表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

諜報員の青年の話

ブックマークありがとうございます

 彼女の瞳から、毒がこぼれ落ちる。止めようとしているのか、彼女は目元を手で抑える。けれど毒は止まらない。私は何かに押されるようにして、その毒を手で掬った。

 毒が身体を巡る。それがとても気持ちよかった。舌触りの良い毒は次々と私の中に入り、血肉となる。ああ、ダメだ、と思うも、もう止められない。私という生き物の中にある、どこか大事なものが、毒によってぐずぐずと錆びてゆく。それは理性なのかもしれない。感情なのかもしれない。それすらも分からないまま、私は壊れていく。


「………何で泣くのですか」


 彼女に問いかける。彼女は笑った。以前とは違う、影のない笑み。


「だって、嬉しいんだもの」


 彼女は笑う。とてもとても楽しそうに笑う。まるで子供のように笑う。

 ああ、そうか。彼女は子供なのだ。妖艶で頭の足りない悪役令嬢(身体)と、子供だけど賢い彼女()。その差異が毒を生み出したのだ。二つの違いが、彼女を壊れたものに見せた。

 実際は、彼女自身も歪んでいる。自ら進んで泥を被るなど、正気の沙汰ではない。しかもそれが世界の為だなんて、彼女は気が触れている。

 けれど、歪んでいるだけで壊れてはいない。歪んでいるのは元に戻るが、壊れているのは直らない。けれど彼女は影のない笑み(・・・・・・)を浮かべた。それが、彼女自身が壊れてなかったことを証明する。


「私は、悪役令嬢だから。悪役令嬢を演じる私じゃなくて、私自身に話しかけられたことはないから」


 そんなことはない、と思う。彼女の兄だって、彼女本人を見ていた。悪役令嬢を見ていたのなら、あんなに本心から心配するような顔をしない。

 そう伝えようにも、私たちには本当の彼女と悪役令嬢の違いが分からない。そんな人物から言葉をもらったって、彼女は信じないだろう。


「看守さん、ありがとう」


 そう笑う彼女を見て、欲望がむくりと起き上がる。彼女は今、私しか信じない。私しか信じれない。つまり、彼女の唯一は私だ。彼女にとって私しかいない。脳髄が甘く痺れる。甘美な水物(みずもの)が、喉を滑り落ちる。

 ああ、こんなのはダメだ。そう思っても、もう止めるものはない。ストッパーは既に毒によって壊された。私はもう進むしかない。


「──どういたしまして」


 私は笑う。愚かな自分を嗤う。こんなの私らしくない。そう思うのに、自分をコントロールできない。ただ、欲望に従って進むしかない。

 彼女は私に対して笑った。何も知らない、あどけない笑み。甘い、甘い液体が体に染み渡っていく。けれどそれは毒を薄めることはなく、むしろその効果を強めた。ポロポロと、何かが崩れ落ちていき、見ないようにしていた私自身が現れていく。


「……看守さん、どうする?私を連れ出す?」


 彼女は不安げに私を見つめる。そこにいるのは、一人の少女だった。無毒な、整った顔立ちの少女だ。加虐心が湧き上がる。いつもならそれを抑える蓋は、彼女自身の毒によって壊れた。私はただ心の赴くまま、行動する。

 灯火を床に置き、腰に下げた鍵束から一本の鍵を選び取り、彼女の独房の鍵を開ける。彼女は呆然としていた。こんなに簡単に開けるとは思わなかったのだろう。

 ずっと座り込んでいる彼女に苛立ち、彼女の手首を掴んで牢屋から出す。


「じゃあ行きましょうか」


「………え?」


 彼女はぽかん、と口を開けて驚いている。そんなに意外だったのか、と考えるも、答えは出ない。

 とりあえず彼女の腕を引く。


「………なん、で」


「簡単なことですよ。私がもう、貴女なしでは生きられないから」


 彼女の毒は強力だ。もう彼女()がないと、発狂しそうになる。今の彼女からは毒は作られないものの、代わりに甘露が溢れ出ている。それは体内に残った毒を濃くし、私は壊れずに済む。

