9
「やっと着いた」
その声からは達成感があふれ出ていた。
朝起きてから、ずっと歩き続けたユイは体力の限界が近かった。
「本当にやっとだよ」
これまで歩き続けた疲労感がユイやニクスに一気に襲い掛かった。
ニクスはこの疲労感に対して思うことは何もなかったがユイは違った。
ユイはこれまでにない疲労感に驚いた。しかし、一秒ほどのまもなくしてそれほどまで疲れても仕方ないなとその疲労感が相応であることを理解した。
ユイたちはこれまで未開の地を一週間以上歩き続けていた。不慣れな環境での生活に思った以上に体力を奪われていた。
そこに加え、この聳え立つ巨大な壁だ。
高くそびえる壁だけは何キロメートルも前から見えていた。どれだけ歩こうとも、壁がだんだん大きくなってくるなどの変化が一つもなかった。どれだけ歩いても変化がない壁は、ユイの感覚に狂いをもたらした。
たしかに壁のほうへと歩いているのに、まったく近づいていないようにユイは錯覚させられた。
そして、そのことがユイのペースをユイが気付かないうちに上げさせた。
朝の十時から歩き続けて、午後の三時を少し回ったころに壁の根元にたどり着いた。
この五時間で休憩をはさみながらでも二十キロメートル弱の距離を歩いた。
体力に自信のあるユイでも足は限界にかなり近づいていた。
「ちょっと休憩」
ユイは背負っていた荷物を地面に置き、腰をおろした。
「かなり歩いたな」
ニクスはユイに続くように座った。
疲れのたまった足をもみほぐした。
「にしても、すごいよなあ」
ニクスは体を反って見上げた。
それでも、まったくもって壁の上端が見えなかった。
「昨日の森を出てすぐのところでもまったく見えなかったし。どれくらいあるんだ?」
「下手したら宇宙に届くぐらいあるんじゃない?」
「かもな。それにしてもこの壁を作ったやつは相当な間抜けだよな」
「どういうこと?」
「だって、外部からの侵入を防ぎたいんなら、こんなに高くする必要ないだろ?」
「それもそうだね。この壁を作ったやつは何が怖かったんだろうね? こんなに高くしちゃったら、ろくに太陽の光だって入ってこないだろうし」
「さあな。でかい鳥でもいたんじゃねえの?」
「意外とそうだったりしてね」
この天にまで届きそうなほどの高さの壁は空からの侵入も許さなかった。
ユイたちの視界に入った鳥は壁より上の高さに上昇することができない。
「この壁はある意味恐怖だよね」
ユイは壁に向かって歩いているときに恐怖を抱いていた。
どれだけ歩いても一向に近づいている気はせず、時間だけが過ぎていく状況はユイが経験したどの恐怖の経験よりも恐ろしかった。
「なんだかんだ言ってもただの壁だろ? 何言ってんだよ? アンタらしくもない」
ニクスはユイを煽るように軽口をたたいた。
どこにでもありそうな町を守るための壁に恐怖感を抱くという感覚がニクスには理解できなかった。しいて言えば異様に高いことぐらいなもので、ニクスが見た限りでは壁自体は特に特別な仕掛けが施されているようには感じられなかった。
恐怖を抱くとしたら、この壁が崩壊したときか。
それをイメージして言ったのなら納得できなくもない。
それならそれで、会話が飛躍しすぎていてやはりユイの考えていることが理解できないが。
「いやいや、どれだけ歩いても近づいているのかどうかがわからないのって怖いと思うよ」
「ああ……そういうことか。悪い。勘違いしてたわ」
「何だと思っていたの?」
「なんていうか猛獣が自分の目の前にいるような怖さかなあって」
「そんな風には思わないよ。たかが壁でしょ? 脅威じゃないよ」
ユイは脅威には思わなかったが興味を持った。
この壁の存在する意味に。
常識的に考えれば、外部からの脅威を守るためだけに存在しているのであろう。
ところが、ユイはこの壁にはそれ以外の意味があるように思えた。
それは、この壁は内側にいる人間を閉じ込めるための牢屋。内部の人間をこの場に閉じ込め、外部との接触を絶っているのではないか。ユイはそう考えた。
