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末永くよろしくどうぞ魔王様!(前)

※短編より再録



 海を隔てた向こう側にある大国の王との婚姻が、翌日に迫っていた。

 今夜使い慣れた自室のベッドで眠って朝が来たら、王女である私、エステルは16年暮らした国を出てその王の正妃として嫁いでいく。

 もう明日には、私はここにいない。帰ってくることもない。


(とても恵まれた婚姻だと、わかっているのに)


 胸の奥がざわめいて眠気は訪れてくれない。

 一つ溜息を吐くと、ベッドから起き上がった。

 寝間着の上にストールを羽織り、少し熱を帯びているように感じる頭を冷やすためにテラスへと出る。

 見上げた空には丸い月が浮かんでいた。空は雲一つない。私達を祝福するかのように、きっと明日は抜けるような青空が広がるのだろう。

 それなのに、私の心は重い。

 婚姻前には不安が湧いてきて心が曇ることがあると乳母が言っていたから、これがそうなのかもしれない。

 なんて言い訳を胸の内でしたものの、すぐにそんな誤魔化しでは通用しないと苦く笑った。


(嫁ぐことが、こんなにも嬉しくないだなんて)


 相手は私より12歳年上とはいえ、まだ28歳。

 王としては即位したばかりで、まだ若い。けれどなよやかなところは一切なく、常に凛と伸ばされた背は頼もしい。

 光を弾いて輝く金髪とエメラルドのような瞳をした王は、女性ならば誰もが視線を奪われてしまうような方だった。

 そのうえ聡明で心根も優しく、王子の頃から民思いの素晴らしい方だと言われている。

 以前にご挨拶にいらした際に一度お話しさせていただいたけれど、優しい声で話す終始穏やかな方だった。

 

『私にはもうひとり最愛の側妃がいるが、とても優しい娘だ。だからなにも心配することはないのだよ。彼女もとても楽しみにしている。ぜひ、姉のように慕ってあげてほしい』


 悪意の全くない笑顔でそう言われさえしなければ、きっと私だって幸せだった。

 そのあまりにも楽観的な考え方に、二人の妻を平等に愛せていると思い込んでいた自分の父王の姿が重なった。


(女性というものを、甘く見過ぎていらっしゃると思うの……っ)


 側妃が、私が来るのを楽しみにしている?

 頼れる姉のように慕ってほしい?


(なぜ、そんなおめでたい考え方が出来るのかしら)


 側妃である彼女が、正妃を迎えることにあからさまに反対できるわけがない。

 王に嫌われないよう、嫌でも笑顔でそう言うしかなかっただろう。

 万が一、もし本心からそう言える女性だったとしたら、それこそ聖女としか言いようがない。

 そんな人が相手だとしたら、まだ16歳の小娘である自分が敵うわけがない。


(しかも既にお子様が二人もいらっしゃるだなんて)


 側妃は身分が低いせいで正妃にはなれなかったものの、既に7歳の王子と4歳の王女の母である。それに彼女は王がどうしてもと望み、彼女も王の熱意に打たれて嫁いだのだと聞いている。

 そんな彼らは今日までずっと、仲睦まじく暮らしてきたのだと噂で聞いた。

 王に寄り添う彼女の姿は慎ましく献身的で、民からの信頼も厚いという。

 この度、彼が王子から王に即位したことで私との縁談話が持ち上がらなければ、もしかしたら二人はそのままの形で暮らしていったのかもしれない。

 それほどまでに、微笑ましい話しか耳に入ってこなかった。


 そんな場所に単身嫁ぐ私は、どう見ても悪役。


 仲睦まじい二人の間に割って入り、平穏を掻き回す悪女としか思われないだろう。

 それも場合によっては王位争いすら引き起こしかねない、火種のようなもの。

 どう考えても、歓迎されるとは思えなかった。

 王は優しい方だから、私がないがしろにされることはないだろう。

 それにもしかしたら、王が私を選んでくださる日が来るかもしれない。


(でもそれは彼女たちの幸せを踏み躙った上で、成り立つのでしょう?)


