第1話 沈黙は、判決より先に下される
第一話です
王都では、毎日裁判が行われている。
だが、その内容を知っている者はいない。
知る必要がないからだ。
判決は掲示される。
理由は掲示されない。
それで、この街は静かに回っている。
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私は裁判所にいる。
裁く者ではない。
命令する者でもない。
記録官。
あるいは補助審問官。
裁判に何が起きたかを書き留める役目だ。
もっとも――
書いていいことだけを。
石造りの法廷は冷たい。
声が反響しないよう、天井は低く作られている。
言葉が伸びない。
「被告を入れろ」
扉が開き、男が一人、中央に立たされた。
年は三十前後。
痩せているが、病人ではない。
手の皮が厚い。
畑仕事をしていた者だ。
「罪状を読み上げる」
司祭が羊皮紙を広げる。
「異端思想の保持。
教会権威への疑義。
秩序破壊の可能性」
どれも、説明のいらない言葉だった。
「弁明はあるか」
男は口を開きかけ、閉じた。
沈黙。
私は反射的に筆を動かしかけ、止めた。
沈黙は、この法廷では
発言として扱われない。
だが現実には、
沈黙こそが一番、重い。
「……話せ」
判事が言う。
男は、ゆっくりと息を吸った。
「私は……ただ、考えただけです」
空気が、わずかに揺れた。
傍聴席の気配が動く。
すぐに、押し殺される。
「何を考えた」
「それが、罪になるなら……」
男は一瞬、言葉を探し、
「もう一度、教えてください」
司祭の顔が歪んだ。
「質問を許可していない」
「なら、答えはいりません」
男は、視線を落としたまま続ける。
「畑で使う鍬が、誰のものなのかを考えました」
「定められている」
「はい」
「考える必要はない」
男は、少し困ったように笑った。
「そう、言われました」
「誰にだ」
一瞬の間。
男は、はっきりと言った。
「――先生に」
法廷が、完全に静まった。
その呼び名に、聞き覚えはない。
だが、このところ、同じ言葉を何度も聞く。
考えろ。
比べろ。
理由を言葉にしろ。
そして最後に、必ずこう続く。
――先生に、そう言われた。
「その者の名は」
判事が問う。
男は首を振った。
「知りません。
名乗られたことがないので」
「なら、なぜ“先生”と呼ぶ」
男は少し考え、
「質問を、奪わなかったからです」
私は、その言葉を――
記録した。
本来なら、不要な一文だった。
だが、消せなかった。
「被告」
判事が言う。
「お前は、考えた。
それだけで十分だ」
木槌が鳴る。
「有罪。
記録に残すな」
その瞬間、背中に冷たいものが走った。
記録に残すな。
それはつまり、
この裁判は最初から――
なかったことになる。
男は連れて行かれた。
抵抗はない。
ただ、最後に一度だけ振り返り、言った。
「……間違っていたのでしょうか」
私は答えなかった。
答える立場ではない。
そう、教えられてきた。
法廷が空になる。
私は板を拭いた。
文字が消える。
人生が消える。
それでも――
指先に、粉が残った。
白い。
なぜか、懐かしい感触だった。
理由は分からない。
だが、はっきりと思った。
これは、消してはいけない。
外で鐘が鳴る。
今日も王都は静かだ。
考える音だけが、
処刑されている。
誤字脱字はお許しください。




