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第一話 妹に殺された日


 レオンハルト・レグナードは、妹を見上げていた。

 物心がついた頃から、それは珍しいことではなかった。

 王宮の廊下を歩くときも、食卓を囲むときも、並んで父王の前に立つときも、レオンハルトの視線は自然と上を向く。

 兄であるレオンハルトの身長は百七十二センチ。

 一歳年下の妹アウレリアは、二百七センチ。

 並んで立てば、兄の頭は妹の肩にさえ届かない。

 だが、幼い頃は逆だった。

 転んで泣く妹へ手を差し伸べ、雷を怖がる妹を寝室へ招き入れた。アウレリアは兄の背中へ隠れ、何かあるたびに「兄様」と呼んでついてきた。

 いつ追い越されたのか、レオンハルトにはもう思い出せない。

 背丈だけではない。

 腕の太さも、肩幅も、握力も。

 そして、剣の才能も。

 今では何もかもが逆転していた。


「始め!」

 王国騎士団長ガレス・ヴァルドの号令が、御前試合場を走った。

 レオンハルトは床を蹴った。

 迷っている暇はない。

 体格、腕力、速さ、反射神経、剣技。

 すべて妹が上だ。

 正面からまともに打ち合えば、三合ともたない。

 開始直後に懐へ入り、一太刀を届かせる。

 そのためだけに、何十通りもの攻め方を準備してきた。

「はあっ!」

 アウレリアの右側へ踏み込み、胴を狙うと見せかけて剣筋を跳ね上げる。

 狙いは左肩。

 体格の大きな相手に対し、下から立ち上がる斬撃は死角へ入りやすい。

 妹と戦うためだけに磨き続けた技だった。

 甲高い金属音が響いた。

「――っ!」

 レオンハルトの剣が止まった。

 アウレリアは身の丈に近い大剣を片手で持ち、兄の斬撃を受け止めていた。

 その剣はレオンハルトのものより長く、幅も厚さもまるで違う。彼が両手で持ったところで、まともに振るうことはできないだろう。

 それを妹は、軽い木剣のように操っている。

 肩も、肘も、ほとんど動いていない。

 レオンハルトが全身を使って放った一撃を、手首だけで止めていた。

「いい踏み込みです、兄様」

 頭上から妹の声が降ってくる。

 レオンハルトは奥歯をかみしめた。

 アウレリアが剣を払う。

 腕が外へ弾かれ、レオンハルトの身体が二歩、三歩と後退する。そのまま倒れかけたが、踏みとどまって剣を構え直した。

 まだだ。

 これくらいは予想していた。

 試合場を囲む観覧席には、王族、貴族、騎士団の要人たちが並んでいた。

 正面最上段には、父王ヴァルター。

 その隣に王妃イザベル、姉セレナ、弟ユリウス。

 誰もが、この試合の意味を知っている。

 これは単なる兄妹の腕比べではない。

 次代のレグナード王国を担う者を、有力者たちへ示すための御前試合である。

 第一王子レオンハルトか。

 第一王女アウレリアか。

 形式上は、二人が王位継承候補だった。

 しかし、答えは試合が始まる前から決まっている。

 十五歳で剣聖となったアウレリア。

 十八歳になっても、上級剣士にとどまるレオンハルト。

 これは王位継承者を選ぶための試合ではない。

 アウレリアを選んだことが正しいと、皆に納得させるための儀式だった。

 兄を正面から打ち倒す、最強の王女。

 その姿を見せつけるために、レオンハルトは試合場へ立たされている。

「次は、私から参ります」

 アウレリアが両手で剣を構えた。

 切っ先を低く下げた、隙の多い構え。

 兄を侮っているのではない。

 どこを狙われても、剣が届いてから対処できるという自信の表れだった。

