第10話 不穏な顔合わせ
宰相リカルドとの謁見を終えたカイは、彼の背中を追うようにして執務室を後にした。
豪奢な絨毯が敷き詰められた廊下から、磨き上げられた石の回廊へ。窓の外に見える王宮の庭園が遠ざかり、代わりに質実剛健な訓練施設が姿を現す。
空気が変わった。花の甘い香りや磨かれた大理石の匂いは消え、乾いた土埃と、微かな鉄錆、男たちの汗が混じった重い匂いに取って代わる。行商人時代に嗅ぎ慣れた、労働の匂い。王宮の絢爛さより、こちらの方がまだ息がしやすい。
「ここが、君の新しい仕事場だ」
リカルドは、その光景を満足げに見渡しながら告げた。執務室にいた時よりも幾分か低い声が、練兵場の喧騒に溶け込む。
「今の王宮に人員の余裕はないが、多少は部下がいないと何かと不便だろう」
その言葉の意味を、カイは咀嚼しきれなかった。視線がリカルドの横顔に向く。何を言えばいいのか分からない。口を開きかけて、閉じる。結局、黙ったままだ。
リカルドは、カイの沈黙を気にした様子もなく、練兵場の中央を指し示した。
「彼らが、君の部下となる者たちだ」
そこには、四人の男女が微動だにせず直立していた。引き絞られた弓弦のような緊張感。カイは、四対の視線が自分を貫いているのを感じた。
品定めされている。
その自覚が、背筋にじわりと不快な汗を滲ませた。
リカルドはまず、一番左に立つ巨漢へと歩み寄る。熊と見紛うほどの体躯。背には分厚い鋼鉄のタワーシールドを背負い、白髪混じりの髭に覆われた顔には、歴戦を物語る深い傷跡が刻まれている。
「グレゴール・ヴォルコフ。元傭兵団長だ。雇い主の無謀な命令で、部下たちを全て失った。だが、その指揮能力と実力は本物だ」
グレゴールは表情一つ変えなかった。ただ、その思慮深い光を宿す瞳が、カイの線の細い身体を、ゆっくりと上から下へ舐め回すように見下ろした。
何か、値踏みされている。そんな気配。
カイは、口を開こうとした。言葉を探す。何を言えばいい。「よろしく」か。それだけでいいのか。沈黙が、数秒だけ長く伸びた。
「……カイだ。よろしく、頼む」
ようやく絞り出した声は、自分でも聞き取りにくいほど小さかった。
グレゴールが見下ろしてくる。 視線が痛い。カイの視線が、無意識に逃げ場を探して彷徨った。グレゴールの右肩、背後の壁、空。 数秒の沈黙の後、グレゴールは鼻を鳴らし、重々しく一度だけ頷いた。
リカルドは、そのやり取りに何か思うところがあったのか、僅かに口元を緩めると、次の人物へと歩を進めた。
「テッサ・ヴァレリウス。腐敗した貴族によって取り潰された騎士爵家のものだ。私の理想に共感し、自ら軍に志願した」
栗色の髪をポニーテールにした少女が、バッと音が出そうな勢いで直立不動の姿勢をとる。
その瞳が、爛々と輝きながらカイを射抜いた。
「テッサ・ヴァレリウスと申します!」
背筋を伸ばし、真っ直ぐな瞳を輝かせる。声に淀みはない。
「はっ! テッサ・ヴァレリウスと申します! 宰相閣下の掲げる理想のため、この身を捧げる覚悟です! “龍殺し”カイ様、あなた様の下で戦えること、光栄に――」
声が大きい。 カイがわずかに仰け反ると、テッサの言葉が詰まった。 彼女の熱っぽい視線が、カイの猫背気味の姿勢、疲れ切った顔、やる気のない瞳を捉える。 テッサの口が半開きのまま止まった。彼女の瞳の中で、期待という名の風船が急速にしぼんでいくのが見えた。
リカルドは、そんなテッサの内心を見透かしたように微かに笑うと、三人目の青年へと視線を移した。
「ルキウス・クローデル。王都の貧民街の出身だが、その知性は律学院の誰よりも輝き、首席で卒業した。私の実力主義を体現する、新時代の魔術師だ」
銀縁の眼鏡をかけた、理知的な顔立ちの青年。常に背筋を伸ばし、エリート然とした雰囲気を漂わせている。
ルキウスは、優雅に一礼した。その所作に隙はない。
「ルキウス・クローデルです」
だが、眼鏡の奥の瞳は笑っていなかった。
