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第26話 夜想曲

 乾杯のあと、カイは、勧められるままにグラスを呷った。喉を焼くようなアルコールの強さと、その奥に広がる複雑で芳醇な果実の香り。


 飲み慣れていない彼には、それが美味いのかどうか判断がつかなかったが、身体の芯が急速に熱を帯びていくのを感じた。案の定、一口で激しく咳き込み、顔を真っ赤にする。


「カイ、だいじょぶ?」


 プリルが小皿に注がれたワインを、小さな舌でぺろりと舐めながら、心配そうにカイを見上げた。意外にもこの小さな使い魔は酒が好きらしく、その半透明の身体はほんのりと上機嫌なピンク色に染まっている。


「カイ、あんた、見かけによらず飲みっぷりがいいのね!」


 レナータが、上機嫌に笑いながらカイの肩をバンバンと叩いた。


 彼女の顔は既にほんのりと上気し、普段の厳格な職人の仮面は、上質なワインの力によって脆くも剥がれ落ちつつあった。快活に笑い、冗談を飛ばすその姿は、カイが知る彼女とはまるで別人だった。レナータはすぐに二杯目に手を伸ばす。


「ああ、やっぱりいい酒…。カーラ、あんたの趣味だけは認めるわ」


「あら、素直じゃない」


 カーラはカイとレナータの反応を、猫が鼠を眺めるように楽しげに見守っている。彼女は絶妙なタイミングで酒を注ぎ、会話を振り、巧みにこの宴を支配していた。


 カーラが持ち込んだ珍しいチーズの強い塩気と、ドライフルーツの凝縮された甘みが、ワインの味をさらに引き立てる。


 やがてカーラの視線は、静かにグラスを傾けるベルクトへと注がれた。


「以前も思いましたが、ベルクト様も結構お酒を嗜まれますよね。どんなものがお好きなんですか?」


 探るようなカーラの問いに、ベルクトは一瞬だけ遠い目をした後、普段よりも少し饒舌(じょうぜつ)に語り始める。


「『太陽の雫』…そう呼ばれていた」


 その言葉に、場の空気が僅かに変わる。ベルクトの声には、普段の飄々とした調子とは異なる、何か特別な響きが含まれていた。


「ある王族の難病を治した礼に賜った、王宮の秘蔵酒だ。黄金の液体の中に、陽光そのものが溶け込んでいるかのような…実に、美味かった」


 工房の中が、一瞬だけ静まり返る。ベルクトの言葉が持つ重みが、酔いの回った場の空気を引き締めた。


「今も私の屋敷の地下に数本眠っているはずだが…なにぶん、正面から入るには、また騎士団の一つや二つ、眠らせねばならんのでな。少々手間だ」


 彼がこともなげに言うと、それまで静かに聞いていたプリルが、甲高い声で茶々を入れた。


「昔は王様とお友達だったのに、今は王国中の嫌われ者だもんねー!ベルクト、かわいそー!」


 カイは飲んでいたワインを噴き出しそうになった。しかし、当のベルクトはカラカラと笑い声を上げた。


「その通りだ、プリル。実に的確な表現だな」


「全然笑えねぇよ…」


 カイが小声で呟くと、ベルクトは「ははは」と楽しそうに笑うだけだった。


 酔いが回るにつれて、レナータの舌は一層滑らかになった。昔の職人仲間とのバカ話、頑固な親方との逸話、初めて自分の銘を刻んだ時の武者震いするような喜び。普段の彼女からは想像もできない、人間味あふれる物語が、次から次へと語られる。


 カーラへの警戒心もすっかり薄れ、二人はまるで旧知の悪友のように、憎まれ口を叩き合いながらも酒を酌み交わしていた。


 プリルはいつの間にかカーラの膝の上に移動し、すっかり懐いている様子だ。その半透明の体が、ワインの赤い色をほんのりと映し込んで、不思議な美しさを放っていた。


「ねえねえ、カーラお姉ちゃん。プリル、もっとお話聞きたいー」


「あら、プリルったら可愛いこと言うのね」


 カーラはプリルを優しく撫でながら、その仕草は本当の妹を相手にしているかのように自然だった。


 オイルランプの光が揺れ、壁に映る影が踊る。炉の残り火が静かにパチパチと音を立て、外の世界の喧騒は遠い。鉄と油の匂いに、ワインと果実の香りが溶け合い、奇妙に心地よい空気が生まれていた。カイは、経験したことのないその賑やかな時間の渦の中で、少しだけ、自分の居場所を見つけたような気がしていた。

たくさんの作品の中からお時間をいただき、ありがとうございます!


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