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看守の青年の話

「──おはようございます、看守さん」


 彼女はそう言って笑った。その笑顔は薄汚れた牢獄の中でも、とても綺麗だった。

 かつては煌びやかで、王宮を舞う花の一つだったドレスは既にボロボロになり、当初は複雑な結い方をしていた髪の毛も、すぐにボサボサとなった。

 そんな、今までの自分を形作っていたものが徐々に崩れていく中、彼女はいつも笑顔を浮かべていた。

 垢臭い独房で、彼女の笑顔だけが輝いている。それはとても異様な光景だった。

 彼女を観察して、もしかしたら、いや十中八九、彼女は狂ってると思った。かつて拷問が行われたためか、赤いシミがあちこちに付いてたり、排泄物が溜まってる壺のある部屋で、普通の令嬢のように笑ってる彼女は、間違いなく壊れてる。

 彼女の罪状を知らないが、この貴人用の、しかも百年近く前の内乱の際に使われて以降、看守しか入ることのなかった一級犯罪者用の獄舎に入ることになった彼女は、国家反逆罪にでも問われるようなことをしたに違いない。もしかしたら彼女は元来狂気に囚われており、それが罪を犯した原因となったのかもしれない。

 しがない一看守には分からないことだが。


「今朝も私の刑は決まらなかったのでしょうか?」


「ええ」


 彼女の刑が決まらない。それはとても奇妙なことだった。

 彼女は一級犯罪者である。国家はその存在をなるべく早く消したいはずだ。けれど彼女の刑が決まらない状況が既に一週間続いている。

 彼女はいったい何をしたのか。そして、何故国は彼女を消したくないのか。それ程の価値が、彼女にあるのか。それらの疑問がいつも頭を渦巻く。


「……貴女は何をしたんですか」


「知ったら戻れませんよ。それでも知りたいですか?」


 おそらく彼女は、平民が貴族の事情に口を出すな、と言っているのだろう。平民は平民らしく、ただ楽しく暮らしていればいい。愚かにも貴族の領域に、貴族社会の闇に触れたならば、口封じの為に殺されても仕方が無い。知りたいのならそれを覚悟せよ、ということだろう。

 私が首を横に振ると、彼女は笑った。ふふふ、と令嬢らしい、お淑やかな笑い方だ。

 けれどこの獄所では、とても不気味だった。






 ねぇ、と甘えたような声を出される。私がそちらを向くと、彼女が今日も今日とて、笑顔を浮かべていた。

 おかしな彼女を無視して前を向く。すると彼女は笑った。


「………何でしょう」


「何でもないわ。ただ、とても楽しいなぁって」


 それはとても甘い言葉だった。小さく、形の整った艶やかな唇からその言葉が紡がれていると思うと、つい理性を緩めてしまいそうになる。彼女にこんなことを言われたならば、おそらく多くの男が彼女を崇拝してしまうだろう。彼女はこちらを見ていないのに、自分だけを見ていて、自分だけを愛してる、などと愚かなことを思ってしまうだろう。

 これは毒だ。甘い、甘い毒。中毒性があるために止められず、しかも飲んでる間はたいそう心地よく、絶え間なく服用し続けたい、麻薬。いや、副作用がなく、多量に摂取する必要のない点では、麻薬より(たち)が悪いかもしれない。

 それを分かっていても、ついつい彼女の口元を見てしまう私は、既に破滅へと向かっているのだろう。柔らかな唇から作られる毒を、知らず知らずのうちに口にしてしまっている。危険性を理解していても、それでもいい、と服毒者が思ってしまうのが、この毒の最もたる特徴だろう。


「まともに答えてくれるのは貴方だけよ。他の看守さんはみーんな、私のことを魔女だって言ったの。酷いわよね」


 クスクス、と笑う。彼女は分かっているのだろうか。自ら口にする言葉が毒となり、あまたの人物を破滅させることを。


「私は魔女じゃないわ。魔女なら、とっくに死んでるもの」


 だって魔女は悪者(わるもの)だもの、と言う。その言葉はまるで、彼女自身は何ら悪くないと言ってるようだった。いや、事実そういう意味だろう。なら、彼女は冤罪でここにいるのだろうか。もしくは、彼女の価値観が狂ってるのか。

 後者のような気がした。彼女は狂ってる。それは間違いないのだから。ああだけど、もしかしたら彼女が狂ってるのを見て、恐ろしくなった誰かが罪をなすりつけたのかもしれない。けれど、その可能性は低いと感じる。彼女を狂ってると認識した時点で、おそらく既に彼女の毒を含んでしまっているのだから。


