8.戦う理由
アリスはまったく、出会った直後とは完全に別人になっている。笑顔でいてくれる分には文句はないが。
促されるまま外へ出る。柵内は平穏なものだが、一歩そこを抜ければスライムの海だ。
「武器か何かはないのか?」
「今のツヅルさんでは剣や槍などを扱うのは難しいでしょう。そうだ、ちょうどいいものが」
そう言って彼女が持ち出して来たのは、こん棒であった。確かに素人でも扱える武器ではある。
「この辺りのスライムは打撃無効なんて厄介な特徴もないので、思い切り振り下ろしちゃってくださいね」
「……分かったよ」
ダメージを受ければ、即座にアリスが回復してくれるのだろう。そう信じるしかない。
柵の前に立つが、スライムたちは外でツヅルを待ち構え、威嚇するように飛び跳ねている。これでは迂闊に開けない。
たじろいでいると、
「仕方ないですね」
見兼ねたか、アリスが溜め息交じりに苦笑いして、軽やかに柵を飛び越えた。そしていきり立つスライムの群れの中に降りる。
すると、スライムたちの標的はアリスに移ったようで、一挙に体当たりによる攻撃を開始した。が、アリスにダメージはない。微動だにしていない。それどころか余裕の表情でツヅルに目配せしてきた。
「そういうことか」
要は、ターゲット管理をしてくれた訳だ。
その隙にツヅルは柵を抜け、背を向けている直近のスライム目掛けこん棒を振り下ろした。不意打ち上等である。もしこれがゲームであれば、会心の一撃、と表記されていただろう。
だが、スライムは倒れず振り返り、激怒したように水色の体をプルプルと震わせた。
「ええい!」
ならばともう一度振りかぶり、また直撃させた。すると今度は仕留めたようで、スライムはドロドロと溶け地中に消えていった。
「その調子ですよー」
スライムの攻撃を受けながら、アリスはガッツポーズを取ってツヅルを甘やかす。
すかさず次のスライムがツヅル目掛けて飛び掛かった。ツヅルも無我夢中で迎え撃った。一振り目で叩き落とし、二振り目で止めを刺す。どうやら今のツヅルの力では、最低でも二回の攻撃を要するらしい。
後はそれを繰り返して、三十分ほどが経過した。普段運動もしていないツヅルだ、息も切れ、四肢も重くなっている。
「い、いつまでやる!」
「ん~。ひとまずは、昼食の時間までですかね」
「それは具体的には!」
「ではあと二時間」
「二時間……」
絶望的な数字だ。
心が折れそうなところで、
「ぐっ!?」
スライムの攻撃がツヅルの顔面を的確に捉えた。油断した瞬間を狙われた。怯んではいられず、仕返しとばかりにスライムを叩いた。
もたもたとした動作が仇となり、次々にスライムがツヅルを強襲し始める。
「くそ! こいつらぁ!」
これでは処理しきれない。四方から体当たりを受け、ダメージが蓄積していく。ジリ貧だ。
「ア、アリス!」
腕を伸ばし、必死に助けを求めた。
「はい」
彼女は何故か嬉しそうに胸の前で指を絡め、
「ヒール」
唱えると、ツヅルの身を神聖な光が覆った。
癒しの魔法だ。体中の痛みが引いていくのは、何とも言えない不思議な感覚である。
「バ、バフもくれ!」
プリースト系ならステータス上昇系の魔法を多少扱えるはずだし、もちろん、アリスは使える。
しかし、
「それはダメです」
やんわりと拒否される。
「ズルはダメですよツヅルさん。これはあなた方の罪に対する罰ですから」
「袋叩きにされるのが償いかよ!」
「かもですね~。あ、ヒール」
片手間でヒールを受けながら、スライムたちと一進一退の攻防を繰り広げる。ボクシングでもこんな乱打戦は滅多に拝めない。叩いては叩かれ、回復され、また叩く。まるで戦闘マシーンだ。
疲労もピークに達しようとした頃、
「はい、休憩~!」
アリスが高らかに宣言した。
