第35話 名前をつける
35話です。
通達は、静かに出た。
掲示板の一番下。
誰も見上げない位置。
だが、
消されなかった。
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近頃見られる
不必要な接触および記録行為について、
これを
「数的思考」
と呼ぶ。
当該思考は、
不安を増幅させ、
秩序を損なう恐れがある。
指導対象とする。
署名は、
教会と役所の連名だった。
それで、
十分だった。
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市場で、
人が立ち止まる。
誰も、
声に出さない。
だが、
同じ行を
二度読む。
「……思考?」
誰かが、
小さく呟く。
それを聞いた別の誰かが、
すぐに視線を逸らす。
正解の反射だ。
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私は、
掲示を見た。
名前が、
付いた。
それだけで、
一つの段階が終わる。
「数えること」が
「考え方」になった。
「考え方」は、
管理できる。
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倉庫の裏。
四人が集まった。
前より少ない。
だが、
ゼロではない。
男が、
紙を見せる。
「……これ、
俺たちのことだろ」
女が、
聞く。
「悪いこと?」
男は、
答えなかった。
代わりに、
彼――
戻ってきた男が言う。
「名前がついたってことは、
もう隠れなくていい」
女が、
目を見開く。
「……どういう意味」
彼は、
静かに言った。
「隠すのは、
名前がない時だ」
「名前がついたら」
一拍。
「議論になる」
私は、
その言葉を
訂正しなかった。
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同じ頃。
役所の一室。
「定義しました」
書記が、
報告する。
上役は、
頷いた。
「よし」
「反応は」
「……減っています」
上役は、
満足そうだった。
「効果的だ」
書記は、
続けた。
「ただ」
一拍。
「質問が増えています」
上役の手が、
止まる。
「……どんな」
「『数的思考とは何か』」
「『なぜ不必要なのか』」
「『どこまでが該当するのか』」
沈黙。
それは、
嫌な沈黙だった。
上役が、
低く言う。
「……説明は」
書記は、
首を振った。
「定義以上は
ありません」
「では、
答えられないな」
書記は、
正直に言った。
「はい」
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夜。
私は、
机に向かい、
新しい紙を出した。
名前を書く。
数的思考
その下に、
何も書かない。
空白。
それが、
一番危険な場所だ。
私は、
その空白を
見つめながら
思った。
教えなくても、
人は考える。
止めても、
名前を与えれば
考える。
問いは、
管理より
早い。
外で鐘が鳴る。
今日も王都は静かだ。
だが――
沈黙に名前がつき、
説明が追いつかなくなった日だ。
チョークシリーズは他の先生の物語もありますのでよろしければご覧ください。




