第20話 家で開いた口
20話です。
その夜、
家の中で、声がした。
大きな声ではない。
怒鳴り声でも、泣き声でもない。
質問の声だ。
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夕食の卓に、三人が座っていた。
父と、母と、子ども。
今日の話題は、
いつもと同じだ。
「今日は、どうだった」
父が聞く。
子どもは、
少し考えた。
母が、
先に言った。
「何も言わなくていいのよ」
それは、
優しい声だった。
子どもは、
頷きかけて――
やめた。
「……先生が、
分からないって言った」
空気が、止まった。
父が、箸を置く。
「誰が」
「先生」
「何を」
「白い点」
子どもは、
卓の上に、指で点を描いた。
「これ」
「それで?」
母が、慎重に聞く。
「黙ると、
忘れるって」
父の眉が、
僅かに動いた。
「……それは、
良い教えだ」
子どもは、
首を振った。
「でも」
一拍。
「全部黙ったら、
何も分からないって」
父が、
黙り込んだ。
母が、
笑顔を作る。
「それは、
考えなくていいことよ」
子どもは、
不思議そうに母を見る。
「どうして?」
母は、
答えを探した。
探して、
見つからなかった。
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しばらくして、
父が言った。
「……その話は、
外でしちゃいけない」
子どもは、
即座に聞いた。
「どうして?」
父は、
言葉に詰まった。
その沈黙は、
教えられていない沈黙だった。
「……危ないからだ」
「何が?」
父は、
ゆっくり言った。
「分かろうとすると、
困る人がいる」
子どもは、
目を見開いた。
「誰が?」
父は、
答えなかった。
答えられなかった。
母が、
急いで言った。
「今日は、
もう寝ましょう」
子どもは、
立ち上がった。
だが、
寝室に向かわず、
振り返った。
「ねえ」
父と母を見る。
「分かると、
悪いことなの?」
その問いは、
小さく、
まっすぐだった。
父は、
ようやく言った。
「……時々は」
子どもは、
少し考えてから言った。
「じゃあ」
一拍。
「分からないふりは、
嘘?」
その瞬間、
家の中の空気が、
壊れた。
母が、
手を口に当てる。
父が、
椅子から立ち上がる。
「……その話は、
もう終わりだ」
子どもは、
俯いた。
「……ごめんなさい」
だが、
その声には、
納得がなかった。
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その夜、
子どもは眠れなかった。
暗い天井を見ながら、
白い点を思い出す。
何だったのか。
なぜ、
分からないままなのか。
そして、
静かに思った。
分からないままの方が、
楽になるって、
大人は言ってた。
でも――
分からないままだと、
怖い。
布団の中で、
小さく手を握る。
明日、
また授業がある。
先生は、
何も書かない。
何も言わない。
でも、
何かを残していく。
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翌朝。
父は、
役所に向かう前、
立ち止まった。
昨夜の言葉が、
頭から離れない。
「分からないふりは、
嘘?」
その言葉を、
誰かが聞いたら。
誰かに、
伝わったら。
父は、
戸口で振り返った。
子どもは、
靴を履いている。
いつもより、
静かだ。
父は、
何かを言いかけて――
やめた。
それが、
一番安全な選択だと
知っているからだ。
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王都の朝は、
いつも通り静かだった。
だが――
家の中で生まれた問いは、
もう外に出たがっている。
そして、
それを聞いた者は、
必ず一人では終わらない。
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(第21話へ続く)
誤字脱字はお許しください。




