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シュールナンセンス掌編集

墓穴時代

作者: 藍上央理

「墓穴時代」



 セールスマンが私を引き留めて言った。

 ズブズブと永遠に沈んで行く世界で、こちらとて足元が不安定なのに、そんなこともかまってくれず、セールスマンは懸命に腕を上下させ、取り付けた翼を振り動かしている。

 この世界では沈んで行くことが正常である。

 人々は沈んで行くのだ。泥の中へと。私は今のところひざ丈ほど地面にめり込んでいる。

 腰まで泥に浸かったセールスマンはまくしたてる。

 「ひとは浮上できるのです! その成果、努力次第で、高みへとのぼって行けるのです。何もしない怠け者を上から見下ろしてやれるのです。上から! この両腕は何のためについているのでしょうか? こうして羽ばたくためについているのです。この羽ばたきこそがひとを浮上させ、この泥沼からひとを救い出すことができるのです」

 私はじっと聞いていた。

 セールスマンはあがきながら、私の前に来て叫んだ。

 「興味がお在りのようですね!」

 「いや、べつに……」

 ひととは沈下して行く生き物だと答えると、

 「それは間違っています。現に胸元まで浸かっていたわたしの体は、羽ばたきによって腰まで浮上しました。

よく見てみると、セールスマンの胸元にラインが引かれ、”先月”と記されていた。

 「お好みでそろえさせていただきます。いまはやりの柄などもございます。若い世代に受けております。色は、紫、白、赤、青、緑、黒。あなたは何色がお好みで?」

再三の勧めを断り、私は昨日沈んで行った母や父を見つけようとする。

 泥沼の中、彼らの姿はないが、どこにいてもどうしているかを予想することはできる。そういう創造力の乏しい夫婦なのだ。

 彼らは争っているだろう。いつもどこでも。時間と口と言葉さえあれば、ののしりあっている。

 ひとは沈んで行く生き物なのだ。私の力ではどうにもならない。

 またひと月してセールスマンがやってきた。胸のラインはそのままで、すでに腹まで泥沼に浸かっていた。

 今度は何かと思えば、発泡スチロールのビート板を持って来て、

 「あなたの沈下をくい止めるための最大の友はこの板です!」

 と、叫んでいた。

 私の周囲の大半の人間たちは、セールスマンのいわれるがままに努力し続ける。

 妹は赤い翼を羽ばたかせながら、この泥沼の世界を移動する。決して自分は沈み込んでいないと信じ込んで。

 私は妹に先月との違いを指摘するが、即時、その言葉は却下され、妹は死に物狂いで羽ばたく。

 次男坊の兄はビート板にすがりつき、のめり込む上体を引きずり出そうともがいている。

 努力は報われず、長兄が昨日泥沼に沈んで行った。

 彼は自分を放っておいた。他人の邪魔をしながら。そうすると、沈み込むのも早いらしい。

 私は人間たちを静観する。

 何もしない私のほうが、なぜか沈みにくくできているようだ。確実に沈んではいるが。

 ひざ丈の沈下を保とう。それさえも沈下へのあがきに等しい。けれど、これ以上飲み込まれたくはない。

 なぜなら、泥沼に沈み込むために私は生まれて来たのではないのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 セールスマンの言っていることは、何だか嫌な感じがするけれど、何だかリアリティも感じました。 セールスマン嫌なやつだなと思いながらも、言っている内容に関しては、確かにそうかも…
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