないものですから」
そう言って私を流し見て、少し寂し気に笑う。
「お友達がいないのですか?」
「そうですね……実は私は、吸血鬼と呼ばれる種族なのです。生き血を飲まないと生きていけない体なのです」
「!」
唐突に語られた衝撃の事実に、返す言葉を思いつけずに息を呑んだ。
(そんな……生き血を飲まなければ生きられないだなんて、なんて生き辛そうな方なの!)
生きている状態の方から血を貰わねばならないとなると、周りからは恐怖の対象として捉えられてしまうのかもしれない。
誰だって、自分の血を求められれば怖い。
(でもこの方は、それがなければ生きていけないのだわ)
この方だって、好きでそう生まれついたわけではないでしょうに。
(だから、棺なんかで眠っていらっしゃったの?)
まだ生きているのに自分の棺を作り、その中で眠っている。
それはきっと、生き血を分け与えられなければ生きていけないという、罪の意識を抱いているからに違いない。
(なんて、かわいそう)
安易な同情は失礼かもしれない。
だけど、この方の生き方を見ているだけで涙が出そうになってくる。
そんなに思いつめなくても、誰だって生まれてきた以上は幸せを求めていいと思うのです。
「お妃様。どうか私を哀れと思し召しなら、私に血を与えていただけませんか?」
そう言いながら、私に向かって縋るように手が伸ばされる。
人間よりもずっと力を持っているはずの魔族が、こんな何の力もない人間の私に助けを求めてくるなんて。
(よほど苦しんでらしたのね……っ)
今も私は人間であることに違いはないけど、魔王様の妃でもある。
こんな私でも伸ばされた魔族の手は、出来る限り握り返してあげたい。
「わかりました!」
伸ばされた手を迷うことなく取って、驚くほど冷たい手に熱を分け与えるように強く握り締めた。
まっすぐに見つめ返した私を見て、相手の唇の端が吊り上がる。
その顔がちょっといやらしく見えた気がするけれど、魔族だから嬉しいときの笑顔でもそういう顔になってしまうのでしょう。
私もそろそろ魔族に慣れてきた気がするので、それぐらい理解しています!
「今すぐ貴方が満足できるだけの生き血をお願いしてくるので、待っていてください!」
そう言い切ってから、手を離すと勢いよく立ち上がった。
へたり込んでいる場合ではありません。
初めて、魔王様の妃として頼られたのだから!
「え? いえ、私が求めているのはそういうことではなく、」
「遠慮なさらなくていいのです。でも……ごめんなさい、やっぱりたくさんは無理かもしれません。ですがきっと、なんとかしてまいります!」
「あの、お妃様? 私が貴女に望むのはそういうことではなく……ただちょっとだけ、貴女に、」
「大丈夫ですから、もうしばらく辛抱なさってくださいね」
私に泣き言を言いたいだけだったと言うつもりだったのか、引き攣った顔で一生懸命引き留めようとする。そんな彼を振り切って部屋から飛び出した。
行儀が悪いことは承知の上でドレスの裾を託し上げ、階段を駆け上がる。
あんなに青い顔で、唇も紫に近くて、今にも死んでしまいそう。少しでもはやく助けてあげなければ。
そのために、今の自分に出来ることといえば。
(魔王様にお願いするしかないのだけど)
結局、魔王様頼りにはなってしまうのだけど……。
(血を分けていただけそうな方と言ったら、やはり血の気が多い方かしら)
それもできれば、少しぐらい血を分けても堪えなさそうな屈強な方がいいに違いないわ!
頭の中で目当ての魔族を整理しながら、廊下を駆け抜ける。
目指す先は、魔王様の執務室。
けれどやってきた扉の前で、ノックするのを躊躇った。
魔王様のお仕事を邪魔してしまうのは心苦しい。
せめて、お昼の休憩までここで待つべきかもしれない。でも少しでも早く彼の飢えも取り除いてあげたい。
そわそわと迷っている内に、気配を察したのか内側から扉が開かれた。
「何をしている?」
「! 魔王様」
勝手に開いた扉の向こうには、魔王様とその配下である強面の魔族が数名揃っている。
魔王様と、先日会った狼男に、初めて見る私の倍はありそうな人型の筋肉隆々とした屈強な魔族。
全員の顔が一斉にこちらを向いて、反射的に顔が青ざめた。
どう見ても、私は場違いです!