その考えを後資するように外部との接触を阻む巨大な壁には町の入口は全く見当たらない。
「水を差すようで悪いけど、どうするよ?」
ニクスが申し訳なさそうに口を開いた。
何十メートルもの大きな壁でふさがれた町。
町はアリ一匹さえも通さないと訴えかけいるような強固な壁で阻んでいる。
「あ……なんかあそこに小屋があるよ。もしかしたら、人がいるのかも」
「あそこってどこだよ?」
ユイが指をさした方向を見たが、小屋らしきものは見当たらなかった。
ただ延々と壁が続いていた。
「とりあえず行こうよ」
ユイは小屋へと向かうよう促した。
「でもさ、ちょっと休んでからでいいか? さすがに今すぐ行くにはちょっときつい」
「でもさ、中に入ったらもっと休むのいい場所だってあるかもしれないよ? もう一息頑張ろうよ」
「そうだな」
ユイはリュックの中からコートを取り出した。
「それ、着るんだ」
「まあ、この顔をあまり見られたくないしね」
ユイはコートについているフードを深くかぶった。
ユイはかなり小柄なほうなので、ほとんどの人にはそのフードの中身が見えない。
ユイが隠したいものは、左目の部分に浮かび上がった骸骨だった。
それはユイに憑いた無数の悪魔のうちの一匹だ。
ユイは目の上に浮かんだ個の骸骨を見られることを非常に嫌う。
それは、自分の顔に対するコンプレックスからではない。この骸骨が飛び出た顔に向けられた拒絶の目を見ないようにするためだった。
ユイを遠ざけ、ユイの存在を否定する目。
ユイはその目を向けてくる人間を見るのが嫌だった。
そのために
顔を隠すために深くフードをかぶった姿を奇妙な目で見られることはどうでもよかった。
ただ、自身に向けられた化け物でも見るかのような目を視野に入れたくなった。
ニクスはユイがコートを着て荷物を背負うのを待っていた。
十分ほど歩くと、小屋の前に着いた。
そばの壁には扉があった。
そこが町の入口だ。
正円でも楕円でもない幾何学的な形で街を囲い込む壁には隙間が一つもない。そして、周囲の木々をの背を軽く超え、上空からの侵入さえも許さない。
これじゃあ、まるで世界を拒絶しているようだと。ユイは思った。
そして,その町への小さな入口は入り口でありながら何人たりとも通さないという強い意志であふれているような印象を受けた。
「アンタ、目がいいんだな」
ニクスは小屋にたどり着くまで小屋の存在を信じ切っていなかった。
それはニクスには見えなかったからだけではなかった。壁はきれいな円で街を囲っているわけではない。ところどころうねっていたので、その出っ張った部分を何かと見間違えたのではないこと言う思いがあったからだ。
「すいませ~ん」
ユイは小屋の戸をたたいて、中に呼びかけた。
「ん……ああ……」
小屋の窓から男が顔を出した。
「あのさ、この中に入りたいんだけど」
「ああ……。今、開けるからちょっと待ってね」
男は鉄の扉の取っ手を握った。
「おいおい……」
ニクスの呟きには驚きとあきれが入り交じっていた。
何百キロもありそうな扉を何の道具も使わないで開けようとしている。
常識で考えて到底不可能ことを馬鹿みたいに実行しようとしている姿をニクスは愚かだと思った。
どういう意図かはわからないが、結果がわかりきったことを何の意味も持たないこの状況で無駄に行う男を馬鹿という言葉以外でニクスには表現のしようがなかった。
そんなニクスの心中を察したのかのように男はニクスは笑顔を向けた。
男が取っ手を引っ張ると、扉はみしみしと音をたてた。
そして、扉はわずかだが確かに動いた。
扉は二、三分ほどで完全に開いた。
「おいおい……ウソだろ!? 本当にあけやがった」
ニクスは目の前で起こったことを受け入れることができなかった。
男はかなり筋肉がついていて、背丈もかなり高かった。
それでも分厚い鉄の扉を動かせるほどの腕力など持ちえていないように見えたからだ。
「伊達に門番をやっちゃいないってことだよ」
門番は自分の怪力を自慢するように言い放った。
それに感心するニクスにユイは冷たい視線を放った。
