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クラス全員の前で笑顔を見せていた永森君の表情は自信に充ち溢れていた。とても昨日、目に涙を溜めていたとは思えないその顔に僕は驚きを隠せなかった。
永森君の隣りで所在無げに立っている、同じく委員長の越智さんはさも自分がそこにいる事が不服であるかのように、自分は関係ありませんよ、みたいな顔をしている。
そんな非協力的な委員長をパートナーに、永森君はそれでもそんな事気にした様子もなく手に持っていた大きな模造紙を黒板に張るといつもと同じトーン、いつもと同じ口調で言うのだった。
「みんなで区の展覧会に、共同作品を提出しませんか?」
永森君の言葉に訝しげだった沈黙が徐々に破れ、言葉が何重にもなって積み重なった。でもそれは永森君に向けられた言葉じゃない。それぞれがそれぞれのクラスメイト達に向けた言葉だった。ざわつき始めた二年三組の教室内を見渡した永森君は黒板に張られた模造紙に手を置いて言った。
「これは僕が考えた作品の原案デッサンです」
そこに描かれていたのは地球をテーマにした色鮮やかな球体のオブジェのような物だった。球体は中が空洞になっていて、そこに様々な物が詰められるようになっている。
そこに何を詰めるかは、クラスのみんなが決める事だ。
永森君はそう言いながら僕に協力を求めた。だけどそんな永森君の想いも虚しく、一瞬静まり返ったおしゃべりは、さざ波を連想させるかのように、その後の津波をイメージさせるかのように、大きくなって、学級委員の言葉を呑みこんでしまった。
「僕はこのクラスを一つにしようと思ってるんです」
白々しく放たれた永森君の言葉に頭を抱えながら、僕は今に至るまでの出来事を回想する事にした。
「展覧会?」
朝のホームルームが終わった後、隣りの席から僕に話しかけて来た永森君は生き生きと言った。
「そう。展覧会だよ」
区で毎年行われている作品展があるらしい。それは個人の部と共同制作の部があるらしく、申し込みさえすればどこの所属の物だって出展出来ると言う事だ。
「良い機会だと思わないか?」
もう先生には言って、総合の時間を利用してこれに参加するかどうかの決を採る事にしているから。
僕は強引に首を横に振った。そんな事を気にしている訳じゃないと。僕が何よりも聞かなければいけないのは別の事だった。
「なんでだよ?」
正直、聞かざるを得ない。
「なんでそんな事するんだよ?」
そんなの誰も求めてねえよ。そう言いたかった。でもそれを言ったらまた昨日の二の舞だと二の足を踏んで我慢した。
そんな僕の思惑を余所に永森君は簡単に答えた。
「それは簡単な事って言うか、今のウチのクラスを見てれば分かるじゃないか」
クラスを一つにする。
永森君が言った言葉に僕は唖然としていた。
「俺思うんだ。今ウチのクラスってさ、結構お互いの仲良い同士の間に壁みたいな物があるだろ? それが多いから一つになれないって言うか、もっと仲良くなれる筈なのになれないっていうか、そういうの邪魔だろ? 本来だったらもっと楽しい学校生活が送れてる筈なのにちょっとした些細な事で気を使いあってるなんてばからしいじゃん。だからそういう垣根を壊す為にやろうと思ってるんだ」
永森君の口から飛び出してくるセリフに僕は唖然としていた。こいつは本当に、本気なのだろうかと、相変わらずの突飛な発言に驚きを隠せなかった。正直な事を言ってしまえば永森君の発言は白々しくて、薄っぺらく、底の浅い、聞いてるこっちが途中で耳を塞いでしまいたくなる様な言葉達でしか無かった。
だけど僕はそれを真剣な表情で語る永森君の言葉を遮る事は出来なかった。果たして彼が本当にこの話しを総合の時間にして賛同を得られると思っているのか定かでは無かったけど、でももう、これ以上永森君の言葉に反論を示すつもりはなかった。彼と出会って始めて分かった事がある。それは人の言葉に正面から異を唱えるという事がこれほど疲れる物だとは知らなかった、という事だった。
人を否定すれば、否定した自分を客観的に見て否定したくなるのだ。それが例えどんな正当な理由であったとしても、否定と言う一方的な表現方法に対して僕は偏りを見いだしてしまう。だから僕は今までバランスを保つようにして人と関わって来たつもりだった。
否定も肯定も、言ってみれば自分を表に出す一つの手段でもありそれは表か裏かの二択しか用意されていない、周囲の人間に自分を選ばせるような、そんな手段なのだ。
だから僕はそんな事はしたくなかったし、してこなかった。常に曖昧な態度を示して、出された意見に一つ褒めて一つ改善点を出すみたいな生き方ばかりをしていた。
でもそんなスタンスを崩したのが永森君で、改めてその重要性に気付かせてくれたのも永森君だった。もうこれ以上自分をかき乱されるのは嫌だ。そう思った僕は永森君の瞳の先にある総合の時間が一体どうなっているか、想像が出来ているにも拘らず、彼の言う通り大きな模造紙に言われたとおりのデッサンを起こしていくのだった。
そして訪れた総合の時間。それが、永森君の見据えた先にあった六時限めが僕の予想通りになったのは言うまでもなかった。
「皆さんちゃんと話を聞いて下さい」
黒板に張られた地球のオブジェに視線を送る物は誰もいなかった。最初は遠慮がちだったおしゃべりも今や休み時間に聞こえてくる騒音と同じ位の音量となって教室宙に響いていた。
