第10話 板のない裁判
10話です
その日、法廷には板がなかった。
記録官の席に、何も置かれていない。
木の机だけが、無意味に広い。
誰も説明しない。
説明する必要がないからだ。
書かせない。
それだけで、十分だった。
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被告は、二人。
一人は中年の女。
洗濯屋だ。
もう一人は、若い男。
港の荷運びをしている。
共通点はない。
少なくとも、表向きは。
「罪状を読み上げる」
司祭が言う。
「虚偽申告。
不当請求。
秩序攪乱」
二人は顔を見合わせた。
互いを知らない。
「弁明は」
女が、先に口を開いた。
「……申告は、教えられた通りにしました」
「誰に」
「役所の人に」
男が続く。
「俺もだ。
言われた数字を書いただけだ」
司祭は、冷たく言った。
「数字が違った。
それが罪だ」
私は、空の机を見つめていた。
今日は、
何も書けない。
それでも、声は出せる。
「確認します」
判事が、ためらい、頷く。
私は二人を見る。
「あなたたちは、
数字の意味を理解していましたか」
女は、首を振った。
「言われた通りに書けと」
男も、同じだ。
「意味は、教えられてない」
「では」
私は続ける。
「その数字で、
何が起きるかは」
「……知らない」
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「では、
知らない数字で、
人は裁かれています」
法廷が、ざわつく。
司祭が遮る。
「数字は中立だ!」
「いいえ」
私は即答した。
「数字は、
使われる方向を持っています」
板がない。
だが、
私は“書くように”話した。
「配給量。
罰金額。
労働日数」
「数字は、
人の行動を決めます」
判事が、苛立ったように言う。
「結論を言え」
「結論です」
私は、はっきりと言った。
「この二人は、
数字を使ったのではありません」
「では誰が使った」
私は、司祭を見る。
「教えた者です」
空気が、張り詰める。
「確認します」
私は、法廷全体に向けた。
「数字の意味を知り、
結果を理解し、
それでも書かせた者」
一拍。
「それが、
責任を負うべき者です」
司祭が、笑った。
「証拠は」
私は、空の机を指した。
「消されました」
沈黙。
誰も、否定できない。
「では判決だ」
判事が木槌を取る。
「有罪」
二人が、同時に声を上げた。
「待ってください!」
女の声は、震えていた。
「私は、
間違えたなら、
直します!」
男も言う。
「次は、
ちゃんと意味を――」
「必要ない」
司祭が言った。
「考えるな。
従え」
私は、思わず言っていた。
「それは、
教育ではありません」
司祭が、こちらを見た。
初めて、
はっきりと敵意を込めて。
「なら、何だ」
私は答えた。
「処罰の自動化です」
木槌が鳴る。
「有罪。
記録に残すな」
板はない。
だが――
記憶は、消せない。
二人は連れて行かれた。
泣き声が、
途中で切れた。
⸻
法廷が空になる。
私は、机に手を置いた。
何も書かれていない。
だが、
ここにあったはずの言葉が、
頭の中でうるさい。
「……次は、あなたですね」
誰かが、背後で言った。
振り返ると、
判事ではない。
司祭でもない。
記録を運ぶ係だった。
「板を持たない裁判で、
声を出した」
彼は、淡々と言った。
「それは、
規則違反です」
私は、頷いた。
「分かっています」
彼は、一瞬だけ困った顔をした。
「……なぜ、
やめない」
私は答えた。
「もう、
書いてしまったからです」
外で鐘が鳴る。
今日も王都は静かだ。
だが――
書かれない裁判が、
増え続けている。
誤字脱字はお許しください。




