死神のコンプレックス
こんな形で素顔がばれたのはユイにとって計算外だった。
「驚くのも仕方ないか。ずっと隠していたんだもん」
ユイの素顔を見た時、ニクスの目は拒絶一色で塗りたぐられていた。
この異様な姿をあの目で見たら、後悔と罪悪感から一緒にいられないと思うはずだ。
これまでフードの中身は普通の人間であるようにふるまってきた。
最初に会った時からずっと騙してきたんだ。
アタシのことを根はいい奴だなんて言っていたけど、幻滅するはずだ。
彼の友達に憑いた悪魔が狩れないのは惜しいけれど、それぐらいなら我慢できる。
化け物を見るような目を向けられることに慣れたと思い込んでいたことには驚いた。
いまだにあの目を向けられていたいと感じるんだ、と。
この姿を見て拒絶反応を示したんだ。一緒にいられない。もやもやしたものは残るだろうけど、ニクスにはここから去るしか選択肢はない。
その考えが的外れだなんてユイは思いもしなかった。
ユイが望んだ反応は見られなかったからだ。
「どうしたの?」
ユイはただ訊くことしかできなかった。
ニクスはユイがこれまで見たことない反応を示したからだ。
「なんで泣いてるの?」
ニクスは顔をゆがめ涙をボロボロ流していた。
ユイには、この悪魔に体のほとんどをむしばまれた姿を見て泣く人間の心情が知りえなかった。
「笑えよ! 笑えぇぇぇぇぇ!」
さっと嘲り笑って、アタシの目の前から消え失せろ!
なんで泣いているのかなんて知りたくもない。
あの目を思い出させるものは誰であろうとそばにいてほしくない。
あの目はまるで心臓にナイフを刺されたかのような痛みをアタシに与える。
「なんでそんな面するの? いまさらいい人ぶったって、アタシのことを拒絶したのに変わりはないんだ」
「そんな痛々しい姿を見て泣かないやつがいるかよ?」
「君みたいののほうが初めてなんだけど。そんなにきれいごとはいて聖人ぶるのが好きだっていうの?」
ユイは腹が立った。
この姿を見て拒絶反応を示さなかった人は一人もいなかった。
現にニクスも化け物を見るような目でユイを見た。
それには腹は立たなかった。
一回拒絶しておきながら、きれいごとを吐くことで許してもらい一緒にいようとするニクスの図々しさに腹が立った。
「ちゃっちゃといなくってよ!」
ニクスの中の何かが切れた。
ニクスの中でとにかく怒りが無限に湧き上がってきた。
その理由がニクスにもわからなかった。
「フードの中身がそんなだったら、そりゃあ、驚くだろうがよ。だって、あんた自身、自分が悪魔憑きだなんて言っていなかったからな。あれだ、突然大きな声出されたびっくりするのと同じで、別にそれに対して何も思っちゃいないんだよ」
ニクスは怒りをぶつけるように怒鳴った。
大声を出したことによって、ニクスの中にあった怒りはきれいさっぱり消えた。
「正味、悪魔憑きなんてもんは見慣れているんだ。だから、いまさらアンタが悪魔憑きだからなんて理由で突っぱねたりするかっての」
「嘘だね。こんなにたくさんの悪魔に憑かれた化け物を気色悪がらないわけがない」
親にさえ拒絶され見捨てられたこの姿を受け入れてくれる人間がいるわけがない。
その証拠に、あのコートで骸骨による盛り上がりを隠さないでいたら見ず知らずの人に後ろ指をさされた。
悪魔憑きは散々見てきたんだから、そんなのを見たところで今更何とも感じない?
