一 運び屋
フィリエリナと「姉」と呼ばれる少女は一日をかけ黒い塔へとたどり着いた。
ここに来るまでの間、フィリエリナは姉についておおよその話を聞いていた。しかし、ところどころ不明な点があり詳しく聞いても要領を得なかった。
言葉を交わすたびに感じた違和感は、姉や妹という存在があまりにも限定された世界にいたからだ。支配された奴隷のような生活をしているので当然なのかもしれない。
あまりに言葉の表現が乏しく、知識も偏りすぎて共通であろう事柄も通じない。そのためフィリエリナは話す言葉を選んで姉に理解されやすいよう心がけていた。
それでも商品を買うために文字や数字を覚えたりと、限りある中で努力していた姉をフィリエリナは称賛していた。
姉たちを縛っている化け物の正体は不明だ。姉は「背の高い人」と表現していた。何か失敗するたびに罰を与える存在。間違いなく黒い塔の主だろう。
「運び屋」のことも気がかりだが、情報が少ないので行き当たりで対処するしかないようだ。
そしてフィリエリナの頭の片隅に、おばばのお告げが思い出されていた。
細長い煙突が突き出た黒い館は、町の人々が言う『黒い塔』と呼ぶにふさわしい外観をしていた。
フィリエリナは姉と荷物を置いて盾を片手に装備すると、真っ黒な門の前に立った。その後ろで姉がよろよろと立ち上がり、恐々と門を凝視している。
振り返ったフィリエリナはニコリと姉に微笑む。だが、兜をしていたことに気がつき無意味なことをしたなと苦笑に変わった。
「怖がらないで。私ができるかぎりをするから」
姉は頷きを返し見守っている。
フィリエリナが門に手をかけると──
ゴゴゴゴ……
鍵もかかっていないぶ厚い扉が低い音を立てて開いた。
薄暗い半円の広間が目の前に現れ、中はがらんとしている。誰もいないようだ。姉の話した建物内に関する情報を思い出しながらフィリエリナが目を凝らす。正面に見える両開きの扉が主の部屋、右の扉が姉たち、左の扉が「運び屋」と呼ばれる三人組の部屋。
フィリエリナは姉を後ろに従い右の部屋の前へと進む。ここまで何の反応もない。気がかりだった赤目のムカデもいないようだ。
右の扉の元へと静かに進み、そっと音を立てないよう隙間を空ける。
覗き見るとこの部屋も人ひとりいない…だが、床には赤目のムカデが二匹いてせわしなく動き回っていた。
弓を持ってくればよかったと後悔したフィリエリナ。それならばここから射貫くこともできただろう。
盾を構えナイフを抜くと一気に扉を開けて中へ突入した。
『ギッ!?』
赤い目のムカデ一匹が反応を示した時には目の前に盾が迫っていた!
ブジュッとつぶれる鈍い音をさせ、離れたもう一匹へフィリエリナがナイフを投げる。
『ギィギギギィイイイイ!!!』
ナイフが刺さった赤目のムカデが鋭い叫びをあげのたうち回る。そこへすかさずフィリエリナが盾で潰した。
部屋に静けさが訪れ、姉がびくびくと怖そうに入ってくる。改めて中を見渡したが、潰された赤目のムカデ以外に誰もいない──姉は怖くなって顔を青くさせた。
「妹たちがいない……」
「私が入ったときにはムカデ以外はいなかった。他の部屋にいるのか?」
「呼ばれなければずっとこの部屋にいるはずなのに……」
いつもと違う状態に困惑した姉がベッドへ近寄ると、きちんと折りたたまれた服があった。
「わたしの服?」
手に取って広げると白く薄汚れたワンピースの背中には、穴を縫って閉じた箇所があった。上手ではないけれど丁寧に縫ってあるのがわかる。
ぎゅっと服を抱きしめた姉が心配げに目を閉じる。
「妹たち……」
どう声をかけたらいいか迷ったフィリエリナは、そっと手を伸ばして姉の肩に置いた。
すると広間の方で扉を開く大きな音が聞こえてきた。
バン! ガチャガチャガチャ! と続けて金属が床を叩く音が響く。先ほどのムカデの鳴き声が音の主を呼んでしまったようだ。
ナイフを鞘に納め、剣を抜いたフィリエリナが広間に出ると、奇妙なずんぐりとした鉄鎧に全身を包んだ二メートルはある大きな三人組が視線を向けていた。
「おめえは誰だ? ここがどういう所かわかってねえようだなぁ。五体満足で出れると思うなよ?」
鉄鎧の一人が大声をあげる。
フィリエリナは剣の切っ先を上げ、威嚇するように相手へ向けた。恐々(こわごわ)と部屋の中から様子をうかがう姉の姿を見た鉄鎧が怒りを向けた。
「掃除屋がいるぞ! 手引きしたのはお前かぁ!? 裏切者め! こいつと一緒に頭を砕いてやるよぉおお!!」
手にした巨大なハンマーを振り回す。戦う相手がひとりしかいないのを甘く見て余裕をかましている。
三人組にじりじりと近づきながらフィリエリナが呪文を唱えた。向けているミスリルの剣が魔法の影響を受け青い光を発している。
「フアラ・フアハトっ!!!」
ゴッ! と一瞬で広間の気温が下がり「運び屋」三人に冷気の塊が襲う!
