第十九話
「……蒼波! 大変!」
孝一の家に戻るとすぐ、リリサが待ち構えていたように僕の元に飛び込んで来た。
「ど、どうしたの? リリサ?」
「由々が……! 由々が……!」
「由々がどうかしたの!?」
泣きじゃくるリリサをなだめていると、部屋の奥からガラスが割れたような音が僕の耳に届いた。
僕と部長は互いに顔を見合わせると、急いで奥へと駆けだす。
長い廊下を駆け、居間の戸を開く。
すると、信じられないような光景が広がっていた。
部屋の至る所にある障子はビリビリに破れ、窓ガラスは割れていない方が少ないくらいめちゃくちゃに割られている。
中央にあったコタツはひっくり返り、戸棚にあった本は全て無残に床に落ちている。
下に敷いてあったカーペットもどこか切り刻んだような跡があり、ボロボロになっていた。
そんな部屋中が荒れるに荒れた中、明らかにいつもと様子がおかしい由々が目を血走らせながら手に持った包丁を振り回し、暴れていた。
「嫌っ! もう何もかも嫌っ!!」
そんな風に叫びながら部屋にある物をズタズタに引き裂いていく由々を孝一は止めようとしているが、持っている物が物だけに近づけないのだろう。
由々から少し離れた所に必死に由々に必死で呼びかけている。
「止めて下さい! 綾崎さん!」
「嫌っ! どうして!? どうして私はあんな事をしたの!? どうして!?」
しかし、孝一の声が聞こえてないのか、破壊活動を続け、カーテンを引き裂く由々。
僕はもう見ていられなかった。
包丁を振り回す由々に僕は一直線に向かっていった。
「待て!青海後輩!」
呼び止める部長の声を無視し、勢いを増した僕は飛び込むように由々に突っ込んだ。
「来ないで! 来ないで! 来ないでえぇぇぇぇっ!」
「由々!」
包丁が頬をかする。
間一髪で包丁を取り上げられた僕は急いで包丁を遠くへと投げ捨て、由々を押さえつける。
「落ち着いて! 由々!」
羽交い締めをして動きを封じようとするけど、由々の暴れる力が強過ぎて中々上手くいかない。
しばらくして、振り回す由々の腕の力が徐々に弱くなっていき、ついに由々はその場で項垂れた。
「全部……私が悪かったんだ……」
由々の頬からポロポロと涙が零れる。
その言葉を聞き、僕は確信をした。
やっぱり由々は───
「綾崎」
不意に裏から部長の声が聞こえた。
「私と青海後輩はお前のやった事を知った」
「っ!?」
由々の顔が歪み、強張る。
それでも部長は言葉を止める事はしなかった。
「今からお前がやった事を改めて語る。それが間違っているかどうか判断してもらう。いいな?」
「……」
由々は何も言わなかった。
沈黙を了解ととったのかついに部長が語り出す。
「お前と奏瀬が一年生の時の六月、奏瀬は部活動で秀でた才能を発揮し、レギュラーが決定した事から全ては始まった」
部活で活躍する奏瀬さんを二年生でレギュラーから外された中村さんが当然、面白く思うわけがない。
至極当たり前のようにそれは始まったんだ。
「中村は奏瀬に嫌がらせを始めた。どんなものだったかは分からないが、大体予想はつく。
それはイタズラというには度の過ぎるものだったのだろう。
その結果、奏瀬は足に怪我を負い、レギュラーから外されてしまった」
そんな奏瀬さんを中村さんは嘲笑い、奏瀬さんが入るはずだったレギュラーになったのだった。
「そして、お前はその事を知ってしまった。
中村の卑劣な行いに、守るべきの親友の異変に気づかなかったお前は怒りに我を忘れ───復讐心にとりこまれてしまった」
由々は友達思いの優しい子だ。
親友である奏瀬さんがそんな事をされたら黙ってはいないだろう。
だから、由々は中村さんに復讐をし始めた。
やり返す事を決めたんだ。
「やったらやり返される、とはよく言ったものだ。お前は中村を気が狂う程追い込んでも尚、イタズラを止めなかったそうだな。
そんなに奏瀬が傷つけられた事に怒りを感じたのか?」
「当たり…前でしょ……!」
見た事もない由々の睨みと共に由々が噛み付くような鋭い声を絞り出した。
「友達が……傷つけられたんだよ……? 怒って当然だよ……! やり返えすのが当然だよ……!」
「由々……」
親友を傷つけられ、由々はどれだけ怒っただろう?