 アウレリアが一歩踏み出す。

 その瞬間、レオンハルトは圧迫感に息を詰まらせた。

 妹の歩幅は大きい。

 彼が二歩で詰める距離を、アウレリアは一歩で越えてくる。長い腕と大剣を合わせた間合いは、レオンハルトのそれをはるかに上回っていた。

 大剣が横薙ぎに迫る。

 レオンハルトは後方へ跳んだ。

 切っ先が胸元をかすめ、上着を浅く裂く。

 避けたはずだった。

 だが着地したときには、アウレリアの剣がすでに返ってきていた。

 防ぐしかない。

 レオンハルトが剣を立てた瞬間、凄まじい衝撃が両腕を貫いた。

「ぐっ……!」

 足が床から離れる。

 受け止めた剣ごと身体を弾き飛ばされ、石床へ肩から落ちた。

 肺の中の空気が押し出される。

 観覧席から歓声が上がった。

「おおっ!」

「なんという力だ!」

「さすがは剣聖!」

 レオンハルトは痛む肩を押さえ、立ち上がった。

 アウレリアは追撃してこない。

 長大な剣を肩に担ぎ、兄が起き上がるのを待っている。

 妹なりの配慮なのかもしれない。

 それが何より屈辱だった。

 レオンハルトは再び踏み込んだ。

 上段から斬り込む。

 受けられる。

 剣を引き、脚を狙う。

 かわされる。

 反転して背後へ回る。

 アウレリアは振り返りもせず、背中側へ大剣を回して防いだ。

 剣と剣が重なる。

 レオンハルトは両腕へ全力を込めた。

 押せ。

 少しでいい。

 一歩だけでも動かせ。

 アウレリアは動かない。

 兄が本気で押していることに、最初は気づいていないようにさえ見えた。

 やがて彼女の深紅の瞳が、わずかに細められる。

 アウレリアが腕へ力を加えた。

 ただ、それだけだった。

 レオンハルトの剣が押し戻される。

 靴底が音を立てて床を滑る。

 一歩。

 二歩。

 三歩。

 レオンハルトが全身を使っているのに、妹は片足を踏み出しただけで、兄を剣ごと押し返していく。

「……っ!」

 これ以上耐えれば剣を落とす。

 レオンハルトは横へ逃れた。

 大剣が目の前を通り過ぎ、前髪を揺らす。

 攻めれば止められる。

 受ければ弾き飛ばされる。

 力を競えば、話にもならない。

 どうすれば勝てる。

 何なら妹へ届く。

 レオンハルトは荒くなった呼吸を整えながら、アウレリアを観察した。

 妹の呼吸は、ほとんど乱れていない。

 白い軍服にも、汗一つ浮かんでいない。

 ただ、最初に比べて、その目は鋭くなっていた。

 観覧席も、父王も見ていない。

 深紅の瞳は、目の前の兄だけを追っている。

 レオンハルトが剣の柄を握り直すと、アウレリアの口元がほんのわずかに動いた。

 笑いかけたように見えた。

 兄がまだ戦うのだと知って、喜んでいる。

 そんな顔だった。

 レオンハルトは正面から踏み込んだ。

 隠した動きではない。

 妹の意識を剣へ集中させるための攻撃。

 予想どおり、止められる。

 剣と剣が重なった瞬間、レオンハルトは左手を離した。

 腰を落とし、妹の懐へ潜り込む。

 空いた左手でアウレリアの剣腕を押さえ、右手の剣を最短距離で突き出した。

 妹だけを倒すため、何年もかけて作り上げた技だった。

 届く。

 初めて、そう思った。

 切っ先がアウレリアの胸元へ迫る。

 深紅の瞳から、初めて余裕が消えた。

 そして――輝いた。

「……!」

 アウレリアの呼吸が弾んだ。

 兄の一撃が、自分の予測を初めて越えた。

 その事実に怯えたのではない。

 歓喜していた。

 次の瞬間、レオンハルトの身体は宙へ浮いていた。

 視界が回る。

