奇跡の子らの逃避行
「お~な~か~す~い~た~! ご~は~ん~!」
「うるさいな。そればっかり何度も言うな」
何度目かの不平。何度目かの催促。少女からの不満の声に、男は耳を塞いだ。
それでも少女の高い声は、塞いだ手を貫通してくる。
「は~や~く~食~べ~た~い~!」
「だから、何度も言うな! っつーか叫ぶ元気があるならまだ食わなくても平気だろう」
「平気じゃないも~ん! お腹空いたも~ん!」
「ああもう、わかったから。頼むから大人しくしていてくれ。……くそっ。頭が痛い……」
「大丈夫? 頭痛いなら休んだほうがいいよ?」
「誰のせいだと思っているんだまったく……」
男は苦々しく息を吐きながら、横にいる少女を見やった。一体なぜ、こうなってしまったのか。
○
男の名はグレンという。本名ではなく、仕事を行うために組織からつけられた名だ。そもそも本名というものがあるのかさえ不明。男には両親がいた記憶がなく、物心ついた時には一人で食べ物を探して歩きまわり、廃屋の下で雨風をしのいでいた。だから組織に拾われ仕事ができるほどに成長した際につけられた〝グレン〟という名が、男にとっては初めてもらった名前だった。
この男――グレンを拾った組織というのは、犯罪組織であった。身寄りのない子供を拾ってはお前が不幸なのは王侯貴族のせいなのだと言い聞かせ、盗みや殺し等の技術を身につけさせる。そうして成長し、一人前になった子供に仕事を与える。あの屋敷に侵入して宝石を盗め。あの貴族の娘を攫え。あの家の当主を殺せ。それができなかった場合に死ぬのはお前だ。
幸いにもグレンはそつなく仕事をこなせるタイプだった。盗みのために屋敷に入れば誰にも姿を見られることなく目的のものを入手し、殺しの場合はターゲットに声を上げる暇さえ与えない。そのため組織からは重宝がられ、難しい仕事を任されることも度々ある。
今回グレンが受けたのも、そうした難易度の高い仕事だった。
『ハイトアッシュ家の娘を攫え』
ただの娘を攫うだけならそう難しくはない。貴族の子供なんて、ちょっと脅せばすぐ言うことを聞く。だがこの娘はそうではないという。その理由は、グレンがそつなく仕事をこなせることと同じ理由だった。
魔法。
それは神に選ばれた者のみが使えるという、奇跡。
誰が選ばれるのかはわからない。血筋は一切関係ない。神の気まぐれにより、奇跡の子はこの世に生れ落ちる。あるいは裕福な家庭の元に。あるいは子を捨てるような親の元に。
奇跡の子には、一概に同様の特徴がある。それは黄金に輝く瞳。魔法を使用する際には、より一層輝きを増す。故にグレンのターゲットとなった人物が最期に見るのは黄金の光だとも言われている。当の本人には、どれだけ光っていようが一切わからないのだが。
そうした特徴があるお陰で、今回グレンが攫うよう言われた少女の姿を見つけるのも簡単だった。最近の流行りなのか、街中には派手な羽飾りのついた帽子を被った女性が目立つ。つばも広いせいで顔が判別し難いが、黄金の瞳の輝きだけは見間違いようがない。グレンは少女の後をつけながら、攫うタイミングを見計らった。グレンには相手も同じ魔法使いであろうと、仕事を完璧に遂行できるという自負があった。まして相手は温室育ちの子供。魔法を戦うために使ったことなどあるわけがない。そんな奴が己の敵になるわけがない。
そんな慢心が、グレンの足をすくうこととなった。
○
「うわぁ! すっごい! あなたって殺し屋なのね!」
グレンに攫われた少女は、泣くでも怯えるでもなく、期待に満ちた目でグレンに迫った。大好物を目の前にした子供のように。
「ねえねえ! どうやって私を殺すの?」
あまつさえ、殺害方法まで訊ねてくる。
「あー、いいか、お嬢様。俺はあんたを殺さない。誘拐するだけだ」
「でもそれは現時点での話で、後で殺すんでしょ? ねえ、どうやって殺すのか教えてよ!」
「だからな……」
困った。大変困った。
一人で街中を歩いていたこの少女の進行方向を編み出し、建物の陰で待ち伏せして人気のない裏路地に連れ込むまでは簡単だった。問題はその後だ。
少女は何故か、それはもうこれ以上ない程の喜びに満ちた顔をしていた。新しいおもちゃを与えられた子供のように。
