あなたの名前をただ呟くことしかわたしにはできないから
相生、勝手に秋の短編祭り7作品目
マレインは物心ついた頃から両親の営むポーション屋の手伝いをさせられていた。
子どもにしては魔力の扱いに長けていたからだ。
マレインが一日に10本、20本と作成できるポーションの数を増やしていくと、両親はマレインにポーション作成を任せるようになっていった。
一方で、一歳下の妹ミアンセは店の看板娘として愛らしい笑顔を振りまいていた。
店の奥にある作業場にいるマレインは客から見えない。
幼い頃から両親を手伝っていることは同じ。でも客と顔を合わせるミアンセばかりが目立ち、フラフラになるまでポーションを作成しているマレインのことは誰も知らない。
両親がポーションを作成していると思っていたからだ。
「ミアンセちゃんはいつもお手伝いしてて立派だねえ」
「本当だよ。かわいいし、これこそ看板娘って感じだな!」
客はそうやってミアンセを褒め称えた。
そして、ただのポーション屋と呼ばれていた店はいつの間にか『ミアンセのポーション屋』と呼ばれるようになった。
マレインは薬師学校で教わるはずのポーション作成の基本を先に両親から教えてもらっていた。
そして、その初級ポーションは十分に売り物となるレベルだった。いや、それ以上の『初級ポーションとしては最高の品』に変化していった。
それは中級ポーションの劣化品よりも効果があると言われるくらいのものにだった。
本人を含めて家族の誰も気づいていなかったが、実はマレインには生まれ持った魔力操作の才能があった。
そして『ミアンセのポーション屋』のポーションは効きが良いと評判になっていく。
売り切れると客が残念がるため、両親はマレインにもっとポーションの数を増やすようにと命じた。
「少なくとも1日50……いや、70……いや。おまえの才能なら100本だ」
「そうね。100本、どうにかしなさい、マレイン」
両親はそう命じて、マレインを働かせた。
作成するのは初級ポーションだけとはいえ、そこに注ぎ込む魔力はマレインのものだ。
マレインは毎日限界まで魔力をポーション作成に使い、ヘトヘトになって死んだように眠る。
マレインが薬師学校に入学できる年齢になった時、両親はマレインを薬師学校に行かせないことにした。
すでに初級ポーションを作成できるマレインはそのまま働かせておく方がもうかるからだ。
マレインは文句も言わずに働いた。家族を大切に思っていたから。
一方、ミアンセはポーション作成を両親に教わらなかった。
店番のミアンセには必要ない技術だったからだ。また、ミアンセにはマレインのような魔力操作の才能はなかった。
「そろそろミアンセちゃんは薬師学校にいくんだろ?」
「もうそんな歳になっちまったのか。しばらくさみしくなるよな」
「3年だろ、すぐに戻ってきてくれるって」
「そうだな! 待ってるぜ、ミアンセちゃん!」
客がそんな話をするので、両親もそうするしかないと考えてミアンセを薬師学校へと入学させることにした。
世間体というものがあるからだ。
ミアンセがいなくなってもマレインがいれば店は問題ない。
「ミアンセがいない間はマレイン、あなたが店番もしなさいよ」
「当然だな。しっかり働くんだ」
両親はミアンセを可愛がっていたが、いつの間にかマレインは扱き使ってもいい存在だと思い込んでいた。
マレインが逆らわなかったからかもしれない。
「ここが噂のポーション屋か……」
隣の領地の子爵令息であるメドロールがやってきたのは『ミアンセのポーション屋』だった。
メドロールはヤレラール子爵家の次男で跡継ぎではなかった。
子爵領は魔獣による被害が領地面積に対して多く、その対処に冒険者ギルドを誘致していた。
しかし、子爵領の薬師は自分が食べられるだけの収入があればいいという考えの男で、子爵領では常にポーションが不足していた。
子爵家は兄が継ぐので、メドロールはいずれ家を出て平民と同じ扱いになる。残念ながらどこかの貴族家に婿入りできそうもない。
だからメドロールは領地内で手薄なポーション関係を自分の仕事にしようと考えた。
ヤレラール子爵領まで『ミアンセのポーション屋』の噂が届いていたことがそのきっかけだった。
(ここの娘と結婚すればどうにかなる。父上も店を出すための資金は用立ててくれる。親族になって仕入れ値を抑えればいい。評判のポーションなら十分に利益が出るだろう)
「すまない。ポーションを買いにきたのだ」
「……はい。1本100ゴルダになります」
メドロールは店番の娘を見て、驚きに目を見開いた。
肌はカサカサ、髪はボサボサで疲れ切った顔をしている女がそこにいた。
(評判の美少女という噂はいったい……まあ、いい。ポーションだ。重要なのは娘の容姿ではない)
