序
そういうことです。
「おいおいおいおい! こいつは一体どうなってんだ!?」
薄暗い部屋に、悲鳴にも似た叫びがこだました。
声の主であるパトリックは禍々しいシルエットの椅子の上に、傍から見ても分かるほどにビビりながら座っていた。彼は仮にも中くらいの勢力を誇る"南の国"を治める魔王のくせに、今日に限って貫禄がない。
「朝から五月蝿いですね…バカみたいな声出してどうしたんです、魔王様」
と、今度はやけに肝の座った女性の声が聞こえてきた。彼の秘書、リーリヤであった。
「これだよこれ! お前は秘書のくせに朝刊も読んでないのかよ!」
パトリックはバッサバッサと音を立てながら新聞紙をリーリヤの目の前に広げる。彼女はそれを鬱陶しそうに払い退けると一歩下がり、何故かくるりと一回転をする。
「勿論存じています。今年の"ミス魔物"が私に決まったってヤツですよね。すみません、申し上げるのが遅れてしまいました」
自慢げにポージングを決めるリーリヤ。そんなアホな姿を見てパトリックはため息をつく。
「全然ちげーよ。そんなスポーツ新聞に乗りそうなニュースじゃなくて、"北の国"の魔王が転生者にぶっ殺されたって話だよ」
"北の国"――それはこの世界でも一大勢力を誇る大国だった。それがどうだろう、たった数ヶ月前にこの世界に来た"別の次元に住む者"の生まれ変わり、"転生者"と呼ばれる存在に破れた。朝刊の一面に乗るのも無理はない。
ここ数年、その"転生者"が増えている。
ある者は魔王を倒し、ある者は自分の国を持ち、ある者はダンジョンを開いたり、ある者は…まあなんかやってたり。とにかく多いのだ。別の次元からやってくる存在が。
それによって、均衡が保たれていたはずの世界が徐々に崩れている。魔物と人間の関係であったり、四精霊の力の関係であったり、或いは世界そのものが、徐々に狂い始めている。
そんな非常事態だというのに、リーリヤは「ああそっちですか」と呟いただけだ。この女の物事の優先度が『魔王≧自分>>その他』なので仕方がないのだが、秘書としては失格だ。
「てかお前今年の"ミス魔物"なの? すごいじゃん、おめでとう」
「お褒め頂き光栄です。しかし、私の記事は朝刊には載っていないのでしょうか」
「うん、残念ながら載ってないね」
おっと、話が逸れてしまったな。パトリックは魔王らしく気を引き締めると、秘書であるリーリヤに尋ねる。
「つーかお前はこの事案について何も知らないのか? 北の国の…何だっけ、名前ド忘れちゃったけど、アイツから何か聞いたりしてないの?」
「北の魔王イワノフ氏が転生者に、という事案ですね。それなら昨日の夜に電報を承っていたので承知していましたが…それが何か?」
「何か? じゃなくて。そういうのは昨日のうちに渡してくれよ…それって援軍の要請じゃないの?」
「いえ、『デューク君へ 急に超強い奴が攻め込んできて死にそう。もし死んだらHDDを壊しといて下さい:D イワノフより』とのことなので、おそらく遺言かと」
リーリヤは懐から黒い紙を取り出すと、ほぼ投げるような形でパトリックに手渡した。
リーリヤは確かに美人だが態度はクソ以下だなと、パトリックはまた溜息をつく。
「あーあ、何でお前みたいな奴を秘書にしたんだろう。包容力たっぷりのお姉さんタイプが欲しいって言ったのに、派遣会社には無能しかいないのか………っと、本当だ。随分と軽い電報だな」
パトリックが電報を一瞥すると、黒い紙は途端に青い炎に包まれてしまった。所謂"魔術"というものだ。「それだけですか?」とリーリヤは聞くも、彼は左手を上げるだけであった。
パトリック的には北のイワノフは何かにつけて領土や財力その他諸々を自慢してきてちょっとウザかったので追悼も黙祷もしない。そもそも本名はデュークじゃないし、一国の主の名前を間違えるような奴の墓には後で小便でもかけてやらねばならない。
しかし、それでも大国の主が討伐されたという事実に焦点を当てると、背中に寒いものが走る。
次は自分の国の番ではないのか。その時には自国に住む魔物を守りきれるだろうか。ついでに自分のパソコンは誰に壊してもらおうか。そんな考えたくもないことが次々と頭をよぎる。
「さて、どうしたものかね…」
「何がでしょうか? もしかして"ミス魔物"に決まった事に対する臨時報酬ですか?」
「バーカバーカ、俺と同じ給料貰ってるくせに甘えたこと言ってんじゃねーよ。そうじゃなくてだな…」
魔王は椅子から身を乗り出して、嗤う。
「どうやったらここに攻め込まれないようにするか、考えないとだ」
「なるほど、確かにそれは重要ですね」
しかし、とリーリヤは前置くと懐からまた何かを取り出した。よく見れば、それは貴金属と宝石によって形作られるティアラだ。
「先ずはご自身の秘書が魔界一に輝いたという事実に対してパーティを開くべきではないでしょうか」
「…………はあ、分かったよ。その熱意に負けたよ。パーティを開こう。それが終わったら対策を練ろう。それでいいか?」
「恐縮です、パトリック様」
本当にこんな感じで大丈夫なのだろうか。勿論大丈夫な訳がない。
魔王パトリックは最後に特大の溜息をついた。
そういうことでした。