第一日
普通の街、普通の酒場、普通のゴロツキにパシられる普通の俺。今日もこれからパン屋にひとっパシリするところだ。「おい」で呼ばれ、「パン」の一言で俺は走り出す。
『一秒でも早く所望のものを届ける』
それが俺のパシリの矜持。
走りながら頭の中で街中のパン屋のリストを広げる。今回は酒の肴になるパンだから甘いのはご法度。塩気が効いて旨味が引き立っているやつを狙うのだ。数軒のパン屋を頭に浮べた俺は足を速める。
一軒目のパン屋が見えてくる。まだ早いからか客足はそれほど多くない。中に入り店内を俯瞰すると棚には隙間なく総菜パンが並ぶ。よし、欲しいものは全て揃っているな。今日は幸先がいい。
金を支払い急いで酒場に戻ろうとすると、背後から慌てた店員の声が聞こえる。
なんだ、俺は急ぎなんだが… なに? くじを引け? イベントだと? なんで今日に限ってそんなものを… なに? 打倒魔王キャンペーン? 何だそれは、俺には関係ない… ああ、もうわかったからサッサとくじを出せ。
くじ箱から数枚の紙を取り出して店員に掴ませ、俺は目的のパンを持って颯爽と店を出…られなかった。
カランカランと建物内に響き渡る甲高い音。店中の店員と客が俺に注目する。
おい、なんなんだ、くじを引いて終わりのはずじゃなかったのか。俺は早く酒場に戻りた…い… ん、なんだコレは。『風竜のリストバンド』? こんな凝った意匠のリストバンドなどパシリの邪魔になるだけ…… ん? 動きが大幅に速くなるだと? そんなもの…… 俺のパシリの為にあるようなものではないか。受け取ろう。
手首に緑の竜を撒きつかせた俺は出口に急ぐ。くじやら何やらで、かれこれ3分は経っているのだ。そんな俺の背後から元気な店員の声。なに、魔王を倒せ? そんなものは知らん。俺はパシリで忙しい。
リストバンドの効果か、いつもの倍以上の速さで酒場に戻ることができた。俺は店内を静かに移動しゴロツキの横に立つと味濃いめの惣菜パンをそっと差し出す。ゴロツキは奪い取るようにそれを受け取ると、すぐさまそれに食らいつく。よし、旨そうに食っている。この調子だとパンを食い終わるのに10…いや、9分も掛からないか。今日の惣菜パンは人気商品だが、若干パン生地が少ないのだ。
ゴロツキが惣菜パンを肴にしている間は俺がパシられることはない。だからその間に俺は俺のすることをする。街を出て直ぐの森での薬草採取だ。パシリ対象物の急な値上げといった不測の事態の際、「資金不足」だったなんて言い訳の言葉は俺の辞書には存在しない。9分あるならその時間を資金造りに充てる。
俺は静かにゴロツキから距離を取ると、店を出て森に向かう。頭の中はすでに時間の計算だ。
森まで1分、採取で5分、冒険者ギルドまで1分、査定で2分。く、ギリギリ間に合わんかもしれん。いや、この際採取時間を削るか。そんなことを考えていると、なんと30秒で森に到着する。見ると俺の右手首でうっすらと光を放つリストバンド。そうだった、これの存在を忘れていた。パン屋でもらったパシリ用のリストバンド『風竜のリストバンド』。良いものを貰ったものだ。今度からあの店をパン屋リストの一番上に置いておくとしよう。
パン屋への感謝を胸に森に入って薬草採取ポイントを回る。カラフルな茸の絨毯を進んだ先の水辺や、俺を一飲みしようと口を開けてじゃれてくる蛇たちの巣なんかはいつ行っても必ず薬草が群生しているのだ。この薬草は酒場で冒険者連中が「高く売れる珍しい薬草だ」と言って自慢していたものだ。こんなにあるのにどこが珍しいのかよくわからんが、なぜか奴らが言っていた通りに高く売れる。今は俺の貴重なパシリの資金源となっている。
リストバンドのおかげで十分時間はあるが、必要以上に薬草を取ることはしない。これは俺の知恵である。いつも通りの量を採取し街に戻る。いつもより30秒ほど早い到着だが、そのまま薬草を売りに冒険者ギルドへと直行する。
