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六番目の彼女(霜月視点)

 探るような目つきと確かめるような口調。

 隠す気があるのかどうかは非常に疑問だと、霜月は思った。











 霜月瑞輝がその異変に気付いたのは未だ義務教育の頃にまで遡る。

 当時はそれなりに幼かった霜月は非常にやんちゃだった。特定の彼女というものを校内に持っていながら、そうでない誰かと付き合うことにも抵抗はなかった。それが可能なほどに女性にはモテた。そしてそれを晒すことに優越感まで感じるという、なかなかに同性が刺したくなるクソガ……もとい、やんちゃ坊主であった。

 だがまあ賢明なる読者諸兄にはおわかりのことと思うが、こういうクソガ……やんちゃ坊主は早々にやらかしたことのしっぺ返しを食らう。校内で彼女らしき存在とそうではないが彼女らしき存在と同じようなことをやっていた女子が山猫もかくやと言う喧嘩をやらかし、数少ない男友達にお前いい加減にしとけと言われるに至って、反省はしないまでも行状は改めた。見せびらかすことはそれなりの愉悦だったが、面倒くささがそのそれなりを完全に上回った。

 と言う経緯を経て、霜月瑞輝の雛形は形成された。そして数年を経て、クソガ……やんちゃ坊主は、やっかいな青年となった。ただの鼻持ちならない青年とならなかったのは、雛形から青年期へと至るまでの数年間の経験による。

 最初は中学三年の春だった。名前さえ覚えていなかった同級生と、やたらと遭遇するようになった。見張られているのではないかという遭遇率で、これが流行のストーカーと言うものかと薄気味悪く思いつつも静観した。見られている事自体は顔立ちのおかげさまで慣れている。腹立たしいがいちいち怒っていても疲れるだけである。

 不審感が涌いたのは少ししてから。遭遇の仕方が本当に偶然だとしか思えない事に気付いたからである。よく出入りしていた古着屋やゲームセンターなどなら待ち伏せも可能だ。

「あれ? 偶然だね霜月君もよく来るの?」

 と言う台詞を行きつけの店で腐るほど聞いた。

 だが、その同級生はそうした場所のみで遭遇する訳ではなかったのだ。少し離れた場所にある、誰かに告げたわけでも増してデートなどに使った訳でもないこっそりお気に入りにしていた喫茶店、やはり誰にも言っていない親戚の家がある駅、目立つ自分が探して見つけ秘匿していた落ち着ける場所の悉くにその同級生は「偶然」現れた。最初は偶然だね程度の挨拶が会話になるに連れて気色の悪さは倍増した。

 行動のみならず内面も知っているかのような言動を取るのだ。思考そのものを読んでくるような事はなかったが、

「霜月君、あのアーティスト好きだよね、私もなんだ」

「このあいだ初めて飲んだんだけど、意外にいけるねソイラテって」

「香水とかコロンとかより、ミントの香りが好きなんだ」

 どれもが、誰にも告げたことのない、霜月が霜月の中で秘匿してきた嗜好だ。

 さらりと告げられたのならばまだ偶然と思えただろう。しかし同級生、若干14歳の少女にはそんな芸当は無理だったらしい。14歳でなくとも、表情を完全に取り繕うのは簡単な話ではないが。

 その表情に好意を乞う期待が、否、好意は返されるはずだという確信と傲慢が漂っていた。

 これで「へえ、気があうな」と返せるほど、霜月は不感症ではなかった。心の中の柔らかい部分に勝手に触れられ、喰い荒らされたかのような不快感。嫌悪感。得体の知れない恐怖もまた存在した。

 それほど自分は分かりやすいのかと自己嫌悪にまで陥った。その自己嫌悪はその少女の縮小版や拡大版が幾度か現れることによって解消されたが。

 最初の少女の撃退には手間取った。恐怖が立ち回りを鈍くさせてしまったのだ。同年代の少年たちより余程ふてぶてしい霜月少年だったが、正体不明のものに対する恐怖を押し込めてしまうには未だ幼かった。

 最初の少女は梅雨を迎える頃には「霜月君の彼女」と噂されるようになり、「偶然」の出会いの都度「そう言われてるんだって、困っちゃうね」と少しも困っていないような表情を浮かべて頬を赤らめるようになった。元来マイナス方向の忍耐には向かない霜月少年にはこのあたりが限界だった。様子を見るために適度(微量)に振舞っていた愛想をかなぐり捨て、完全な無表情で切って捨てた。

