第17話 鍛冶師レナータ
ガタンッ、と工房の奥で何かが倒れる音がした。直後、聞き慣れたプリルの甲高い声と、女性の、意外なほど可愛らしい悲鳴が響き渡る。――レナータさんだ。
心臓を氷の手で掴まれたような悪寒が、カイの背筋を駆け上がった。
「すみません!レナータさん!中にいるのは俺の…えっと、仲間なんです!本当に申し訳ありません!あの、悪気はないんです!」
カイはほとんど叫ぶように、閉ざされた扉を叩きながら懇願した。
すると工房の扉が少しだけ開き、レナータが姿を表した。彼女の視線はプリルから受け取った宝石に注がれている。
「…あんたたち、もう一度顔を見せなさい」
彼女の声は依然として低く、警戒を解いてはいなかった。しかし、その響きから鋭い拒絶の棘は抜け、代わりに隠しきれない好奇心が滲んでいた。
カイは、ベルクトと共に恐る恐る工房の中へと足を踏み入れた。プリルは、レナータの足元で「えっへん!」とでも言いたげに、得意げにぷるぷると体を揺らしている。
レナータは腕を組み、改めてカイたちを射抜くような視線で値踏みした。
「で、あの女狐に何を吹き込まれたの? あの女が人を紹介するなんて、何か裏があるに決まってるわ」
カーラへのあからさまな不信感と嫌悪感を隠そうともしない。その言葉は氷のように冷たく、棘を含んでいた。
「いえ、あの…カーラには、腕の良い鍛冶師がいるとだけ…」
カイは、レナータの剣幕に思わずどもってしまう。
「カーラ・ロッシ……あの女の言うことなんて、一つも信用できないわ。何て言われてここに来たのか、洗いざらい話して頂戴」
レナータは吐き捨てるように言った。
カイがしどろもどろになりながら今までの経緯を説明したが、今のレナータの耳にはほとんど入っていなかった。
彼女の意識は、プリルから受け取ったその不思議な宝石に完全に奪われていた。
宝石を様々な角度から光にかざし、うっとりとした表情でその輝きに見入る。時折、指先でそっと表面を撫で、その冷たく滑らかな感触を確かめている。作業台に置かれた年代物のルーペを取り出すと、宝石の表面の微細な模様や、内部に揺らめく星屑のような内包物を、食い入るように覗き込んだ。
その姿は、先ほどまでの刺々しい警戒心など微塵も感じさせない、純粋な探求者のそれだった。
やがて、レナータはゆっくりと両手で宝石を包み込むように持った。そして、深く、静かに呼吸を繰り返す。彼女の周囲の空気が、徐々に張り詰めていくのが肌で感じられた。やがて、彼女の銀灰色の髪が微かに逆立ち、その瞳がカッと見開かれる。瞳孔の奥に、まるで鍛冶炉の最も熱い部分のような、鮮烈な熾火色の光が宿った。
「――火魂よ、囁け」
レナータが呟くと、彼女の指先から力強い律動が迸り、彼女の手の中で宝石はまるで内側から爆発するような、強烈な蒼い光を放った。
すると、それまで険しかったレナータの表情が、まるで魔法が解けたかのように、劇的に変化し始めた。驚愕、困惑、そしてやがて隠しきれないほどの興奮と、純粋な歓喜へ。あまりに劇的な感情の変化に、カイは瞬きも忘れて立ち尽くす。目の前の人物が、先ほどまで自分たちを追い返そうとしていた女性と同一人物だとは、にわかには信じがたかった。
「間違いないわ!この独特の冷たい輝き、清浄な律動……これ『星詠みの涙』じゃないの!?」
レナータは声を上ずらせ、カイの方へ詰め寄るような勢いで向き直った。その瞳は、先ほどまでの警戒心などどこへやら、子供のような興奮と好奇心で爛々と輝いている。
「実物を見るのは初めてだわ…!あんた、こんなもの一体どこで見つけたのよ!?」
「え、えっと……以前、行商をしていた時に、なんとなく良さそうだと思って……」
レナータは呆れたように首を振った。
「なんとなく!?適当なことを言わないでよ」
彼女はカイの言葉を鼻で笑った。
「それより、今の……何なんですか……?」
カイは宝石以上に、先程の光景が気になっていた。さっきレナータが何かを呟いた途端、まるで工房全体が震えるような、不思議な力の奔流を感じたのだ。
その力は、カイの「共鳴感知」を強く刺激し、宝石から放たれる清浄な律動とレナータの力が共鳴し合う様を、鮮明に感じていた。
カイの問いに答えたのは、意外にもベルクトだった。彼は工房の隅から静かに歩み寄り、レナータと宝石を興味深そうに見つめながら言った。
「祝福だな。カイ、お前も感じただろう?彼女の魂から発せられる、特有の律動の高まりを」
「祝福…?共鳴感知と同じ?」
「私は『火魂の囁き』と呼んでいるわ。私の祝福は、物質が秘める魂の声を聞いて、その力を最大限に引き出すことができるの。この『星詠みの涙』がこれほど強い律動を放ったのは、私の祝福に呼応したからよ」
彼女はそう言うと、愛おしそうに宝石を撫でた。
「才に恵まれたな」
ベルクトが感心したように頷く。
「その辺の壁に掛かっている剣も、工房の隅に置かれた失敗作の山ですら、並の鍛冶師が打ったものとは明らかに質が違う。相当な出来だ。20年やそこらの修練で到れる境地ではない」
ベルクトは工房に飾られた武具や、作業途中の金属素材に鋭い視線を送りながら言った。
「20年? 何を言っているんだ、ベルクト?」
カイは思わず聞き返した。レナータの見た目は、どう贔屓目に見ても20代前半。20年以上のキャリアがあるとは到底思えなかった。
ベルクトは、カイの疑問を見透かしたように、意味ありげな笑みを浮かべた。
「その祝福……『火魂の囁き』と言ったか。物質の魂と対話する力は、たしかラスナの民に多く見られた特性のはずだ。そして、ラスナの民は人間よりも遥かに時の流れが遅い……つまり、長寿だということだ」
「詳しいのね、あんた」
レナータは少し驚いたようにベルクトを見たが、すぐにふんと鼻を鳴らした。
「でも、残念だけど私は純粋なラスナの民じゃないわ。見ての通り、耳も尖ってはいるけど、彼らほどじゃない。私は混血よ。人間の母と、ラスナの民の父の間に生まれた、どっちつかずの半端者」
その言葉には、自嘲と、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。
「じゃあ、本当に20年以上も鍛冶師を!?で、でも、どう見ても20歳そこそこにしか…!」
カイは、ベルクトとレナータの会話から導き出される結論に、改めて衝撃を受けた。
「失礼ね。もう38よ」
「さ、さんじゅう……!?」
レナータは、カイのあまりにストレートな驚きように、少しむっとした表情で言い返した。しかし、その口調はどこか楽しんでいるようでもあった。
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