第10話 不穏な顔合わせ
宰相リカルドとの謁見を終えたカイは、彼の背中に導かれるまま、執務室を後にした。豪奢な絨毯が敷き詰められた廊下から、磨き上げられた石の回廊へと移り、やがて二人の足音だけが響くようになる。窓の外に見える王宮の華やかな庭園が遠ざかり、代わりに質実剛健な訓練施設が姿を現し始めた。
空気が変わる。花の甘い香りや磨かれた大理石の匂いは消え、乾いた土と、微かな鉄の匂い、そして男たちの汗の匂いが混じった、
「ここが、君の新しい仕事場だ」
リカルドは、その光景を満足げに見渡しながら、カイに語りかける。その声は執務室にいた時よりも幾分か低く、練兵場の喧騒に溶け込むような響きを持っていた。
「今の王宮に人員の余裕はないが、多少は部下がいないと何かと不便だろう」
その言葉の真意を測りかね、カイは黙って宰相の横顔を見つめる。リカルドはカイの視線に気づかぬふりで、練兵場の中央を指し示した。
「彼らが、君の部下となる者たちだ」
そこには、四人の男女が微動だにせず直立していた。引き絞られた弓弦のような緊張感が、その場に立つ四人を縫い付けている。リカルドはまず、一番左に立つ熊と見紛うほどの巨漢へと歩み寄る。
「グレゴール・ヴォルコフ。元傭兵団長だ。雇い主の無謀な命令で、忠実だった部下たちを全て失った過去を持つ。だが、その指揮能力と実力は本物だ」
紹介された巨漢、グレゴールは、表情一つ変えなかった。背には分厚い鋼鉄のタワーシールドを背負い、その体躯は屈強という言葉では生ぬるいほどの威圧感を放っている。白髪混じりの髭に覆われた顔には、歴戦を物語る深い傷跡が刻まれている。
「カイだ。よろしく頼む」
カイが差し出した短い言葉に、グレゴールはただ、重々しく一度だけ頷いた。その思慮深い光を宿す瞳が、カイの線の細い身体と、その奥にある何かを、静かに値踏みしているのが分かった。
リカルドは、そのやり取りに満足げに頷くと、次に若き女騎士へと歩を進めた。
「テッサ・ヴァレリウス。腐敗した貴族によって取り潰された騎士爵家の末裔だ。私の理想に共感し、自ら軍に志願した、燃えるような正義感の持ち主だよ」
活発そうな栗色の髪を高い位置でポニーテールに結んだテッサは、リカルドの言葉に背筋を伸ばし、その真っ直ぐな瞳を輝かせた。彼女が身に纏う軽装の騎士鎧は、一分の曇りもなく磨き上げられている。
「はっ! テッサ・ヴァレリウスと申します! 宰相閣下の掲げる理想のため、そしてアウレリアの民のため、この身を捧げる覚悟です! “龍殺し”カイ様、あなた様の下で戦えること、光栄に存じます!」
淀みない自己紹介。しかし、その理想に燃える瞳がカイ本人を間近に捉えた瞬間、ほんのわずかに揺らいだ。
リカルドは、そんなテッサの内心を見透かしたように微かに笑うと、三人目の青年へと視線を移した。
「ルキウス・クローデル。王都の貧民街の出身だが、その知性は律学院の誰よりも輝き、首席で卒業した努力の天才だ。私の実力主義を体現する、新時代の魔術師だ」
銀縁の眼鏡をかけた、理知的な顔立ちの青年、ルキウスは、常に背筋を伸ばし、エリート然とした雰囲気を漂わせていた。彼はカイの姿を認めると、眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、品定めをするように全身を舐め回した。
「ルキウス・クローデルです」
ルキウスは、優雅に一礼してみせた。その所作に隙はない。
「宰相閣下直々のご指名とは、光栄です」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、その声には皮肉ような響きが込められていた。
リカルドはルキウスの不遜な態度を咎めることなく、最後の一人、異国の装束を纏った女戦士へと向き直った。