少女が歓喜に満ちた声を上げるので、グレンは咄嗟に口を塞ごうとした。不審に思った誰かに見られては仕事が失敗に終わる。しかし少女は魔法で身体の大きさを自在に変え、おまけにちょこまかと動くので、流石のグレンも手を焼いた。殺しの仕事であれば息の根を止めれば済む話なのだが、今回の目的は誘拐。少女の命を奪ってしまったら、自分も死ぬ羽目になる。
「なあ、お嬢様。ちょぉっと静かにしててくれないか。確かに今は殺さない。だが、確かにあんたの言う通り、後で殺すことになる可能性も少なからず存在する」
「ほら! 殺すんでしょ! ふふっ。楽しみ~!」
「楽しむな!」
少女との追いかけっこに苛立ちを覚えてきたグレンも、とうとう声を荒げた。少女はその声量に驚いたのか、びくりと体を固まらせる。その一瞬の隙をついて、やっとグレンは少女の口を塞ぐことに成功した。逃げられないように、後ろから抱き締めるようにして少女の自由を奪う。
「いいか。これからあんたをとある場所まで連れていく。それまで大人しくしてるんだぞ。さもないと……」
そこでグレンは言葉を切った。少女の期待に満ちた目に気づいたからだ。
「さもないと、あー、その、なんだ。殺してやらないからな」
少女は目元に笑みを浮かべて頷いた。
○
少女の名はシェリー・ハイトアッシュという。貿易商を営む裕福な家庭に生まれ、神の奇跡を授かり何不自由なく育った美しい娘。……というのは世間体を気にする父親が周囲にそう思わせるための売り文句である。シェリーを産んだのはハイトアッシュ夫人ではなく、ハイトアッシュ卿の愛人であった。愛人との間に生まれたにも関わらず、奇跡の子の象徴である黄金の瞳を宿すシェリー。彼女の処遇をどうすべきか、ハイトアッシュ卿は大変思い悩んだ。いっそ殺してしまおうか。しかし奇跡の子を利用しない手はない。文字通り奇跡をもたらしてくれるかもしれない。この時ハイトアッシュ卿が営む貿易会社は、俄かに業績が傾きかけていた。それを持ち直し、他社を凌駕するという奇跡が欲しかった。だからハイトアッシュ卿はシェリーを己の妻との間にできた子だということにし、手元に置いておいた。口を割ってしまうかもしれない愛人だけを、土に埋めて。
確かにシェリーは何不自由なく育ったのかもしれない。豪華な屋敷に住み、食べるものにも、着るものにも困ることはなかった。しかし愛を与えられることはなかった。ハイトアッシュ卿は、会社の業績を持ち直すという奇跡をなぜ起こさないのか、とシェリーに怒鳴った。ハイトアッシュ夫人は、自分が産んだ子供だけを愛し、シェリーのことは無視した。家の主人がそうなのだから、使用人たちも腫れ物を扱うようにシェリーの世話をした。子供たちも、母親の言いつけ通りにシェリーを自分たちの召使いのように扱った。屋敷に人が訪れる時や、逆に誰かの屋敷に訪れる時だけ、家の者たちはシェリーを誰よりも愛しているかのように扱った。シェリーもそのように振舞った。そうしなければ、後で冷たい水と罵倒の声を一緒に浴びることになるからだ。
そんな状況が一変したのは、シェリーが十二歳の誕生日を迎えた日のことだった。とは言え哀しいことに、誰もその日がシェリーの誕生日だとは知らなかった。ハイトアッシュ卿も、シェリーがいつ生まれたかなんて覚えていなかった。
その日もシェリーは薄暗くてじめじめした部屋で起き、冷めたスープと硬いパンを一人で食べた。他者を見下すしか脳のない子供たちが自分を見つける前に、庭を散歩しよう。そうして庭師のおじさんに挨拶をしよう。庭師のおじさんは、シェリーの唯一の味方だった。口数は少ないが、シェリーがこれは何の花なのかと尋ねれば教えてくれる。突き放すようにではなく、丁寧に、世話の仕方や毒の有無まで。
シェリーは庭師のおじさんを見つけ、挨拶し、おじさんが梯子を上り木の枝を伐採する様子を眺めていた。するとやがて子供たちがやってきた。両親の愛情を受けて育った、ハイトアッシュ家の本当の子供たちが。その日も子供たちはシェリーを馬鹿にするような言動を繰り返したが、それだけではなかった。庭師のおじさんのことも馬鹿にしだした。シェリーは自分が馬鹿にされることには慣れきってしまっていたが、おじさんのことも馬鹿にされるのは我慢ならなかった。そこに日頃の鬱憤も重なり、シェリーの怒りはすぐに頂点に達した。
それは奇跡というよりも、悪夢というべき惨状であった。