メドロールはポーションを3本買うと、一度領地へと戻った。
そして、冒険者に頼んでそのポーションを実際に試してもらった。
「メドロールさま。これはすごい」
「ああ。まるで中級ポーションのようだ」
それを聞いたメドロールはほくそ笑んだ。
(今は100ゴルダらしいが、仕入れは親族として80……いや。70ゴルダにさせて、輸送料と特別な効果があることで200ゴルダにして売る。確実に儲かるぞ)
そうしてメドロールは度々『ミアンセのポーション屋』へと通い、ポーションを購入しては子爵領へ戻って冒険者に売った。
冒険者の中で安定した顧客を確保しておくためだ。
メドロールの売るポーションは次第に子爵領で知られるようになっていった。
「やあ、マレイン嬢。君の返事を聞きたい」
花束を抱えてメドロールがやってくるようになったのはいつからだっただろうかとマレインは考えた。
もう半年くらいは続いていると思い返して、マレインはそこまで自分のことを求めているのかと感動した。
平民の結婚は本人の意思による。
親が決めることもあるが、子どもが成人したらそこは自由だ。
つまり、成人したマレインは自分の意思で決められる状態になっていた。
客のほとんどはミアンセが目当てだ。
ミアンセは薬師学校に行ってしまって今はいないが、だからといってマレインが声をかけられたことはない。
結果として……マレインに言い寄るような男はメドロールだけだったのだ。
マレインは自分の容姿があまりよくないものだと思っていた。
客が来るといつもマレインから目をそらし、ミアンセを探すから。
男性の気を引くことができない容姿とたった一人だけの求婚者。
マレインに選択肢はなかった。
マレインは求婚に応えようと思いつつ、それでも家族のことを考えた。
「両親の許可があれば……よろしくお願いしたいと思います……」
ボサボサの髪で顔の上半分を隠したまま、マレインはメドロールに頭を下げた。
そうして、マレインはメドロールと共に両親と話し合うことになった。
「この方……メドロールさんと結婚しようと思います」
「なんだって!」
「そんなの認めないわよ!」
両親は反対した。
それはそうだ。ポーション屋の中でもっとも重要なポーション作成を一手に担っているのがマレインだ。
嫁に出せるはずがない。
まさか反対されると思っていなかったメドロールは驚いた。
平民の場合、本人の意思で結婚できるというのにおかしな話だった。
それでも家族思いの娘なら、両親の反対で結婚をあきらめる可能性もある。
メドロールは切り札を出すことにした。
「……実は、私はヤレラール子爵家の者なのです」
「えっ!?」
「お貴族さま!?」
「なんでそんな方がマレインと!?」
「貴族とはいっても私は次男。家は兄が継ぎます。そこで私は『ミアンセのポーション屋』との繋がりを持つことで、領地内での影響力を保とうと考えたのです」
メドロールはヤレラール子爵領の状況を説明して、ポーションを活用した影響力の維持についてある程度話した。全てではないが。
「……考えさせてもらえないでしょうか?」
相手が貴族だと知って下手に出た父のモールヒネは返事を保留した。
「いい返事を期待していますよ。ああ、私も今はまだ子爵家の一員であるということをお忘れなく」
貴族としての言葉であることを強調して、メドロールは去っていった。脅しに近い言葉だ。
「……あなた、どうするの?」
「貴族に逆らうのは難しいが……マレインがいなくなるのも問題がある……」
そんな話をマレインのそばでする両親に、マレインは冷たい視線を向けていた。
家族だからとこれまで一生懸命に働いてきたマレインだったが、メドロールからのプロポーズは嬉しかったのだ。結婚が認められないなんて予想外すぎた。
しかも、そのプロポーズは……。
(ポーション目当て。わたしのことを愛していた訳ではなかった。どうせわたしなんて……それに家族でさえわたしのことなんて考えてないもの。まさか結婚に反対するなんて……)
メドロールの利益を中心とする考え方が、マレインの心に影響を与えて変化させていた。
それまでは家族を愛し、大切に思っていたマレイン。
でも、そうではない考え方に初めて触れた。同時に両親の醜さもみた。
この日から少しずつ、マレインは現状に不満を持つようになった。
貴族には逆らえないので、両親はマレインの結婚を認めようと考え始めていた。
ただし、相手が貴族ならできるだけマレインを高く売りたい。だから、なかなか色良い返事をしなかった。
のらりくらりと返答を濁して時間が経つと、薬師学校を卒業したミアンセが帰ってきた。
「え? 姉さんが? 結婚?」
「そうだ。相手は貴族の息子になる」
「ええ!?」
ミアンセは叫んだ。