その事に関わってすらいない僕には分からない。
けれど、あの由々がここまで怒りをむき出しにするなんて───
「イタズラを繰り返すに繰り返した結果、ついにお前は中村のバイクに細工をする、といったとんでもない凶行を犯してしまった。
そして、あの事故は起こった」
重ねられた怒りのあまりか由々は中村さんのバイクに細工を施した。
計画的にバレないように、と考えた由々は朝、中村さんが登校をして来た時を見計らって、バイクを二年生の車庫から一年生の車庫に移動させた。
由々の通う高校ではバイクの車庫が一年生と二年生では逆方向にあった。
これによって、バイクを細工すれば時間的なアリバイは成立し、全ては上手くいくだろうと由々は目論んだ。
その結果────
「中村は予想通り大怪我、そして、お前が予想もしなかった人物、奏瀬がその事故に巻き込まれ、声を発する事も出来なくなった。
他の誰でもでもない───お前の所為でな」
一人の親友、奏瀬さんの為にやった事が奏瀬さんを傷つけた。
由々は悲惨な事故を目撃し、ショックでふさぎ込んだんじゃない。
奏瀬さんを──自分のせいで傷つけた事がショックだったんだ。
なんて、悲劇だ。
そんな事ってない。
「今までその事を忘れていたのはショックによる記憶障害か───にしても、お前が奏瀬を傷つけたという事実は変わらない。
そうだろう?」
部長が、追い詰めていく。
由々の逃げ場を無くしていく。
「そうだよっ……! 全部、私が悪いんだ!
勝手な事をして! 理奈の為だからって言って、あんな事をした私が馬鹿だった!」
馬鹿だった! 馬鹿だったんだ!
そう子供のように喚く由々に言葉をかける事は出来なかった。
「理奈が傷ついたのに、どうして私は平気でヘラヘラと笑ってられたの!?
家族なんて作っていられたの!?
今まで、生きていられたの!?
どうして、私は何も言わずに逃げる事が出来たの!!
どうしてなのッ!!!」
由々があらん限りに叫んだ、その時だった。
居間の奥から───奏瀬さんが現れたのは。
「……」
奏瀬さんはどことなく悲しげな表情を浮かべながら由々をじっと見つめた。
奏瀬さんが何を思って由々のを見ているのか、本人の口から思いが伝える事はもうない。
もう出来ない。
だけども───
奏瀬さんがどこに持っていたのか、手に持ったホワイトボードを由々に向かって見えるように突きつける。
そのホワイトボートには黒い文字が連ねられている。
『恨んでなんてないわよ』
「え……?」
それでも、奏瀬さんは全てを許すように微笑んだ。
ホワイトボードの文字が消され、新たな言葉が僕達の目に映し出される。
『由々はワタシの為にそんな事をしたんでしょ?
なら、許すわよ。
由々がやっていた事に気づけなかった、ワタシも同罪だしね』
「どうして───」
許す、そう奏瀬さんは言った。
声を出せなくなったのに、親友に怪我を負わされたのにも関わらず。
奏瀬さんが由々の所まで歩み寄り、その身をぎゅっと抱きしめる。
その横に置いたホワイトボードには短く、それでも深く、重い文字。
───『親友だから』
「理奈……! 理奈……!
ごめんね……! ごめんね……!
逃げ出して……! 怪我を負わせちゃって……!
本当に……本当にごめんね……!」
由々が、抱きしめ返す。
抱き合う二人。
その姿を見て僕は心の底から思った。
こんな───こんな終わり方だったら幾らか二人は救われたんだろうか、と。
それでも、真実はそうじゃない。
「さて、茶番はそろそろ終わりにするとするか」
ついに、本当の真実を話す時が来た。
僕以外の全員の目が見開く。
それはそうだろう。
終わった、と誰もが思った事だろう。
これで二人は救われたんだ、と喜んだ事だろう。
違う。
終わっていないんだ。
「奏瀬。
一つ聞くが……話を聞くにお前は由々の事を初めから許すつもりだったんだな?
なら───どうして、由々の名前を聞いた瞬間、逃げ出したんだ?」
絶句。
一瞬の静寂がこの場に訪れた。
部長が顔をしかめる。
「綾崎、お前もそろそろ気づいてもいいんじゃないのか?
奏瀬の言っている事に嘘が含まれている事に。
コイツは、奏瀬はお前に全ての罪を被せようとしているんだぞ?」
「どういう……事?」
「お前がやったバイクの移動をし、アリバイを作った件の話だ。
バイクを一年生の方まで移動し、バイクに細工するまではいい。
その後はどうしたんだ?」
「そ、そんなの、それで終わりじゃ……あっ」
由々がついに気づいた。
「そう。それだとアリバイを作る事は不可能だ。
何故ならそれは結局はバイクを移動をするのに時間をかけてしまい、犯行が可能な事を証明してしまう。
だが、お前はバイクを二年生の方に戻す事さえ、考えもしなかった。
そして、事故は二年生の車庫で起きた。
この意味が分かるな? 綾崎?」
「誰かが細工したバイクを二年生の車庫に置いた……?」
「正解だ。そしてその人物についてだが……」
部長が指を奏瀬さんへと向けた。
「奏瀬。お前は実は綾崎がバイクを細工した事を知っていたんじゃないのか?
知った上でそのバイクを動かしたのはお前なんじゃないのか?」