子供たちの身体が植物の蔓に絡めとられ、引きずられ、振り回された。シェリーの持つ魔法の力が暴走したのだ。シェリーはその光景に、自分のしでかしたことに恐怖するでもなく、むしろいい気味だと思いながら唇の端を歪めながら眺めていた。しかし何か大きなものが倒れる音が聴こえると、シェリーの顔から笑みは消えた。はっとして後ろを向くと、庭師のおじさんが地面に倒れていた。大量の血を流して。何かの拍子におじさんが乗っていた梯子が倒れてしまったのだろう。そこでやっとシェリーは自分がとんでもないことをしてしまったことに気がついた。そして、おじさんの命がもう戻らないことにも。
このこともやはり、ハイトアッシュ卿の命令により〝なかった〟ことにされた。庭師のおじさんの死は、ボロボロの梯子を使っていたおじさんの自業自得ということにされた。子供たちの怪我は遊びがすぎたゆえのものだとされた。シェリーは何もしていない、ということにされた。シェリーがこんな恐ろしいことをする子だと知れれば、会社の業績が落ちるどころの騒ぎではなくなってしまうからだ。代わりにシェリーは、家の外にいてもいいという自由を得た。要は、また敷地内で騒ぎを起こされたくないから極力外にいてくれ、という命令である。もちろん対外的には社会勉強の一環だということにして。
こうして仮初めの自由を得たシェリーは、日中のほとんどを街中で過ごすようになった。少女が一人で街を歩いていれば、当然のように悪い輩が近寄ってくる。しかしシェリーにはそれらを打ち倒す力が備わっていた。その辺に転がっているレンガを魔法で持ち上げて、暴漢の股間にでも打ち付ければ一発だ。いつしかシェリーはわざと裏路地に連れていかれ、そこで暴漢を痛い目に合わせることを楽しむようになっていた。しかしその楽しみも長くは続かなかった。
足りないのだ。一方的に痛めつけるだけでは。それではあの家の子供たちと同じでしかない。
もっと力のある人と。奇跡でもなんでもない、呪いのようなこの力を生まれ持った私と同じような人と、相手をしたい。私が殺されてしまうくらい、強い人と。
奇しくもその願いはシェリーの父親――ハイトアッシュ卿の手により叶えられることとなった。奇跡なんて起こしてくれやしない奇跡の子を消すために、とある犯罪組織にハイトアッシュ家の娘を攫うよう依頼した。殺害の依頼よりも、誘拐の依頼の方が前金が安かったからだ。ハイトアッシュ家当主からの依頼と知った上で受けた組織は、金さえ得られれば理由はどうでもよかった。ただ、成功報酬を得られなければ娘を殺すぞとだけ脅した。ハイトアッシュ卿は、心得た、とだけ言って頷いた。しかし、誘拐された後シェリーがどうなろうが、知ったことではなかった。始めから前金しか払う気はなかった。組織も組織でハイトアッシュ卿のことを信用してはいなかったので、依頼を受けた後、屋敷から金目の物を奪う算段を立てた。
こうしてシェリーとグレンは出会った。
○
シェリーを攫ったグレンは、組織の有する隠れ家の一つに来ていた。寄り道せずに組織の本部まで行くつもりであったが、シェリーが「お腹が空いた」と騒ぐため、仕方なく予定を変更した。隠れ家にはすぐ腐ってしまうような食糧は置かれていないため、わざわざ市場まで行って食材も購入した。
調理魔法は、グレンが仕事を行う上で身につけた魔法の一つだ。仕事によっては、悠長に食事をとる時間が得られない場合もある。しかし食事を怠り空腹の状態でいれば、仕事に支障が出る。そこで調理魔法だ。食材さえあれば、すぐに料理が出来上がる。いつでもどこでも使えるので、仕留めた獣をその場でステーキにすることだってできる。そういう意味でも、仲間からはグレンと共に仕事をすれば美味い飯が食えるとありがたがられていた。
グレンは小うるさい少女の口を塞ぐため、いつもより豪華な食事を作った。貴族のお嬢様なのだから、簡素な料理ではこれまたうるさく文句を言ってくるだろう、と考えたからである。焼きたてのパンと、温かなスープ、そして羊肉のステーキを作り、シェリーの前に置いた。
「ほら、作ってやったんだから食え」
グレンも己の分を机に置き、早速食べ始めた。……うん。今日も良い焼き加減だ。調理魔法は意外と難易度が高い。慣れるまでは肉を焼きすぎてしまったり、中心だけ生焼けにしてしまったりするものだ。だからグレンは、上手く調理魔法が扱える自分の腕前を密かに誇りに感じていた。幼い頃は食うものにも困っていたのだから、こうして自分で美味しい料理を作り、食べられることの、なんと幸せなことか。