「だからこれからはミアンセにもポーションを作ってもらう。いいな」
「それはもちろんいいけど……姉さんが貴族と結婚なんて……」
ミアンセもはじめはマレインの結婚に対して興味を持っていなかった。
そして、ポーション作成にミアンセも加わり、そこで中級ポーションを作るようになった。
初級ポーションはマレインが作っているので、必要ないから。
また、ミアンセは薬師学校で中級ポーションまでは作れるようになったからだった。
こうして『ミアンセのポーション屋』は中級ポーションを売り始めた。
そんなところへメドロールはやってきた。いつものようにマレインとの結婚を認めさせようとして。
しかし、メドロールは初めて見たミアンセに一目で心を奪われた。
「君が……マレイン嬢の妹のミアンセ嬢なのか……?」
ミアンセもメドロールに見惚れた。
「あなたが姉さんと結婚するメドロールさまなの……?」
二人とも見た目が良かった。メドロールは貴族の子息らしくほどよく美男だったし、ミアンセは姉のマレインと比べるとはるかに可愛らしかった。
この界隈では二人とも十分に美しいと言える容姿だったのだ。もちろん国一番などということはないが。
(この人が姉さんと結婚するなんてありえない!?)
(繋がりが目的なら別に妹で問題ない。それに妹の方がはるかに……)
二人がマレインを裏切るのは一瞬だった。
なぜなら二人の気持ちは同じだったからだ。結婚するならこの人だ、と。
二人はそろって両親のところへ向かった。
「結婚はミアンセとしたいのだが、問題ないだろう」
「父さんも、母さんもお願い。わたしの方がメドロールさまにふさわしいでしょう? 中級ポーションも作れるのよ?」
(中級ポーションも作れるだって!? ますますミアンセの方が……)
メドロールはそこからさらに熱心になって、両親を説得し始めた。
両親もマレインが残るならとミアンセとの結婚を認めた。
ミアンセが作る中級ポーションは値段が高くて、これまでの客はほとんど買わなかったからだ。マレインがいて初級ポーションさえ作れるのなら問題がなかった。
「そうね。幸せになるのよ、ミアンセ」
「ああ、しっかりメドロールさまのお役に立つようにな」
「これからは親族となるのです。遠慮なくロールと呼んで下さい。義父上殿」
「嬉しいわ。わたし、絶対に幸せになるから」
そこには幸せな家族の形だけがあった。本当の幸せかどうかはともかくとして。
彼らは誰一人として気づいていなかったのだ。
各自の利益を優先するその姿をマレインが前髪の影からじっと見つめていたことを。
翌日の朝早く、マレインは『ミアンセのポーション屋』を出て行った。
売上の一部を握りしめて。
材料の薬草を仕入れられるだけの金額を残したことが、マレインの最後の家族への情だったのかもしれない。
地元を離れたマレインは仕事を求めていくつかの領地を彷徨った。
そうしてマレインがたどり着いたのは、北部にあるエカサール伯爵領だった。
その頃のマレインは少しずつ健康を取り戻していた。
厳しい旅路の方が実家にいた時よりも身体に良いとはいったいどういうことなのか……。
実はポーション作成を一時的にやめることによって、毎日枯渇状態にあったマレインの魔力が回復してきたのだ。
マレインがエカサール伯爵領にたどり着いた頃には、マレインの魔力はおよそ最大値くらいまで回復していた。そして、その魔力量が尋常ではないことをマレインは全く知らなかった。
エカサール伯爵領もヤレラール子爵領と同じような魔獣の被害が出ていたが、ここには老齢の優秀な薬師ユーシウがいた。
マレインはユーシウの店を訪ねた。
「ここで働かせて下さい」
「ふむ。わしも後継者が欲しかったところなんじゃ。どれ、一度ポーションを作ってみなさい」
「はい」
作れと言われてマレインはいつものように初級ポーションを作成した。
「なんじゃ!? この大量のポーションは!?」
思わずユーシウは叫んだ。
ユーシウが一日で作れる初級ポーションの3倍くらいの量があったからだ。驚かないはずがない。
ユーシウが作れと命じて半日も経っていない。間違いなく、この大量のポーションは今ここで作られたものだ。
「え? ええと……今までやってたように作ったんですけど……」
戸惑うマレイン。
だがその声を聞き流し、ユーシウは錬金鍋へ匙を差し込んだ。
そして、ポーションの味見をする。
たった一口で目をこれでもかと見開くユーシウ。
「……なんじゃこの品質は!?」
「だ、だだ、ダメだったでしょうか……」
「バカモン! これは初級ポーションとしては最高の出来じゃわい!? いや、バカモンではないの……おぬしは、いったい……」
ユーシウは途端に不安を感じた。
(……コレ、わしが師匠になる必要ないんじゃなかろうか……?)
