第33話 無視
33話です。
彼は、警告を読んだ。
読んで、
畳んで、
捨てなかった。
それだけだ。
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紙は、
机の端に置かれていた。
毎朝、
目に入る位置。
忘れないためでも、
逆らうためでもない。
現実として、
そこにあるから。
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彼は、倉庫の裏へ行った。
約束の時間を、
少し過ぎてから。
誰もいないと
分かっていても。
そこに、
立った。
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彼は、職人だった。
手を動かす仕事。
数を数える仕事。
沈黙に、
慣れている。
だが――
慣れているのは、
音のない時間であって、
声を殺すことではなかった。
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「……来ないか」
誰に言うでもなく、
呟く。
返事は、
ない。
それでも、
帰らなかった。
警告は、
「やめろ」と
書いてあった。
「立つな」とは、
書いていなかった。
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彼は、
地面に印をつけた。
チョークではない。
石で。
一本、
線を引く。
それは、
数ではない。
位置だ。
「ここに、
いた」
それだけを、
残すための。
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背後に、
気配があった。
振り返ると、
二人。
役所の男ではない。
制服もない。
だが、
仕事の顔だった。
「……遅いな」
一人が言う。
「時間は、
守った」
彼は、
答えた。
もう一人が、
周囲を見る。
「誰も、
いない」
彼は、
頷いた。
「だから、
来た」
沈黙。
短いが、
濃い沈黙。
「警告は、
受け取ったか」
彼は、
即答した。
「はい」
「では、
なぜここに?」
彼は、
少し考えてから
答えた。
「……やめ方が
書いてなかった」
二人の間で、
空気が動く。
「これは、
違反だ」
彼は、
否定しない。
「そうでしょう」
一人が、
一歩近づく。
「連れて行く」
彼は、
聞いた。
「どこへ」
「確認だ」
彼は、
頷いた。
抵抗しない。
逃げない。
それが、
一番困る反応だった。
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翌日。
役所に、
新しい文書が回った。
注意事例:
警告後の単独行動
罰則は、
書かれていない。
処分も、
ない。
ただ、
一行。
当該人物は、
当面の間、
行動を自粛すること。
誰が、
どうやって
自粛させるかは
書いていない。
必要ないからだ。
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彼は、
戻ってきた。
連れて行かれて、
戻ってきた。
傷は、
ない。
痣も、
ない。
だが――
口数が、
減っていた。
誰も、
何も聞かない。
聞かないことが、
優しさだと
学んでいるから。
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夜。
彼は、
机に向かい、
紙を一枚出した。
何も書かない。
ただ、
置く。
警告の紙の横に。
二枚並ぶ。
どちらも、
命令ではない。
どちらも、
説明がない。
だが――
片方は、
「やめろ」と言い、
もう片方は、
「戻った」と
証明している。
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彼は、
考えた。
続けるべきか。
やめるべきか。
だが、
その問い自体が
もう古いと
気づいた。
やめたとしても、
何かは残る。
警告は、
残った。
線も、
残った。
彼が、
立ったという事実も。
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翌朝。
市場で、
誰かが囁いた。
「……戻ってきたらしい」
それだけ。
名前も、
理由もない。
だが――
噂は、
数えられない速度で
増える。
外で鐘が鳴る。
今日も王都は静かだ。
だが――
警告を無視した人間が、
消されなかった事実が、
初めて共有された日だ。
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