対するシェリーは、眼前の料理と男を不思議そうな目付きで眺めていた。まさか自分を攫った人間が、自分のために料理を作るとは。これっぽっちも思いもよらなかった事態だ。今までだって街中で自分に寄ってきた男にわがままを言ってみたことはある。お腹が空いたと言えば食堂に連れていかれ(その後宿屋に連れていかれそうになれば魔法で痛めつけて逃げ)、あれが欲しいと言えば買ってもらえることもあった。しかしこの男は自分で食材を買い、自分で調理した。しかも私を値踏みするような目で見てこない。
「どうした。腹減ってるんだろ。冷める前に食え。それともこんな安い料理は食えねぇってか?」
「う……ううん。食べる……」
お腹が空いているのは事実だった。シェリーはお金を持って街に出ているわけではなかった。だから自分に声をかけてくる男にわがままを言って、食事や服や装飾品を奢ってもらっていた。この日も朝食以降何も食べておらず、それもあってグレンにわがままを言ってみたのだった。
シェリーは初めての状況に困惑しながら、恐る恐るスプーンを手に取り、スープを一口飲んだ。
「美味しい……」
「それはよかった。お貴族様の舌を満足させられるなら光栄だね」
グレンはふんと鼻を鳴らした。貴族なんかのために料理を作るのは釈然としない。しかし自分が作った料理を美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。形容し難い気持ちがグレンの中で渦巻いた。
シェリーはまたスープを一口。二口。温かなスープが喉を通る感触が気持ちよくて、ついにはスプーンを置き、お皿を持ち上げてスープをすすり始めた。
「…………」
今度は、グレンが唖然とした表情でシェリーを見る番になった。目の前の少女が、貴族のお嬢様が、マナーなんてそっちのけで食事をしている。皿に口をつけてスープを飲み干し、ナイフとフォークで肉を切るのはじれったいとばかりに骨を掴んで肉に食らいついている。しかも何故か、涙を流しながら。
(何なんだ、このお嬢様は……)
実は貴族のお堅い暮らしに飽き飽きしていた? マナーを守らずに食事をしてみたかった? だからといってここまで泣くだろうか。見ず知らずの男の前で、そんな恥を晒すだろうか。わからない。この少女の行動の何もかもがわからない。
やがて綺麗さっぱり食べ終えたシェリーが、泣き腫らした目でグレンに礼を述べた。
「ありがとう。美味しかったわ。温かくて……優しい味がした」
「お、おう……。でも、お嬢様なら毎日家で温かい料理食ってるだろ。何もそこまで……」
「冷めてるの、スープ」
「……は?」
「冷めたスープと、硬いパン。それが私が毎日あの屋敷で食べさせられているもの」
「……」
シェリーはここで初めて自分の身の上を他人に話した。愛人との間にできた子であることから、魔法を暴走させて庭師のおじさんを殺してしまったこと、ハイトアッシュ卿が自分を取り戻すために金を払うとは思えないことまで、何もかも。
話を聞き終えたグレンは、また鼻を鳴らした。
「ったく。これだからお貴族様は嫌いだ」
貴族なんてものは、自分と身内だけを可愛がり、その他の命などどうとも思っていない。愛人が産んだ子供だって、都合が悪いから消してしまう。グレンも親に捨てられた過去があるため、実質見捨てられたシェリーにも少なからず同情した。
「んで? 俺がこのままお前を本部まで連れていけば殺されるのは確実だろうが……。お前はそれでいいのか? お前を見捨てたクソ野郎どもに復讐したいとか、そういう思いはないのか?」
同情ついでに、グレンはそんなことを訊ねてみた。どうせうちの組織のことだ。俺が知らされていないだけで、他の誰かにこいつの屋敷から宝石を奪いだせという命令が下りている可能性は大いにある。だったらそのついでに一人二人死人が出たって大目に見てくれるだろう。
しかし少女は首を横に振った。
「復讐はいいの。そんなことしたって、あいつらと同じ程度の器になっちゃうだけだもん。それよりも私……」
すっとシェリーは顔を上げ、グレンと目を合わせた。
「あなたの作った料理を、もっと食べたい」
