隣の雨谷さんにラブコメ沼に誘われる
「ねぇ……好きなアニメとかあるの?」
授業中というのに左隣の席の雨谷 芹香という女子が、控えめな声量で話しかけてきた。
ミルクティーみたいな髪色のミディアムヘア。小さなリボンがついたカチューシャをいつも着けていて、顔は――素直に可愛いと言っておこう。
最近はコイツのおかげで学校が楽しい。何かと俺を気にかけてくれて、授業中にコソコソとこういった何気ない会話をするのが日常だ。
中学の友人が軒並み別々の進路を歩み、クラスで孤立していた俺はコイツに救われた。積極的に話しかけてくれて、コイツが架け橋になってくれて今となってはクラスに馴染めた。
まあコミュ力が高い優しい子なのは理解している。だから最初は義務感だろう。
なので特別な感情は一切ない! 健全に接している中で雨谷も心を開いてくれたのか、今では住所と連絡先を知っている。
因みに俺はアニメ好きだ。好き嫌いは特にないが一つだけ、手を出していないジャンルがある――。
「バトル物が好きだな」
「へぇ……物騒なもの好むのね。恋愛物は見ないの?」
興味津々といった感じで俺の方に前のめりになる。本当にコイツは――パーソナルスペースを知らないのか?
最近は距離感がやたら近い。フローラルな香りがして授業に集中できないだろ。まあ駄弁ってるわけだが。
「恋愛物は一切見ない」
「ふーん……物好きだね」
「知らんがな。そういうのはおまけでいいんだよ。恋愛をメインにするのはくどくないか?」
「そんなことな――」
「――だから!鎌倉幕府は長く続かなかったんだ」
俺たちを注意する様に先生の声がデカくなる。
話を遮られたのが不満なのか、ぷくっと頬を膨らませた。ここ最近表情が豊かになった。まあ可愛げは前よりずっとあるな。
しかしそんなにラブコメを布教したいのか――? 俺の意思は強いぞ。
彼女は控えめな声で言った。
「じゃあ、塩川くん生涯独身なんだね?」
拗ねたように口を尖らせた雨谷に、極論すぎて苦笑いを浮かべた。
ちなみに塩川くんとは俺のことだ。フルネームは塩川 夏樹。オタク趣味な何処にでもいる高校1年生やってます。
こちらもバレない様にコソコソと話す。
「極論すぎ。一応結婚願望はあるけど」
「でもおまけでいいんでしょ? それって、塩川くんと結婚する人は幸せなの?」
「それ……別の話じゃない?」
「違わないよ。恋愛が重要じゃないなら、結婚にも興味ないんだ?」
雨谷は腕を組んでまるで俺を尋問するような目で見てくる。なんで授業中に恋愛観について問い詰められないといけないのか。
それに、過去の失恋からもう懲り懲りなのだ。
俺の失恋とやらだが小3から好きだった子、以降A子と呼ぼう。
A子は優しい女の子で消しゴムは落としたら毎回拾ってくれるし、授業中に寝ても起こしてくれる。極め付けは俺のことを好きだという噂が立っていた。
両思いだった訳だが、俺もその子も告白はしなかった。 そして別々の中学に進み中2の冬にA子と再会した。
再会――というか見かけた。商店街でふと路地裏を見ると誰にガン飛ばす、髪を染めて黒マスクを付けたA子が居た。