ギルドでは冒険者登録ということをしないと薬草を買ってくれないため、一応冒険者登録はしている。ただ薬草を売る度にランクがどうという話をしてくるのは止めてほしい。パシリの邪魔なのだ。
俺が冒険者ギルドに入ると、それを見たギルド担当者は奥へ引っ込み、いつも通りの記入済み書類や薬草代の入った金袋、そして数人の人員を引き連れて戻ってくる。これが俺の知恵の効果。毎回決まった種類、決まった数を納品する俺が築いた時短関係。俺の宝だ。
薬草をいつもの流れで確認する担当者たち。これには必ず2分弱かかる。なぜか数人の担当者が白い手袋をして1本1本難しい顔をして確認するのだ。そんなに俺が信用ならないのか…。もう何度も繰り返しているというのに。
確認作業を待っている間、俺は周りのカウンターの様子を窺う。もしかするともっと高価な薬草があるかもしれないからだ。そうなれば採取本数を減らして、確認時間も含め、さらに時間短縮が可能になってくるだろう。
だが、これまで他の冒険者が持ってきている薬草が俺のような厳密な確認をされているのを見たことがない。
なぜ、俺の持ち込む薬草にだけに何人もの職員が真剣な表情で確認に入るのか。もしかして俺が怖いのか… いや、そんなことはないだろう。周りには顔に大きな傷があったり、ド派手な髪形や、物騒な武器を背負った奴らも多いのだ。俺だけが怖いと言う訳ではないはずだ。
俺は薬草を確認する担当者たちを見る。お、どうやらそろそろ終わりそうだ。時間を見ればいつも通り2分弱。うん、これなら十分に間に合うだろう。俺は羽ペンを持ち、代金の受け取りサインの体制に入る。そこへいつものように事前準備されていた用紙が運ばれてくる。そして俺がそれにサインしようとしたその時、急にその用紙が引っ込められた。
どうした? いつもの流れと違うじゃないか。なぜ、俺との時短関係を乱す。
ふと担当者を見ると、その視線は横に向いている。俺がそれを追うと、その先では薬草の確認作業を行っていた職員がなぜか大きなルーペで1本の薬草を確認しながら分厚い本をバラバラと捲っている。
なんだ? もしや種類を間違えたか。くそ、俺とした事が。こんなことでは一本一本確認作業をする職員をとやかく言うことはできない。仕方がない。ここは謙虚に待つとしよう。
既に俺がギルドに来て10分が経過しいる。そして俺の前には小綺麗な服を身に纏った初老の男。かれこれ7分以上も自前の片眼鏡で1本の薬草に見入っている。着席時にガチガチに固めていた髪型はもう原型を留めていない程に乱れている。それでも止めようとする気配はない。
おい、さすがにもうそろそろいいんじゃないか。早く査定を終えてくれ。今のそれの分は差し引いてくれて構わん。だから早く。これではゴロツキの次のパシリに間に合わん。いや、すでに呆れて帰ってしまっているかもしれん。頼む、早く。
それから4分後、俺の目の前にはいつもの200倍の金貨が積まれた。
…おい、なんだこれは。こんな量の金貨は要らん。こんな重いもの持ったら移動が遅くなるだろう。
俺の言葉に髪を整え終えた初老の男がいい笑顔を見せる。
何? この金貨で便利な袋が買えるだと? どれだけ入れても重くならない? そんなものがあるのか。そんな便利な機能… パシリ専用袋ではないか。もちろん有り難く買わせてもらおう。
勧めれた小袋を貰い、金を渡す。いつもの30倍程にまで減った薬草代の金貨を小袋に入れて、酒場へ急ぐ。ふむ、確かに小袋自体の重さしか感じない。これはこれからのパシリが捗るだろう。しかし、ギルドでは凄まじく時間がかかってしまった。ゴロツキはまだ居るだろうか。今回は俺の失策だ。頼む、まだ居てくれ。
酒場へ戻るとゴロツキはテーブルに突っ伏して眠りこけていた。俺はホッと肩の力を抜く。こうなるとゴロツキは閉店まで起きない。俺は店員に酒代に色を付けた額の金貨を渡し精算を済ませる。
今日は2回しかパシれなかったが、リストバンドや小袋といったパシリ用アイテムをゲットできた。まあ、良い一日ではあったのだろう。
俺のパシリの一日が終わった。