新しい旅立ち
「どうしたんだろう?」
ユイは自分に毛布がかけられていたことが不思議で仕方なかった。
ユイは旅の際、毛布を持っていなかった。
なので、自分にかけられた毛布に疑問を抱いた。
ユイは自分が毛布でくるまれていた理由を考え出した。
順序立てて思い出そう。
ここはたしかニクス君の家だ。
ニクス君に頼まれてニクス君の友達に憑いた悪魔を殺すことになったんだ。
そこまでの記憶ははっきりとある。
その先から、今さっき目を覚ますまでの間の記憶があやふやなんだ。
けれど、この毛布については答えが出たね。
ユイの考えた通り、その毛布はニクスがユイにかけたものだった。
なんでこんなアタシに優しくしてくれるんだろう?
アタシは彼を裏切ったというのに……。
こんな……アタシって?
ニクス君を裏切ったってどういう……?
ふと頭を上げるとベッドが目に入った。
ユイの目に入ったベッドがその疑問を遮った。
ユイがそのベッドを見た瞬間、ユイの脳に電撃が走ったような痛みがした。
ユイの頭の中で間欠泉のように記憶が沸き上がった。
中身はぐちゃぐちゃだったが、その内容を理解するには十分な量と質だった。
「ああ……そうか。あの後……アタシ……」
やっとわかった。
コペル君に憑いた悪魔を殺した後、取り乱してしまったんだ。
そして、ショックのあまりに意識を失ったんだった。
これまでいきさつを理解すると、ユイは自分の手をじっくりと見始めた。
理解したと同時に手に浮かび上がった肉を切ったような感触。
実際は人を切ったわけではないが、手に不思議と湧いた人を切ったような感触がユイの手の平に浮かんできたのだ。
ユイは手に残った肉を切った感触に嫌悪感を覚えた。
指を確かめるように動かした。すると、より鮮明にコペルを切った時の感触が浮かんできた。
そして、指を動かすのをやめた。
「何してんだろう? アタシ……」
自分から嫌悪寒抱くような行動をしておいて、嫌悪寒を抱いたとたんにその行為をやめる。
何の意味もなく苦い思いをするだけの行動をした自分が嫌でしょうがなかった。
シャッシャッと土を掘る音が聞こえた。
ユイはその音に導かれるように裏庭に行った。
「何をやっているの?」
「やっと目覚ましたか」
ニクスが大きな穴を掘っていた。
人一人くらいなすっぽり入れそうな大きな穴だ。
「何ってアイツを埋めるんだよ」
ニクスはコペルを埋めるための穴を掘っていた。
そして、壁には筒状の木の棒が二本かけ立てられており、その近くにロープが置かれていた。
それを見て、ニクスが何をしようとしているのか理解した。
「何も言わないんだね」
ユイは責められるものだっとばかりに思った。
コペルを救うどころか、その手でコペルを殺してしまった。
「ああ……言い忘れていたな。おはよう」
「おはよう。……ってそうじゃなくって」
ユイはまぬけに挨拶を帰した自分を殴りたくなった。
ユイは罵声を浴びせられることを覚悟していた。
あれだけ自信満々にコペルのことを助けると約束した。だが、結果はそうならなかった。
ニクスに期待をさせるだけさせといて、その期待を裏切ってしまった。
「そのさ、立っていないで手伝ってくれよ」
「なんで怒らないの? アタシはコペル君を殺したんだよ? アタシは君の親友に手をかけたんだ。なんで、そんな優しくできるの?」
「最初は恨んだよ。人のことぬか喜びさせやがって、てな」
ほうら、やっぱり怒っているんじゃないか。
どうして、それをアタシに向けないんだよ?