 たとえば王のことが、どうしても好きならば仕方ない。

 誰を蹴落としてでも振り向いてほしい程に好きで好きで、諦められないのならば、そういう手段も仕方なかったかもしれない。

 けれど王に対して、恋愛感情はない。

 王としては素晴らしい方なのだろうとは思うけれど、そんなことをしてまで手に入れたいと思える熱は全くない。

 それに王が彼女を愛しているのは、一目でわかった。

 彼女のことを語る際の眼差しはあたたかく、優しく、声には甘さが感じられた。

 それほどまでに既に心に決めている方がいる相手に恋をするなど、不毛でしかない。

 自分以外の誰かを一番に愛している人を一途に愛せるほど、私の心は広くもなかった。

 けれど勝手な話だけど、嫁げば自分が振り向いてもらえないことに、自尊心は傷つくのだろう。

 王は彼女が良いというだけで、私だから駄目というわけじゃないと理解していても、自分が女性として認められないことに傷ついていく。

 きっとたくさん嫉妬して、認められないことに絶望する。

 そんな未来が、手に取るように見える。

 ……昔、自分の母がそうだったように。


(王が私を選んでくれる可能性も、ないわけではないけれど)


 しかし心から愛していた女性をないがしろにして、新しく現れた私を選ぶ男など、その時点で論外。

 自分から側妃を求めておきながら簡単に心変わりするようなら、私は王を軽蔑する。

 もし私も彼女も同じぐらい愛している、などと言って同列に扱うならば、それも当然論外。

 それは彼女と私の妥協と忍耐の上に成り立っていると理解できない時点で、本当に愛しているとは言えない。


(王族同士の婚姻など、政略結婚でしかないことぐらいはわかっているの)


 でも報われない私の傍らで、王と側妃は幸せな恋愛の末の結婚をしている。

 ずっとそれを見せつけられるの?

 場合によっては、その幸せを壊す厄病者扱いされたりするの?

 私は自分で望んで嫁ぐわけでもないのに、そんなのってあんまりではない? 


(……それでも、私は幸せな方だわ)


 今にも泣き叫びたい衝動を唇を噛み締めて堪え、そう自分に言い聞かせる。

 用意されているのは、優しく聡明な王の正妃の座。約束された何不自由ない生活。

 自分だけを愛されることさえ望まなければ、きっと誰もが羨む恵まれた立場。


(別に羨まれることなんて望んでない! 私を、私だけをちゃんと好きになってくれる人の元にいきたかっただけ)


 父王と正妃である自分の母、そして愛されていた側妃の姿を見てきて、こんなにも愛情と憎悪が混じり合った結婚なんて絶対に嫌だと思っていた。

 それなのに、私は母と同じ道を辿りそうになっている。


(私だから愛してくれて、そして私もその人を好きになって……そう夢を見るのは、そんなに悪いこと?)


 こんな考え、甘いのだとわかっている。

 だけどせめて今ぐらい、こんなの嫌だって、密かに涙を零すことぐらい許してもらってもいいでしょう?


(だってどう考えても幸せになんてなれないじゃない!)


 ぐっと唇を噛み締めて、嗚咽が零れそうになるのを必死に堪える。

 勝ち目なんてない。長い年月をかけて愛情を培ってきた人たちの間に、今更割って入れるわけがない。

 それに、誰かの幸せを壊したいわけじゃない。


(でも、私だって幸せになりたかった……っ)