「できて当然でしょ? あの人、悪魔憑きなんだし」
「ああ……そういうことか」
ニクスは納得した。
門番の男が常識外れの怪力を発揮できたのは悪魔憑きだとわかったからだ。
悪魔憑きは自身に憑いた悪魔に体の一部を与える代わりに一般的な人間では到底出せない力だったり能力を得ることができる。
その尋常じゃない力や能力をまとめて異能と呼ぶ。
たとえば門番がやって見せたように、何の仕掛けもない何百キロもする鉄の扉を道具を用いずに開けることだってできるようになる。
ユイに冷めた口調で説明されたことで、恥ずかしさを感じた。
ほんの少し頭を働かせれば、すぐにわかる仕掛けに馬鹿みたいに感動したのが恥ずかしかった。
「ようこそ。僕らは君たちを歓迎するよ」
「へえ、なかなかよさそうなところだな」
冷たい壁のせいであまりよくない印象を持ちかけていた。ところが、温和な印象を受ける門番が出てきたのでその印象を持つことはなかった。
「ところでさ、なんたってこんなでかい壁で囲っているんだ?」
「ここら辺は獰猛な生き物がかなりいるからね。これぐらい頑丈じゃないと安心して夜も寝れないってわけさ」
「なるほどな」
ニクスは事情を理解しながらも納得はできなかった。
猛獣から守るためにしては壁がやけに高すぎる。
獣から身をも守るためだというのならせいぜい四、五メートルあれば十分だ。
この壁はそんな高さを軽く超えている。軽く見ても二十メートルはある。下手をすればもっとだ。
それにこの強固さを持たせながらそんな高さを持った壁を作る技術があることにも納得がいかない。
ここまでの高さを持った壁を作る技術はどこにもない。
この壁に興味は尽きないが、今は痛みを訴える足を休ませたかった。
「なんだよ、ここ?」
ニクスはこの空間に満ちている妙な空気に戸惑いを見せた。
この街の空気が生理的に受け付けない。
理由や理屈もなく、本能が受け付けない。
「ああ……そういうことか」
ニクスとは対照的にユイは冷静でいた。
「道理で、そういうわけだよね」
ユイは壁に手を当てていた。
手から伝わる感触に苦い表情を浮かべた。
「質が悪いよ」
あの時思ったことがそうであってもあながちおかしくないと思った。
そう思ったからこそ、ユイは憤りを覚えた。
無防備に近づいてしまったが最後、逃げ道を完全にふさがれてしまった。
ここまで来て街に入るのをやめることはできない。
それはユイの意思でどうにかできるものではない。
目の前に存在する街に歓迎されてしまった。ユイはそれをむげに断ることはできない。断ることができたとしても、この街から遠ざかることができない。
ユイはこの街に捕まえられた。
その手をほどくことをユイはできない。
「何か言ったか?」
「なんにも。てか、顔色悪いよ。どうしたの?」
ユイが指摘したようにニクスの顔は青ざめていた。
そして、大粒の汗が大量に出ていた。
「え……!? いや、なんでも」
この町に入った途端に具合が悪くなったなんてニクスには言えなかった。
「こっちでちょっと休むか?」
心配そうに門番がニクスに駆け寄った。
「え!? ああ……じゃあ、頼むわ」
門番はニクスを小屋の中へと連れて行った。
長椅子にニクスをねかした。
「水、飲めるか?」
門番はグラスに水を入れ、それをニクスに渡した。
「ありがとう。助かるよ」
ニクスはゆっくりと水を飲んだ。
「とりあえず、大丈夫そうだな」
「こういうことってあるの?」
「時々ね。まあ、ここまでひどいのはおそらく初めてだろうね」
「辛いだろうけど、どうしてこうなったのか教えて」
中に入った途端に具合が悪くなることが時々起る。そんなところにこれから入ろうとしていた。
そして、この中に入りたいと強く思っているユイにとってはこれから先のことを考えるためにも訊いておきたかった。
「こんな壁のなかに閉じこもっているからな。空気のよどみっていうのが結構あるわけよ。ドアを開けるとそこ向かって押し寄せるんだ。そのよどみを大量に体内に入れてしまうと、この人のように具合が悪くなってしまうことだってあるんだ」
