3
結局の所、永森君の思惑は全て裏目に出てしまった。
抑えが利かなくなってしまった無関心の集団、クラスメイト達に永森君の言葉は一切届かず担任の尾崎が立ち上がって肩を叩いたのが終了の合図となった。
そのまま尾崎の進行の下授業は進められ、区の展覧会出展の話しは無かった事になってしまった。
悔しかっただろうな。
無言で隣りの席に腰を落ち着かせた永森君を見ないようにしながら僕は思った。
悔しくて、最高に恥ずかしかっただろうなって。
でもこいつはそういうの全然気付かないから、恥ずかしいだなんて思わないんだろうな。なんて勝手な事を考え、その後の総合の時間とホームルームの時間を過ごして言った。
今日の授業全てが終わってホームルーム終了の鐘が鳴った。他の生徒達が立ち上がって部活へ行ったり、家に帰ろうとする中、今まで沈黙を貫き通してきた永森君が僕に声をかけて来た。
「星野君」
彼は僕の目を真っ直ぐ見据えながら言った。
「ちょっと付き合ってもらいたい所があるんだけど」
僕はその申し出に渋々頷いて言った。
「付き合うって、どこだよ?」
その言葉に永森君は努めてフラットな表情を作りながら言うのだった。
「行きたい所があるんだ」
ただそれだけの言葉でしか無かったけど、今の僕にはそれだけで充分だったのかもしれない。
●
永森君に手を引かれた僕は町の外れにある小さな公園の丘に立っていた。丘と言ってもそれほど大それたものじゃない。少し背の高いジャングルジムから町並みを見下ろした光景を想像すれば事は足りるだろう、そんな小さな、こじんまりとした丘で僕達は夕日を見つめていた。
いやに眩しい夕日だと、その時僕は思った。余りの眩しさに顔をしかめなければ町を見渡せない、そんな夕日だった。でも後になって分かったことなんだけど、だからこそ永森君は僕をここに連れてきていたんだろうなって、この時僕はまだ分からなかった。分からない位にガキで、何も考えていなくて、いや考えていたとしても、浅かったんだと思う。
そんな僕にとっての苦い思い出が、この夕日でもあった。
「で?」
公園まで連れて来たはいい物の、何も喋る気配の無い永森君に僕は口を尖らせる。
「なにしにここに来たんだよ?」
なんとなく、自分の感情図が複雑な物になっている事は分かっていた。こんな事してないでさっさと帰りたい気持ちと、どこか後ろ髪を引かれるような、ちょっと引っかかる感じ。
もし自分が今、この場で踵を返して永森君の前から去ってしまったら、きっとこれからの人生の中で忘れられない程の後悔をするんだろうなって、そんな気がしていた。だから帰りたい気持ちをちょっと上回って、その場にたたずむ事が出来ていたんだと思う。
「言いたい事があるなら言えよ」
永森君の口から出て来る言葉は何となく予想できていた。期待と絶望。自分が持ちだした素敵な案を台無しにしたクラスメイト達へと向ける愚痴。自分の意見を無下に扱った教師。
それら全ての者に分かっていないと、怒りをぶつける物だとばかり思っていた。
自分は正しいと言いながら、何故みんなが話しを聞いてくれないのかも知らずに語りだすと思っていた。
だけどそれは違った。
「やっぱダメだあ」
やっぱ?
肩から息を抜いて吐き出したようなその言葉に僕は視線を夕日から永森君へと向けた。何となく軽い感じの口調だったから拍子抜けした感じはした。だけど予想していた言葉とは裏腹な言葉に、重みを感じられないその口調に僕は驚きを隠せなかった。だから永森君を見たのだ。
そしてその驚きは更に、確かな物となった。
「どうしてなんだろうな?」
永森君は泣いていた。夕日を見つめながら、涙を流し、しかめっ面を作っていた。
僕は思わず聞かずにはいられなかった。それはある種の確認だったのかもしれない。
なんで……
「なんで泣いてるんだ?」
お前はそう言うんじゃないだろ? お前の涙はきっとみんなから、自分のとっておきのアイデアが拒絶されたからの物なんだろ? だから泣いてるんだろ?