「ごめんなさい。どうしてもお願いさせていただきたいことがあったのですが……お仕事の邪魔をして申し訳ありません」
「たいした話をしていたわけじゃない」
おいで、と手招かれて恐る恐る部屋へと踏み入る。
「それで、何の用だ?」
問われて、コクリと息を呑む。
お仕事の邪魔をしてしまって申し訳ない気持ちはある。
けれど、ここにいる面子を見たらむしろ好都合な気がしてきた。
「出来れば今すぐ、血の気の多い、屈強な方々に手を貸していただきたいのです!」
「血の気の多い者? それを集めてどうする」
意を決してお願いすれば、魔王様が眉を顰めて怪訝な顔をした。
いけない。気持ちが逸ってうっかり説明を飛ばしてしまった。
「とても血に飢えている方がいらっしゃるのです!」
拳を握りしめて訴えれば、魔王様は何とも言えない複雑そうに顔を顰めた。
「…………まぁ、魔族だからそういうこともあるだろうが」
「ああいう方は珍しくないのですか……。私一人では手に負えないので、皆さんに力を貸していただきたいのです」
「確かにエステルにはその手の相手は無理だろうな……。それで血の気の多い、屈強な者が必要だと?」
「はい!」
魔王様は難しそうな顔をして黙り込んでしまう。
やっぱり魔王様でも難しいことだったのかもしれない。
「皆さんには少し痛い思いもさせてしまうかと思いますし、やはり難しいでしょうか……?」
どうやって生き血を呑むのかわからないけれど、あの牙で噛みつくのだとしたら痛そうではある。
ただ魔族は人よりずっと傷の治りが速いというから、チクッとするだけで済むかもしれない。
一縷の望みを持ってじっと見つめ続ければ、魔王様が小さく息を吐き出した。
「ちなみに、何人ぐらいほしいのだ?」
そういえばどれぐらい必要なのかは聞いてくるのを忘れてしまった。
けれど一人に一口ずつ頂くとして、お腹がいっぱいになるのって相当な人数がいるのではないかと思われる。
「多ければ多いほど、満足されるのではないかと思います」
「……そうか」
魔王様は少し遠い目をしてから、チラリと部屋にいた狼男と隆々とした筋肉を纏った人型の魔族に目を向けた。
「ワーウルフ、今すぐいくらか呼べるか?」
「お妃様がお望みなら」
「オーガ、今日は手勢を城に連れてきていただろう。手を貸してやってくれ」
「ご命令とあらば」
頷いた狼男とオーガと呼ばれた相手に命じると、魔王様も立ち上がる。
「おまえがそこまで言うなら仕方がない。案内してくれ、エステル」
「ありがとうございます!」
なんて心強い!
こんな我儘、急に聞き届けていただくのは難しいと思っていたので心底ほっとした。笑顔が溢れてしまう。
(これであの方が少しでも満たされてくれるなら、無理を言ってお願いした甲斐があります!)
途中で急に呼ばれて集まった血走った目をしている狼男達や、筋肉隆々としたオーガの皆さんとも合流し、大急ぎで吸血鬼の元に戻る。
これだけ集まっていただければ、さぞかし満足していただけることでしょう!
嬉しくて、軽やかな足取りで地下へと続く階段を下りていこうと足を掛ける。
「エステル」
しかしそこまで来たところで、魔王様が私を引き止めて怪訝そうな顔をした。
「まさかと思うが、ここにいるのか?」
「はい。この地下で待っていらっしゃいます。きっと皆さんの姿を見たら、とても喜んでくださると思います!」
「ここには…………いや、いい。わかった」
笑顔で言えば、なぜか魔王様が複雑そうに顔を顰めて額を押さえた。
「おかしいとは思っていたのだが、やっと全部わかった。そういう意味か……っ」
その反応に困惑して周りを見渡せば、なぜか狼男もオーガも、微妙な表情になっていた。
やはり今からガブッと噛みつかれるのかと思うと、誰だって気は重くなるのだろう。たとえ傷がすぐ治ると言っても、痛いものは痛いはず。
「皆さんには無理なお願いをしてしまって、ごめんなさい。集まっていただいて感謝しています」
眉尻を下げて謝罪とお礼を告げれば、なぜか全員が半笑いで首を横に振った。
「私の妃に血を求めるなど、いい度胸だと言いたいところだが……。ある意味、これはこれでいい薬になるだろう」
私の隣で魔王様はひとりごちるようにそう言うと、不意に堪えきれないと言わんばかりに喉を震わせて笑った。
「魔王様?」
「エステル。おまえはここまででいい。吸血鬼の食事風景はあまり見ていて気分がいいものではないからな」
「そうなのですか?」
「案ずることはない。この者たちが責任を持って、血に飢えた奴を満足させてくれるとも。それこそ泣くほどに」
魔王様は心底面白そうに笑いながらそう言うので、きっと大丈夫なのだろう。
吸血鬼も泣くほど喜んでくれるというのなら、私の役目はここまで。
「では、どうぞよろしくお願いします」
「ああ、任された」
このとき颯爽と降りていく魔王様がなぜかちょっと恐ろしく感じたのは、気のせいでしょうか……。
――後日、書庫でたまたま吸血鬼に関する本を読んだ際に、
『吸血鬼の主食:生き血。特に処女の生き血が大好物。』
という記述を見て「え……ええええ!?」となったわけですが、それは後の祭り。