そうは言われても、スライムは待ってくれないだろうに。気が抜けそうになるのを辛うじて堪えた。しかし、追撃はなかった。おかしなことだ。スライムたちはすっかり落ち着いて、身を引いていくではないか。
「お昼にしましょう」
ふわりとツヅルの横を通り、彼女は家の中に戻っていく。
汗を拭い、スライムの数がちっとも減っていないことに愕然としつつ、覚束ない足取りで彼女の後を追った。
「はぁ」
椅子に腰かけると、
「はい、頑張りましたね」
アリスが冷水を出してくれた。一気に煽り、火照った体を沈めていく。五臓六腑に染み渡る美味さである。
「分からないな。あのスライムたちの思考回路が」
「そんなの、単純明快ですよ」
「というと?」
「終わりが欲しい」
終わり、か。
ツヅルは頬杖をついて考えた。
スライムというモンスターが何のために書かれるのか。それはもう、倒されるためだ。
「やつらは、倒されたいのか」
「そう、ですね。スライムの目線で考えれば、そうなるでしょう。例えば主人公とスライムが相対したとして、次のページでは勝者と敗者に分かれていたはずです。スライムは倒されることを暗に予期していたかもしれませんね。でも結果は、エターナるでした」
「……すまない」
「彼らモンスターに終わりがあるとすれば、それは多くの場合人間たちに倒されることだったでしょう。もしもこの世界でモンスターがそれを望むのなら」
「それをする責任が、俺にはあるか」
話を聞く限り、
(終わりを欲しがっているのは、どうやらモンスターだけじゃないな)
とも思った。
とにかく、その本来あるべきはずの未来へ導いてやること、それこそがエタらせ続けてきたツヅルの背負う責任という訳だ。スライムたちが戦闘の末の敗北を望むのなら、ツヅルはその身を摩耗させてでも戦わなくてはいけない。
少しずつではあるが、この世界のことが紐解けてきた気がする。
要は、エタられて困っているキャラクターたちを救え、というだけのことだ。
(しかしそれは、いよいよ途方もない……)
寿命までに元の世界へ帰れるのか、怪しくなってきた。
だが、おそらく、誰かがやらなくてはいけない。エタられたキャラクターたちが作者を憎んでいるのは明白。放っておけば、元の世界に危害が及ばないとも限らなかった。ツヅルが実際に襲撃を受けているのだから。
いずれにせよ、この異世界でやることをやらなければ、元の世界に帰ることも適わないのだろう。
責任は、かなり重大だった。
スッと深く呼吸し、頭の中を整理してから、アリスの顔を見た。
(アリスも、エタらせた俺を憎んでるんだよな)
思っても、口には出せない。つくづく彼女の優しさに甘えている。その代りに、伝えるべき言葉を見つけた。
「まぁ、なんだ」
「はい?」
「今さらだが、俺は昨日から何度もアリスに助けられてきた」
「そうですね」
「その、礼を言うよ」
「……」
面と向かって礼を言うのは、なんとなく照れ臭かった。だが、彼女に救われ続けているのは事実だし、礼の一つも言っていないことが不自然に思えた。
アリスは少しだけ黙って、俯いて、思い詰めたような顔をした。
「多分、私は、お礼を言われるようなことはしてません」
しかし、すぐに顔を上げ、無理やりな笑顔を繕う。
「あるいはあなたは、死んでしまった方が楽だったかもしれませんね。それほどまでに、これから先、幾度となく苦しみ、そして、私を恨む」
そんなことは。
「だから私は、お礼を言われるようなことはしていないし、そもそも相応しくないんです」
反論の余地を与えず、アリスはくるりと身を翻し、キッチンへと向かった。
その笑顔は、泣き顔よりもはるかに、ツヅルの胸に深く突き刺さった。
きっとまだツヅルは、この世界の千分の一のことも知らない。
(スライムが待ってるな……)
今はできることを少しずつこなしていこうと思った。
次回更新は2/7です!