「工場の排気ガスとかじゃないの?」
「それは安心してくれ。ヘツカに機械を使った工業はないんだ」
「それはそれでどうかと思うけど……」
工業が発展していないということは生活の水準が低いということだ。
それだけ不便な生活を強いられることになる。
「こんな環境じゃあ、空気や水を汚す産業はできないんだよ。下手に環境汚染しちまうとこの壁の中にいるやつ全員が死ぬことになるからな」
換気ができていないことによって空気の質は悪いが、空はスモッグで淀んだりしていない。
それに、ニクスに出された水は透き通っていて、安全であることもわかった。
「じゃあ、ニクス君が回復するまでお世話になってもいい?」
「ああ。じゃあ、入るときになったら言ってくれよ」
門番はユイに背を見せた。
門番は小屋から出ようとしていた。
「どうしたの?」
「門を閉めに行くんだよ。ずっと開けておくわけにもいかないからな」
「ごめんね。迷惑をかけちゃって」
門番は門を開けたり閉めたりするために異能を使っている。
門番に異能を無駄遣いさせてしまったことをユイは申し訳なく思った。
「いいよ。そんなに大したことじゃないから」
門番は小屋から出ていった。
小屋の中にはニクスとユイの二人しかいない。
「悪いな。俺のせいで」
「でも意外だったね。君って意外に繊細だったんだね」
「うん……ああ、そうだったんだな」
ニクスはユイに調子を合わせることにした。
ヘツカに入った途端にした生理的に受け付けない何かは空気のよどみが原因ではない。正体こそわからないが、とにかくいやなものが充満していた。
「結構歩いたし、結構疲れもたまっていたんだよ。その疲れが不意打ちでどっときて、それに空気のよどみだっけ?それらのせいで体が耐え切れなかっただけだよ」
「だといいんだけどな」
ニクスの中でヘツカに対する疑いがくっきりと浮かんだ。
ニクスはそれが勘違いであってほしいと思っている。
門番を見た時、門番はいい人そうに見えたからだ。
ニクスは人を見る目はあると評価されている。その通りならば、門番はいい人であるとニクスは考えている。
そんな人物が気持ちよく住んでいる町なのだから、その町は明るく平穏であってほしい。そんな気持ちからヘツカはそんな疑いを払しょくするくらい素晴らしいところだと信じていたい。
「どういうこと?」
ユイにはその意味が理解できなかった。
しかし、その言葉には重大な意味が隠されていると感じた。
言いたいことがあるがはっきりと言えないニクスの発した何かを求めるシグナルだとユイは思ったからだ。
「なんでもない」
起き上がろうと体に力を入れた途端、頭がくらくらしだした。
実際にニクスの体は限界にかなり近かった。
その証拠に、今のように起き上がるほどの力さえニクスには残っていなかった。
「悪い。もうちょっとこのままでいさせてくれ」
「いいよ。アタシだって君に無理させちゃったんだし」
ユイとニクスの間の体力の差は、悪魔憑きと普通の人間だからというものではない。
そもそも、悪魔憑きと人間を比べた時、悪魔憑きが人間とは別の種別だといえるほどの大きな差はでない。
人間と悪魔憑きが別の種族だと思わせるほどの大きな差が出るのは悪魔憑きが異能を使っているときだけである。
それでもユイがかなり筋肉の着いたニクスをはるかに超えるスタミナを持っているのはユイが特別だからである。
ユイは悪魔憑きに憑いた悪魔を自身の栄養にできる。
鎌で切った悪魔はただ死ぬのではなく、ユイやユイに憑いた悪魔の養分となる。
悪魔を栄養にしてきたことによって体も変質した。変質したものの一つは筋肉だった。悪魔を栄養としたことによって変質した筋肉は普通の人間以上をはるかに凌ぐスタミナをユイに与えた。
疲れに鈍感だったせいで、ニクスに無理を強いた。
そのことがユイの胸を締め付けた。
「そんな思いつめなくたっていいって。無理した俺が悪いんだし」
「でも……」
ニクスにそう言われても、ユイは責任を感じずにはいられなかった。
