第25話 必要とした人
25話です。
最初に来たのは、
正式な依頼ではなかった。
書類でも、
命令でもない。
間違いだった。
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夜更け、
戸を叩く音がした。
二度。
短く。
規則的ではない。
役所の叩き方ではなかった。
私は、
しばらく動かなかった。
叩く音が、
もう一度。
「……先生」
小さな声。
私は、
扉を開けた。
そこに立っていたのは、
女だった。
年は三十前後。
身なりは地味だが、
目だけが落ち着いていない。
「……間違っていたら、
すみません」
彼女は、
そう前置きしてから言った。
「でも、
あなたしか
思いつかなかった」
私は、
何も言わずに
中へ通した。
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部屋に入ると、
女はすぐに
床に膝をついた。
「やめてください」
私は、
即座に言った。
女は、
首を振った。
「お願いではありません」
一拍。
「相談です」
その言葉に、
私は初めて
視線を上げた。
「子どもが」
女は、
喉を鳴らした。
「話さなくなりました」
私は、
ゆっくり椅子に座る。
「それは、
今の王都では
良いことです」
女は、
唇を噛んだ。
「……そう、
言われました」
「では」
私は、
続けた。
「何が、
問題ですか」
女は、
しばらく黙って――
そして言った。
「助けを、
求めなくなった」
その一言で、
空気が変わった。
「転んでも」
「熱が出ても」
「……何も言いません」
「泣きもしない」
女の声は、
震えていなかった。
だから、
余計に重い。
「正解だからです」
私は、
静かに言った。
「ええ」
女は、
即答した。
「だから、
誰も困らない」
一拍。
「でも、
私は困っています」
私は、
目を閉じた。
「あなたは」
私は、
確認した。
「困っていることを、
言ってはいけない
世界に
困っている」
女は、
何も言えなかった。
否定も、
肯定も。
「学校に、
相談しましたか」
女は、
小さく笑った。
「……正しい対応を
教えてくれました」
「何と」
「待て、と」
私は、
頷いた。
「それは、
正解です」
女の目が、
揺れる。
「……では、
なぜ、
ここに?」
私は、
答えなかった。
答えを、
彼女自身が
言ったからだ。
「先生」
女は、
まっすぐ私を見た。
「正解じゃ、
足りないんです」
沈黙が、
落ちる。
それは、
怖い沈黙ではなかった。
「助けたい」
女は、
そう言った。
「でも、
何も言わない子を
どう助ければいいか
分からない」
私は、
ゆっくり息を吐いた。
「それは」
一拍。
「正しい状態ではありません」
女の目から、
何かが崩れ落ちた。
涙ではない。
緊張だ。
「……そう、
言ってもらえたの、
初めてです」
私は、
続けた。
「助けを求めないことと、
助けが不要なことは
違います」
「その違いを、
説明できる場所が
王都から
消えました」
女は、
小さく言った。
「……だから、
消されたんですね」
私は、
否定しなかった。
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帰り際、
女は言った。
「誰にも、
言いません」
私は、
首を振った。
「言ってください」
女は、
驚いた。
「なぜ」
私は、
答えた。
「必要とした人が
一人いる、
という事実は
消えないからです」
女は、
深く頷いた。
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扉が閉まる。
部屋に、
静けさが戻る。
だが、
それは
教え込まれた沈黙ではなかった。
私は、
はっきり理解した。
切り捨てられたのは、
教師ではない。
制度が、
助けを切り捨てた。
外で鐘が鳴る。
今日も王都は静かだ。
だが――
正解の外側で、
人が初めて
声を出した日だ。
誤字脱字はお許しください。