「ああ困るな。迷惑だ」

 と。

 途端に表情を強ばらせる最初の少女は、え、でも、だってとしどろもどろに口を動かし、そしてぎこちなく引き攣った笑みを浮かべた。

「冗談だよね?」

 何故好意を確信できるのか本気で霜月にはわからなかった。自分が何をしてきたのか理解していないとでも言うのだろうか。言うんだろうなと、霜月は己の思考を簡単に片付けた。最初のその少女に対して思考することさえ嫌だった。

 正体不明のものに対する恐怖は、もうこの時点では完全に怒りに取って代わられていた。冷静に考えれば霜月少年は一般より少々裕福な過程に育った中学生に過ぎない。大それた陰謀やら何やらに関わる筈もない。嗜好をちらつかせて媚びてくる目的は染まった頬の色からも明白で、非常にシンプルだ。

「お前に付きまとわれるのは迷惑だと言ったんだ。彼女気取りもな。偶然かそうじゃないかは知らないが、もう俺を見かけても声をかけるなよ」

 気持ちが悪いときっぱり言った。

 だってどうして好きな筈じゃない、話だって趣味だってあったじゃない何も間違えてないのにどうして!

 私はあなたの好みの女の子じゃない!

 泣きながら訴えてくる――というよりは詰ってくる少女を残して、霜月はその場を立ち去った。正月以外は穴場のようになる人気のない神社は時折立ち寄る気に入りの場所だったが、その後はもう足を向けていない。

 学校でも付きまとわれて気持ち悪かったと明言した。元々以前の彼女たちや彼女っぽい少女たちとはまるで印象の違った最初の少女である。ああやっぱりねと周囲は納得し、元々のグループからも霜月への付き纏いが目立つようになってから疎遠になっていたところもあって完全に学年内で孤立することになった。結局学区の違う遠い高校を選んで地元から逃げるような進学をした。その後どうなったかまでは霜月も知らないし知りたくもない。

 終わったかと思った夏に二人目が出た。二人目の始末がついた秋口に、少しのタイムラグを置いて三人目と四人目が出た。

 なんでだと考えることを、霜月は早々に放棄した。

 これは絶対に自分の責任ではない。なんか知らんがこいつらは知っている。そう理解するしかなかった。

 非常に鋭い洞察力でもって自分の細かな行動や反応から嗜好や思考のパターンを読んだというのなら、そこまでできるような少女が何故嫌悪を感じている霜月の心理には鈍感なのか。そして自分の表情一つまともに演じきれないのか。不自然で仕方がないのだ。

 あしらい方を覚えてしまえば嫌悪を感じてもそれ以上の実害はない。高校一年の夏に五人目が出たがそれはきれいに無視した。あしらい方は中学の頃よりよほど楽だった。声をかけられても「誰だお前」で済ませれば良かった。同じ高校だろうが同じクラスだろうが、知らないものは知らないと明言した。実際に記憶の端にあるかないか程度の存在だったので嘘ではない。

 あの女が入学してくる前にどうのこうのと言っていたが、軽く流した。

 中学当時から続くこの気持ちの悪い存在には共通して意味不明の言葉を口にする特徴がある。それを繋ぎ合わせると、彼女たちの全てが未来に現れるのだろう何人目かを酷く警戒している事がしれた。

 まだ来るのかとうんざりしたが、対応の仕様が出来上がっているので対した実害はない。不愉快なものを構うのも考えるのも面倒だった。











 そして霜月にとって高校二年の春に出会ったその少女はこれまでの五人と同じ顔をしていたのだ。

 これまでの五人と違ったのは持っている情報がどうも霜月のものだけではなく、好意を得ようとしているのも霜月一人に限ったことではないらしいと言うことだ。ちょろちょろと良く動き回っているのを見かけるし、その都度視線の先に別の男がいる。またこれまでの五人以上に妙な場面で遭遇することが多かった。

 成る程今までの五人が気にしていたのはこいつの存在かと、合点が行った。

 少しばかり様子を見る気になったのは気まぐれより警戒心が勝っていた。何しろ目的が分からない。これまでの五人はシンプルに霜月自身が目的だったがこの少女の向かう先が絞れない。

 どうやら警戒は杞憂に過ぎず、ものすごくくだらない目的だったと気付いたのは、


「先輩、私のこと、あの、好きですか?」


 好意を確かめられたその時だった。











「対象が多かっただけで同じだったんだよな、下らねえ」

「……とりあえず人の背中にのしかかって意味不明な台詞は吐かないで頂けますか」

 殊更に丁寧な言葉での返しには、殺気さえ籠もっているようで霜月はくくっと喉の奥から含み笑いを落とした。

 暴れても怒鳴っても相手を喜ばせるだけだと学習した少女は冷ややかに怒るという手段に出たが、それでも霜月の機嫌が壊れる事はない。媚びてこられても同じである。ころころと変わる態度が「逃げたい一心」であることを示しているので。