 背中から石床へ叩きつけられ、全身へ衝撃が走った。

「かっ……!」

 息が止まる。

 何をされたのか分からなかった。

 どうにか目を開くと、アウレリアの左手が、兄の胸元をつかんでいた形のまま止まっている。

 剣を受けながら、空いた手で兄の衣服をつかみ、そのまま片腕で投げたのだ。

 百七十二センチある成人男性を。

 まるで子供でも払いのけるように。

 アウレリアも、自分の動きに驚いていた。

 だが、その頬は上気している。

 呼吸が先ほどより速い。

 レオンハルトが初めて自分へ迫ったことが、彼女の中にある何かを目覚めさせていた。

「……楽しいか」

 かすれた声が漏れた。

「何がでしょう」

「俺を倒すのが、そんなに楽しいのか」

 アウレリアの表情が固まった。

「違います」

「なら、なんだその顔は」

「兄様が、今までにない攻めをなさったので」

 兄を慕っていることは、嘘ではないのだろう。

 だが剣を持った瞬間、その愛情の奥から別のものが顔を出す。

 兄を圧倒する。

 何度倒しても立ち上がってくる兄を、さらに強い力で屈服させる。

 そこに生まれる高揚を、アウレリア自身も止められない。

 レオンハルトは剣を支えにして立ち上がった。

「まだ立つのか」

「もう十分だろう」

「これ以上は試合にならん」

 観覧席から囁きが降ってくる。

 分かっている。

 自分でも分かっている。

 続けても勝てない。

 それどころか、一太刀を届かせることすらできないだろう。

 しかし、ここで剣を置けば。

 最弱の王子。

 剣聖の妹に一度も届かなかった兄。

 王位を争う資格すらなかった男。

 それがレオンハルトのすべてになる。

 今日だけではない。

 血を流して剣を振り続けた日々も。

 妹が眠ったあと、一人で訓練場に残った夜も。

 手の皮が破れ、剣を握れなくなっても続けた十八年間も。

 すべてが、才能のない男の悪あがきだったと片づけられる。

「レオンハルト」

 父王の声が響いた。

「そこまでだ」

 試合場へ静寂が落ちる。

「勝敗は明らかである。剣を置け」

 父は息子へ語りかけているのではない。

 観覧席の重臣たちへ、王として宣言していた。

 次代の王はアウレリアである。

 レオンハルトではない。

 お前は選ばれなかった。

「……嫌です」

 父王の眉が動く。

「何?」

「まだ、終わっていません」

「勝敗を受け入れるのも、剣士の務めだ」

「俺はまだ倒れていない!」

「剣を置け。王命である」

 レオンハルトは剣を握り直した。

 右手の指先は痺れ、左肩には鋭い痛みが走っている。まともな構えすら、もう保てない。

 それでも、手を離さなかった。

 ここで剣を置けば、自分から敗北へ頭を下げることになる。

 それだけはできなかった。

「兄様」

 アウレリアが呼びかける。

 妹はレオンハルトを見下ろしていた。

 心配そうな顔で。

 兄を案じる善良な妹の顔で。

 しかし、その手はまだ大剣を握っている。

 頬に残る熱も、速くなった呼吸も、完全には消えていない。

「その顔をやめろ」

「兄様?」

「俺を哀れむな」

「そのようなつもりはありません」

 レオンハルトは切っ先を妹へ向けた。

「兄様はもう戦える状態ではありません。おやめください」

「お前には関係ない」

「あります。私は兄様の妹です」

「剣を持ったときだけ、それを忘れるくせに」

 アウレリアの顔から、表情が消えた。

 レオンハルトは進んだ。

 右脚を引きずりながら。

 震える剣を、妹へ向けながら。

 勝ちたい。

 一太刀を届かせたい。

 妹の余裕を消したい。