「うぉおおお!?」
重い鉄鎧を着た三人組は動いて逃れるのもままならず、その場に凍りつく。
フィリエリナは兜の中でおかしいと眉をしかめた。思ったより魔法の威力が弱かったからだ。本来なら三人丸ごと氷漬けにするはずなのに、凍らせたぐらいで終わっていた。
これは北にある故郷から南に離れすぎたせいで精霊の加護が届いていない可能性があった。この荒野の地で魔法を使うのは今が初めてだ。事前に試しておけばよかったとフィリエリナは後悔していた。
それでも相手は凍って身動きができないようだ。フィリエリナは一番手前の鎧兜に近づき刃を向ける。
「なんだ!? なんだ!? 動かねえよぉ!? 急に固まりやがった! なにしやがったんだ!?」
どうやら顔は無事だったようで必死に声をあげている。体を動かそうと躍起になっているが鎧もろとも凍って思い通りにいかないようだ。
そんなことを無視してフィリエリナは鉄兜の隙間に剣を突き刺す。
「ぎゃああああああああ!!!」
叫び声にもかまわず何度も鉄兜の隙間を突き刺すフィリエリナ。やがて絶叫は止まった。
後ろにいた鉄鎧の二人は、何もできずに刺殺されたひとりを見て生まれて初めて死ぬ恐怖が襲ってきた。辛うじて開く口で叫んだ。
「い…いやだあぁー-! 死にたくないぃいいい!」「ひゃああー--! やめろおぉおおおお!」
「うるさい!」
いらただしげにフィリエリナが吐き捨てると、残り二人も同じように騒ぐ鉄兜の隙間に突き刺し殺した。ついで剣を鞘に収めると鉄鎧のひとりが持っていた巨大なハンマーを無理矢理剥ぎ取った。
ハンマーの重さを確かめて、おもむろに振りかぶったフィリエリナはそのまま鉄鎧に当て叩いて砕いた。バラバラになった破片が広間に散らばっていく。その様子を部屋の陰から見ていた娘は震えていた。
あんなに恐ろしかった「運び屋」の三人組が、たったひとりに殺されてしまった。荒野の夜よりも寒い攻撃は姉を驚かせ、また恐怖させていた。
三人組についていた赤目のムカデはすでに凍りつき、フィリエリナの手によって粉々にされていた。
全てを砕いたフィリエリナは乱れた呼吸を整えるべく、大きく息を吸って吐いた。
三人組は魔法を知らなかったようで効果はてき面だった。不意をついた攻撃になすすべもなく敗北したのだ。だが奥にいる主はどうだろうか。
覚悟を決めたフィリエリナは姉のいる部屋へ兜を向けると頷いた。
「反対側の扉へ行こう」
姉はコクコクと首を縦にふると恐々と広間に出てフィリエリナの後ろについた。
フィリエリナは破片を避けつつ大股に歩いて「運び屋」が出てきた部屋へ向かう。扉は開いたままだったので中を確認するのは簡単だった。
「なにもないな。妹はやはり奥にいるに違いない」
誰もいない骨や汚物で汚れた部屋を見て、眉をしかめながらフィリエリナは姉に言う。返事はなかったが同意したと思うことにした。
「奥に行くよ」
フィリエリナは姉を伴い装飾の施された奥の扉を少し開ける。後ろで姉が唾を飲み込む音が聞こえた。
天井の高い部屋には何も無く、奥にある開口部は暗くてよく見えない。確認するには部屋に入って進むしかない。
姉はおかしいと思った。いつもなら黒いドレスを着た背の高い者がいたはずだ。それなのにいないなんて……そこで思い出した。「運び屋」がいる間は姉と妹たちは自分の部屋から一歩も出なかったことを。
三人組が館から出ていく音を聞いて、いなくなってから掃除を始めていたのだ。だから「運び屋」が滞在しているときの奥の部屋については、どうなっているのか知る由もなかった。
盾を構えハンマーをいつでも打ち出せるように持ち直して、フィリエリナは部屋の奥へと向かうべく扉を開いた。