 私が笑うと、彼女は肩を震わせた。そして何故か下を向く。

 彼女の行動一つ一つが、甘い露を生み出す。甘くて、中毒性があるものの、毒ではない甘露。私は思わず彼女の手の甲に、唇を落とした。

 甘くない。彼女から溢れる水物は幻想だと分かっていたものの、現実かもしれない、と淡い期待を抱いていたが、やはり夢幻だった。

 眉を寄せて彼女を見上げると、彼女は林檎のように赤くなっていた。甘い。思わず頬を舐めた。


「ひゃっ」


 彼女が声を上げる。さらに赤くなった。私が再び顔を寄せると、彼女が腕を伸ばす。


「な、何やってるんですか!」


「………甘そうだったので」


 私がそう答えると、彼女はそっぽを向いた。おかしなことをしている自覚はある。けれど止まれないのだ。

 うう、と彼女は呻くと、私を見上げた。若干潤んだその瞳から、甘露が溢れる。


「……これからどうするんですか」


「とりあえず、今から火事にして逃げます。証拠隠滅は貴女の兄に任せましょう。まずは城下町へ行って、服を見繕って……ああ、同僚にも帰るって伝えないと」


「分かりました。あの、ありがとうございます、看守さん」


 えへへ、と彼女が笑う。甘露が染み渡る。毒が染み渡る。快感が走り抜けて、ぞっと肌が粟立つ。


「──いいえ」


 それ以上は無理だった。快楽によって、脳髄が甘く痺れる。その快感を一瞬でも長く味わっていたかったし、何より脳の働きが鈍って、言葉が思いつかなかった。

 しばらくして、快感が消える。私がやっとのことで彼女に目を向けると、彼女は不思議そうな顔をしていた。


「……行きましょうか」


「はい」


 私は床に置いたままだった灯火をかかげ、彼女の前を歩く。やがて扉の前に来ると鍵を開けてくぐり、彼女が出るのを待って、手に持った灯火を放り投げた。

 小さな炎は回転しながら飛んでいき、やがて床に落ちると、少しずつ火が大きくなっていく。


「急ぎましょう。兵たちに気づかれる前に王城を出たいですから」


 彼女はその言葉に頷き、私は彼女の手を持って駆け出した。

 この監獄は使われることがほぼ無いため、他の監獄とは離れた場所にあり、兵たちの見回りも来ない。それをこれほど感謝したことはなかった。

 木陰に隠れながら、王城の奥へと進んで行った。






 遠くに上がる黒い煙を見つめる。きっと今頃王城内は大騒ぎだ。何とか大きな火事になる前に抜け出せて良かったと思う。

 私は窓の外の光景から目を離し、ベッドに横たわる彼女を見た。長い間運動もできず、食事も少なかったためか、彼女は王城を出てすぐに歩けなくなった。本当はすぐにでも王都を抜け出したいところだが、彼女が歩けないため、宿を借りて一泊することにした。


「あの……」


「何でしょう?」


 彼女が私を見上げて言った。心許なげな瞳が揺れる。


「ずっと思ってたんですが、自己紹介しませんか?私、看守さんの名前知りません」


 確かにそうだった。私たちの世界は、今まで二人きりだった。そのおかげで名前を知らなくても事足りたが、今後はそんなことにはならないだろう。

 私は彼女を見て言った。


「ローレンスです。諜報員をやってます」


「ローレンスですか。よろしくお願いします。私はアン──」


 私は彼女が名前を言おうとしたのを遮る。彼女は小首を傾げた。


「貴女の名前を教えてください。悪役令嬢ではなく、本当の貴女の名前を」


 私がそう言うと、彼女は驚いた顔をした。そしてふふふ、と笑う。甘い水物が溢れ出る。

 胸のうちに黒いもやが湧き出る。

 そんな私の様子を知らず、彼女はかつて毒を紡いでいたその唇を震わせる。


「私はですね──」

一応完結ですが、いずれ続き書きたいですね。

設定はできてるんですが、何しろ時間がないです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