 私が一番だって、そう言われることはないんだって最初からわかってしまうのは、悲しくて堪らない。

 それでも浮かびそうになる涙を、目頭に力を入れて耐えてしまう。

 だってわかっているの。

 こんなのわがままだって、ちゃんとわかっているの。

 私は王女。両国親善の楔となるための道具。そのためにだけ大切に育てられてきた。民の税で生きてきた。自分の役割は理解している。

 だけど私の異母姉妹達は、好きな相手と婚約している。

 私と違って生まれ育ったこの国から出ることもなく、守られて生きていく。

 自分とは違う待遇に、どうしたって胸の奥が軋んで苦しい。

 このまま全部投げ捨てて、逃げ出せてしまえたら……そんな妄想が脳裏を過る。

 けれどそんなことが許されるわけもない。手段もなければ、勇気だってない。

 これはほんの一時だけの感傷。明日になれば、私はきっと朗らかな笑顔の仮面を被って足を踏み出すのだ。

 それでも今だけ、弱音が口から零れ落ちていく。


「……いっそ誰か、さらってくださればいいのに」


 涙に滲む声で呟いて、すぐに馬鹿みたい、と首を横に振った。

 掌で目尻に浮かんだ滴を拭ってから、顔を上げる。


(馬鹿なことを言っていないで、おとなしく部屋に戻って休まなきゃ。明日は早いのだから)


 諦めて踵を返した、その瞬間。

 誰かに、強く腕を引かれた。


「!」


 驚いて目を瞠り、しかし振り返るよりはやく唇を大きな手で塞がれた。悲鳴を上げる間もない。

 その手を外そうと口を覆う手に咄嗟に爪を立てても、ビクリともしなかった。

 それどころか、そちらにかまけている間に腰に腕を回される。ぐっと力が入り、体が浮く。


(いや!)


 攫うつもりなのだと、そうわかった。

 攫ってほしいと、一瞬でもそう望んだのは私自身。

 けれどいざ本当にその立場になると、全身が恐怖で強張って動けない。

 逃げなければ、と頭の片隅では冷静に思うのに体が言うことを聞かない。叫ぶことも許されず、ゆらりと足元が揺らぐ。

 それと同時に、視界が急速に真っ暗な闇に包まれた。


(なっ……に、なんなのこれは!?)


 夜だから暗い、そういう次元の話じゃない。

 闇だ。真っ暗で、何も見えない。

 目隠しをされているわけでもないのに、視界が闇一色に染まる。

 焦燥と恐怖で、心臓が胸を突き破りそうなほどドクドクと強く早鐘を打ち出した。体がカタカタと震える。

 真っ暗で、不安で、怖くて怖くて堪らない。


「んぅっ、んん!」


 塞がれた口からくぐもった悲鳴を上げ、必死に身を捩る。


「おとなしくしてくれ。万が一ここではぐれたら、私でも探し出すのに苦労する」


 すると、すぐ背後から低い声が掛けられた。

 ぞわりと全身が粟立つような、けれど耳に心地いい低音。

 聞いたことのない声だった。それが、私を攫う相手の声だとすぐに気づく。

 彼の言うことを鵜呑みにするのならば、何とかこの手から逃れればすぐには見つからない、ということだ。

 けれどこんな場所で放り出されても、右も左もわからない。

 たぶん、というかここはどう考えても人ならざる力で繋がれた空間。どこかとどこかを繋ぐ、その合間。

 ただの人では、決して入れない場所――。

 そして、そんなことをできるのは。


(魔族!)


 自分を攫った相手が何者なのか思い至ると、背筋に戦慄が走り抜けた。顔から一気に血の気が引いていく。


(なぜ。どうして魔族が、私を?)