しかし、そんなことはマレインを雇わない理由にはならない。
「あ、あの……」
「採用じゃ。2階の部屋に住み込んでいいぞい……」
こうしてマレインは無事に仕事と住むところを手に入れたのだった。
ユーシウの心配は無用なものだった。マレインは初級ポーションの作り方しか知らなかったからだ。
教える楽しみを知ったユーシウは師匠として徹底的にポーション作成をマレインへと叩きこんでいく。
規格外の魔力量と、ユーシウが長年磨き続けた技術と薬草に関する深い知識。
それが合わさり、マレインは最高の薬師として花開こうとしていた。
領主である父が病に倒れ、その代理として領地を治めていたムスカ・エカサール伯爵令息は穏やかで理知的な人物だった。
ムスカは領地の魔獣退治をうまくコントロールして、魔獣素材で大きく利益を上げていた。
そして、そのための冒険者への支援に熱心だった。冒険者なくして魔獣退治は成り立たないからだ。
「……最近、魔獣被害がかなり減っている。何が……いや。これは、冒険者の稼働率が高まってるのか……」
だから、その事実に気づくのも早かった。
これまではどうしても冒険者の手配が遅れることがあった。でも、最近はそれがほとんどなくなっている。
緊急時にはいつものメンバーではない者と組んで冒険者を派遣することもあり、そういう時に限って冒険者はよく怪我をした。
連携がうまく取れないからだろうとムスカは考えていた。
「何か、変わったことはあったか……ああ、ユーシウ爺さんのところの弟子か」
ポーションが主要因だと気づいたムスカはユーシウの薬屋を訪ねた。
「ユーシウ爺さん。弟子はどうだ?」
「若さまか。あの子は天才じゃよ」
「天才?」
「うむ。しかし、この年寄りの忠告をよく聞くがいい。わしがおらんようになったらあの子がこの領のポーションを作って支えるじゃろう。だが、あの子に頼り切ってはいかんぞい」
その言葉をムスカはよく考えた。
誰か一人に頼ることがよくないというのは理解できる話だ。
ちらりと奥を見れば、小さな女の子がちょろちょろと働いている。
あれが天才なのかと思いつつ、女の子としての装いが何も整えられていないことにムスカは気づいた。
「ユーシウ爺さん。弟子は娘みたいなものだろう? 見た目にも気を遣ってやれ」
「見た目……ふむ。そうじゃのう。だがわしには無理そうじゃ。屋敷の方からそういうのに詳しいメイドでも寄こしてくれると助かるんじゃが……」
「……まあ、ユーシウ爺さんには無理か」
このままでは若い娘が少しかわいそうだと思ったムスカはユーシウの頼みを聞いた。
こうして、誰も知らないところでマレインの見た目も少しずつ改善していった。
エカサール伯爵領での生活は、マレインには余裕があった。その膨大な魔力の大半は使わずに日々の仕事を終わらせた。休日も与えられていた。
そういう仕事量にユーシウは調整しつつ、そのことの重要性をマレインに対して説いたからだ。
マレインはどんどん健康になっていき、そこへたまにやってくるメイドたちが着飾り方を教えた。
おばさんメイドたちにとってマレインは娘のようなものだった。そして、長い前髪の下に磨きがいのある美少女が隠れていた。
可愛い娘を着飾りたい親心のような何かがマレインへと集中していく。
いつの間にか、薬屋に可愛い子がいると評判になっていた。
そして……ムスカもまた、少しずつ、少しずつだったが、マレインに魅かれていくのだった。
マレインのポーションによって回復力を高められる。だから冒険者は安心して魔獣と戦えるようになり、エカサール伯爵領の安全はかつてないほどに維持されていた。
また、中級ポーションや上級ポーションをマレインが作れるようになったことで、ムスカは薬草畑の規模を拡大した。
ユーシウに釘を刺されたからほどほどにしか広げなかったが、数が限定されたことで上級ポーションの希少価値も保たれた。
ある日、ムスカはマレインに感謝を伝えようと話しかけた。
「君のポーションのお陰で、この領地は栄えていると私は考えている」
「畏れ多いことです。全てはお師匠さまのご指導のお陰ですから」
声をかけたムスカの耳は赤く、声をかけられたマレインの頬も赤かった。
マレインのポーションは、効能、安定性、純度の全てにおいて常識外れだった。
そのポーションを少しずつ近くの領へと適正価格で売ることで、エカサール伯爵領は利益とともに信頼も獲得していった。