巨大な壁のせいで距離感がつかめないでいたことを理由に、無理をして歩き続けさせたことには変わりがなかったからだ。
「まあ、休めば直に元通りになるって」
「君たちどこから来たんだい?」
「カラスマのほうからだよ」
「結構遠いところから来たんだね」
「まあね。壁を目印に歩き続けていてたら、五時間で二十キロくらい歩き続けていたんだから」
「そりゃあ、倒れちゃうよ。なんで、そんな無理をしたの?」
「あの壁がでかすぎるからだよ。何十キロも先から見える壁なんて普通ありえないでしょ? どれだけ歩いても近づいているような実感がわかないんだよ。本当に近づいているのか不安で、休むことさえも忘れてしまったんだよ」
門番は空気のよどみを大量に浴びて具合を悪くするものを数多く見てきた。具合が悪くなるといっても、吐き気だったり頭痛が少しする程度ですぐに治るものだった。
しかし、ニクスほど体調を悪くする者などこれまでいなかった。
門番はよどみを大量に浴びた意外に原因があると踏んでいたが、それが何なのか考えつかなかった。
そんな時にユイの話を聞いて納得した。
それでも門番はユイの話を聞いていて腑に落ちないことがあった。
「普通ならそんなことはないんだけどなあ。君らカラスマのほうから来たんでしょ?」
ヘツカに行くにはカラスマ方面から来るのが一般的だ。ヘツカを囲うようににある森には、ヘツカへと誘導するように道が作られている。
その道はヘツカまでの距離がわかるように作られており、ヘツカを訪れるものたちが無理をしないようにできている。
だから、ヘツカまでの距離がわからないなんてことはない。
「一回、ちょっとタカツキのほうに行ったんだよ。そこからヒラハタに寄って、アマノハラを迂回するように来たんだよ」
「それでか。確かにアマノハラを迂回してくるような人たちを想定していなかったからな」
「想定外ってこともないんじゃないの? あんなことやっといてそれはないでしょ!?」
ユイはヘツカの内情を全く知らない。だが、ヘツカであることが行われていることはわかっていた。その行為について強い反発を示した。
「それでも基本はアマノハラに入ってシジョーから来るように仕向けているんだ。君たちのように一旦アマノハラを抜けて、それを迂回してくるなんてことはこれが初めてだよ。それも、ヤマト方面からでしょ? あっちからぐるっとまわりこむなんて想定外だよ」
「ゴメン。そうだよね。そうだろうね。こんなルートで来られるなんて誰も想定できないよね」
ユイはこれまでの軌跡を思い返して、想定外であっても何ら不思議でないことを理解した。
アマノハラを迂回していた時、人が作った道らしきものはなかった。それどころか人が通った形跡すらなかった。
ヒラハタからはアマノハラへと繋がる道があった。
それを通って、シジョーを経由すれば、半月ほど早くヘツカにつくことができた。
ユイはその道だけは通りたくなかった。
ヒラハタからアマノハラへと向かう道を通るとどうしても避けられない都市を通らざるをえない。
その都市を避けるようにいくためには、アマノハラを迂回するしかなかった。たった一つの都市に入るのを避けるためだけに、誰も踏み入れないところを通って行った。
「てか、ヒラハタからアマノハラを迂回したってことは、山を越えたってことだよね。よく、そんな無茶苦茶やろうって気になれたね」
「うん……まあね」
「なんかまずいこと言っちゃったかな?」
「そういうわけじゃないんだ。ちょっと、嫌なことを思い出しちゃってね」
「悪いな」
「いいよ。アタシだってこのタイミングで思い出すなんて思っていなかったから」
小屋の中は沈黙に沈んだ。
誰も話を切り出すことのできない微妙な空気が充満してしまった。
ニクスはうめき声をあげながら起き上った。
「起き上がって大丈夫なの?」
「あんまり無理はしないほうが……」
ユイと門番はニクスのことを心配した。
一回起き上がろうとしてからそんなに時間がたっていないのに、再び起き上がろうとしたからだ。