「リアーナ・ザハル。南方の狩猟民族の出身で、故郷を追われた流れ者だ。だが、その戦闘技術は常軌を逸している。言葉は少ないが、腕は確かだ」
南方のカシャバナ連合王国出身者特有の、日に焼けた褐色の肌。腰まで届く長い黒髪は複雑な三つ編みにされ、踊り子のような軽装からは、引き締まったしなやかな四肢が伸びている。
腕や足首には植物の蔓を模した装飾品が巻かれ、その深い森のような緑色の瞳は、感情の機微を一切映し出していなかった。その緑の瞳が、獲物を値踏みするようにカイの喉元から足先までをゆっくりと見下ろし、そして、ふいと興味を失ったように視線を逸らした。
「さて、顔合わせはここまでだ。カイ、任務にあたって細かい調整があるから、執務室にもどろう」
リカルドはそう言うと、満足げな表情で踵を返し、練兵場を去っていった。カイも彼の後に続く。背中に突き刺さる、四対の視線。バラバラの感情の矢を背中で受け止めながら、カイはただ黙って歩いた。
※※※※※※
カイとリカルドの背中が完全に視界から消えると、練兵場に残された四人の間に、重苦しい沈黙が降りた。乾いた風が土埃を巻き上げ、遠くで聞こえる訓練の音だけが、世界の時間が止まっていないことを証明していた。
彼らは兵舎へと続く石畳の道を、互いに微妙な距離を保ちながら歩き始めた。その隊列には、仲間としての気配は微塵も感じられない。最初に沈黙を破ったのは、やはりテッサだった。彼女は、やり場のない苛立ちを隠せない様子で、黙々と巨大な戦斧の手入れを始めたグレゴールの隣に立った。
「……あれが、本当に『龍殺し』のカイ様なのでしょうか。もっと、こう……覇気というか、英雄らしい威厳のようなものが……。それに、挨拶も……」
その言葉には、伝説の英雄に会えるという純粋な期待が、見事に裏切られたことへの失望が滲んでいた。
壁に寄りかかり、腕を組んでその様子を眺めていたルキウスが、眼鏡を中指で押し上げながら、嘲るように言った。
「期待外れだったかな、テッサ。もっとも、私は最初から期待などしていなかったがね。見たところ、まともな戦術理論すら学んでいないだろう。祝福という名の、生まれ持った幸運に胡坐をかいているだけの素人だ」
「しかし、閣下がお選びになった方です!何か、我々には計り知れないお考えが……」
テッサが食い下がろうとしたその時、グレゴールが、斧を磨く手を止めることなく、重々しい声でその会話を遮った。
「戦場に英雄などいない。いるのは、死ぬ奴と、生き残る奴だけだ」
その声には、有無を言わせぬ圧力があった。彼は二人を見ることなく、手元の斧の刃先に視線を落としたまま続ける。
「あいつがどちら側か……それだけが問題だ。線の細い坊やだ。貴族のボンクラよりはマシかもしれんが、盾の後ろに隠れさせる手間は同じだろう」
彼の言葉には、カイへの評価以前に、部隊全体の生存を憂う現実主義者の重みがあった。無能な指揮官の下で無駄死にさせられることへの、深い警戒心が滲んでいた。
彼らの会話の間、リアーナは一言も発さず、少し離れた日向で目を閉じ、まるで微睡んでいるかのように静かだった。テッサは、気まずい沈黙を破ろうと、今度は彼女に話を振った。
「リアーナ殿は、どう思われましたか? あなたの故郷では、強い方はどのような……」
リアーナは、不意に薄目を開けた。その緑の瞳が、ルキウスとテッサを順に見据える。
「……弱い犬ほど、よく吠える」
誰に向けて言ったのか分からない一言。ルキウスは顔をしかめ、テッサは戸惑う。リアーナはそれ以上何も言わず、再び目を閉じた。彼女の言う「吠える犬」が誰を指すのか、その場では誰にも分からない。
しかし、その言葉は、この寄せ集めの部隊の不協和音を象徴するように、冷たく響いた。
特務分隊の最初の一日は、静かに暮れていこうとしていた。