「宰相閣下直々のご指名とは、光栄です。……噂通りの、傑物とお見受けします」
丁寧な言葉だが、語尾が微かに跳ねていた。 カイにはその皮肉の意図がよく分からなかったが、なんとなく居心地が悪くなり、曖昧に頷いて視線を逸らした。ルキウスが鼻で笑ったような気がした。
リカルドは最後の一人、異国の装束を纏った女戦士の前へ進む。
「リアーナ・ザハル。南方の狩猟民族の出身で、故郷を追われた流れ者だ。だが、その戦闘技術は常軌を逸している。言葉は少ないが、腕は確かだ」
カシャバナ連合王国出身者特有の、日に焼けた褐色の肌。腰まで届く黒髪は複雑な三つ編みにされ、踊り子のような軽装からは、引き締まったしなやかな四肢が伸びている。
深い森のような緑色の瞳が、カイを捉えた。感情の機微を、一切映し出さない目。
獲物を見る目だ。
その緑の瞳が、カイの喉元から足先までをゆっくりと見下ろし——そして、ふいと逸れた。興味を失ったように。
「さて、顔合わせはここまでだ。カイ、任務にあたって細かい調整があるから、執務室にもどろう」
リカルドはそう言うと、満足げな表情で踵を返し、練兵場を去っていった。カイも彼の後に続く。背中に突き刺さる、四対の視線。バラバラの感情の矢を背中で受け止めながら、カイはただ黙って歩いた。
※※※※※※
カイとリカルドの背中が完全に視界から消えると、練兵場に残された四人の間に、重苦しい沈黙が降りた。乾いた風が土埃を巻き上げ、遠くで聞こえる訓練の音だけが、世界の時間が止まっていないことを証明していた。
彼らは兵舎へと続く石畳の道を、互いに微妙な距離を保ちながら歩き始めた。仲間としての気配は、微塵も感じられない。
最初に沈黙を破ったのは、やはりテッサだった。彼女は、やり場のない苛立ちを隠せない様子で、黙々と巨大な戦斧の手入れを始めたグレゴールの隣に並んだ。
「……あれが、本当に『龍殺し』のカイ様なのでしょうか」
声を抑えながらも、その口調には失望が滲んでいた。
「もっと、こう……覇気というか、英雄らしい威厳のようなものが……。それに、挨拶も……」
壁に寄りかかり、腕を組んでいたルキウスが、眼鏡を中指で押し上げた。
「期待外れだったか、テッサ」
嘲るような響き。
「もっとも、私は最初から期待などしていなかったがね。見たところ、まともな戦術理論すら学んでいないだろう。祝福という名の、生まれ持った幸運に胡坐をかいているだけの素人だ」
「しかし、閣下がお選びになった方です! 何か、我々には計り知れないお考えが——」
テッサが食い下がろうとしたその時、グレゴールが斧を磨く手を止めることなく、重々しい声でその会話を遮った。
「戦場に英雄などいない」
有無を言わせぬ圧力。彼は二人を見ることなく、手元の刃先に視線を落としたまま続ける。
「いるのは、死ぬ奴と、生き残る奴だけだ」
沈黙。
「あいつがどちら側か……それだけが問題だ。線の細い坊やだな。貴族のボンクラよりはマシかもしれんが、盾の後ろに隠れさせる手間は同じだろう」
その言葉には、カイへの評価以前に、部隊の生存を憂う現実主義者の重みがあった。無能な指揮官の下で無駄死にさせられることへの、深い警戒心。
彼らの会話の間、リアーナは一言も発さず、少し離れた日向で目を閉じていた。まるで微睡んでいるかのように。
テッサは、気まずい沈黙を破ろうと、今度は彼女に声をかけた。
「リアーナ殿は、どう思われましたか? あなたの故郷では、強い方はどのような——」
リアーナは、ゆっくりと薄目を開けた。その緑の瞳が、ルキウスとテッサを順に見据える。
「……弱い犬ほど、よく吠える」
誰に向けて言ったのか。ルキウスは顔をしかめ、テッサは戸惑いの表情を浮かべた。リアーナはそれ以上何も言わず、再び目を閉じる。
その言葉は、この寄せ集めの部隊の不協和音を象徴するように、冷たく響いた。
特務分隊の最初の一日は、そうして静かに暮れていった。