「さっきから気になっていたんだけど、何の話なんだ? 仕向けるとかなんとかって……どういうことなんだ?」
「このヘツカって町自体か、ヘツカに住む悪魔憑きかのどっちかは知らないけれど、そのどっちかがアタシに呼びかけていたんだ。こっちに来いってね」
ユイは旅を始めたころはそんな声のことなど気に留めずにある場所を避けるように旅をしていた。
しかし、その声を何度も聞くうちに無視できなくなり、その声がするほうへと旅をするようになった。
それでもタカツキやヒラハタでやることがあったので、それらを終わらせてからヘツカに向かおうと計画していた。
「まさか、悪魔憑きの町に悪魔憑きを呼び込むためのトリックだったなんて思いもしなかったけどね」
「それが仕向けるとかの話か?」
「そういうこと。釣り上げられた魚ってこんな気分なんだろうね」
「あんまりいい気分じゃないな」
「だよね。なんか間抜けな感じだし」
「そんなこと言われてもなあ」
門番はユイたちの勢いに押されて、言葉に詰まった。
「ごめんね。冗談が過ぎたようだ。別にこっちゃいないよ。釣られたアタシらが間抜けだっただけの話だしね」
「だいぶ前から誰かに誘われている感覚があったんだ。まさか、それがこんなことになるなんてねえ」
「てか、誘われてるってどういうことだ?」
「なんだかよくわからないんだけど、ずっとこの街のほうへと旅をしていたんだ。アタシを呼ぶ誰かがいてさ、その誰かの声がするほうへと進んでいたんだよ」
「で、その理由がこの空気ってわけか?」
「そういうこと。この街にいる人間はみんな悪魔憑きだったんだ。この街の誰かがアタシに呼びかけていたんだよ」
「そんなのありえねえだろ!? アンタは死に……アレなんだ」
「アレって……ああ……そういうことね」
ニクスは死神という言葉を濁したんだと察した。
悪魔憑きが大勢いるところで死神なんて単語が飛び出せば、不要な混乱を生むとすぐに理解したからだ。
「おそらく、悪魔憑きにだけ感知できる何かを発していたんでしょ。アタシだって悪魔憑きなんだしね」
ニクスはそれでユイが悪魔憑きであることを思い出した。
普段肌を見せないことや話している分には人間と変わりないことからユイが悪魔憑きであることを時々忘れてしまう。
「なんなの? そのアンニュイな顔は?」
「いやあ、アンタが悪魔憑きだってことをすっかり忘れてたなあって」
「このやり取り、もう五回目だよ」
ユイはあきれ気味に言った。
「あれ? もうそんなになるのか? ハハハ」
笑ってごまかそうとするニクスに何かを言う気力もわかなかった。
「てか、悪魔憑きの異能ってレベルじゃねえだろ。何百キロも離れた悪魔憑きを呼び寄せるなんてさ」
「だよねえ。なんか裏がありそうだよねえ」
「そりゃあ、あるろうよ。こんな人里離れたところに悪魔憑きを呼び出すなんて、悪魔憑きが頑張ったから程度で済ませられるはずがねえし」
ユイたちの予想を裏切るように門番が話に割って入った。
「まあ、そうはいっても調べようなんて思うなよ」
「ヘツカにとって都合が悪いから?」
「よそ者が必死になったところで種が明かされることはないからだよ。時間を無駄にするだけだから、こんなことに時間を無駄に費やすなっていう忠告だ」
「ふうん。忠告ありがとう」
「じゃあ、開けるぞ」
「さっきのようにはもうかねえ」
大きな音と土煙を上げ鉄の扉は動いた。
先ほどのように突風が吹いた。
その風の中によどみはあまりなかった。
一度よどみが吐き出されてから、時間があまり経っていなかったから風に混ざるほどのよどみはたまっていなかった。
ユイとニクスは門の向こうに広がる町を見て唖然とした。
さきほどは、疲労の蓄積やよどんだ空気を大量に浴びたことによってニクスが意識を失ったことに動揺して、町の様子を見ることまではできなかった。
しかし、今回は扉が開けられても誰も異変が起きなかった。なので、門の向こうに広がる光景を見ることができた。
ユイとニクスは何度も門の外と中を見た。
門の向こうに広がる町はまるで夜のような暗さだった。