僕は正直願っていた。頼むからそうであってくれと。その涙を流している理由が、彼の鈍さに由来していてほしいと、そう切に願っていた。でも実際は違った。
「どうして誰も俺に興味持ってくれないんだろうな?」
僕は何も言葉を返せなくなってしまった。溢れ出る永森君の想いをただ聴いている事しか出来なかった。
「俺だってそんなバカじゃないんだよ」
永森君は言った。
みんなが自分をバカにしてる事。相手にしてない事。嫌われている事。興味を持たれていない事。無関心を装われている事。別にどうだっていいし、と吐き捨てられてる事。そこら辺に転がっている石を見ているような目で見られてる事。
全てを知っていた。
「ホントに俺が何も気付いてないと思ってたのか?」
永森君が流している涙は悲し涙じゃなく、悔し涙った。
「本当は気付いてたさ。でも気付いてるのを気付かれるのもヤダった。自分の周りに誰もいない事を、周りに気付かされるのも嫌だったんだ」
強がりだった。
僕はこの時始めて気付いた。永森君は今まで、一生懸命強がっていたんだと。なにも気付けていなかった訳じゃない。細かい事ばかりを気にして周りが見えていなかった訳じゃない。ただ周囲から自分がどう見られているのかを気にしながら、どう虚勢を張ったらいいのか分からなくて自分を強く見せようとしていたのだった。
それが彼の細かくて気付けない人の、象り方だった。
「……なんで俺をここに連れて来たんだ?」
沈みゆく夕日を見つめながら質問した。僕が彼に何かを言える事は無い。それは分かっていた。だけど一つだけ口を開いて言葉を発する余地があるのだとしたら、それは僕がここに連れて来られた理由だった。
永森君にとっても、僕にとっても、お互いにここにいる意味があるからこそ僕たちは一緒に夕日を見つめているのだ。
「星野君だけだったんだよ」
永森君は言った。泣きながら。
「俺に興味を示してくれたのは」
「興味って……」
僕はもう何も言えなかった。
僕が彼に向けた最初の興味は怒りでしか無かった。友達が良無い奴にクラス内での立ち位置を心配される構図に腹が立つ。そんな、普通に生活していればなんてことないただのやりとりに意味を見いだしてしまっていた永森君の今に、僕は悲しくなってしまった。そして自分を恥じた。
「始めて俺の目を見て喋ってくれたのが星野君だったから、星野君だけには……星野君なら俺の話しを聞いてくれると思って……」
誰も聞いてくれなかった話し。休み時間中の永森君の、輪から人知れず離れて行く姿を見つめて抱いていた憐憫の目を僕は怒りに変えた。自分への。
「バカだよな、俺って」
僕は一言、ポツリと囁いた。
今になって気付くなんて、ホントに自分はバカだと、思い知らされた。そして細かくて気付けないと揶揄していた永森君から眼を離して、それを自分自身へと向けた。
一体どっちが細かい事を気にしていんだろう? と。クラス内での立ち位置や人からどう見られるか、他人に対して無関心を装うスタイルや熱くなる事がバカらしいと斜に構えていた自分の姿を省みて、どっちがほんとに細かかったんだろうと、僕は自分を責めた。
そしてそれと同時に、僕は、いや僕達は、鈍い鈍いと言っていた永森君に対して、どれだけの事を気付けてあげていたんだろう。どれだけの事に気づく事が出来たんだろう?
細かい事ばかりを気にして何も気付けていなかったのは自分達だった。たった一人、同じクラスにいる人間の事にも気付けない人間達が何を言って来たんだろう。情けない。情けない気持ちで僕は一杯だった。
これ以上永森君と顔を合わせる事は出来ないと思った。一体どんな顔をして彼と会えばいいんだって、怖くなってしまった。
だから僕はそのまま、何も言わずに丘から下りてしまった。そして永森君の顔を見る事もなく走った。冷静に考えてみればまた明日学校で会うって言うのに、ホントにバカな事をしているのは分かっていた。だけど今はもう、永森君の顔を見たくなかった。
「星野君!」
背後から、遠くから、永森君の声が響いて来た。
「今日はありがとう!」
そんな言葉をかけてもらう資格すらないのに、彼は言った。
「また明日!」
それがどれだけ僕の心を締めつける事になるのか分かっていない永森君は、やっぱり細かくて気付けない人なんだなって、そう思った。だけどそれは僕も一緒なんだって、みんなも一緒なんだって、そう思った。
これが僕の、細かくて気付けない人のお話し。苦くてあまり語りたくないお話しだったけど、でもだからこそ語れた事に意味があるんだと思う。
なんて事は無い。細かくて気付けない人って言うのは、僕自身の事だったのだ。
高校生のあの時、永森君の挨拶に返事を返す事が出来なかった僕は案の定、その後も永森君と一緒に過ごす事は無かった。自分の醜くて直視したくない部分を切り捨てる事によって生きて来た僕にとってそれは苦痛以外の何物でもなかったからだ。
細かくて気付けないってのはきっと誰もが一生抱えて行く事柄なんだろうけど、それを抱えられるか、捨ててしまうかっていうのは永森君と僕のその後を想像してみれば分かる事だと思う。そしてこれを語ってしまう事実こそが、僕の耐えられなから斬り捨てる弱さに繋がるんだろうなって、そう思うのだった。