 ほんの一瞬でいい。

 あの深紅の瞳へ、恐怖を浮かべたい。

 自分を見下ろしてきたことを、後悔させたい。

 積み重ねた年月が無駄ではなかったと証明したい。

 そのすべてが胸の中で絡まり、焼けつくような熱へ変わっていた。

「レオンハルト殿下、止まりなさい!」

 ガレスが叫ぶ。

 レオンハルトは止まらない。

「兄様」

 アウレリアの声が低くなった。

 巨大な剣を両手で構える。

「これ以上は、本当に危険です」

「だったら止めろ」

「もう勝負は決まっています」

「俺は認めていない」

「兄様!」

「俺を止めたいなら、剣で止めろ!」

 レオンハルト自身、どうかしていると分かっていた。

 父王の命令へ背き、騎士団長の制止も無視し、自分よりはるかに強い相手へ、動かない身体で挑もうとしている。

 それでも引き返せなかった。

 ここで止まれば、今日まで耐えてきたすべてが、自分の中で崩れてしまう。

 レオンハルトは走った。

 残された力のすべてを脚へ込める。

 最後に選んだのは、奇策ではなかった。

 妹を倒すために作った技でもない。

 幼い頃、ガレスから最初に教わった斬撃。

 何万回と繰り返してきた、剣術の基本。

 踏み込む。

 振りかぶる。

 斬り下ろす。

「うあああああっ!」

 アウレリアの大剣が動いた。

「アウレリア、受けるだけだ!」

 ガレスの声が飛ぶ。

 妹には、その声が届かなかった。

 アウレリアの視界にいるのは兄だけだった。

 何度倒しても立ち上がってくる兄。

 自分へ本気の剣を向ける兄。

 先ほど初めて、自分の予測を越えた兄。

 今度は何を見せるのか。

 どこまで耐えられるのか。

 もっと強く打てば、それでもまた立ち上がるのか。

 兄様なら立つ。

 これまでも、そうだった。

 何度倒しても、悔しそうに自分を見上げ、必ず剣を拾った。

 だから今回も大丈夫だと、アウレリアは思い込んだ。

 剣聖として磨き上げられた身体が、理性より先に動く。

 アウレリアは大きく踏み込み、迫る兄の剣を大剣で外側へ弾き飛ばした。

 レオンハルトの手から剣が離れ、回転しながら石床へ落ちる。

 そこですでに勝負は決していた。

 しかし、アウレリアは止まらなかった。

 兄の剣を弾いた勢いのまま腰を回し、大剣を横薙ぎに振り抜いた。

 無防備となったレオンハルトの左胸へ、巨大な刃が深く食い込んだ。刃が肉を裂き、振り抜かれた勢いに身体が折れる。両足が石床を離れた。

 レオンハルトは血を散らしながら後方へ飛ばされ、背中から石床へ倒れた。

 手放した剣が、少し遅れてその傍らへ落ちた。

 石と金属がぶつかる乾いた音がした。

 レオンハルトには、自分が斬られたことさえ理解できなかった。

 左胸へ猛烈な衝撃を受けた。

 身体の内側で何かが途切れ、次の瞬間には空が見えていた。

 青かった。

 あまりにも遠かった。

 いくつもの声が聞こえる。

 重なり合い、言葉として理解できない。

 身体を動かそうとした。

 何も動かなかった。

 どうしてだ。

 立たなければ。

 まだ終わっていない。

 剣を拾わなければ。

 そう思うのに、指一本動かない。

 左胸が熱い。

 けれど、その熱ささえ急速に遠ざかっていく。

 視界に誰かの顔が入った。

 金色の髪。

 赤い瞳。

 アウレリア。

 口が動いている。

 何かを言っているらしい。

 聞こえない。

 顔に何が浮かんでいるのかも、もう分からない。

 視界が狭くなる。

 待て。

 これは。

 死ぬのか。

 本当に?

 今ので?

 こんなことで?