 混乱している間にも、風を受けているわけでもないのに体が落下していくような感覚に襲われる。

 こんな感覚は今までに一度も味わったことがない。

 忠告されたように、ここで離される方が自分の身が危ないということはさすがに理解できた。

 こんな状態なのに頼りに思えるのが、自分の口を覆う手と腰に回された腕だなんて、なんという皮肉。

 その時間が数刻だったのか、実際には数秒だったのか。


「……っ」


 不意に、視界に色が戻ってきた。

 眩しく感じて咄嗟に目を綴じる。ゆっくりと瞼を持ち上げ、何度か目を瞬かせれば、そこまで明るいわけじゃないとわかった。


(ここは、どこなの)


 視界に映るのは、自分が今まで暮らしていた城にもあった謁見の間のような高い天井の広い空間。

 蝋燭の灯りが揺れる中、周りより数段高い位置に無人の玉座と思われる椅子が一つある。

 そのすぐ脇に、自分達は唐突に現れていた。


「――おかえりなさいませ、王よ」


 動揺と混乱に襲われる中、急にそんな声が聞こえてきてビクリと体が震えた。

 反射的に声の方に視線を向ければ、黒髪の青年が深く首を垂れているのが映る。


「無事に花嫁をお連れ出来たようで、なによりでございます」


 黒い髪は、魔族の証。

 そしてその魔族が、私を攫ってきた彼を「王」と呼んだ。


(王ということは……どういうことなの?)


 耳に飛び込んでくる言葉がすぐには理解できない。

 単語の意味は勿論わかる。けれど、今ここで聞く言葉とは思えなくて頭が理解するのを拒否している。

 だって魔族が王と呼ぶ相手なんて、それは即ち。


(魔王、ということになるのではないの!?)


 思い至ると同時に、胸を突き破りそうなほど脈打ち続ける心臓と反比例して、息が止まる。


「しかしながら花嫁が今にも倒れそうな顔色をしていらっしゃいますよ。離してさしあげたらいかがですか?」

「逃げられたら面倒だ」

「ここまで来て逃げられはしないでしょう。一体この魔界の、どこに逃げ場所があるというのです」


 青年は赤い目を細め、柔らかい口調で、けれど残酷な現実を告げた。

 魔界という言葉に、ゾッと体が竦み上がった。実際、改めて肌に感じる温度がさきほどよりずっと低いように感じられて背筋が凍りつく。


(うそでしょう? ここが魔界なの?)


 魔族がいて、魔王がいて、それならばここは魔界であるのも当然と言える。

 信じられないことが自分の身に起こっているのだと知って、恐怖で体の震えが止まらない。

 緊張と焦燥で喉が乾いて、けれど喉を嚥下させる動作ひとつ怖くて出来ない。


「おまえが話す度に、花嫁が怯える。少し下がっていろ」

「そもそもなぜ逃げられる前提でいらしたり、怯えられていたりするのでしょうか。もしや、何のご説明もなく連れてこられたのですか?」

「戻ってきてからすればいいと思っただけだ」

「王よ。それは、誘拐……」

「いいから下がれ」


 私を捕まえている相手が苛立たしげに言えば、青年は首を垂れて靄のように姿を消した。

 人間ではありえないことを目の当たりにして、喉の奥で悲鳴が引き攣る。


 ――この世界には、魔族が存在している。


 けれど昨今では魔族なんて一生に一度出会うかどうか、と言われるほど稀有な存在である。

 魔獣はもっと高確率で出会うこともあるけれど、それでも今までの人生でお目にかかったことは幼い頃に1度だけ。


(そんな相手が、どうして私を攫ったの)


 頭の中にはそんな疑問が浮かんだものの、どうして、なんて考えるまでもなかった。

 古来から、魔王が姫を攫うのは様式美にすらなっているのではないかと思えるほど、幾度となく続けられてきたことだ。

 そして攫われた姫は、勇者によって助けられる――なんてことは、ほとんどない。

 無事助けられるのなんて、お伽話の中だけだ。


「一応離すが、騒がないでもらえると有り難い。手荒な真似をして悪かった」


 そう告げて、やっと口と腰から手を離された。

 恐怖で立っているだけの力もなく、そのままその場にへたり込んだ。逃げるだとか、悲鳴を上げるだとか、そんな力もない。

 恐る恐る顔を上げて、自分を攫ってきた魔王を見上げた。


「あなたは、魔王、なのですか」




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