誰も永森君の言葉に耳を傾ける者はいなかったし、そもそも視線すら送っている者さえいなかった。永森君の少し離れた隣にいる越智さんもなんとなく、めんどくさそうな顔をしながらチラチラと担任を見ている。
早く収集つけてくれません? さっさと終わりにしてくださいよ。
そんな言葉を瞳に宿して担任の尾崎と相談しているみたいだった。一方尾崎はクラスの状況を見渡しながら、どうしたもんかねえと、考えを決めあぐねている感じだった。そしてその瞳の中に、永森君の姿が見えているようには思えなかった。クラスをどう落ちつかせ、この総合の授業の時間にどういった落とし所を見つけるか、そんなことしか考えていないように見えた。
僕自身、目の前に張られた模造紙に特別な感情は無い。
確かに今日一日の休み時間を通して作業に取り組んだデッサンではあったけど、既に結果は見えていたし、いわばあの作業は僕にとっての罪滅ぼしだったのだ。だからあの場でアレが発表された時点で、僕の気は済んでいた。済んでいる筈だった。もうとっとくに永森君の事なんか気にしないで友達との会話に混ざるはずだった。だけど出来なかった。
何故なら永森君の顔が真っ赤になっていて、それに視線を取られてしまっていたからだった。
「静かにしろよ!」
教壇を手で叩いて大きな音を出した永森君の声に一瞬、教室が静まり返っていた。
顔を真っ赤にしながらみんなを睨みつけるようにして見渡す永森君に僕を含め、全員は驚いていた。
「なんで人の話しを黙って聞けないんですか。今しなきゃいけない事が分からない訳じゃないですよね? だったらちゃんとこっちを見てください」
永森君の発言に一度は静まり返った教室だったけど、徐如に生まれ始めたのはさざ波みたいなお喋りで、そこかしこから聞こえてくるのは永森君に対する不満めいた愚痴ばかりだった。
「何だよアイツ? マジ訳分かんねーんだけど」
「お飾りならお飾りらしく黙っとけよ」
「ホンっとあいつウザいよね。どんな神経してる訳?」
「越智さんかわいそー」
「あいついつまで調子に乗ってんだよ?」
「ああいう出しゃばりの仕切りやってうぜえよな」
「だから南山が学級委員やっときゃよかったんだよ」
「つーか制作ってなんだよ、マジ興味ねーし」
「そもそもなんでアイツあそこに立ってるの?」
教室内に響き渡った波は再び日本海の荒波を連想させるように大きな飛沫を上げて、岸壁ではなく永森君へと打ち付けていた。皮肉な事に永森君という共通の敵を見つけた事によってクラスは奇妙な連帯感を持ち始めていた。だけどそんな連帯感を永森君は一つになっただなんて認識はしないんだろう。勿論それは僕だって同じだ。でも永森君はここで引き返しておいた方が良かったんだって、思う。皆の反応を読んで、いや受けて、もう退散したほうが良かったんだ。でもそれが出来ないのが永森君の個性という物なんだろう。
「この作品のコンセプトは地球を意味してるんですけど、中は空洞になっていて詰め込める物は決めていないんです。そこは皆が自分で考えて、地球に何を詰め込むかそれぞれ考えてほしいなって思ったからこういう形にしました」
地球という世界の中で、中に何を詰め込むのか、何を詰め込んだとしてもそれは一つなんだよ。
休み時間の作業中、永森君が嬉々として言っていた言葉だった。だけどそれを聴いている者は誰もいない。
みんな口ぐちに永森君の愚痴を言い合って、そしていつの間にか普段の世間話に変遷して、忘れられて行く。
みんな本当にどうでもいいんだろうか?
僕はこの時素直にそう思えていた。実際作業を手伝ったからなのかもしれないけど、誰も話しを聞いていないにも関わらず喋り続けている永森君を見ているとどこか情けなくて、目を背けてしまいたくなる様な気持ちで一杯になっていた。
誰も耳を傾けていない状況の中で喋るってどういう気持ちなんだろう? それはもう屈辱的な気持ちに決まっているけど、でも屈辱的って一体どういう気持ちなんだろう? 正直な所僕には分からない。分からないけど、僕は知ってる。昔味わった、その気持ちを。そして永森君がいつもみんなに話しを聴いてもらってない事も。
普段行われている永森君と他のクラスメイトのやりとりが教室内の縮図なんだとしたら、これこそが永森君とクラスの関係を本質的に描いた、真の姿なんだろうなって、そう思った。
どう頑張ったって受け入れられない事がある。いくら思いが強くても、それが一方通行な限り認められないのだ。
みんなそれを分かってる。みんなそれぞれ自分の世界があって、そこに永森君はいないんだ。いらないんだ。だからみんな割り切ってしまってる。これがきっと中学生くらいだったら話しは別だったのかもしれないけど、高校二年生はそうじゃない。みんな自分達の世界を作って、そこに照らし合わせて人の出入りをしてるんだ。そしてそこに永森君の意場所は無かった。
ただそれだけ。だからみんな永森君の話しに耳を傾けなかったんだ。
永森君は必死に話していた。
そろそろ限界かなと、担任の尾崎が椅子から立ち上がって彼の肩を叩くまで一生懸命話していた。誰も入れてくれない世界の中で、永森君は全力でノックをし続けた。
だけど誰もドアを開けてくれる人はいなかった。
でも僕はそんな永森君の姿を見て、顔を真っ赤にしながら、汗をかきながら、少し涙目になりながら喋る永森君を見て、その言葉に耳を傾けてやる位ならいいのかもなと思うのだった。
チェーンロックしたままかもしれないけど、居留守を使うのは止めにしようと、そう思った。