ムスカはマレインを厚く信頼した。少しずつ膨らむ恋心とともに。
何度も顔を合わせるうちに、ムスカが領民のために動く貴族だと知ったマレインもまたムスカに魅かれていった。
それをユーシウは複雑な想いで見守っていた。おばさんメイドたちと共に……。
一方で、マレインがいなくなった『ミアンセのポーション屋』はぼろぼろになっていた。
マレインがいなくなってからは父のモールヒネがポーションを作っていた。
そして、モールヒネが作るポーションは質・量ともにマレインには遠く及ばなかった。
販売個数が大幅に減少したことで一時的に値段が高くなって儲けたのだが、その品質がありえないくらい下がっていたため、三日も経たずに誰もポーションを買わなくなった。
当然、メドロールのポーション事業にも影響した。
メドロールが狙っていたのは、まさに今エカサール伯爵領で起きている好循環だったのだ。狙いは良かった。
しかし、もっとも重要なピースであるマレインを欠いたことでメドロールの計画は成り立たなくなった。
中級ポーションまで作れるミアンセの力でどうにかしようとしたものの、ミアンセは高品質な物を作れる訳ではなかった。
ミアンセの中級ポーションの効き目はマレインの初級ポーションよりも低かったのだ。ほぼ無意味というか、材料代の損失だった。
数を増やしたいのならミアンセに初級ポーションを作らせるしかなく、その初級ポーションも効果はごく普通のものだった。
そんな彼らの耳にも、エカサール伯爵領の噂が届いた。
中級ポーション並みの初級ポーションが売られているという噂だ。
彼らだからこそ、それが誰の手によるのか……すぐに気づいた。
店も事業も放り出した状態で、メドロールたちはエカサール伯爵領に向かった。店を開いても、事業を継続しても、赤字になるばかりなのだ。
彼らにとっての救いは唯一つ。マレインを連れ戻すこと。それだけだった。
かつての家族が伯爵領にやってきたことにマレインは気づいた。彼らを見たからだ。
しかし、彼らと話すことも関わることもなかった。別に無視したわけではない。
最初に町ですれ違った時、彼らはマレインに気づかなかった。
彼らをみて驚いたマレインは、気づかれなかったことに気づけなくて隠れようとしたくらいだ。その必要はなかったわけだが。
そして、マレインを連れ戻そうとしてユーシウの薬屋までやってきたのだが……そこで働く若い女性はマレインではないと彼らは思った。
完全に見た目が別人だったから。
ユーシウに何かを言いかけて……慌てて一番安いポーションを買って店を出て行った。
「……マレインではなかったとは」
「そもそも姉さんにそんな実力があるはずないもの。当然よ」
「そうだな。それにしても……」
「マレインはどこに行ってしまったの……?」
連れ戻されそうになったら拒否するつもりだったマレインは拍子抜けしただけに終わった。
「……なんじゃい、さっきの変な客は?」
「さあ、なんだったんでしょうね?」
マレインはユーシウにあれを家族だと説明する労力を無駄だと思った。
ムスカもまた、梯子を外されたような気持ちになった。
マレインの家族がマレインを連れ戻そうとしているという情報を掴んでいたムスカは、冤罪で彼らを捕縛してそのまま密かに処理するつもりだった。
だというのに彼らは間抜けにもマレインを別人だと思い込み、そのままエカサール伯爵領から出て行った。
ムスカはすでにマレインのことが好きだと自覚していた。
だが、伯爵家の跡取りである自分と平民のマレインが結ばれることはないという事実も知っていた。
だからこそ自分が持つ全ての力を使ってマレインを守ろうとした。それなのに結果はこれである。
「……マレインが無事で良かったが……」
マレインの名を口にしつつ、執務室で一人、ムスカは顔を赤くした。
マレインもまた、よく薬屋へとやってくるムスカに心を奪われていた。それは静かで深い恋心だった。
そして、自分が平民であり、領主となるムスカと結ばれることはないことも理解していた。
だからせめて、ムスカの治めるこの地のために自分のできることをしたいと真剣に願っていた。
「ムスカさま……」
マレインにできることは、工房で誰にも聞かれないようにムスカの名を呟くこと。
それがマレインの精一杯の恋だった。
マレインには永遠に呼ぶことを許されないだろう、その尊い名を……。