「でもさ、こいつの笑顔を見ていたら、コペルはアンタに救われたんだなあって思えたんだ。したら、次第にあんたへの怒りが薄れたんだよ」
「アタシのことを許すの? 君の期待に応えるどころか、最低最悪の結果を投げつけたんだよ?」
「アンタを許すとかそんな話じゃないんだよ」
「どういうこと?」
ユイにはさっぱり理解ができなかった。
コペルを助けられなかったことはとても許されることじゃない。それなのに目の前の男はそれがどうでもいいことだとても言いたげだったことが信じられなかった。
「ゴメン。アンタにつらい思いをさせちまった」
「なんで? なんで謝るの? 謝るのはこっちのほうだよ。大口叩いておきながら何もできなかった」
「アイツ……アンタに助けられたんだぜ。悪魔に蝕まれて苦しいところからアンタに助けられたんだ。そりゃあ、俺の望んだ形じゃあなかったけど、アイツはアンタに救われたんだ。じゃなきゃ、あんなこと言えねえよ」
「そんなの……後腐れをなくすためのきれいごとだ」
自分を殺そうとするやつにそんな耳触りのいい言葉を吐くのは、自分のせいでこじれるのを嫌ったコペルのきれいごとだ。
ユイはそんな風に思っていた。
「俺はあいつの言葉は本心だと思うね」
「何でそんなことが言えるの? アタシは君との約束を破ったんだよ? 彼を助けられなかったんだよ?」
「あいつは死んじまった以上、今どう思っているかなんて知りようがない。俺たちが勝手に思い込むだけだ」
「知った風な口を……」
ニクスの言いかたは気に入らなかった。
しかし、ニクスの言っていることには反論できなかった。
それはユイ自身がコペルの言葉
「最後のあの言葉があったからな。だから、俺はあんたを怒れねえよ」
「最後の言葉って……?」
狼狽しきったユイにはコペルの言葉が聞き取れなかった。
「ああ……そうか。あんな状態じゃあ聞けないよな」
「その様子からしてコペル君が何言っていたのかわかった気がするよ」
「だったら、あいつの願いを聞いてやれよ」
「そんなこと言ったって無理だよ」
コペルの願い……コペルに憑いた悪魔を殺したこのによってコペルが死んでも自分を責めるなというものだ。
ユイにはその願いをきくのは到底無理な話だった。
ニクスとの約束を破ってしまったからだ。
コペルを助けるといった約束を自分の手で破ってしまった。
あの時のニクスのうれしそうな顔に土をつけた自分が許せないでいた。
そのことが許せなかった。
「ねえ、どうして君はそんな風にしゃんとしてられるの?」
「アンタにはそう映るのか」
ニクスは自分の思っていた自分の姿とはかけ離れた印象を持たれたことに驚いた。
ニクスは驚きのあまり、シャベルに体重をかけた姿勢から前のめりに倒れそうになった。
ニクスが驚いたのは、何も考えたくないから逃げるように穴を掘っているみっともない姿がユイにはしゃんとしているなんて言われたからだ。
「アンタにはわからないだろうけど、こう見えて結構強がっているんだ。やっぱ、アイツがいなくなるのは寂しいんだ。いろいろ名残惜しいことはあるけど、今の俺がアイツのためにしてあげられるのってこういうことだからな」
ユイにはニクスの考えていることが理解できなかった。
コペルに対して未練があるのなら、コペルを助けられるとのたまったアタシに恨みの櫃や二つはいてもおかしくないはずだ。なのに、割り切ったなどと意味の分からない言葉を使って、アタシを責めるどころかわびたりするなんてその心理は到底理解できない。
いや、理解しようともしていないから、理解できるはずがないんだ。
大切な友達が死んだ日の翌日に墓を作ることができるその体力や行動力がどこから来るのかもわからない。
「悲しむのはそのあとでもいいだろ?」
「あとで悲しむために今は辛抱するってことか。すごいね、君は」
コペルが死んだことを悲しむのは墓を作った後まで我慢する。
ユイのことを責めることもせず、涙を一滴もこぼさないで黙々と墓を作る。
ユイはそんなニクスのしっかりした姿に感心を抑えることができなかった。
「アイツがもうすぐ死ぬことはわかっていたからな。それなりに心の準備ははできていたんだと思う。それで、まだ墓を作る気力だけはあったんだろうよ。あいつが死んでも悲しくなかったなんてことはないんだ。それとでも、こんなことができるのっておかしいのかな?」
「わかんないよ。アタシに訊かれたって、そんなことわかるわけないじゃない」