「魔女は悪者。私は、」


 チリン、と鈴の音が響く。これは来客の知らせだ。ここに勤めてしばらく経つが、この音を聞いたのは今回が初めてだった。


「もしかしたら、私の刑が決まったのでしょうか」


 私は嬉しそうに笑う彼女に背を向けて歩き出す。彼女のいる牢へと繋がる扉を閉め、鍵をかける。

 彼女の笑い声が耳にこだまする。もちろん幻聴だ。けれども、彼女が隣にいて、笑ってるような気がしてならない。目を細め、唇の端を上げ、薄く笑いながら私を見ているような気がしてならない。


「ああ、重症だな…」


 既にこの身は毒に冒されている。彼女から離ると気が触れそうになるほど、私はどっぷりと浸っている。

 彼女は毒の沼なのかもしれない。一度足を踏み入れると決して抜け出せず、慌ててもがけばもがくほど体は沈み、毒が体内へと入る。自らが変えることができるのは、破滅への時間だけ。

 ああ恐ろしい、恐ろしい。そう思いながらも喜んで沼に沈む自分が想像できて、気分が悪くなった。






 彼女が今までにないくらい嬉しそうな声を上げた。そして、格子の間から手を伸ばす。


「お久しぶりです、お兄さま!」


「ああ、久しぶりだね」


 嬉しそうな彼女に比べて、兄の方は特に何も感じていないようだった。いや、正確にはそうなるよう努めている。彼の瞳には隠しきれないほどの憎悪があった。

 彼は何故彼女を憎んでいるのだろうか。彼女が罪を犯したために出世コースから外れたのだろうか。それとも彼女は兄に対して何らかの罪になるような行いをしたのか。けれども、それならここに入れられることはないだろう。なら前者だ。


「………何で、おまえはそんなに嬉しそうなんだ」


「だって、お兄さまに会えたのですもの」


 彼女は本当に、心の底からそう思っているように言う。そんな彼女を見て、兄は拳を作る。その手が震えていた。


「ねぇ、お兄さま。婚約者さまとは上手くいってます?」


 彼女がそう言うと、彼の拳からふっと力が抜けた。その手が上がり、彼女の頭に置かれた。


「ああ、順調だよ。ありがとう」


「なら良かったです」


 兄の瞳から憎悪が消え去り、愛情が溢れる。

 私は、はっと息を吐いた。いつの間にか息を止めていたのだ。二人に気づかれない程度に深呼吸をする。

 それにしても、愛と憎悪は裏表、というが、兄が彼女に抱く感情はまさにそれだろう。彼は彼女を憎み、そして慈しんでいる。

 もしかしたら、あれが彼女と付き合いながらも正常にいるための方法なのかもしれない。憎むことで、彼女の毒から身を守る。けれど、私がそうするには理由がないし、しようとも思えなかった。


「……じゃあ、行くよ」


「はい、またお会いしましょうね、お兄さま」


 兄はそれに返事をしなかった。無言で歩き出し、私は彼を追う。

 兄には彼女の毒は効いているのだろうか。あの防衛の仕方は無意識か、意識的か。そして何より、彼は彼女の罪を知っているのだろうか。



「おい」


 鍵をかけていると、兄に呼ばれた。彼は何故かたいそうご立腹のようだった。


「何でしょう?」


「あいつの罪を知ってるか?」


 彼は忌々しそうに私を睨む。


「………知りませんが」


「そうか、私も知らない」


 思わず声を出ないようにするだけで精一杯だった。彼は今、何と言った?家族の罪を知らないなどということがあるのだろうか。しかし今彼はそう言った。もしかしたら嘘なのかもしれない。けれどそうは見えなかった。彼は憎々しげに舌打ちをしている。これは誰に対して?分からない。情報が少なすぎる。


「……おまえたちのことは黙ってやる」


 彼は何故かそう言った。さぁっと血の気が下がったのが自分でも分かる。もしかしたら、違うことに対して言っているのかもしれない。けれど、もし──


「だから、頼む。あいつが何をしたのか。どこまでがあいつの知ってること(・・・・・・・・・・)なのか。それを、知らせてほしい」


 彼は真剣な眼差しで私を見る。これは懇願だ。何となく、彼の性格が分かったような気がする。

 お人好しで、貴族には向かない、けれどそれを認めない奴だ。彼は私を脅すような真似をしたが、その後の言葉は正しく懇願だった。これは彼が私のことをバラすことをしないことを示す。誠意に満ちてる。けれどその性格だと周囲に知られると、貴族社会では生きにくい。良心につけこまれ、金や領地を騙し取られたりするだろう。だからその性格を隠しているのだ。