あの頃の優しさは何処へやら――その頃の失望と温めてた思いが散ってく様は、今でも忘れない。
純粋な恋愛をしていたが、信じていた人が変わってしまったのが怖かったのか、それ以来、恋愛には全く興味がなくなった。
話を戻そう。こっちには、恋愛以外の楽しみがあるのだ。決して彼女がいなくて、僻んでるわけではない。
(恋愛に関しては、暫くはいいんだけどな)
「塩川くんは、部活入ってないよね? じゃあ青春は恋愛だけだね」
「何言ってんだ。恋愛しなくても毎日楽しいぞ。第一、俺は雨谷さんより成績がいい――」
「――室町幕府を開いたのは、じゃあここ、今日は31日だから、16番の塩川!」
なぜ31日で俺になるんだ――いや喋ってたからか。声は抑えてたとは言え、バレていたらしい。
というかまずい。全く話を聞いていなかった。急いで板書の内容から問題を推測、解いてゆく。
「はい、足利義満です」
「おお、不正解だ。大丈夫か? これ、中学校レベルだぞ? 正しくは足利尊で――」
教室がシーンとしたのに左横の雨谷は必死に笑いを堪えている様で、口元を手で押さえていた。
自信満々で答えたせいで、余計に恥ずかしい。
控えめな声で雨谷はいう。
「……ちがうじゃん……ああ……自信ありげだったのに、かわいそ」
「……慈悲深いですな」
まあ笑ってくれただけ救われたと受け取っておく。沈黙は一番キツかっただろうからな。
「それで、バカな塩川くん。恋愛する気になった?」
「一言余計だな」
「恋愛する気になった?」
「……どうだかな」
歯切れの悪い返事になったのは雨谷のキャラメル色の瞳が微笑んでたからだ。
女性経験皆無なせいで耐性がなく思わず視線を逸らしてしまった。
雨谷は何かを言いかけて、でも躊躇する様に喉を動かした後に言った。
「教えてあげよう。青春=恋愛で、塩川くんは人生損してるんだよ。私と、恋愛しない?」
コイツが微笑みながらそんな事を言ったせいで、周囲から視線が集まった。「告白?」とでも言いたげな目だな。こっちも困惑してんだ。
(本当に何考えてるんだ……? もしかして――いや、なわけないよな)
「……は? なにそれ、遠回しな告白?」
「違うよ。私たちのラブコメにおいて、いきなり『付き合ってください』はない。段階を踏んでからだよ」
「いや、それって何も違わなくないか!?」
「塩川! 授業中喋んな!」
「は、はぁい!」
声がつい大きくなってしまい、ついには怒鳴られてしまった。俺の内申点が……そして雨谷にも注意しろ! レディファーストを今使うな!
俺の発言に雨谷さんは図星らしく恥ずかしいのか、髪をいじり出した。
――は? つまりコイツは俺と恋愛したいのか? だいぶ踏み込んだ事を言っていた気がするし、その認識は間違いないんだろう。いきなりすぎるだろ。
そもそも何で俺なんだ。俺よりイケメンの男は星のようにいるし俺に惚れられる要素なんてない気がする。
俺がオドオドしているうちに雨谷さんははにかんだ笑顔を俺に向けてくる。
今度は文通、ノートの切れ端が送られた。
“塩川くんを恋愛沼に引きずり込んでやる”
(お、恐ろしいなぁ……)
気恥ずかしくなり視線をノートに移す。もしかして――雨谷は俺が好きなのか?
