霧の檻、光の檻
春が来るたび、鼻先をかすめる匂いがある。いま私が立っているのは、四方を山に囲まれた盆地の底。海などどこにもないはずなのに、風の中にふっと、あの懐かしい潮の香が混じる。それは、私の10代を形作った、海辺の町の記憶だ。
10代の私は、あの町で霧の中にいた。当時の記憶を塗りつぶしているのは、どんよりとした灰色の空と、すべてを飲み込むような濃い霧。
あの頃の私は、鬱屈とした思いを抱え、常に衝動の中に生きていた。それは静かな怒りであり、実体のない悲しみでもあった。感情はいつもぐちゃぐちゃに混ざり合い、出口を求めていた。
夜になれば「過去に戻してくれ」と祈るように願い、朝が来れば「今日をやりすごそう」と重い体を起こす。その繰り返しが、私の10代のすべてだった。
20代になり、私はこの盆地の町へやってきた。海を失い、風が抜けないこの場所に閉じ込められたような感覚。当時の私は、その行き場のないエネルギーを「書くこと」にぶつけた。ブログを頻繁に更新し、地元のこと、幼馴染のこと、過去の思い出を書きなぐった。指先から言葉を絞り出すことで、自分を覆う「心の霧」を少しずつ、形にしようともがいていたのだ。
あれからさらに月日が流れ、気づけば人生の約半分ずつを、海辺の町とこの盆地で過ごしてきた。
いま、私の目の前は残酷なほどにクリアだ。かつて願った「霧の晴れた視界」を手に入れたはずなのに、いま私を包むのは、逃げ場のないじとーっとした暑さだ。あまりに剥き出しの光の中にいると、皮肉なことに、あんなに苦しかったはずの「霧の湿り気」が、自分を守るための毛布のように思えてくる。
人生は何があるかわからない。
「やりすごす」だけで精一杯だったあの霧の町。必死に言葉を紡いだこの盆地の町。
瓦屋根を鳴らす、湿り気を帯びた風を聴きながら、私は思う。
あのブログに閉じ込めた灰色の景色も、今のこの突き刺さるような光も、どちらも私が求めていたものなのだと。
春風が吹く。
またあのかほりが、私をあの坂道へと連れ戻そうとしている。