 嫌だ。

 胸の奥から湧き上がった恐怖が、意地も、誇りも、王位も、妹への怒りも、すべて押し流していく。

 死にたくない。

 まだ、死にたくない。

 立たなければ。

 逃げなければ。

 助けを呼ばなければ。

 だが、息ができない。

 声が出ない。

 何も動かない。

 死にたくない。

 嫌だ。

 嫌だ。

 こんなところで終わりたくない。

 俺はまだ十八だ。

 何もしていない。

 何一つ、自分で選べていない。

 王になれなかった。

 妹に勝てなかった。

 一太刀さえ届かなかった。

 誰にも認められなかった。

 ずっと妹と比べられて。

 ずっと足りないと言われて。

 最後には、その妹に殺されるのか。

 くそ。

 くそ。

 くそ、くそ、くそ、くそ。

 ふざけるな。

 嫌だ。

 死にたくない。

 死にたくない。

 死にたくない。

 もっと生きたい。

 強くなりたい。

 勝ちたい。

 たった一度でいい。

 あいつに勝ちたい。

 見下ろされるのではなく、同じ場所に立ちたい。

 自分にも価値があると、証明したい。

 アウレリアの顔が闇へ溶ける。

 暗い。

 寒い。

 何も見えない。

 くそ。

 くそ。

 俺は――。

 レオンハルトの意識は、そこで途切れた。


     ◇


 試合場の中央で、アウレリアは大剣を振り抜いた姿勢のまま立っていた。

 兄の剣を弾き、その胸を斬った。

 起きたことは、それだけだった。

 だが、倒れたレオンハルトは動かなかった。

 数歩離れた石床に、兄の剣が転がっている。

 その間には赤い飛沫が点々と残り、倒れたレオンハルトの左胸から流れた血が軍服を濃く染め、石床へ広がっていく。

 アウレリアの大剣にも、兄を斬った跡が残っていた。

 刃から赤い雫が落ちる。

 一滴。

 また一滴。

 石床に小さな赤い染みが増えていく。

 周囲で人々が動き始めた。

「殿下!」

 ガレスが血相を変えて駆け寄る。

 王妃が観覧席で立ち上がり、足をもつれさせた。侍女たちがその身体を支える。

「治療師を呼べ! 急げ!」

 父王の声が試合場へ響いた。

 アウレリアには、何も聞こえなかった。

 自分の手を見る。

 大剣を握ったままの両手が、震えていた。

 剣を振った。

 兄の剣が迫ってきたから。

 弾き返した。

 そのあと、兄の身体を斬った。

 いつものように倒しただけのはずだった。

 兄は弱かった。

 それでも、何度倒しても必ず立った。

 肩を打っても、背中から投げても、剣ごと弾き飛ばしても、痛みに顔をしかめながら立ち上がった。

 悔しそうに自分を見上げ、それでもまた剣を拾った。

 今回も立つ。

 そう思っていた。

「兄様」

 レオンハルトは動かない。

 アウレリアの手から大剣が滑り落ちた。

 血の付着した刃が石床へぶつかり、耳障りな金属音を立てる。

 アウレリアは兄のそばへ膝をついた。

 二百七センチの身体を折り畳むようにして、その顔を覗き込む。

「兄様」

 もう一度呼んだ。

 返事はなかった。


 ガレスがアウレリアを押しのけるようにして、レオンハルトの隣へ膝をつく。

 首筋へ指を当てる。

 胸の動きを確かめる。

 左胸の傷を見た瞬間、ガレスの顔から血の気が引いた。

「布を! 傷を押さえろ!」

 駆けつけた治療師たちが、レオンハルトの左胸を厚い布で覆った。

 すぐに布が赤く染まっていく。

 別の治療師が呼吸を確かめる。

 誰かが兄の名を呼び続けている。

 それでも、レオンハルトは目を開けなかった。

 アウレリアは、ただ見ていた。

 なぜ兄が立たないのか分からなかった。

 意識を失っているだけかもしれない。

 傷を塞げば目を覚ますかもしれない。

 以前の訓練でも、倒れた兄がしばらく動かなかったことがあった。

 あのときも、やがて目を開けた。

 今回も同じだ。

 もう少し待てば起きる。

 起き上がって、自分を睨む。

 落とした剣を探し、また立とうとする。

 そうでなければ、おかしい。

 だが治療師の手が止まった。

 ガレスも動きを止めた。

 誰も結末を口にしなかった。

 試合場を満たしていた歓声は、完全に消えていた。


 その沈黙の中で、レオンハルトの身体が淡く輝き始めた。

 最初に光へ変わったのは、指先だった。

 小さな粒が、風もないのに宙へ昇っていく。

 続いて腕が、脚が、胸が、静かに光の中へ溶けていった。

 左胸を覆っていた布が石床へ落ちる。

 その下にあるはずの身体は、すでに光へ変わり始めていた。

 誰も触れられない。

 誰にも止められない。

 アウレリアは、兄のすぐそばへ座ったまま、その光を見つめていた。

 手を伸ばすことさえしなかった。

 何が起きているのか分からなかった。

 何をすればよいのかも分からなかった。

 ただ、兄の身体が少しずつ失われていく。

 最後に、閉じられた目元が光へ変わった。

 その光も、やがて空へ消えた。

 石床には、レオンハルトの剣だけが残された。

 少し離れた場所には、兄を斬ったアウレリアの大剣が落ちている。

 ほんの少し前まで、兄はそこにいた。

 自分を見上げていた。

 震える剣を向けていた。

 アウレリアは何もない石床を見つめた。

 兄の姿は、もうどこにもなかった。

 彼女は長い間、動かなかった。

 試合は終わった。

 勝者を告げる者は、誰もいなかった。

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