悪い気はしないが、恋愛対象として見るのには時間がかかりそうだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆――雨谷視点に移ります。
授業中私が彼に告白紛いなことを言ったのは認めるし、彼が好きなのも認める。
まあ突然で驚いているだろうから申し訳ないが、過去を遡れば塩川くんの方がずるい。あと多分女として見られてない。
親の遺伝子でお胸が発育良く育ったせいで、男子から色眼鏡で見られるのが悩みだった。
でも彼は私の外見じゃなく中身を見てくれて、いつも紳士的に接してくれた。具体的なエピソードは私が不良に絡まれている時、突然物陰から彼が出てきて私とその不良に割って入ったのだ。その時に言った彼の言葉は嬉しくて今でも覚えている。何度も反芻してその度にニマニマして……。
自分の気持ちに気づいてからは、そういう目で見て欲しくなった。でも彼は変わらず紳士的で――なら、意識させればいいじゃないということ。
昼休み彼は机に弁当を置いて私から逃げる様にトイレに駆け込んだ。それは許せない。今日は四六時中ずっと私の事を忘れさせない為にも、アプローチは欠かせない。
ふと母の言葉を思い出した。「男は胃袋を掴むのよ!」今日はお弁当は私が作った日だ。
(……気持ちが届きますように……)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆――塩川視点に移ります。
トイレから戻ってきた俺は弁当を食べようとした――が、弁当箱の蓋が開いた痕跡があり。水滴が机についているし、何ならレタスが弁当がはみ出ている
(絶対コイツだよな……)
左横には、何食わぬ顔で弁当を食べいる雨谷。まあ弁当箱を開けない事にはわからない。
おかずの弁当箱を開けた――そして唖然とした。生姜やら醤油やらミートソースやらで混沌とした匂いだ。
明らかにいつもより豪華で主菜が一つ多いし、豚の生姜焼きが押し込むように入ってる。
そして極め付けにはご飯の弁当箱だ。白米の上にオムレツは割られて半分にした痕跡があるし、意味深なハートマークが書かれている。そして端っこにミニトマト。白米だけの箱だったくせに彩豊かだ。
左から物凄い視線感じ、左を向く。
「雨谷さん、本当に何してんの?」
「なんのこと? さあ食べて食べて」
「いやスルーできるとでも!? 運動部並みの量じゃないか……」
「まあ、塩川くんはもう少し筋肉つけたほうがかっこいいし、ちょうどいいでしょ?」
「いやいや――というか、時間まずいな」
まだまだ昼休みは続くが、この量を食べ切れるはずがない。まずは生姜焼きから――うまい。ちゃんと下処理されて柔らかいし、生姜とタレの甘塩っぱさが絶妙でご飯に合いそうだ。
「どう? 美味しい?」
「いや美味しいけどな、なんか腑に落ちない」
「へぇ……私の手料理美味しいんだぁ……」
ニマニマと頬杖を立てながらこっちを見てくる。やっぱ雨谷だったのか。
「次はオムレツ食べて?」
「オムレツというより、オムライスじゃないか? あとこのハートマークなんだ」
「いいから食べて♪」
雨谷は鼻歌まで歌って足を揺らして、楽しそうだ。素直にオムレツを食べる――ふわとろでたまご本来の旨みと甘さを感じる。完成度が高すぎて家庭的に感じない。
「……美味すぎないか? どうしたらこんなふわトロに作れるんだ……」
「でしょ? じゃあ認めようね」
「な、何を?」
意味は気づいているが照れ隠しにそういう。そしてコイツはお腹いっぱいになれるのか? アピールの為にしては体張りすぎだ。
「それと……雨谷さんは、お腹いっぱいになれるの?」
「満腹はあんまり良くないから」
「そ、そうかよ……」
ダメだ。今日はコイツの笑顔を意識してしまう。急に距離感がぐっと近づいたせいで、意識せざるを得ない。
思わず天井を見つめてしまった。
「ふふ……満更でもないんだね」
「うっさい」
「今日から塩川くんがラブコメの主人公だよ」
「……は?」
そう俺にしか聞こえない声量で囁かれて、ぽかーんとした顔で雨谷を見つめれば、もう一度ふふッと微笑みを返された。
唖然とした俺を尻目に雨谷の指先が肩をツンっと突いてきてこそばゆい。
「ノンフィクションのラブコメで、塩川くんを虜にさせるから……」
今度は耳元で囁かれ暖かい息を感じて、身を強張らせた。本当にコイツは俺を好きなのか――? それとも意地になっているのか――?
まさか初めてのラブコメが自分が主人公だなんて……コイツの目は本物で、嘘みたいな言葉も本当の言葉なんだろう。
思えば俺は恋愛が嫌いな訳じゃない。恐れていただけだ。もう一度信じる恋愛が出来るのか――。
こうして梅雨の明けた時期、クラスの端で俺たちの甘ったるいラブコメ(一方的なアプローチ)が静かに開幕した。