何事もなかったかのように淡々と作業を進める男の姿に最初は以上だと思った。
もっと言えば、男の常識さえも疑った。
だけど、そのことを正直に言う気にはなれなかった。
その姿を男は無様だと笑うが、ユイはかっこいいと感じたからだ。
「いいのかな? アタシらだけで勝手にやっちゃって。家族の人たちにも知らせて、ちゃんとやったほうがいいんじゃないの?」
「しゃーねえだろ。コペルには家族がいないんだ」
「どうして?」
「五年くらい前に体調を崩してそれでってことらしい」
「そういうことね」
ユイは胸をなでおろした。
コペルに家族がいないと聞いた時、自分と同じように親に見捨てられたからだと早とちりしてしまったからだ。
そして、自分はまずい話題を振ってしまったんじゃないかと焦った。
しかし、実際はそうでなかったこともあって安心した。
「だったらさ、せめて両親と同じ墓に入れるくらいしてあげたら?」
人並みに家族の間での愛情があるんだろうし、そうしてあげたほうがコペルもうれしいはずだ。
ユイの中にはそういう思いがあった。
「そうは言っても、こいつの両親の墓の場所なんて俺は知らねえし」
「何で知らないの?」
コペルの先がないことがわかっていたなら、墓の準備だってできていたはずだ。
それさえも今の今までしてこなかったことがユイには不思議でたまらなかった。
「アイツ……あんまし自分の親のことは言わなかったんだよなあ。それに、あんなふうになってから墓参りもいかなくなったしでますます訊きづらかったんだよ」
「だったら仕方ないね」
いろいろ問いただしたいことはあったが、そんなことをしても無駄だとユイはわかった。
だから、仕方ないの一言で片づけた。
ニクスは木で作られた十字架を地面に刺した。
そしてそれが倒れないよう、丁寧に土を固めた。
「これだけやれば、大丈夫だろ」
「そうだね」
十字架はしっかり地面に固定されている。
よほどのことがないかぎり倒れることもない。
「ほら、手ぇ合わせろよ」
二人は墓の前でしゃがんだ。そして、目を瞑り、手を合わせた。
コペル君、聞こえてるかな?
ゴメン、君との約束は守れそうにないや。
君を切ったことを後悔するなっていうけど、それは無理な話だよ。
アタシは君が苦しむ姿を見ていられなくてやけくそで切ったんだ。
アタシはやっと誰かを喜ばせれるって思ったら、こんな有様だったんだ。
くよくよ考えこんじゃうよ。
ただ……君やニクス君の期待を裏切ったなんて思うだけはやめるよ。
ユイはコペルに言いたいことを頭の中で言い終えた。
ユイは立ち上がり、目を開けた。
そして、様子をうかがうようにニクスを見た。
そうだよね。心の準備はしていたって言っていたけど、いろいろ名残惜しいものもあったって言っていたんだ。
整理がつくのには時間がかるよね。
ニクスの目からは涙が滝のようにあふれ出ていた。
ニクスが立ち上がるまでユイの体感で十分ほどかかった。
「悪いな。待たせただろ?」
「全然待っていないよ。あと、これ」
ユイはパンツのポケットからハンカチを取り出し、ニクスに渡した。
ニクスは涙でびしょ濡れになった顔を拭いた。そして、締めに鼻をおもいっきりかんだ。
「ありがとう」
ニクスはそういって、ユイに鼻水でべとべとのハンカチを返そうとした。
「いいよ。それ、あげるよ」
「いいのか? もらっちゃって?」
「どうせ、安物だしね」
ユイは汚れきったハンカチをどうしても受け取りたくなかった。
ユイがニクスに渡したハンカチは、本当はかなり上質な絹糸で作られていた高級品だった。
その高級品も他人の鼻水にまみれてしまったら形無しだ。
「ごめんね。君の気持ちも知らないであんなひどいこと言っちゃってさ」
「別にいいよ。アンタのおかげでたっぷりと話できたからな」
「どういうこと?」
「俺はあいつとはすでに話しつくした気でいたんだ。だけど、こうやって拝んでさ、わかったんだ。言い足りていないことがたくさんあったんだってな」
「そう。満足できた?」
「さあな。とりあえず、言いたいことは全部言ったと思う」
「じゃあ、アタシ、行くね」
ユイはこの場から早く立ち去りたかった。
先ほどではなくてもまたくよくよ考えてしまいそうだったからだ。
「行くねって……飯ぐらい食って行けよ。アンタ、起きてから何も食ってないだろ?」
思い出したかのようにユイのおなかの音が鳴り響いた。
