第17話 裏切り者の名前
17話です。
最初に変わったのは、呼び方だった。
「勇気ある人」
「正直者」
そう呼ばれていた者たちが、
ある日を境に、別の言葉で呼ばれるようになった。
――裏切り者。
⸻
被告は、一人の女だった。
職は、井戸番。
毎朝、同じ時間に水位を測り、
異常があれば役所に知らせる役目だ。
「罪状を読み上げる」
司祭が言う。
「不安の扇動。
虚偽ではないが、
不必要な報告。
秩序攪乱」
女は、顔を上げた。
「水位が、下がっています」
即答だった。
傍聴席が、ざわつく。
「それは事実か」
判事が問う。
「はい」
「証拠は」
女は、指を折って答えた。
「昨日より三指分。
一昨日より五指分。
先月より――」
「十分だ」
司祭が遮った。
「事実であることは、
争っていない」
女は、困惑した顔をした。
「……では、
なぜ、ここに?」
司祭は、穏やかに言った。
「言う必要がなかった」
私は、声を出していた。
「確認します」
判事が、短く頷く。
私は女を見る。
「あなたは、
なぜ報告しましたか」
「役目だからです」
「報告しなかった場合、
どうなりますか」
「……後で、
困る人が出ます」
司祭が、首を振った。
「それは、
今ではない」
女は、言葉を失った。
「確認します」
私は、法廷全体に向けた。
「この裁判は、
事実を問題にしていません」
一拍。
「時期を問題にしています」
司祭が、静かに言う。
「不安を与える時期ではない」
私は、ゆっくりと返した。
「不安は、
水位が下がった時点で
既に存在しています」
「言葉にしなければ、
不安は存在しない」
司祭は、即答した。
法廷が、凍った。
私は、板のない机に
見えない線を引いた。
事実 → 不安(黙殺)
「確認します」
私は司祭を見る。
「では、
井戸が枯れた時、
誰が責任を負いますか」
「……状況次第だ」
「今、
水位低下を知っているのは
誰ですか」
沈黙。
女が、小さく言った。
「……私です」
司祭が、女を見た。
その視線は、
裁く者のものではなかった。
選別する者の目だった。
「あなたは、
秩序を裏切った」
女は、震えながら言った。
「私は……
役目を果たしただけです」
司祭は、首を振る。
「今の役目は、
黙ることだ」
私は、はっきり言った。
「それは、
役目ではありません」
一拍。
「忠誠です」
法廷が、ざわつく。
司祭は、微笑んだ。
「いい言葉だ」
私は、女に向き直った。
「あなたは、
裏切り者ではありません」
女は、涙を浮かべた。
「……でも、
みんなが」
私は、続けた。
「裏切ったのは、
沈黙の方です」
判事が、木槌を取る。
「結論を述べろ」
私は、答えた。
「この裁判は、
秩序を守っていません」
「何を守っている」
「安心感です」
「壊れやすい、
偽物の」
司祭が、冷たく言った。
「それで十分だ」
木槌が鳴る。
「有罪」
「裏切り者として、
記録せよ」
私は、言った。
「記録します」
司祭が、こちらを見た。
「――まだ、
書くつもりか」
私は、答えた。
「裏切り者と
名付けた事実を」
女は、連れて行かれた。
途中、
傍聴席の一人が、
小さく呟いた。
「……余計なことを」
それは、
誰に向けた言葉でもない。
だが、
確かに刺さった。
⸻
法廷が空になる。
私は、廊下を歩いた。
壁に、
新しい掲示が出ていた。
不安を煽る発言は、
裏切り行為とみなす
誰の署名もない。
それで、十分だった。
今日も王都は静かだ。
だが――
真実を言う者の名前が、
先に決められた日だ。
誤字脱字はお許しください。




