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第12話 学術都市タウロス

 学術都市タウロスは、かつてその名が大陸に響き渡っていた頃の面影を、ほとんど留めていなかった。


 首都ルステラから続く主要街道の終着点、その巨大な城門は威容こそ保っていたものの、表面を覆う石材は至る所で剝がれ落ち、無数のひび割れが痛々しく走っている。門を守る兵士たちの顔は、カイたちの通行許可証を一瞥するだけで、気怠げに顎をしゃくった。


 一歩、城門をくぐると、盆地特有の淀んだ熱気が一行を包み込んだ。盛夏。空は高く、薄い雲が太陽の輪郭を曖昧にぼかしているが、その熱量は少しも和らがない。石畳が蓄えた熱が陽炎となって立ち昇り、遠くの景色を蜃気楼のように歪ませていた。誰もが額に汗の玉を浮かべ、革鎧の下の肌着がじっとりと張り付く不快感に顔をしかめる。


「……これが、タウロスか」


 最初に沈黙を破ったのは最年長者であるグレゴールだった。彼の目は、目の前に広がる光景を値踏みするように細められていた。


「知の聖地」として国中に知れ渡っていた。その言葉から想像していたのは、活気に満ちた学生や商人たちが行き交う、ざわざわとした活気ある街だった。だが、現実はその真逆だ。


 幅の広い大通りには人影もまばらで、道の両脇に並ぶはずの商店は、その大半が木の板を打ち付けたか、錆びついたシャッターを固く閉ざしている。


 大陸最古と謳われる王立アルマータ大学の壮麗な白亜の壁も、今は煤と埃で汚れ、無数の亀裂が走っていた。


 風が吹き抜けるたびに、砂埃が舞い上がる。活気の代わりに通りを支配しているのは、風の音と、どこか遠くで聞こえる犬の甲高い吠え声だけだった。


「ひどい……。話に聞いていたのと、全然違うじゃないか」


 テッサが悔しそうに唇を噛んだ。彼女の真っ直ぐな瞳には、隠しきれない失望と憤りが浮かんでいる。


「物資の流通が完全に麻痺している証拠ですね」


 ルキウスは指で眼鏡の位置を直しながら、忌々しげに呟いた。


 リアーナは、ただ黙って周囲の空気を嗅ぐように鼻をひくつかせている。


 カイもまた、黙ってその光景を目に焼き付けていた。


 リカルドが語った「王国の危機」。それは王都の執務室で聞いた時には、どこか現実味のない、政治的な言葉に過ぎなかった。だが、今、目の前にあるのは紛れもない現実だ。人々の生活が、静かに、しかし確実に蝕まれている。




 ※※※※※※




 一行は、何軒かの閉鎖された宿屋を通り過ぎた後、ようやく明かりの灯る一軒の食堂を見つけ出した。大通りから一本外れた路地裏にひっそりと佇む、場末の小さな店だ。煤けた木の扉を開けると、油と埃の混じった匂いが鼻をついた。


 店の中は薄暗く、客は一人もいない。年老いた店主が、カウンターの奥で一人、ぼんやりと虚空を見つめていたが、来客に気づくと、重い身体をゆっくりと起こした。


「へい、いらっしゃい……。兵隊さんかい」


 カイはカウンターに一番近い席に腰を下ろし、壁に掛けられた手書きの品書きに目をやった。タウロスの名物とされる料理の名前がいくつも並んでいるが、そのほとんどが黒いインクで無造作に塗りつぶされている。


「タウロス風ソーセージのパスタを。五人前」


 カイの注文に、店主は申し訳なさそうに眉を下げ、布巾でカウンターを拭きながら首を横に振った。


「……すまねぇな、兵隊さん。ソーセージも、パスタの粉も、もう何か月も入ってきてねえんだ。今出せるのは、これくらいのもんでな」


 やがて運ばれてきたのは、硬く焼かれた黒パンと、塩辛い干し肉を数切れ乗せただけの粗末な皿、そしてぬるま湯の入った金属製のカップが五つ。


「これが名物……? 冗談でしょう!」


 テッサが思わず声を上げる。ルシウスも困惑したように眉を潜める。


「食えるだけマシだ。文句を言うな」


 グレゴールが低い声で制し、無言で黒パンを手に取ってかじりつく。リアーナもまた、何も言わずに干し肉を口に運び、野生動物のように静かに咀嚼を始めた。


 カイも黙ってパンをちぎり、口に入れた。パサパサで、噛むと砂のような味がする。彼はそれをぬるま湯で無理やり胃に流し込みながら、カウンターの向こうで所在なげに立つ老店主に静かに視線を向けた。その視線に気づいたのか、店主は諦めたように息をついた。


「ほんと、すまねぇな。リカルド宰相閣下が、食料も物資も、みんな軍に回しちまうもんだからよ。この街の生命線だった、カリマーラ商会の定期便も、もうずっと遅れちまってて、街には何も入ってこねぇんだ」


 老店主は、一度言葉を切ると、今度は少しだけ声の調子を変えて続けた。


「……だが、兵隊さんを責めてるわけじゃねえ。むしろ、俺なんざ、リカルド宰相閣下には感謝してるくらいでな」


「感謝、ですか?」


 意外な言葉に、テッサが聞き返す。「ああ」と店主は頷いた。


「閣下のおかげで、この街を長いこと牛耳ってた代官様が追放されたんだ。あいつは酷え男でよ、何かと理由をつけては俺たちみてえな小せえ店からみかじめ料を巻き上げてた。俺の息子なんざ、払うのが少し遅れただけで、代官の私兵に半殺しにされたこともある」


 老店主は、遠い目をして、カウンターの傷の一つを指でなぞった。


「これも噂だがな。宰相閣下の故郷も、昔はひでえもんだったそうだ。役人の怠慢と、クソ貴族どもの食い潰しのせいで、酷い飢饉になったって話だ。多くの民が死んで、閣下も……ご家族を失ったとか。だからこそ、私腹を肥やす連中が、どうしても許せねえんだろうよ」


 その言葉は、食堂の薄暗い空気の中に静かに溶けていった。


 カイは、残りのパンを黙々と口に運んだ。リカルドという男の輪郭が、少しだけ変わって見えた気がした。




 ※※※※※※




 粗末な食事を終え、一行が食堂の外に出ると、西の空は不気味な紫色に染まり始めていた。地平線の向こうから湧き上がった巨大な入道雲が、街全体に影を落としている。生ぬるい風が湿気を運び、雷の匂いを微かに漂わせていた。もうじき、激しい夕立が来るだろう。


 カイは、部隊の四人に向き直った。彼らの顔にも、タウロスの現実を目の当たりにしたことによる疲労と、言葉にならない感情が浮かんでいた。


「……行くぞ」


 カイの声は、静かだった。だが、その中には揺るぎない決意が込められていた。


「エステ砦は、ここよりも酷い状況のはずだ。俺たちの到着を待っている者たちがいる」


 グレゴールが、テッサが、ルキウスが、そしてリアーナが、無言で頷く。彼らの視線には、もうタウロスに着いた時の失望の色はなかった。代わりに宿っているのは、これから向かう戦場を見据える覚悟だった。


 一行は最低限の物資を補給すると、夕立に追われるように、再び歩き始めた。

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