「こ、これは雷の音であってアタシのおなかの音なんかじゃないんだからね」
空は雲一つない青色一色で、どんよりとした薄暗い雷雲はどこにもなかった。
「ふ~ん。雷……ねえ」
「た、たまにはこういうこともあるんだよ」
「とりあえず中入ろうぜ」
汗を大量にかいたニクスには秋のさわやかな風でも寒く感じた。
「いや、アタシ、そろそろ行きたいんだけど」
「どうせだったら、飯食って行けよ」
「そんなの悪いよ」
「飯炊き過ぎたんだよ」
なんだかんだ平気なそぶりを見せているけど、一人だと心細いんだろうなあ。
「仕方ないね。朝ごはんだけだよ」
「何様なんだか」
ニクスはあきれたように溜息を吐いた。
「ありがとうな」
ニクスはぼそりとつぶやき、頭をポリポリかいた。
「何か言った?」
「別になんでもねえよ」
ニクスは茶碗にご飯を盛った。
「アンタはこれからどうするつもりなんだ?」
「風の吹くまま気の向くまま当てのない旅を続けるつもりだよ。途中途中で腹ごなしがてら悪魔狩りする感じかな」
「俺もそれについて行っていいかな?」
「来たければ来れば。でも、道はアタシがその時の気分で決めるだけだから、行先に文句を言う権利はなくてもいいって言うんならね」
「それぐらいいよ。てか、そっちのほうがおもしろそうだ」
「何でそんなに元気なの? 切り替え早すぎでしょ?」
「アンタには言われたくねえよ」
ユイはご飯を二回おかわりした。
墓の前で拝むまでずっと泣きじゃくっていたのに、今はケロッとしている。
「さっきのあれは何だったんだよ?」
ユイは、あれだけのヒステリックを起こしていたのが嘘のようにご飯を食べ進めていた。
「まあ、いろいろ吐き出しちゃったらおなかがすいたんだよ」
「そうか。まあ、飯を食えるくらいには元気そうでよかったよ」
「ごめんね。心配かけちゃった。それに、君のことを何も知らないであんなことを言ってゴメン」
「もういいよ。済んだことだしさ」
ニクスはユイに感謝をしていた。
だから、ユイに謝られることが心苦しかった。
「気になっていたんだけどさ、本当についてくるつもり? 冗談だよね?」
ユイは自身についた悪魔の腹ごなしのためにいろんなところをめぐっているだけだ。
ユイにはこんな退屈な旅についてこようとする人間の心が理解できなかった。
「別にいいだろう。なんか、アンタがほっとけないしね」
ユイが体についた悪魔を取り払って人が死んだ。
そのことで誰もユイのことを責めていなかった。しかし、ユイは自分自身を許せないでいた。
それだけで取り乱してしまうユイのもろさを見てしまったから、ユイのことをほっとけないでいた。
「アタシに惚れちゃったのかな?」
「それはないね」
「そんなきっぱり言わなくたって……ただの冗談なのに。てか、冗談だからこそ尚更傷つくね」
ユイはニクスに聞こえない程度の小さな声でつぶやいた。
冗談のつもりで言ったことに乗ってくるわけでもなく、やんわり否定するのでもなく、きっぱりと否定してきたことが意外だった。
そして、そのことによるダメージが思いのほか大きかった。
「なんか……ゴメン」
ニクスは激しく落ち込むユイのことが見ていられなくなった。
「じゃあ、どうしてついてこようなんて思うの? 正直、アタシ、君に嫌われることはあっても好かれるようなところは一つもない気がするんだけど」
「一度卑屈になるとかなり面倒くさいな」
「ただ事実を述べただけでどうしてそうなるかな?」
「事実ってなんだよ?」
「君との約束果たせなかったことだよ」
「ああ……あれね。アンタはしっかり果たしたよ。俺はあいつのことを助けてほしかった。アンタは望み通りアイツを助けてくれたじゃないか」
「でも、君が望んだ結果らはほど遠いものだったよ」
「だな。でもさ、俺は感謝しているんだぜ。」
ニクスはコップに入った茶を飲みほすと、窓の外のほうへ目をやった。
ニクスの目線の先には手製のみすぼらしい十字架があった。
「アイツはさ、俺が出稼ぎに行ったときの話を聞くのが大好きなんだ。いつも笑って聞いているんだ。土産話をたくさん持って帰ってきて、ここで話してやればアイツも喜ぶかなあって」
「面白ければ何でもいいっていうんなら、アタシと一緒じゃなくたって……」
「アンタと一緒のほうがもっと面白い話が見つかりそうだからな」
朝食を済ませると、ニクスは荷造りした。
一時間ほどでそれを完了させた。
旅の支度が済んだ二人は家を背にした。