吐き気がするほどのきれいごとだ。
自分をいい人に見せたいだけの憎らしいきれいごとだ。
耳触りのいい言葉を並べて、アタシの気分を良くさせようとしてるに過ぎない。
仮にも只の悪魔憑きと同じだと認識するやつがいたら、この体を隠すような恰好なんかをするはずもない。
「もう黙れよ」
ニクスはユイを抱きしめた。
ユイはニクスを突き放す言葉が出せなくなった。
「なんで泣いてるの?」
「アンタの痛みがひしひしと伝わってきて、辛いんだよ」
「アタシは……別に痛くなんか」
「本当に痛くないってんなら、なんでそんなつらそうな顔するんだよ」
ニクスを突き放すための言葉を吐くたびに胸に刃物が突き刺さるような感覚。
わかっていたよ。
君を責めるための言葉でそのまま自分を傷つけていたってことぐらい。けれど、君がいなくなってくれるんなら、こんな傷み安いもんだ。
だから、痛いのを我慢して言い放っていたんだ。
なのに……なんだって君はそこまで……。
「本当に何なの? こんなことされたからって嬉しくなんかないんだからね」
「はいはい……わかったよ」
ニクスはその涙の意味が分かっていた。
ユイを抱きしめると殻が強くなった。
ユイは肉うすの強すぎる力に苦しくなっていたが、どこか心地よさを感じていた
「君は……こんなアタシを受け入れるっていうの?」
「受け入れるなんてそんな大層なもんじゃねえよ」
そもそも受け入れるっていうのが何のことかわからない。
ユイのことを差別的な目で見ないというのが受け入れるっていうことになるんなら、悪魔憑きが弾圧を受けることなく平穏に暮らせるこの社会は何なんだろうか?
「普通のことを普通にやっているだけだってのにいちいち大げさだなあ」
「悪魔に体を盗まれまくって十年。そんな人間、君が初めてだよ」
「盗まれたってどういうことだよ?」
悪魔が人間の体を得るのは、人間に与えた力の代償としてだ。
悪魔が一方的に人間の肉体を奪うことはない。
「そのまんまだよ。あいつらはアタシの中に勝手に居ついて、アタシの体を奪いやがった」
「じゃあ、アンタは悪魔と契約するでもなく勝手に力を与えられて、その代わりに体を奪われたってことか?」
「正確には、力は一つもくれなかったけどね」
「とられるだけとられたってことかよ」
「あいつらは人間の体がほしいだけだからね。人間に力をあげる代わりに体の一部をよこせっていうのも、自分が人間の体に侵食しやすいように変質させていっているだけのことだし」
「苦労してんだな。そんな大勢に憑かれちゃったら、侵食のスピードだって速いだろうし」
「どうかな? これだけたくさんの悪魔に憑かれたことに慣れちゃったし、その辺はわからないや」
ユイはこんなことに慣れたくはなかった。
強盗に無理やり居座られるようなものだから、不愉快極まりない。しかし、ユイ本人はそれをどうしようもできない。
「アンタ、慣れって言葉ですませば大抵のことは収まるって思ってんじゃないだろうな?」
「そういうもんじゃないの? 心が痛いのだって何度も経験すれば慣れて、痛いのもなくなってくる」
本当はそんなのウソだ。
あの目を思い出すたびに心が張り裂けそうになった。
左目を応用に予備た骸骨。
服を着ていてもくっきりと出る異様な盛り上がり。
この石のように固くて白い肌。
これらを見たものの眼差し。
やつらはみんな気持ち悪がった。
やつらがそんな目を向ける理由はわかっていた。
アタシが只の悪魔憑きではないからだ。
ただの悪魔憑きは弾くが白く染まり、石のように固くなるだけだからだ。
こんな風に体中に骸骨が浮き上がってくるなんてことはない。
たかだか骸骨が浮かび上がったかどうかの違いだけで、区別され、忌み嫌われてきた。
慣れたなんて言うのはただの強がりだ。
そうやって強がりを吐いて慣れたことにしていないと身が持たなかったからだ。
あの目を向けられても痛くないと思い込んでどうにかやり過ごして、やっとここまで来た。
あの目を向けられることに慣れたって虚勢を張って、痛みを感じる心を無視することでしか歩けないんだから仕方ない。
「はあ」
ニクスはこれ見よがしに溜息を吐いた。
ユイはそれの意味に興味はなかった。
