パチンケンシュタイン
私は、一年以上パチンコというものに触れ合った結果。
友人と打つのが一番楽しいという結論を出した。
故にパチンコを打てる友達を、すでにいる友達から育てれば良いという考えに至った。
だが、現代の若者というのは総じてギャンブルというものに対して忌避感を覚えている。
それを潜り抜けるのは至難の業だった。
そのボーダーが低い人間を先ず感じとり、その後打たせる事で、段々とハードルを下げていくのだ。
もし、これを読んでいる人の中にパチンカスを作りたい人がいるなら、まず自分の金を使ってでも打たせると良い。
もちろん自分の金なんだから勝ったら自分のものだ。しかし、もし爆勝ちしたのなら、打ってくれた友に対して、少しばかり、お気持ちを渡すと良い。
これにより、友人は嬉しいが、もし自分のお金だったらという錯覚を得ることになる。
場合によっては友人の金でしかパチンコを打たないクズを生み出すこともあるがここはセンスが出る。
この流れにおいて、私はパチンカスというものを3人ほど作るに至った。
私は、そのことを誇りに思うと同時に後悔もしている。彼らは、きっと、もっと良い人生を歩めて居たはずなのに、私が彼らの人生を歪めてしまったのではないかと考えてしまう。
自意識過剰かもしれない。だが、私と同じように借金をし、仕事をしまくり、日々の倹約に勤める姿を見ると、私は悲しくなってしまう。
それでも、彼らとするパチンコ・パチスロ、ギャンブルのなんと楽しきことか、自分の思考や行動が一切の意味をなさない確率機を前に極限の人間が織りなす、不可解な行動の数々。
オカルトと呼ばれる行動の数々を、
パチンコ屋に入る前に掃除をする奴。
パチンコ屋にある監視カメラを睨みつける奴。
パチンコ台に付属している、充電ポートを使うことで電圧が変わることを信じる奴。
使う札に印刷されている番号の語呂合わせが良い物だけを使う奴。
なんという多様性。なんという不可解。
みんなはこんな世界を見たくないか?金と、パチンコという遊戯に取り憑かれた人間がどうなっていくのか、私は見たい!
私は、自分の快楽のためにパチンカスを作った。当初は化け物が増えたのだと喜んでいた。だが、私は段々と自分の快楽が別の方向を向いている事に気づいたのだ。
私はもうただのギャンブルは楽しくないのだ。友人に金を渡し、その時爆出し、それらの出玉はもちろん私のものになる訳だが、その時の友人の顔を想像すると笑みが止められない。
結果的に私は人の快楽を歪める事で快楽を得るようになって居たのだ。
私自身が一番の化け物となって居たのだ。
私は、パチンカス達の喜怒哀楽を楽しむパチンケンシュタインになって居たのだ。