 その性格を考慮すると、私は彼の願望を叶えても叶えなくても損はない。では得はどうだ?それならある。彼女の罪を知る理由にできる。好奇心に引きづられた訳ではないと言い訳ができる。


「……分かりました」


 そう言った瞬間に、兄の顔が華やいだ。まるで子供だ、と思うが、好奇心に負けた私も間違いなく子供だ。


「ありがとう」


 彼の笑顔に罪悪感を抱きながらも、私は嬉しかった。感謝するのは私だ。彼女を知れる理由をくれた彼に心の中で感謝した。


「いえ、」


 こちらこそ、と言いそうになって、慌てて口を噤む。お礼を言うと、彼はいい顔をしないだろう。

 その後、彼は帰って行った。監獄の外にいた者たちと共に、去っていく。曇り空の下、並んで歩く青年たちを、私は見送った。

 そしてそれ以降、私が彼らの姿を見ることはなかった。



 鍵を開けてさあ戻ろう、彼女に話を聞こうとしたところで、ふと思い出す。彼は彼女を憎んでいたのではなかったか?なのに彼はまるで彼女を助けたいようだ。兄として、自身のことは関係なく、助けたいようだった。

 愛と憎悪は裏表。けれど、彼の性格からして、愛してる者を恨むのは、彼自身が許さないだろう。なのに彼は彼女に憎悪の眼差しを向けた。彼は彼女を愛してることが正しいのなら、彼は誰を憎んでいるんだ?

 彼は、もしかしたら、彼女の犯した罪の一端を知っているのかもしれない。

『罪を知ってるか?』と彼は問いかけた。『あいつが何をしたのか』知りたいと彼は言った。

 彼女の罪状(・・)を知りたいとは、彼は言わなかった。何をしたのか知らないけれど、彼女に突きつけられた罪状は知っているのかもしれない。むしろ、家族が罪状を知らないのはかなりの異常事態だ。

 『どこまでがあいつの知ってることなのか』知りたいと彼は言った。きっとこれが鍵だ。彼女は一連の、自らが投獄されることを予測していたのかもしれない。そして、彼は彼女のために、彼女の描いたシナリオ通りに進もうとしているのかもしれない。

 これらはここで考えても意味がない。もう既に、全てを知る理由を手に入れたのだ。なら彼女に質問すればいいだけだ。貴女は何をしたのか、と。

 それにしても、


「あの人、意外と貴族らしいことできるのか」


 事実だけを告げているにも関わらず、肝心なことを一切伝えない彼の口の上手さには舌を巻く。そしてそれに気づかれる前にちゃんと逃げる用心深さ。

 まさに、いい人の皮をかぶった、他の貴族と同じだ。



 私は刺さったままだった鍵を回す。カチャ、と音がすると鍵を抜き、扉を開く。再び閉ざして、内側からまた鍵をかける。これは囚人の脱獄防止用だ。本来は外側からもかけ、内と外、両側の鍵をかけるのだが、今は私一人なので片方にしかかけない。

 音を立てないよう、慎重に歩く。


「──おかえりなさい、看守さん」


 彼女が笑って出迎えた。ずぐり、とどこかが溶けるような感覚がする。何かがどろどろに溶けて、とても気分がいい。

 ああ、これ以上はダメだ。そう思って、私は溶けてゆくのを防ごうとした。けれども、溶かしているのは彼女の毒なのだから、止めようがない。大量に回った毒により、止めようとしたところからぐちゃぐちゃに崩れていく。

 諦めて、私は彼女に問いかける。


「……貴女は何をしたんですか」


 彼女は一瞬きょとん、と目を(しばた)かせて、そして笑った。ふふふ、という彼女の愉しそうな笑い声が、広い牢獄で響きわたる。

 あくまでもお上品に笑う彼女は、(まさ)しく魔女だった。


「お兄さまはどこまで話したのでしょうか?」


「………何も。ただ、貴女から答えを聞き、それを伝えてくれ、と」


「そう…。なら、もう延ばせないのね」


 彼女は笑う。嗤う。果たして彼女が誰を嘲笑しているのかは、私には分からない。私かもしれないし、彼女自身かもしれない。ただ、これからの話を聞くと理解できるようになるかもしれない、というのは分かった。


「さて、さて、話しましょうか。これは私の知る限りの話。私自身、理屈が分からないところも多々あるのですから」


 あはは、と彼女が笑う。淑女らしくないその笑い方に、私は惹き付けられる。

 十メートル近く高い位置にある窓から、日が差し込む。先程は曇り空だったが、晴れたのか、と場違いにも思う。


「さあ、語りましょう。私の……いえ、悪役令嬢の話を。この世界の、話を」

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