 まあプライドがあるから媚びる選択肢は最初からないだろうとは見ているが。

 周囲のざわつきは増しているが霜月は一切構わない。廊下ですれ違おうと言うのに会釈の一つもしなかったこいつが悪い。だから追いかけて背中から捕まえたのだ。

 腕の中に収まる細い体はだというのに柔らかく、ほのかな石鹸の香りが鼻腔を擽る。どんな女でも大抵男よりは柔らかいし、石鹸の香りも珍しいものではない。

 だがこの体はとろけるように柔らかいし、どんな香水よりも芳香。

 まあつまり霜月も年頃のオトコノコであり、腕の中の少女はそのオトコノコの純情を向ける相手だと、そういう精神的効果である。

 がっつり腹の前で組んだ腕の中の少女はさりげなく組まれた手に指をかけて渾身の力で解こうとしているが勿論ほどけない。理性で大暴れを押さえ込めるあたりは立派なものだが、体温が上がってきているので冷静ではないのだろう。

 そろそろキレそうだなと言う頃合いで組んだ指の力を緩めてやると、即座に指が解かれ足が踏まれてわき腹に肘が入った。

 腰を引くことで肘の直撃を避ける。だが腹を押さえてうずくまった。

 手応えはないのに「敵」は倒れる。その不自然に腕の中から逃げた少女の瞳が揺れた。

「少しは懲りたらどうなの?」

 冷ややかに見下ろしてくる少女ににやっと笑って霜月は一言「無理」と答えて手を振った。声をあらげかけた少女はしかし次の瞬間ぎゅっと拳を握って唇を引き結ぶ。

 怒鳴りつけなかった理由は人目ばかりではない。聡いこの少女は霜月がわざと腕を緩めて自分を逃がした事も、肘を受けたふりをしたことも気付いている。だから怒鳴る事ができない。

 ただ解放すれば優しくされたという印象が残りかねない。それは少女の立場を危うくするかもしれない。そして少女にもまた。

 反撃を受ける、それでイーブン。それを行動で霜月は示し、少女は理解してしまう。しまうから、怒鳴れない。

 他の男を牽制しながら、少女に刻み込むのは中途半端な優しさ。完全な優しさではなく、そこに何かがあることを伺わせながら見せる優しさだ。

 気にせずにいられないだろう。自分にだけ示される執着と、あるラインからは踏み込まない紳士加減。立場さえ気遣われているような、優しくない優しさ。

 賢くなければ気付かない。賢いからこそ気付いて考えて、きっとがんじがらめになる。

「……だいっきらい」

 もの言いたげに視線をゆがませ、しかし具体的になにを問うこともなく少女はスカートを翻して去る。

「俺が諦めると思ってんなら甘いよな」

「あきらめないんですか?」

 いつの間にか寄ってきていて自分の側にしゃがみ込んでいる小動物のような同級生の頭をなでて、霜月は立ち上がった。合わせて立ち上がる同級生とは頭一つも身長が違う。大きな目で見上げられた霜月は当たり前だろうと笑う。

「諦める気があるんだったらこんな七面倒くさいことしてるわけねーだろうが」

 課程と思えば面倒だとも思わない。

 好かれようと手に入れようと努力するところは、同じ穴の狢なのかもしれない。

 霜月は同級生の頭をもう一つ撫でてからぽんぽんと叩いて手を離す。

 この小動物も確か獲物だったはずだ。あの六番目はどうするのだろう、この小動物もどうするのだろう。

 敢えて調べたり聞いたりするような気は一切起きなかったが、少しだけ興味は涌いた。

 だがそんなものより本物の興味は、











 激発を理性で押さえ込んだ少女の顔は紅潮していて殊更に輝いて見える。

 興奮を示すその顔に霜月が思うのはとんでもなく不埒な願望だった。

 ベッドの上で、俺の下の、この顔のこいつがみれるのはいつだろう。

 希望ではなく確信でもなく、確定。いつになるのかそれはわからなくとも、その未来は来る。未来の方に頭を下げさせても引きずり寄せる。










 謀ってのはこうやってやるもんだよな、という独白は、当然ながらその行き先に届くことはなかった。

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