けれど、ニクスの「どうしようもないし、これ以上は何も言わない」というのがくっきりと浮かんだ表情が気に食わなかった。
「その全部お見通しだとでも言いたげな態度はむかつくね」
「そういうのは陰で言ってくれよ」
「アタシは陰口は言わない主義なんだ」
「陰口なんてせこい真似はしたくないってか?」
「違うよ。アタシが陰口を言ってしまったら、他人にアタシの陰口を言う権利を与えてしまうことになるからね。そんなものあげたくないから言わないようにしてるの」
「なんて言うか……せこい性格してるな」
「アンタにだけは言われたくないね」
正面切ってせこいなんて言われたことに対するささやかな反撃だ。
口げんかになったらニクスに勝てないと悟ったユイはせめて一矢無報いるだけのことはすると決めた。
「ところでさ、アンタは悪魔を短い期間に何体も狩っても大丈夫なのか?」
「二匹くらいなら明日、明後日でも大丈夫って感じかな?」
「あのさ……アンタに頼みがあるんだ」
ユイの口元が緩んだ。
待ちわびたものがやっと来たからだ。
「俺の友達にさ、悪魔に憑かれてしまったやつがいるんだ。そいつの悪魔を取り払ってくれねえか?」
「お安い御用だよ」
返事はもとから用意してあった。
ニクスが言い終わるまで出さないよう、踏ん張るのが辛かった。
それがやっと言えた。
今、ニクスのほうに顔はむけられない。
ユイの顔は完全に緩んでいて、笑っているようにしか見えないからだ。
「どうしたんだ?」
「ちょっとおなかがもやもやするんだ。冷えちゃったのかな?」
「安心したよ。悪魔が原因の異変でも起きちゃったのかと思ったよ」
顔を見せないためにうつむいたけど、それが不安を誘うなんて思いもしなかった。
それと、人間とっさに嘘をつくもんじゃないな。
急におなかがもやもやし始めた。
いや、これは腹を下した的なあれじゃない。
ワクワクするとやけにおなかがもやもやする体質から来ているんだ。
今日ほどワクワクのワクワクを最後に感じたのがいつなのか忘れるほど長い間、胸を躍らせることはなかった。
だから、この奇妙な体質のことを忘れていた。
無数の悪魔に憑かれた体になってからずっと疎まれ続けてきた。
そりゃあ、ワクワクなんてものは忘れてしまうか。
見知らぬ土地にある有名な喫茶店のココアが楽しみなんて言っても、正味ちょっと関心があるって程度でワクワクなんてもには程遠い。
ユイ自身この体を呪った。
自分を見捨てた親でさえ恨んだ。
こんな体じゃなければ、なんて数えきれないほどの回数思った。
この体質が生まれて初めて他人の役に立とうとしている。
ただのあてつけだけで生きてきた無意味な存在に意味を与えてくれる。
それがうれしくて仕方なかった。
そして、ワクワクという感覚を思い出した。
「アタシの正体がわかってからずっとなんかものほしそうな目で見ていたから怖かったけど、そういうことだったんだね」
「ああ。本当は昼間に言い出したかったんだけど、なんか言い出せなくて」
「どうして?」
「会ってすぐで互いに信頼なんてなかっただろ? そんな状態で頼んだところで聞き入れてもらえそうにないなって思ったんだ」
「なるほどね。それでアタシの後をつけていたのか」
「どっちかっていうとアンタが俺の後をつけていたよ」
「そうやって冷静な自分のが正しいことを言ってるみたいな雰囲気出してるけど、鬱陶しいだけだよ。アタシは知ってるんだからね。本当はアタシの行き先を予想して先回りしていたのはわかっていたんだからね」
ニクスは観念して、ユイの行き先に先回りしていたことを認めた。
ユイが喫茶店に行くことは予想していた。
シジョーで有名なスポットはあの喫茶店だけだからだ。
「悪いな。不安な思いさせちまって」
「そう気にすることでもないよ。事情を知っちゃたら、安心できたしね」
「そうか。ああ……もうこんな時間か」
空を見ると、少し赤みがかっていた。
日が出だしたからだ。
「出るか?」
「もうちょっと明るくなったらね」
あんな中途半端な時間に起きて、それからずっとずっと話していたせいで疲れてしまった。
もう少し寝ておきたかった。
ユイはランプをリュックの中に入れると、布団をかぶった。
「八時に起こしてね」