「なんか薄気味悪いな」
「これだけ高い壁に囲われていたら日光なんてそうはいってこないよ」
壁には日の光を取り入れるための穴が無数に開いている。
それでも、街を明るくするには足りない。
「で、これはなんなの?」
門を入ってすぐのところでユイは光り輝く電灯のようなものを指さした。
門番に明かりのことについて聞く声は少し刺々しかった。
「ああ……これね。僕もよくは知らないんけど、晴れている日は結構光るんだよねえ。これのおかげで、ここって段差が多いのに、踏み外さなくなったしありがたいよ」
ユイは、門番の幸せそうな顔にこの明りについて言及する気を削がれた。
門番お幸せそうな顔を見て、不用意に不穏な空気を持ち込むのも野暮だと思った。
ユイの骸骨に隠れた赤い目がなければ、ユイは訊くことなく流していたであろう。
ユイはその目で明かりを見たからこそ、ユイの中のわだかまりは大きくなった。
「とりあえず、どこかで休まない?」
「そうだな。腹減って仕方ねえや」
ニクスの腹が大きな音を上げた。
朝食をとってから一度も食べていなかった。
「賛成。ねえ、近くに喫茶店とかない?」
ユイは扉を閉めようとしている門番に話かけた。
「ああ……ここをまっすぐ行けば……ちょっと待って」
「どうしたの?」
門番は申し訳なさそうな顔を浮かべていた。
案内をやめて、そんな表情を浮かべたことが気なって仕方なかった。
「いや、そこなこっから近いんだけど、飯がくそまずいんだよ」
「おい! くそまずいってなんだよ?」
門番と同じ服装をした人物がユイたちのほうへと近づいてきた。
案内しようとしていた店がけなされたのが我慢ならなかったからだ。
「人んちを貶すんじゃねえよ」
ユイは怒っている理由を聞いて納得した。
自分の家がやっている飯屋がまずいなんて言われたら誰だって怒る。
かわいそうだしその店で飯を済ますことにしよう。
「俺んちのはくそまずいんじゃねえ。まずいことはまずいけど笑いにもできない微妙なまずさだつってんだろうがよ!」
「別の店にしよっかな……?」
自他ともに認めるまずい店なんて行きたくなかった。
そんなまずいことで評判の店がつぶれていないことが不思議だった。
「つってもなあ……」
「何なの?」
「いや、さっきのやつの次に近い店ってこっから二十分近く歩かないとないんだよなあ」
ユイのなかにその店つぶれない理由が浮かんだ。
この町に入るころにはユイたちのようにかなりくたくたになっている旅人たくさんいる。そいつらが、まずくてもいいから近くの店で妥協するから、潰れない程度にはやっていけている。
「そっちの店のほうはどうやって行くの?」
「この道をずっとまっすぐ行くと壁に突き当たる。そこで道が二手に分かれているんだ。そこで右側に行って、まっすぐ歩いているとつく」
「なんか目印とかないの?」
「オレンジ色の看板に白いオムレツの絵が描かれた看板があるんだ。それが目印だな」
「一個訊き忘れたけど、そこはちゃんと食べられるくらいにはおいしいんだよね?」
「なんだよ、その言いかたは!? まるで、俺んちの飯が人に出せないものみたいじゃないか」
「事実、そうだろうがよ」
門番が容赦なく突っ込んだ。
「いいか? 店がつぶれないのはなあ、いくらまずくてもちゃんと人が食えるレベルではあるからなんだよ。つまり、まずくてもそれなりに食えるもんだしてりゃあ潰れないんだよ」
「アンタは自分の家の店を擁護したいのか貶したいのかはっきりしてよ」
「正直そんなに擁護したくねえよ。値段に見合わないまずさを量でごまかしているんだしな」
「なんで自分が貶すのはよくて俺たちが貶すのは駄目なんだよ?」
「他人に言われるとなんかむかつくから」
門番たちの言い争いにユイはしびれを切らした。
「面倒くさいし、ホテルの場所、教えてよ」
ホテルならその建物内か近くで食事を済ますことができると考えたからだった。
それに、ホテルならまずいものが出てくることはないだろうという信頼感があった。
「ああ……それなら……」