「……それは、今のじゃ量が足りなかったってことか? だが生憎もう食材は」
「ううん、そうじゃないの。明日も、明後日も、あなたの作った料理が食べたいの」
「はあ……?」
意味が分からない、とでもいうようにグレンは首を傾げた。
「私一人のために、こんなに美味しい料理を作ってもらったのって、初めてで……凄く、凄く、嬉しかったの。……ねえ、私をその組織の本部ってところまで連れていかなかったら、どうなるの?」
「その場合は任務を放棄、もしくは失敗したとみなされて、俺が組織から追われることに……。おい、もしかしてお前」
グレンはとてつもなく嫌な予感がしてシェリーをよく見ると、彼女の瞳はきらきらと輝いていた。魔法を使用する時の輝きではなく、新たないたずらを思いついたような、子供のそれ。
「あなたも強そうだし、きっと組織の他の人たちも強いんでしょう⁉ さっきも言ったけど、私は強い人と戦ってみたいの。私を殺せるくらい、強い人と。おじさんを殺してしまってから、私もおじさんと同じところに行けたらって思ってるんだけど、自分ではどうしてもできないの。でも、あなたの組織の人なら私を殺せる人がいるかもしれない! だからあなたと一緒に、あなたの組織の人たちから逃げ回るの!」
「……なあ、それお前一人でやればいいんじゃないのか?」
「駄目! 私はあなたの料理が食べたいの!」
「死にたいのか生きて美味い飯が食いたいのかどっちだよ⁉」
「どっちも! ……と言うより、別に、今すぐ死にたいわけでもないし」
「何なんだよ⁉」
いよいよもって訳がわからない。グレンはこめかみを抑えた。心なしか頭が痛い。
「だって、ほら、生きていればいつかは死ぬでしょ? でも、誰だって簡単に死にたくはないでしょ? それに、私は今まで酷い暮らしをしていたから、死ぬまでの間にちょっとは楽しみたいの。……あなたの、美味しい料理を」
「うっ……」
目の前で、可愛らしい少女が、泣き腫らした目で、こちらを見上げてくる。そんな状況とは一切縁のなかったグレンには、このシェリーの仕草は(全く意図していないにせよ)効果的だった。
(クソッ……。どうする、グレン……。組織を抜ければ収入が……。でもこいつを組織に渡せばこいつの命が……。って、何で俺はこいつの命の心配なんかしてるんだ……? あれ? こいつと逃げた場合の俺のメリットは一体……?)
「お願い、グレン。私ね、グレンがこのまま殺し屋を続けるのって、もったいないなって思うの。だって、こんなに美味しい料理をすぐ作れるんだよ? その才能を生かしてお店を開くとか、そういうことでお金を稼げばいいと思うの。強いから護衛の仕事もできるだろうし、他には……あんまり詳しくないから今は思いつかないけど、グレンならきっと何でもできるよ」
などと、グレンの心を見透かしたようなことまで言ってくるシェリー。今回の仕事のターゲットであるとはいえ、少女にこう必死に言われては、グレンも足蹴にはできなかった。
グレンは邪念を追い出すように息を吐き、心を決めた。
「わかったよ、お嬢様。お前と一緒に逃避行をしてやろうじゃねぇか。丁度俺も、一方的に相手を倒すだけの生活に飽きてきたところだったんでな。ただ、組織のエースである俺を脱退させて、お前専属の護衛兼料理人にさせるんだ。それなりの報酬を期待してるぜ、お嬢様」
「……」
グレンの回答に、シェリーは顔をぽかんとさせた。しかし次第にそれは笑みに変わる。
「ええ、もちろん。料理人の分の報酬を払ってあげる。護衛なんて、私には必要ないんだから!」
シェリーが差し出した手を、グレンが握る。交渉成立。こうしてできあがった奇妙な主従の逃避行が、人知れず始まるのであった。
○
翌日。グレンがターゲットと逃げたことを知った組織は、グレンを見つけ次第殺すよう命令を下した。その日ハイトアッシュ家の財宝を盗み出すよう命令された組織員は、その日の内に組織に戻ってこなかった。不審に思った組織はその翌日、別の人員をハイトアッシュ家に向かわせた。彼がハイトアッシュ家で見たのは、昨日ここに訪れた組織員の死体と、見ず知らずの男の死体に戸惑うハイトアッシュ家の人々。見なかったのは、この家から盗み出す予定だった財宝。
いや、もう一つ見たものがある。
〝殺せるものなら殺してみろ〟という、裏切り者からのメッセージ。